hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

『東京メトロスタンプラリー〜20年ありがとう』⑥終

2025-03-24 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その263。『東京メトロスタンプラリー〜20年ありがとう』⑥終。スタンプラリーも3日目、最終日に残ったのが東西線の2駅。

まず、茅場町駅で乗り換えて東西線妙典駅に向かう。妙典駅は開通時は信号所であったが、2000年1月に開業した新駅である。



駅のスタンプは東西線15000系の車両が描かれている。東西線は90年代に乗降客の増加に伴い、それまでの主力車両05系の扉をワイドにした車両を増備したが、これに変わる車両として15000系が2010年より増備された。当初10編成を製造したが、2017年に3編成増備されている。

東西線のカラーはブルーのため、ブルーラインが描かれたオールアルミ車両でリサイクル性も同一合金を使用することで高くなっている。



特色は元の05系のドア幅が1300mmであったのに対し、改造後の05系と15000系は1800mmと開口部が広くなり、よりスムースな乗降を目指している。

再び東西線に乗り、葛西駅で下車した。ここは地下鉄博物館の下車駅であり、ここで最後のスタンプを押印したのちに地下鉄博物館がゴールとなっている。



スタンプのデザインは東西線07系車両である。元は1993年の有楽町線ダイヤ改正に伴う増便のため、10両2編成、さらに1994年に4編成が増備された。2009年より東西線にての運用開始がなされ、現在東西線は15000系、07系、05系の3種類の車両で運用されている。





ようやく20個のスタンプが揃ったのでお隣にある地下鉄博物館に行く。今回で入館は4回目となるため、よく知ってはいるが、銀座線1000系や丸ノ内線300系の勇姿を見るとついゆっくりみてしまう。



特に銀座線のポイントが変わるところを通過する際に車両の電気が消えるため、点灯した補助ライトや、丸ノ内線の掴みにくいバネ式の吊り革など懐かしむ。




館内では東京メトロ20年の歩みと題した企画展が行われていて東京メトロ開業時に使われたヘッドマークをはじめ、駅で使われたマーク、珍しいところでは南砂駅改良工事の際に使われたタブレットなどが展示されていた。



さらに先日東京地下鉄株式会社がプライム市場に上場した際の写真なども添えてあった。また、『マナーポスター』がずらりと並べて貼ってあるのは圧巻である。



そしていよいよ最後の記念スタンプを押印することができたのである。受付に持って行くと『TOKYO METRO』ノートブックと缶バッジ、東京メトロのクリアファイルなどの記念品を頂くことができた。



スタンプラリーは大好きだが、デザインに自社車両のみを使い、さらにインクを路線のカラーに統一したことは斬新で面白かった。







『東京メトロスタンプラリー〜20年ありがとう』⑤

2025-03-19 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その262。『東京メトロスタンプラリー〜20年ありがとう』⑤。千代田線二重橋前駅から湯島駅まで行く。

湯島駅で千代田線も3駅目なのだが、スタンプの図案は16000系車両である。2010年から運用を開始した車両で老朽化した6000系の代替として37編成370両が製造されている。



スマートな先頭部でアルミ合金を使ったダブルスキン構造であり、廃車時のリサイクル性向上のため材質が統一されている。現状、千代田線では小田急・JRからの乗入れ車両を除き、殆どがこの車両が使われている。(綾瀬支線の綾瀬〜北綾瀬のみ05系車両が使われている。)

湯島駅からは大手町駅で乗り換えて半蔵門線半蔵門駅に向かう。半蔵門駅は前と後ろの2箇所に改札口があるが、そのほぼ中間にある事務室前にスタンプが置かれている。



スタンプは半蔵門線8000系である。半蔵門線のメイン車両として1981年に導入開始、すでに44年が経過している。19編成190両が製造され、千代田線の6000系、有楽町線の7000系と合わせて似たデザインだが、ラインカラーである紫の帯があるのが特徴。

今も2002年に導入した08系、21年に導入した18000系とともに現役で頑張るロングセラーである。



三越前駅で乗り換えて神田駅で下車する。神田駅のスタンプはJRより出口から右に階段を上がると踊り場のような場所があり、ここに常に置かれている。



スタンプは銀座線1000系。東京メトロのゲージ(レール幅)は銀座線・丸の内線は1435mm、その他は1067mmとなっており、この2つの路線は私鉄との乗入れもないことから、独自色を保っている。2012年にそれまでの01系後継車両として導入された。引き続き第三軌条方式を採用、アルミ合金素材を使用、旧東京地下鉄1000形車両のフォルムをモチーフとして採用した。

