hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

中央線快速電車のグリーン車初体験

2024-11-23 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その252。東海道本線、横須賀線、東京上野ライン、湘南新宿ラインにあって中央線にないもの、それはグリーン車併結編成である。



他の線区に比べてメインが東京〜高尾(53.1km)、東京〜青梅(56.0km)が短距離(ご参考、東京〜宇都宮109.5km、東京〜熱海104.6km)であるからなのかもしれないが、並行路線の京王が京王ライナー(新宿〜京王八王子37.1km)などが運転されるようになり、対抗上も運転することになった。



試験運転は10月13日にスタート、来年春まではグリーン料金不要となっている。従来は10両編成だったが、グリーン車(4、5号車)を併結したため、12両となった。



グリーン車は2階建の他の路線と同じ車両で定員が180人、終点では座席の向きを自動回転できるようになっていて、トイレも付属している。




これは無料期間のうちに乗らねばと日曜日東京駅で所用がある際に乗車を試みた。JR東日本のアプリで編成や混み具合がチェックできるのだが、運悪く3本続けて10両編成、さらに後ろから来る12両の車両はグリーン車満席と出ていて、やむなくお茶の水駅まで行って待つことにする。



ようやくお茶の水駅発8時12分発の電車が到着。2階席に向かうが、さすがにガラガラ。先頭の席に座り車窓を楽しむ。お茶の水の地下鉄丸の内線との交差も高いところから見ると風景が違う。



さらに神田駅でも京浜東北線と高さが違うので不思議な感覚である。





あっという間に東京駅に到着するが、中央線のホーム自体が高くなっていることもあり、並んだ東海道本線のホームがかなり低く感じた。



東京駅に到着すると降りる人は僅かだが、私のように試し乗りをしようと子供ばかりでなく、大人も列を作っていた。



帰りこそグリーン車に乗ろうとサイトを見ると次の12両編成は7本後、さすがに諦めて普通の快速電車に乗った。朝夕の通勤時に遠距離を乗る人には便利だが、私が利用するか(東京〜吉祥寺)と言われれば甚だ疑問。もちろん乗り心地はいいが。



因みに料金は50kmまで(東京〜八王子)がSuica利用で750円(その他は1010円)、100kmまで(東京〜大月、青梅)はSuica利用で1000円(その他は1260円)かかる。乗り心地を試したい方は春までに乗るに限るが、車両を確認するにはJR東日本のアプリが便利である。

都営三田線スタンプラリー⑥

2024-10-16 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その252。都営地下鉄三田線スタンプラリー⑥、志村坂上駅は中山道沿いにある。都営地下鉄が開通する前の1966年5月までは地上を都電18系統(志村坂上〜巣鴨車庫〜春日町〜神保町〜神田橋)と43系統(志村橋〜志村坂上〜巣鴨車庫)が走っていた。



志村坂上駅のスタンプは『志村一里塚、戸田橋』が描かれている。志村一里塚は駅下車すぐのところにある。中山道3番目の一里塚として築かれたもので今でもほぼ完全な形で残されている珍しい存在である。




また、志村坂上駅から走るとまずは新河岸川を渡るが、ここに架かるのが志村橋。さらにその先にある荒川の上に架かっているのが戸田橋で都県境となる。


志村3丁目駅を上がると志村城址公園の前に出る。志村城は豊島一族により作られた城で築城の年はわからないが、1455年に千葉信胤が入城した記録はある。その後、後北条氏に攻められ、落城。その後は後北条氏の支配を受けた。



この城址からほど近いところにある前野熊野神社がスタンプに描かれている。前野町には熊野神社が2つあり、こちらは東熊野神社と呼ばれている。こちらの神社は村社に列格されている。



駅を降りると小さな山のようになっていてジグザグに坂を登ると眺めのよいところに神社がある。

蓮根駅からは地上に出る。蓮根2丁目に駅があり、高架の駅となっている。三田線は中山道と分かれて左に弧を描きながら曲がって行く。



駅のスタンプには『城北交通公園、いたばし花火大会』がデザインされている。都立城北交通公園は未就学児向けに自転車や三輪車の貸し出しもしており、子供達が楽しそうにコースを回っている。



他には『D51513』と『ベビーロコ号』というSLが静態保存されていてこれを見るだけでも楽しい。ベビーロコ号は1912年ドイツ・コッヘル社製の小さなSLで和歌山県にあった有田鉄道より東武鉄道が構内入替用に購入したが、あまり使われていなかった。
1958年以降は東武東上線ときわ台駅構内に放置されていたものである。(以下次回)


