hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

都営三田線スタンプラリー②

2024-07-02 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その247。都営地下鉄三田線スタンプラリー②。内幸町駅は前と後ろにしか降り口はなく、高島平方面に降りると後ろ側は虎ノ門駅、前側に降りると日比谷駅となる。私も前の職場にいた時は10年ほどお世話になった駅である。
スタンプは『日比谷公会堂と日比谷シティ』が描かれている。いずれも駅を降りると至近にある。

日比谷駅までは営業距離で0.9kmしかない。因みに最短は三田駅〜芝公園の0.6km、芝公園駅〜御成門駅の0.7kmよりは遠いが、乗車時間は1分歩かないか程度。
スタンプの意匠は『日比谷公園』をイメージしたものである。ただ、ゴジラ像はほど近い日比谷シャンテに置かれている。

東京メトロ日比谷線日比谷駅は『東京ミッドタウンと日比谷公園』なのでやはり日比谷公園は外せないようだ。

大手町駅は東京メトロが4線(丸の内線、東西線、千代田線、半蔵門線)、都営地下鉄は1線(三田線)の計5線が乗り入れている地下鉄最大のターミナル駅である。スタンプは『江戸城と丸ビル』が描かれている。



一方、東京メトロのスタンプも江戸城が描かれている。

神保町駅は今では都営地下鉄三田線、都営地下鉄、東京メトロ半蔵門線の3線が通るターミナル駅だが、最も古いのは1969年開業の都営三田線である。スタンプはそれぞれに特徴があり、都営三田線のものは学士会館付近にある野球発祥の地のモニュメントである。



平成15年に行われた除幕式には野球の神様と言われ、巨人軍9連覇時代の監督・川上哲治氏が来賓としていらっしゃったそうである。この地は東京大学の発祥の地でもあり、1872年にアメリカ人教師ホーレス・ウィルソン氏が生徒に野球を教えたのを記念した。ボールを握る右手を模ったブロンズ製の像で2.2mある。

都営新宿線のものは『古書店とスポーツ(スキー)用品店』をデザインしている。古書店は周辺に130店舗あり、世界最大の古書店街である。また、スポーツ用品店もヴィクトリア、スーパースポーツゼビオ、石井スポーツなどの大規模店の他にもさかいやスポーツなど老舗の店もたくさんある。

半蔵門線は『古書店と喫茶店』である。神保町には有名な喫茶店(さぼうる、ラドリオ、ミロンガ・ヌォーバ、神田伯剌西爾)が個性的な雰囲気を変えずに営業していて昨今ブームとなっている。
3つのデザインで似てはいるが、特徴がそれぞれにある。


都営地下鉄三田線スタンプラリー①

2024-06-26 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その246。都営地下鉄三田線スタンプラリー①。このスタンプラリーもサクラトラム(都電荒川線)、日暮里舎人ライナー、地下鉄浅草線、大江戸線と回ってきて、残りはいよいよ都営地下鉄三田線と新宿線を残すのみとなった。

都営三田線は起点が目黒駅だが、同じく東京メトロ南北線と東急目黒線が相互乗り入れをしていて駅の管轄は東急となっている。さらに目黒駅〜白金高輪駅までは南北線と三田線が共用しており、東京メトロが第一種鉄道事業者、東京都交通局が第二種鉄道事業者の関係にある。平たく言うと都営三田線は目黒駅も白金高輪駅までの駅や線路も借り物ということになる。




そのため、目黒駅・白金台駅・白金高輪駅には都営三田線のスタンプは設置されていないのである。

三田駅のスタンプには『勝海舟・西郷隆盛会談の碑、慶應義塾旧図書館)が描かれている。また、都営浅草線のスタンプも三田駅とほぼ同じデザインである。



芝公園駅はその名前の通り、芝公園のところにあり、スタンプの図案は当然『東京タワーと増上寺』である。





次の駅である『御成門』、都営浅草線の駅である『大門』の2つは共に増上寺に関わる地名である。



御成門駅から歩くとすぐのところに御成門がある。御成門は増上寺の裏門で徳川家菩提寺である増上寺に将軍家がお参りする際にもっぱら用いられたため、その名前となった。





ただ、スタンプの意匠は『愛宕神社の階段とクルミ』をイメージしたものである。愛宕神社の男坂にあたる階段は別名出世の階段とも呼ばれている。これは1634年将軍家光が芝増上寺にお参りした帰り道、愛宕神社下を通った。愛宕神社には紅白の梅が咲きほこり、これを見て家光は『馬に乗り、あの梅を取って参れ』の命令した。