スタンプにある特別仕様車は2017年に運行を始めた最終増備車2編成であり、地下鉄開業90周年に合わせてレトロなイメージを強調、木目の化粧板や緑色のシートモケットなど見た目だけではなく。ポイント通過時に天井灯の消灯や側面の予備灯の点灯などもあり、好評を博した。

神田駅から銀座線で京橋駅まで乗車して銀座線2つ目のスタンプを押印。



銀座線01系がデザインされている。先ほどの1000系以前に銀座線で使用されていた車両、1983年に試作され、1984年から営業運転開始、合計38編成228両が製造された。アルミ合金製の無塗装車両で従来の銀座線の古いイメージを払拭した。2017年3月に運用は終了した。(以下、次回)


東京メトロスタンプラリー〜20年ありがとう④

2025-03-15 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その261。『東京メトロスタンプラリー〜20年ありがとう』④、日比谷線六本木駅から再開する。六本木駅は北千住よりのエスカレーターを上り、改札口を出たところにスタンプが設置してある。

デザインは日比谷線03系である。日比谷線は最初は東急東横線の日吉駅まで相互乗り入れをしていたため、よく乗車した3000系(愛称マッコウクジラ)が1961年の開業時から活躍していた。

この代替車両として1988年に登場したアルミニウムにシルバーグレイの塗装したスタイリッシュな車両である。2020年2月に引退したが、42編成337両が製造され、今も熊本電鉄や長野電鉄などで第二の人生を送っている。



六本木駅からは霞ヶ関駅で乗り換え、明治神宮前駅に向かう。今回のスタンプラリーで唯一2つスタンプが設置されている。まずは代々木上原駅寄りのJR乗り換え口のある改札口を出たところに千代田線のスタンプがある。

意匠は千代田線6000系、千代田線延伸開業(1971年霞ヶ関〜大手町)に合わせて1968年に登場した車両でアルミ合金製のチョッパー制御を採用した最初の車両であり、その後、有楽町線(7000系)、半蔵門線(8000系)などに引き継がれた。36編成353両が製造され、2018年まで定期運転をしていた。



押印後、次は副都心線の明治神宮前駅に向かう。改札口の外から副都心線に向かうのは初めてだったが、案内やポスターに頼りながら駅員事務所の側にスタンプを発見した。

こちらのスタンプは副都心線17000系車両。副都心線は1994年に有楽町線新線として小竹向原駅〜池袋駅を開業、2008年に池袋駅〜渋谷駅が開業、副都心線と名付けられ、東急東横線との相互乗り入れが始まった。それまでは有楽町線と同じ7000系、10000系が活躍していたが、副都心線開業後始めての新型車両として2020年1月に事業化された。
副都心線は西武池袋線・有楽町線(小竹向原〜練馬)、東武東上線、東急東横線、横浜高速鉄道みなとみらい線に乗り入れていて色々な所で見受けられる車両である。



再び千代田線に乗り、二重橋前駅で下車する。大手町駅寄りの出口を出て少し戻るように歩くとすぐにスタンプが見つかった。
スタンプのデザインは千代田線06系、1992年に製造され、1993年3月から営業運転を開始したが、2010年に追加投入された16000系に統一することになり、1編成のみであった。

06系は千代田線のホームドアに対応できていなかったため、量産されなかった。2015年8月には廃車されている。曲面を多く使ったエレガントなデザインの車両であったが、扉の位置が致命傷になり短命に終わった。(以下、次回)



『東京メトロスタンプラリー〜20年ありがとう』③

2025-02-23 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その260。『東京メトロスタンプラリー〜20年ありがとう』③、豊洲駅から取り敢えず有楽町線を戻る。

まずは中心から外れた駅からと永田町駅で南北線に乗り換える。永田町駅は有楽町線・南北線・半蔵門線の3線に加え、赤坂見附駅と同一線扱いをするため、銀座線・丸の内線とも乗り換えられる交通の要衝となっている。


ただ、有楽町線・半蔵門線の乗換は楽だが、南北線に行くには動く歩道を乗り換えながら階段を降りるなどかなり遠い。



到着したのが高輪白金駅。都営地下鉄三田線との共用駅でコンコースも広い。改札口を出るとスタンプのところに人だかり、待っていたのは3人だったが、隣にマナーポスターが貼ってあったのは偶然なのだろうか。