京浜電気鉄道大森支線の面影を探して

2024-09-27 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その251。京浜電気鉄道大森支線と聞いても知っている人は殆どいないだろう。京浜急行の嚆矢は1899年に大師電気鉄道として川崎(六郷橋)〜大師(川崎大師、現在の京浜急行大師線の一部)が開業した。(日本で3番目の電車として開業)

1901年には川崎〜蒲田〜八幡(現在の大森海岸)〜大森を開業、念願の東海道本線への延伸を果たした。しかし、1904年に八幡から品川方面への延伸(現在の北品川駅まで)を開業、共に八幡〜大森は大森支線となり、単行の電車が往復するようになる。1937年に道路拡幅計画に伴い、大森〜大森海岸は廃止となったのである。



JR大森駅を降りると駅前はロータリーとなっていて当時はループ状に線路が伸びていて?電車が大森駅ではそのまま折り返して行く構造になっていた。

駅前には京浜急行バスを多くのバス停がある。真っ直ぐ行くと道は右に折れ、次の信号機を左に行くと真っ直ぐに大森海岸駅に向かっている。



道路は拡幅されているため、電車が走っていた頃の遺構は殆どない。ただ、大森駅から1つ目のバス停(NTT大森前)からイトーヨーカドーに向かって右側に大森支線の説明板が残されている。



さらに足元には発掘された軌道の敷石が並べてあった。

カンカン照りの中、大森海岸駅まで歩いて行くと国道15号の所で垂直に交わっている。



一つ不思議に思ったのが、なぜ『大森海岸駅』という名称なのか。元の八幡という名称は1904年に『海岸』駅に改称、さらに1933年に『大森海岸駅』に再度改称されている。

名前の由来は改称された当時は国道15号線あたりまでが海岸が来ていたのでこの名前となった。しかし、その後海岸の埋め立てが進み、5kmは歩かないと海岸には辿り着かない。






都営三田線スタンプラリー⑤

2024-09-16 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その250。都営三田線スタンプラリー⑤。新板橋駅から『板橋』が入っている駅が3駅続く。板橋区役所駅は降り、地上に上がると板橋区役所庁舎となる。

駅前に区役所がある例は品川区役所(JR蒲田駅)、文京区役所(都営地下鉄三田線春日駅)など他にもあるが、駅名に付いているのは当駅と荒川区役所(都電荒川線)のみである。

駅のスタンプのデザインは板橋の地名の由来となった旧中山道仲宿付近、石神井川にかかる橋である。鎌倉時代にはもうあったとも言われる由緒ある橋、江戸時代には長さ16.2m、幅5.4mあったと言われている。


今の橋は1972年に石神井川改修の際、架け替えられたものでクラシカルな風情がある。

板橋本町駅のスタンプは『板橋といたばしボローニャこども絵本館、縁切榎』をイメージしたスタンプとなっている。

板橋宿は南の旧滝野川村から北の旧前野村まで20町9間(2.2km)あり、上宿・仲宿・平尾宿の三宿を総称して板橋宿と呼ばれた。この仲宿にあるのが縁切榎。

江戸時代旗本近藤登之助の抱屋敷にあった榎が後に『えのき→えんきり(縁切)』に結びつき、幅広い信仰を集めた。江戸末期に皇女和宮が徳川家茂に嫁ぐ際に縁起が悪いと迂回した逸話もある。ただ、現代では『悪縁は切るが良縁は結ぶ』としてパワースポットとなっている。因みに今の榎の木は3代目である。

本蓮沼駅は『もとはすぬま』と読む。予定駅の段階では地名の蓮沼町を取って蓮沼駅とする予定だったが、当時乗り入れ予定だった東急池上線に蓮沼駅があることから、1961年まで駅所在地の地名だった『志村本蓮沼町』から取った駅名を採用した。

スタンプは『国立スポーツ科学センターと国立西が丘サッカー場』の意匠である。(以下次回)

都営地下鉄三田線スタンプラリー④

2024-08-06 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その249。都営地下鉄三田線スタンプラリー④。巣鴨駅ではJR山手線に乗り換えをすることができる。ちなみに山手線で他の路線との乗換えがない駅はいくつあるか、ご存知だろうか。例えば鶯谷駅などは並走する京浜東北線があるし、大塚駅は都電(東京さくらトラム)に乗り換えられる。



となると他の線が全く乗り入れていないのは30駅中で目白駅、新大久保駅の2駅のみ(高輪ゲートウェイ駅は泉岳寺駅で京浜急行・都営地下鉄浅草線と乗り換え可能)となる。

巣鴨駅のスタンプには『とげぬき地蔵尊と真性寺江戸六地蔵尊』が描かれている。巣鴨といえばとげぬき地蔵というほど有名、正式名称は萬頂山高岩寺といい、本尊の地蔵尊像は秘仏のため、公開されていない。