しかし、急な石段を見て近習の家臣は誰も動かなかった。その中で丸亀藩士曲垣平九郎が馬に乗り、石段を登り、梅の枝を取り、石段を降りることに成功した。家光は『泰平の世にありても馬術の鍛錬を怠らない姿勢を称賛した故事から出世の階段と呼ばれるようになったものである。
(以下、次回)


都営地下鉄大江戸線スタンプラリー⑭終

2024-06-17 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その245。都営地下鉄大江戸線スタンプラリー⑭終。14回目にしてようやく大江戸線38駅のスタンプラリーが完結する。東新宿駅のお隣は若松河田駅。

名前の由来は駅がある河田町と隣接する若松町から取った。日本の鉄道駅にはこのように2つの地名をくっつけて駅名にしているものが多く、大江戸線では清澄白河駅、落合南長崎駅(厳密には西落合+南長崎)、他にも池尻大橋駅(東急田園都市線、池尻+大橋)、祖師谷大蔵駅(小田急線、祖師谷+大藏)、千歳烏山駅(京王線、千歳+烏山)などたくさんある。大阪の地下鉄には木連瓜破駅、野江内代駅、太子橋今市駅など難読駅があるが、これらも同じように2つの地名を足したものである。(最初から、きつれうりわり、のえうちんだい、たいしばしいまいち)

河田町といえばかつてはフジテレビの代名詞であったが、1997年にお台場に移転して以降は目立つ建物もなく、当初は『若松町駅』となる予定だったが、現在の名前となった。



スタンプには『東京女子医大病院と七福神』が描かれている。東京女子医大病院は河田町にあるが、七福神は『新宿山ノ手七福神めぐり』のことで神楽坂にある善國寺に毘沙門天が祀られている他、経王寺(大黒天)、法善寺(寿老人)、厳島神社(弁財天)、永福寺(福禄寿)、太宗寺(布袋尊)、稲荷鬼王神社(恵比寿神)を指す。元旦から7日までに参詣する人が多い。

牛込柳町駅は大久保通りと外苑東通りの交差点にある。この交差点は1970年頃に住人の血中から高濃度の鉛が検出されたことから自動車の排気ガス規制の発端となった。交通量の多さに加えて柳町交差点はいずれの道を走っても摺鉢の底のように低くなっていて、さらに上り坂ではアクセルを噴かすため、より深刻になった。警察は対応策として信号を坂の上に増設、滞留する車の量を削減、さらに有鉛ガソリンの規制を強めることとなった。



スタンプは『新撰組試衞館と経王寺の大黒天』が描かれている。

都営大江戸線の最後は牛込神楽坂駅である。近くには東西線の神楽坂駅もあり、区別するために旧区名の『牛込』を付けた。東西線は神楽坂通りに面しているのに対し、牛込神楽坂駅は大久保通り沿いにある。

スタンプには『善国寺と夏目漱石の胸像』が描かれている。

ちなみに東西線の神楽坂駅のスタンプも路地から覗いた善国寺がデザインされている。

都営大江戸線には38駅あり、端から端まで乗ると53分38駅あり、やはり日本一の地下鉄路線である。あと残りは都営三田線と都営新宿線、早速都営三田線から探訪することとしたい。




都営地下鉄大江戸線スタンプラリー⑬

2024-06-07 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その244。都営地下鉄大江戸線スタンプラリー⑬。飯田橋駅からスタートして都庁前駅まで行き、そこから光が丘駅までのスタンプをまず収集した。

再び都庁前駅まで行き、そこから新宿西口駅に向かうことにした。都庁前は名前の通り新宿・都庁の真下に駅があり、大江戸線の起点駅となっている。6の字型の路線のため、放射状に伸びる光が丘方面の路線と環状線の接続駅で飯田橋方面からくる車両は終点となる。

大江戸線の駅としては最も大きい2面4線で飯田橋方面から来た電車は3番線に入り、引き上げ線を利用して2番線に入り、飯田橋方面に向かう。一方で光が丘方面から来た電車は1番線に入り、そのまま六本木方面に行く。