スタンプの意匠は9000系車両、1991年11月の南北線開業に伴い共用を開始した車両でこの形が一次車と言われる。流線型のアルミボディーで正面は曲面ガラスを使用するなど、当時としては最先端の技術が使われている。試作車と一次車両は端の部分にクロスシートが配されていた。スタンプ台も路線カラー同様の青緑色が使われていた。


再び、南北線に乗り、王子駅の1つ手前の王子神谷駅で下車。ここはメトロ全駅スタンプの時に降りて以来下車するのは2回目、ただ小さな駅なのですぐにスタンプの場所はわかった。

スタンプには先程同様の9000系だが、2009年から増備された5次車である。前頭部が大きくデザイン変更されて、フロントガラスの下の部分の配色やスカートが付けられている。さらに2022年以降は2両増結して8両編成となり、増加するラッシュ時に対応した。

ここまでは東京メトロ一日券を駆使して回ってきたが、時間がなくなったこともあり、次の移動は王子駅までいき、JR京浜東北線に乗り換え一気に上野駅まで行く。

上野駅には銀座線と日比谷線が乗り入れているが、スタンプは日比谷線側。JR線で来たため、地下に降りて日比谷線改札口を目指すが、ホームに降りるエレベーターの横と難しかった。



スタンプは日比谷線13000系車両。同車両は日比谷線03系の置き換えとして2017年から共用を開始した。同じく日比谷線に乗り入れている東武鉄道も70000系を新造車として導入することになっていたが、開発段階から仕様の共通化を図ってきた。7両編成で一両の長さも20mと長くなり、車イスやベビーカーのスペースも取られている。

上野駅から銀座線に乗り、さらに赤坂見附駅で丸の内線に乗り換えて方南町駅へ。直通が来たのでのんびりと地下鉄の旅を楽しむ。とはいえ乗り換えが込みで40分地下鉄に乗る機会はそうはない。方南町駅はホームが伸びて進行方向に歩き、改札口を出てから1フロア上にスタンプはあった。



スタンプは丸の内線02系、1988年から運用開始した車両で一足早く導入された銀座線01系(1984年運用開始)に準拠している。当初は全体が赤い色で塗色されていた300、500系からの切替で違和感も感じたが、無塗装の上にスカーレットラインを引いたスッキリとした車両であった。



ここで地下鉄のスタンプラリー初日は終了、バスで西永福駅に出て帰途に着いた。(以下、次回)



『東京メトロスタンプラリー〜20年ありがとう』②

2025-02-15 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その259。『東京メトロスタンプラリー〜20年ありがとう』②。茗荷谷駅から丸の内線で池袋駅に出て、有楽町線に乗換駅東池袋駅に向かう。


有楽町線への乗換えは一旦改札口を出て東武東上線の方に行く。通路が増えたこともあり、乗換えはスムーズ。東池袋駅は2つ改札口があるが、ほぼその中間にスタンプ台は置かれていた。



スタンプのデザインは7000系、有楽町線は1974年10月30日に開業、当時は池袋〜銀座一丁目間であった。私の自宅は護国寺駅から5分のところにあったため、この開業で飛躍的に便利になったことを覚えている。



この7000系は開業と同時に共用された新型車両で有楽町線のカラーであるゴールドが使われていて2022年4月まで使われていた。当時は6000系の千代田線車両、7000系の有楽町線車両、8000系の半蔵門線車両がフォルムがよく似ており、ただ地下鉄のラインカラーを見れば一目でどの線か分かったことを思い出す。

次はそのまま25分有楽町線に乗り続けて豊洲駅で下車する。1988年に有楽町線が新富町〜新木場の延伸を果たした際に開業、2000年頃は年間利用者が5万人程度であったが、2006年頃より急に増加、現在では20万人が利用する駅となった。

この利用客増加に伴い、ホームが手狭となったため、本来は折り返しを想定した2線4ホームであった構造を2、3番線の使用を停止、実質的にホームとして利用している。

スタンプのデザインは有楽町線10000系車両である。元は2008年開業の副都心線運行増に対応すべく作られた車両で、最初に有楽町線に投入、その後副都心線にも使われている。

有楽町線では全て10両編成(副都心線などは一部8両編成で利用)で運行されている。そのため、有楽町線のカラーであるゴールドは使われず、副都心線のブラウンを採用している。なお、2007年度グッドデザイン賞を受賞している。(以下、次回)