そのため、御影に祈願したり、洗い観音に治したい部分を洗うと御利益があるという。特に4のつく日は縁日が立ち、お年寄りで賑わう。

西巣鴨駅は明治通りと中山道(国道17号線)の交差点下にあり、近くには都電の新庚申塚電停がある。



スタンプには『都電荒川線新庚申塚電停とすがも鴨台さざえ堂』が描かれている。『さざえ堂』とは江戸時代に東北から関東にかけて作られた特殊な建築様式の仏堂。仏教の礼法である右遶三匝(うにょうさんぞう)に基づき右回りに3回巡ることができるようになっている。不思議なお堂で中を登って行くと回廊を周り、次に下り、中は完全な一方通行で出ることができる。



有名なのは円通三匝堂(会津若松市)で私も行ったことがあるが、1796年に作られた。設計図もなしによく作ることができたと不思議に感じた。

スタンプに描かれているのは大正大学キャンパス内の2013年に作られた鴨台さざえ堂で中に入ることもできる。

新板橋駅はJR板橋駅、東武東上線上板橋駅からも近く、この3駅は徒歩5分程度のところにある。

スタンプにはJR板橋駅前にある『板橋縁宿と近藤勇像』である。1868年に流山(越谷との説もある)で新政府軍に捕縛された近藤勇は総督府の置かれた板橋宿まで連行され、取調べを受ける。



当初は『大久保大和』という変名を使っていたが、見破られ、板橋刑場で斬首された。このため、板橋駅前に墓があり、銅像もある。(以下次回)

都営地下鉄三田線スタンプラリー③

2024-07-29 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その248。都営地下鉄三田線スタンプラリー③、神保町駅を後に水道橋駅に行く。水道橋駅はJR総武線との乗り換え駅で駅の由来は神田上水水道の通る橋である掛樋(かけひ)が近くにあったことによる。今も白山通りが神田川を渡る水道橋という橋は現存する。

スタンプはすぐそばにある『東京ドームとアトラクション』が描かれている。



春日駅は東京メトロ後楽園駅との乗り換え駅である。開業は三田線開通の1972年6月(当時は都営地下鉄6号線)であり、周囲の地名の一つである『文京区春日』から採用した。

スタンプには『春日局』が描かれているが、これは1630年に3代将軍家光の乳母である春日局がこの地を拝領、町屋としたことから付けられた地名であり、春日通り沿いの礫川公園にはその銅像がある。



白山駅は文京区白山5丁目にあり、副駅名として『東洋大学前』とある。駅を降りるとすぐに東洋大学白山キャンパスがあり、学生の利用が多い。

また、その名前は地名、地名は白山神社に因んだもの。

白山神社は加賀国白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)からの勧請を受け、948年に武蔵国本郷元町(現在の文京区本郷1丁目)に創建、一度他所に移ったが、1655年に現在地に移された。



5代将軍綱吉とその母桂昌院の祟拝を受けた。この白山神社がスタンプの意匠となっている。

都営地下鉄三田線は白山通りに沿って作られているが、千石駅は不忍通りとの交差点あたりの地下にある。千石は由緒ありそうに聞こえるが、1967年の住居表示の際に『千川通り』の千と『小石川』の石を繋いで作った地名である。

スタンプには千石駅からお隣の巣鴨駅の間にある六義園のデザインが描かれている。
蛇足だが、江東区にも千石という地名があるが、こちらは『千田町』と『石島町』の双方から1字ずつ取ったものである。この二つ、いずれも石高の千石とは全く関係ない。

都営三田線スタンプラリー②

2024-07-02 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その247。都営地下鉄三田線スタンプラリー②。内幸町駅は前と後ろにしか降り口はなく、高島平方面に降りると後ろ側は虎ノ門駅、前側に降りると日比谷駅となる。私も前の職場にいた時は10年ほどお世話になった駅である。
スタンプは『日比谷公会堂と日比谷シティ』が描かれている。いずれも駅を降りると至近にある。

日比谷駅までは営業距離で0.9kmしかない。因みに最短は三田駅〜芝公園の0.6km、芝公園駅〜御成門駅の0.7kmよりは遠いが、乗車時間は1分歩かないか程度。
スタンプの意匠は『日比谷公園』をイメージしたものである。ただ、ゴジラ像はほど近い日比谷シャンテに置かれている。