4番線は六本木方面から来た電車でそのまま光が丘方面に行くというやや複雑な動きをする。また、東京メトロ丸の内線西新宿駅には地下通路で繋がっている。

新宿西口駅は小滝橋通りと青梅街道の交差点『新宿大ガード西』地下にあり、都庁前からは0.8kmしか離れていない。

スタンプの意匠は地上に上がるとすぐ前に聳える『損保ジャパン本社ビルなどの高層ビル、新宿西口バスターミナル』が描かれている。

東新宿駅は職安通りと明治通りの交差点、昔でいう新田裏に近い。駅が開業したのは2000年12月、その後2008年6月に東京メトロ副都心線が開業、乗換駅となる。さらに2012年4月に駅直結の新宿イーストサイドが完成、現在の状況となった。

但し、住居表示には西新宿◯丁目、北新宿◯丁目はあるが、東新宿と南新宿はない。駅も仮称は『西大久保』であり、実際の住居表示は新宿7丁目、大久保1丁目、歌舞伎町2丁目、新宿6丁目に跨っている。そのため、東新宿と言われてもなかなかピンとこない。

蛇足だが、駅は南新宿(小田急線)、西新宿(東京メトロ丸の内線)、東新宿(都営大江戸線、東京メトロ副都心線)はあるが、北新宿はない。



スタンプは『花園神社と稲荷鬼王神社の水鉢』が描かれている。(以下、次回)


伊豆箱根鉄道大雄山線

2024-05-30 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その243。伊豆箱根鉄道大雄山線。吉原駅から熱海経由で小田原駅に到着したのが11時57分(2分延着)だったが、急いで伊豆箱根鉄道大雄山線のホームに向かう。3分乗換は無理かなあと思いつつ、ホームに入るとこちらも到着が少し遅れたのか、出発したのが1202、何とか繋がった。



大雄山線は8年ほど前に乗ったことがあり、今回が2回目。路線の長さが9.6km、12駅と岳南電車と同じくらいの規模(岳南電車は9.2km、駅数は10駅)だが、こちらはSuicaも使うことができ、車両も5000系は3両編成で1984年〜96年に新造した電車が7編成とかなりこちらの方が優れている。また、15分おきに出ていて便利である。



小田原駅を出ると東海道本線をくぐるため右の方に走る。緑町駅までは0.4kmしかなく、あっという間に到着。東海道本線と新幹線の線路の下を潜り、井細田駅に到着する。



五百羅漢駅の先で小田急小田原線をアンダーパスして穴部駅に到着する。この辺りからは酒匂川の支流である狩川に沿って走る。周りも家が少なくなり、飯岡駅、相模沼田駅の先は岩原・塚原・和田河原と川沿いであることがよくわかる駅名が続く。





塚原駅と和田河原駅の途中で狩川を渡り、次が富士フイルム駅。この駅は1956年に作られた大雄山線では最も新しく、駅から10分程度歩くと富士フイルムの工場がある。



大雄山駅は1925年開業、駅近くの留置線にはコデ152と思われる車両が止まっていた。



この車両は1928年鉄道省の車両として誕生、伊豆箱根鉄道に譲渡されたのは1976年(多少改造されている)である。つまり、駅舎と同世代ということになる。



駅舎は南足柄市の有形文化財に指定されている。駅の改札を出るともう金太郎一色、駅前の金太郎と熊の像は中々立派である。(以下、次回)






岳南電車④〜岳南原田駅はお蕎麦屋さん?

2024-05-28 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その242。岳南電車④、浅間古墳から神谷駅に戻る。時間が0940、次の吉原行きは0948、来る時は10分以上かかったので難しいかなとも思ったが早足で下り坂を急ぐ。駅到着は0947、何とか間に合う。





神谷駅には他に待つお客さんは一人、電車は正確に到着。今度の車両は赤い旧井の頭線3000系の車両、もちろん単行である。あまり乗客はおらず、のんびり車窓右手に広がる富士山を眺めていく。



岳南原田駅に到着したのが0957。かなり古い駅舎で本来は無人駅なのだが、駅舎の中にあるお蕎麦屋さん『めん太郎』。駅ナカの立ち食い蕎麦は珍しくないが、こちらは駅の待合室が蕎麦屋のテーブル。各テーブルにはお冷と七味唐辛子、割箸が用意されている。