『東京メトロスタンプラリー〜20年ありがとう』①

2025-02-11 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その258。『東京メトロスタンプラリー〜20年ありがとう』①。1月末に東京メトロ半蔵門線の通路を歩いていたら、また見付けてしまった。

東京メトロ20周年を記念して20駅のスタンプラリーをはじめた、さらにそのうちな1駅に水天宮前駅が選ばれたことも縁とまた東京メトロに乗る羽目になったのである。

昨年、『東京メトロ全駅スタンプラリー』を完成したばかりで、さすがに我ながらよくやるとは思った。しかし、デジタルスタンプではなく、リアルスタンプラリー(実際にスタンプを台紙に押す)は久しぶりとすぐに台紙をもらった。(但し、台紙はスタンプラリー対象駅のみ配布中)

スタンプラリーの概要は9路線各1〜3駅に合計20個のスタンプが用意されているというもの。上がりは東西線葛西駅にある地下鉄博物館のスペシャルスタンプである。

駅の配置を考えるとかなり離れた駅もあり、慎重に選択、スタンプのデザインは各路線に使っていた名車両のスタンプである。

水天宮前駅のデザインは新しい18000系。2021年8月に8000系車両の乗換用車両として導入された。19編成190両が製造される予定、席の幅も狭かった8000系が1人あたり430mmであったのに対して18000系は480mmとかなりゆったり、特に端の2人で区切られた席は男性2人でも窮屈ではなくなった。
(全駅スタンプ)
問題はここをスタートにどの順番で回るかである。スタートは人形町駅、600円で一日乗車券を購入、日比谷線中目黒行に乗る。茅場町駅で東西線に乗換、高田馬場駅を目指す。乗っている時間は18分、JRへの乗換口近くにスタンプはある。



スタンプの意匠は営団5000系電車、この車両は1964年の開業以来使用され、2007年までは東西線、その後北綾瀬支線で2014年まで使われた。ベースとしたのはJR山手線などで使われていたJR103系電車であり、これをマイナーチェンジすることで設計代を抑えたものである。


(全駅スタンプ)

東西線を反対側に乗り換えて竹橋駅まで行く。竹橋駅は前と後ろに出口があるが、KKRに出る方に行くと改札口近くにスタンプがあった。



スタンプの意匠は営団05系、これは5000系の置き換えとして1988年から共用された車両で10編成430両が製造され、2004年に製造を終えている。現在では東西線で使われている車両では最も古いタイプとなる。


(全駅スタンプ) 

東西線で大手町駅まで行き、丸の内線に乗換えて茗荷谷駅で下車する。かつて利用していた駅だが、東京メトロでは後楽園駅、四ツ谷駅と共に最も古い地上駅。



ただ、私が利用していた頃と異なり、立派なビルに生まれ変わり、出口も拓殖大学などが便利なように小日向方面への出口もできた。今回のスタンプもこの改札口を出たところにあった。



スタンプの意匠は丸の内線2000系。丸の内線では最も新しい2021年に共用を開始した車両で前面が曲面となったユニークな『顔』をしている。


(全駅スタンプ)

また、前方のライトは300系の形状をモチーフとした鍵形を使用、またグローイング・スカーレット色の車体には開業当時から受け継がれてきたサインウェーブが配されている。(以下、次回)

都営新宿線スタンプラリー①

2025-01-26 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その257。都営地下鉄のスタンプも今回の都営新宿線で最後となる。本八幡駅からスタート。本八幡駅は都営地下鉄で唯一の千葉県にある駅(市川市)となる。そればかりか、全国の公営鉄道の中で唯一の都道府県境を越えた駅なのである。



都営地下鉄新宿線は急増する江戸川区・江東区の交通整備のために作られたもので、篠崎〜本八幡が開通したのは1989年、この時点では千葉ニュータウンまで延伸する計画があり、都交通局と千葉県開発局長名で都が本八幡駅まで、千葉県が残りの区間を千葉県営鉄道として建設、直通運転の予定であった。

しかし、1973年にオイルショックが起き、千葉県側の工事は棚上げになる。さらに沿線の人口増加期待できないことから北千葉線の建設はならなかったという事情がある。

前置きは長くなったが都が建設した本八幡駅はJR、京成線も乗り入れており、交通の要所となっている。スタンプは『メディアパーク市川』という生涯学習センターである。

お隣の篠崎駅は江戸川区篠崎7丁目にある。駅から歩くと親水公園に沿って歩道があり、15分ほど歩くと江戸川河川敷が広がる。



ここにあるのが篠崎ポニーランド、ポニーが飼われていて小学生以下の子供は無料で乗馬を楽しむことができる。また、馬車もあり、こちらも乗ることが可能。江戸川を眺めながらのんびりすることができる施設であった。