東京メトロ日比谷線日比谷駅は『東京ミッドタウンと日比谷公園』なのでやはり日比谷公園は外せないようだ。

大手町駅は東京メトロが4線(丸の内線、東西線、千代田線、半蔵門線)、都営地下鉄は1線(三田線)の計5線が乗り入れている地下鉄最大のターミナル駅である。スタンプは『江戸城と丸ビル』が描かれている。



一方、東京メトロのスタンプも江戸城が描かれている。

神保町駅は今では都営地下鉄三田線、都営地下鉄、東京メトロ半蔵門線の3線が通るターミナル駅だが、最も古いのは1969年開業の都営三田線である。スタンプはそれぞれに特徴があり、都営三田線のものは学士会館付近にある野球発祥の地のモニュメントである。



平成15年に行われた除幕式には野球の神様と言われ、巨人軍9連覇時代の監督・川上哲治氏が来賓としていらっしゃったそうである。この地は東京大学の発祥の地でもあり、1872年にアメリカ人教師ホーレス・ウィルソン氏が生徒に野球を教えたのを記念した。ボールを握る右手を模ったブロンズ製の像で2.2mある。

都営新宿線のものは『古書店とスポーツ(スキー)用品店』をデザインしている。古書店は周辺に130店舗あり、世界最大の古書店街である。また、スポーツ用品店もヴィクトリア、スーパースポーツゼビオ、石井スポーツなどの大規模店の他にもさかいやスポーツなど老舗の店もたくさんある。

半蔵門線は『古書店と喫茶店』である。神保町には有名な喫茶店(さぼうる、ラドリオ、ミロンガ・ヌォーバ、神田伯剌西爾)が個性的な雰囲気を変えずに営業していて昨今ブームとなっている。
3つのデザインで似てはいるが、特徴がそれぞれにある。


都営地下鉄三田線スタンプラリー①

2024-06-26 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その246。都営地下鉄三田線スタンプラリー①。このスタンプラリーもサクラトラム(都電荒川線)、日暮里舎人ライナー、地下鉄浅草線、大江戸線と回ってきて、残りはいよいよ都営地下鉄三田線と新宿線を残すのみとなった。

都営三田線は起点が目黒駅だが、同じく東京メトロ南北線と東急目黒線が相互乗り入れをしていて駅の管轄は東急となっている。さらに目黒駅〜白金高輪駅までは南北線と三田線が共用しており、東京メトロが第一種鉄道事業者、東京都交通局が第二種鉄道事業者の関係にある。平たく言うと都営三田線は目黒駅も白金高輪駅までの駅や線路も借り物ということになる。




そのため、目黒駅・白金台駅・白金高輪駅には都営三田線のスタンプは設置されていないのである。

三田駅のスタンプには『勝海舟・西郷隆盛会談の碑、慶應義塾旧図書館)が描かれている。また、都営浅草線のスタンプも三田駅とほぼ同じデザインである。



芝公園駅はその名前の通り、芝公園のところにあり、スタンプの図案は当然『東京タワーと増上寺』である。





次の駅である『御成門』、都営浅草線の駅である『大門』の2つは共に増上寺に関わる地名である。



御成門駅から歩くとすぐのところに御成門がある。御成門は増上寺の裏門で徳川家菩提寺である増上寺に将軍家がお参りする際にもっぱら用いられたため、その名前となった。





ただ、スタンプの意匠は『愛宕神社の階段とクルミ』をイメージしたものである。愛宕神社の男坂にあたる階段は別名出世の階段とも呼ばれている。これは1634年将軍家光が芝増上寺にお参りした帰り道、愛宕神社下を通った。愛宕神社には紅白の梅が咲きほこり、これを見て家光は『馬に乗り、あの梅を取って参れ』の命令した。



しかし、急な石段を見て近習の家臣は誰も動かなかった。その中で丸亀藩士曲垣平九郎が馬に乗り、石段を登り、梅の枝を取り、石段を降りることに成功した。家光は『泰平の世にありても馬術の鍛錬を怠らない姿勢を称賛した故事から出世の階段と呼ばれるようになったものである。
(以下、次回)


都営地下鉄大江戸線スタンプラリー⑭終

2024-06-17 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その245。都営地下鉄大江戸線スタンプラリー⑭終。14回目にしてようやく大江戸線38駅のスタンプラリーが完結する。東新宿駅のお隣は若松河田駅。