今までにこのような作りはJR木次線亀嵩駅が蕎麦屋の委託駅になっていてお蕎麦を食べながら待ち合わせできるのと、天竜浜名湖鉄道の遠江一宮駅の『百々や』くらいのものだろう。



早速暖簾をくぐり、桜エビ天入りの蕎麦を注文、おばさん2人で切り盛りされているようだ。そば400円+かき揚げ150円で550円を支払い、そばを受け取る。



黒っぽいお出汁に黒っぽい麺、出汁はかなり熱い。麺は柔らかめ、かき揚げを齧りながら頂くが、たっぷり桜エビが入っている。



お客は私1人のため、2人は手持ち無沙汰で店の入口でおしゃべり、次の下り電車はきたが、お店に入る人はいない。私が『いい天気ですね』と言うと『だけど、お客さんがこないねえ。』『まだ、10時だから仕方ないかな。』とノリツッコミのような会話をする。



ツユは辛めながら、出汁がよく効いていて美味い。静岡県ローカルのラジオを聴きながら蕎麦を啜った。のんびりした空気もいい、何しろ無人駅なのだから。



次の吉原行は1032と20分以上あり、待合室で過ごす。風が実に気持ちがいい。早めにホームに上がり、富士山を眺めていた。
電車は正確で吉原駅には1042に到着、再びJRに乗り換えたが、1049の熱海行が5分以上遅れてようやく乗ることができた。






岳南電車③〜浅間古墳に足を伸ばす

2024-05-26 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その241。岳南電車③、0946岳南江尾発を逃すと1020まで電車がないため、慌てて写メを撮り、電車に乗り込む。今度の車両は9000系2両連結のオレンジ色の車両で元は富士急行1000系、シートはクロスシートとなっている。平成30年に導入された車両である。



定刻通りに出発、次の神谷駅で下車する。もちろん無人駅だが、駅の看板には色々と説明があり、目指す浅間古墳までの行き方も丁寧に書かれている。




降りたのは私1人、地図に従って歩く。駅前のお宅ではご近所のおじさんとおばさんが世間話、私が挨拶すると『富士山が綺麗やろ』と声を掛けられる。こちらも『そうですね、毎日見られるのはいいですね』と返すと『いつもこんなに綺麗に見れるわけじゃないよ。今日はかなりいいほうだよ。』とのこと。お気をつけてと言われ道を急ぐ。



県道沿いには黒塀囲いで大きな鞍のあるお宅があり、これを右折。次の道を左に行くと古墳に向かう坂道となる。



坂の1番上は東名高速、これを橋で渡り、その先左の階段を登ると『浅間古墳(せんげんこふん)』の下に出る。



説明板によると長軸90m、後方幅60mもある前方後円墳で古墳時代中期のものと推計される。鳥居をくぐり、階段を登ると淺間神社の小さな社がある。国指定史跡で静岡県東部で最大のものらしい。



付近にも千人塚古墳や琴平古墳なども見つかっていて、このお墓は地中レーダーによる観測で石室があると推定されている。また、墓の主はスルガのクニの王と言われている。



墳丘からの眺めは素晴らしく、太平洋に至るまで肉眼で見ることができる。ただ、発掘調査は行われておらず、これ以上はわからない。





もちろん周辺は歩いてみたが、神社社殿野周りは一段低く、さらにその先はさらに低くなっていてここが古墳というのはよくわかった。
(以下、次回)

岳南電車②〜終着 岳南江尾駅に到着

2024-05-24 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その240。岳南電車②、ジャトコ前を出ると岳南電車は吉原の町中を走る。『吉原本町』『本吉原』とすぐに次の駅に到着する。それでも駅は殆ど無人駅でアナウンスで無人駅か有人駅かの説明がある。



無人駅で停車する場合は最前列のドアからしか降車できず、運転手は運転席から降りて切符の回収や運賃の精算を行う。一方、乗る人はその一つ後ろのドアから乗るというシステムなのである。

正面にあった富士山が左に移動、『岳南原田』に停車。この辺りからコンビナートの中を走る。岳南電車はコンビナートの夜景を売りにしたナイトクルーズ(?)を行い、人気が高いようである。