スタンプの意匠は『篠崎ポニーランドと江戸川花火大会』である。花火大会の方は1976年始まった歴史のあるもの。今は江戸川東岸の市川市と西岸の江戸川区の共催となっていて8月第一土曜日に行われている。

瑞江駅は難読駅と言われる。正解は『みずえ』駅だが、『はたえ』『ばたえ』などと読む人が多い。

また、都営新宿線は本八幡駅は地下にあり、篠崎駅で地上に出ると次の瑞江駅も地上にある。しかし、この先も地上に出たり、地下に降りたりを繰り返して船堀駅からは地下駅となる。

スタンプのデザインは『一之江名主屋敷』をイメージしたもの。駅から700mほど北に行ったところにある。元は豊臣家の武士であった田島図書が徳川に敗れ、関東に下って一之江新田の開拓に取り組んだ。その子孫が現代まで屋敷を残したのである。(以下、次回)


都営三田線スタンプラリー⑦終

2025-01-11 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その256。都営三田線スタンプラリー⑦終。10月以降ストップしていたスタンプラリーの続き。前回は蓮根駅まで行ったので、今回は西台駅からスタート。都営三田線は志村坂上駅からは地上、しかも高架を走るので眺めがよくなる。


西台駅はかつての地名である志村西台町によるものだが、区間整理と共に高島平9丁目に住所は変わっている。そばに車両基地があり、乗務員交代が行われるため停車時間がやや長い。



スタンプの意匠はいたばし花火大会を描いたものである。いたばし花火大会は毎年8月上旬に荒川の戸田橋上流の河川敷で行われる花火大会。1950年に旧埼玉県戸田町が板橋区に編入され、舟渡3丁目となったことを記念して開催されるようになった歴史ある花火大会である。

高島平駅は高島平団地の中心に作られた駅ではあるが、1968年の開業時には『志村駅』であった。1969年の住居表示実施に伴い、現駅名に改称された。高島平の名前は江戸時代の砲術家高島秋帆が1841年にこの地で西洋砲術調練を実施し、軍政改革のきっかけを作ったとされ、その高島秋帆の名を取り、現在の地名となった。その後、一面の田園地帯であったが、東京の人口の増加に対応するべく1961年に日本住宅公団が農地を買い上げ、1972年から団地入居が始まったのである。




スタンプには『赤塚公園と熱帯環境植物館』が描かれている。赤塚公園は25万㎡ある都立公園で赤塚城址を中心にテニスコートや野球場も併設している。



新高島平駅のスタンプは『東京中央卸売市場板橋市場と新河岸庭球場』のデザインとなっている。

終点の西高島平駅は正直言ってここが終点と思わされる中途半端な位置にある。都県境まで500m、現地に行くとなぜと思わざるを得ない。





しかし、当初免許が交付された東武鉄道が池袋駅の空洞化を恐れて埼玉県への延伸を断念、代わりに東京メトロ有楽町線との相互乗り入れを選んだ。そのため、都営地下鉄が路線整備をしたが、ここまでで事業を中断したと言う事情があったのである。

スタンプは『東京大仏と板橋区立郷土資料館』が描かれている。東京大仏は板橋区赤塚にある乗蓮寺にある高さ12.5mの大仏で奈良の大仏が14m、鎌倉の大仏が11.4mだから引けを取らない大きさ。東京大空襲や関東大震災の鎮魂の意を込めて1977年に作られたもの。黒光りする立派な大仏である。



以上で都営三田線のスタンプはようやく終了、残すは都営新宿線のみとなった。


久留里線廃止予定区間に乗車④〜ようやく実車

2025-01-05 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その256。久留里駅を出たディーゼルカーはあまりスピードも上げずに竹林の中を走る。葉の刈れた細い竹が左右の窓に時々当たる。



小櫃川の支流と思われる細い川を超える鉄橋を2つ越すと少し周辺が開ける。耕作の終わった田んぼの横を抜けるとまもなく平山駅が近づいてくる。



平山駅は駅前が開けてはいるが、建物はトイレだけ。細い道の先には久留里街道(国道410号)が走っている。ワンマン運転のため、下車の場合は運転席横のドアしか開かない。