名前の由来は駅がある河田町と隣接する若松町から取った。日本の鉄道駅にはこのように2つの地名をくっつけて駅名にしているものが多く、大江戸線では清澄白河駅、落合南長崎駅(厳密には西落合+南長崎)、他にも池尻大橋駅(東急田園都市線、池尻+大橋)、祖師谷大蔵駅(小田急線、祖師谷+大藏)、千歳烏山駅(京王線、千歳+烏山)などたくさんある。大阪の地下鉄には木連瓜破駅、野江内代駅、太子橋今市駅など難読駅があるが、これらも同じように2つの地名を足したものである。(最初から、きつれうりわり、のえうちんだい、たいしばしいまいち)

河田町といえばかつてはフジテレビの代名詞であったが、1997年にお台場に移転して以降は目立つ建物もなく、当初は『若松町駅』となる予定だったが、現在の名前となった。



スタンプには『東京女子医大病院と七福神』が描かれている。東京女子医大病院は河田町にあるが、七福神は『新宿山ノ手七福神めぐり』のことで神楽坂にある善國寺に毘沙門天が祀られている他、経王寺(大黒天)、法善寺(寿老人)、厳島神社(弁財天)、永福寺(福禄寿)、太宗寺(布袋尊)、稲荷鬼王神社(恵比寿神)を指す。元旦から7日までに参詣する人が多い。

牛込柳町駅は大久保通りと外苑東通りの交差点にある。この交差点は1970年頃に住人の血中から高濃度の鉛が検出されたことから自動車の排気ガス規制の発端となった。交通量の多さに加えて柳町交差点はいずれの道を走っても摺鉢の底のように低くなっていて、さらに上り坂ではアクセルを噴かすため、より深刻になった。警察は対応策として信号を坂の上に増設、滞留する車の量を削減、さらに有鉛ガソリンの規制を強めることとなった。



スタンプは『新撰組試衞館と経王寺の大黒天』が描かれている。

都営大江戸線の最後は牛込神楽坂駅である。近くには東西線の神楽坂駅もあり、区別するために旧区名の『牛込』を付けた。東西線は神楽坂通りに面しているのに対し、牛込神楽坂駅は大久保通り沿いにある。

スタンプには『善国寺と夏目漱石の胸像』が描かれている。

ちなみに東西線の神楽坂駅のスタンプも路地から覗いた善国寺がデザインされている。

都営大江戸線には38駅あり、端から端まで乗ると53分38駅あり、やはり日本一の地下鉄路線である。あと残りは都営三田線と都営新宿線、早速都営三田線から探訪することとしたい。




都営地下鉄大江戸線スタンプラリー⑬

2024-06-07 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その244。都営地下鉄大江戸線スタンプラリー⑬。飯田橋駅からスタートして都庁前駅まで行き、そこから光が丘駅までのスタンプをまず収集した。

再び都庁前駅まで行き、そこから新宿西口駅に向かうことにした。都庁前は名前の通り新宿・都庁の真下に駅があり、大江戸線の起点駅となっている。6の字型の路線のため、放射状に伸びる光が丘方面の路線と環状線の接続駅で飯田橋方面からくる車両は終点となる。

大江戸線の駅としては最も大きい2面4線で飯田橋方面から来た電車は3番線に入り、引き上げ線を利用して2番線に入り、飯田橋方面に向かう。一方で光が丘方面から来た電車は1番線に入り、そのまま六本木方面に行く。

4番線は六本木方面から来た電車でそのまま光が丘方面に行くというやや複雑な動きをする。また、東京メトロ丸の内線西新宿駅には地下通路で繋がっている。

新宿西口駅は小滝橋通りと青梅街道の交差点『新宿大ガード西』地下にあり、都庁前からは0.8kmしか離れていない。

スタンプの意匠は地上に上がるとすぐ前に聳える『損保ジャパン本社ビルなどの高層ビル、新宿西口バスターミナル』が描かれている。

東新宿駅は職安通りと明治通りの交差点、昔でいう新田裏に近い。駅が開業したのは2000年12月、その後2008年6月に東京メトロ副都心線が開業、乗換駅となる。さらに2012年4月に駅直結の新宿イーストサイドが完成、現在の状況となった。

但し、住居表示には西新宿◯丁目、北新宿◯丁目はあるが、東新宿と南新宿はない。駅も仮称は『西大久保』であり、実際の住居表示は新宿7丁目、大久保1丁目、歌舞伎町2丁目、新宿6丁目に跨っている。そのため、東新宿と言われてもなかなかピンとこない。

蛇足だが、駅は南新宿(小田急線)、西新宿(東京メトロ丸の内線)、東新宿(都営大江戸線、東京メトロ副都心線)はあるが、北新宿はない。



スタンプは『花園神社と稲荷鬼王神社の水鉢』が描かれている。(以下、次回)