乗客はそこから降りるのだが、男子学生が1人下車した。彼は駅舎の横に停めた自転車に乗り、走り去った。



平山駅を出るとほぼ久留里街道に沿って線路が敷かれている。国道は意外にトラックなどの交通量は多い。2つの短い鉄橋を越え、再び久留里街道沿いに続く。

上総松丘駅に到着する。駅舎はやはりログハウス風だが、30年ほど前に火事で駅舎が燃え、建て直されたものらしい。この駅でも2人の学生が下車した。

駅を出ると右に弧を描き曲がっていく『久留里線廃止反対』の看板が1つ、寂しく立っていた。短いトンネルを越えると左側に国道465号、右側に小櫃川に沿って行く。最後は国道の下を走り、唐突に終着駅上総亀山のホームに定刻通り14時11分に滑り込む。



上総亀山駅に着くとやはりワンマンのため、1番前の出口から運転手に切符を渡して下車する。駅自体はつい先ほど来たばかりのため、ディーゼルカーの写メを撮りに降りる。



他の乗客も2人を除けば折り返しに乗車するため、駅から遠くには離れることはない。14時27分には折り返しの木更津行が出発する。

1番前の席に座るが、前方の運転手の後ろの席から前の風景を撮っているのは小学生高学年の男の子とお母さん、同じような親子がもう一組、最近は鉄道マニアも親を連れて来るのかと変に感心した。

定刻通りに上総亀山駅を出たが、上総松丘駅よりかなり手前で止まる。何かと思ったら竹が線路に倒れかかっているため、それを切って取り除くとのこと。5分程度で終わり、再び走り出す。とにかくのんびりしているのである。

久留里駅到着は14時45分のはずだったが5分ほど延着。ただ、久留里駅の停車時間が9分あるため、調整して出て行った。

私は久留里駅の駅員に精算をしてもらい、車に戻った。正直いうと久留里〜上総亀山はほとんど人家もなく、山の中を川や道路に沿って走るのが殆どで車窓を楽しめるところはほとんどなかった。


(木更津駅に向かう途中の踏切)

ただ、最後に久留里駅で上下線に2編成の車両が並んだ写メを撮ることができてよかったのである。




久留里線廃止予定区間に乗車③〜久留里駅周辺・上総亀山行

2024-12-30 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その255。いよいよ久留里発上総亀山行の列車に乗る。久留里駅に到着したのは13時10分、思ったより早く着いた。

駅前の無料駐車場に車を停めて周辺を歩く。駅前から久留里街道まで行くと味のある風景が広がる。クラシカルな食堂、古民家の建物をそのまま利用したカフェ、今も現役の金物屋、いずれも素晴らしい。





再び駅前まで戻ると『生きた水、久留里、酒ミュージアム』という地元のお酒を集めて試飲ができ、即売もするミュージアムがある。



たぶん昔の通運業が利用していた倉庫を転用したものだが、建物もあじがある。中に入ると上総8蔵(天乃原、福祝、峯の精、飛鶴、吉壽、東魁盛、鹿野山、聖泉)が展示されている。一杯200円で試飲もできるが、残念ながら車運転のため、今回は諦めた。





久留里には3箇所の造り酒屋があり、また、天然の良水があちこちで沸いている。駅前にも水汲み場がある。見ているとたくさんのペットボトルを並べて車で汲みに来ている人も多い。



あちこちウロウロしているうちに列車乃時刻が近づいたので切符を券売機で買ってから駅ホームに行く。因みに久留里線ではSuicaは使えないのだ。わ



ホームに入ると2番線には1分前に出る始発の木更津行上りのディーゼルカーが1両停車している。13時46分に上総亀山行下りのディーゼルカーが2両繋いで入線してきた。



単行と思っていたが、2両編成。ただ、中はガラガラであった。私のような鉄道マニアが10人ほど、中には夫婦で来ている人もいる。



マニアは見ているとすぐわかる、というのは駅名表示板や駅舎、ベンチなどを写メに撮り、やってくる車両を待っているのである。7分も停車するため、すでに車両に乗っていたマニアも降りてきて同じように写メを撮る。



まずは上り列車が出てようやく出発、ゆっくりと走り出す。左右の竹林がかなり線路にはみ出してきて車両に擦れる。本数も少なく、保線も頻度が低いためか、刈ってあるところが少ない。(以下、次回)