『比奈』駅で上り電車との交換、赤く塗装された旧井の頭線3000系が待っている。正確に交換するために駅手前で少し停車、無線で連絡後、ホームに入る。

岳南電車は単線なのだが、この辺りは4本くらいの線路が敷いてある。かつて貨物輸送をしていた痕跡で貨物駅ホームも残されているが、今は使われてはいない。



『岳南富士岡』駅には『がくてつ鉄道ひろば』が併設されていて今は使われなくなった車両や電気機関車が留置されている。と言っても電気機関車3両、貨車2両、電車2両であるが。車両の後ろには富士山、なかなか絵になる。

気がつくと乗客は4人、他に岳南富士岡から乗り込んだ保線関係の人が3人とかなり少なくなってきた。『神谷』駅に止まり、次は終点の『岳南江尾』駅である。



0941定刻どおり、終着駅に到着、反対側には0946発の旧富士急行の電車が待っていた。駅名表示板はひらがなで大きく『がくなんえのお』、これは新しく作られたようである。



駅は2つのホームを備えた島式、奥には駅舎があり、こざっぱりしていてトイレなどは新しく清潔。ただ、特に待合室や窓口もなく、寂しいものである。駅を降りても何にもなく、ここをなぜ終着駅にしたのかは分からなかった。(以下、次回)






岳南電車①〜鉄分補給の旅

2024-05-22 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その239。岳南電車①、このところ忙しい日が続き、休みの日にも中々電車に乗りに行くことができず、鉄道マニアの私は鉄分欠乏でイライラしてくる。

今回は思い切って少し遠出、品川から新幹線こだま号に乗り、三島で下車する。もうここからも富士山の姿を見ることができる。もう僅かではあるが、山頂近くにはまだ雪が残されていて美しい。



ここで在来線に乗り換え、三島到着が0817だが、次の電車は沼津止まり、沢山の学生で大変な混み具合。



しかし、0829の浜松行きは僅か4両編成ながら座ることもできた。車窓には大きく富士山を見ることができ、大満足。三島駅から下り電車を乗る際には進行方向左側の席を狙う方がいい。





吉原駅到着は0858、前の乗り換え階段を登ると岳南電車に乗り換えることができる。大きく『岳南電車 吉原駅』と書かれたホームがチャーミングである。



岳南電車は1936年に日産重工業専用鉄道の使用開始、1943年岳南鉄道により鈴川(現、吉原)〜吉原本町で開業、徐々に路線を伸ばして、現在の吉原〜岳南江尾9.2kmを全通させた。延伸計画は沼津への延伸、身延線の入廣瀬への延伸の計画はあったが、資金難などから頓挫、さらに日本貨物鉄道の合理化により2012年3月に貨物輸送を廃止した。コロナ禍などもあり、乗客減に歯止めがかからず、子会社の岳南電車に移管、地域の支援も受けながら存続している。どこからでも富士山が望めるということを岳南電車は売りにしている。



JRの跨線橋を通り、JRのおり口(Suicaは使える)を通り越すと岳南電車の乗車口。写真を写す『かおはめ』などもあり、もちろん切符売り場も有人。





ここで一日乗車券を購入、終点の岳南江尾(がくなんえのお)までの乗車券が370円、一日乗車券が750円と終点まで往復をするのとほぼ同じである。一日乗車券も自動改札がないので改札口で有効な日付をみせるシステムである。

入場して0920発岳南江尾行を待つ。ホームからは富士山がくっきり見える。建物と建物の間から富士山の稜線が全て見れるポイントの足元を見ると『富士山ビューポイント』と表示されていた。



すると知らないご婦人から『あらま、ここからが一番綺麗に見れるわ』と感動の声、いつも綺麗に富士山が観れるとは限らないらしい。



ホームの一番前まで行って到着の電車を待つ。すると遠くの方から見慣れた水色に塗装された旧井の頭線3000系がゆっくり近づいてきた。(今は7000系で車両番号は7001となっていた)近くになってわかったのは単行ということ。5両編成の車両をコンパクトに前と後ろに運転台が作られていた。


停車した車両はほぼ昔のまま、昭和48年東急車両製造だから車齢は今年で51年になる。改造が平成8年、つまり第二の人生も27年経過していて小さな25周年の記念章もある。何となくセカンドキャリアが12年目になる自分に準えて、頑張っているなあと声を掛けてあげたくなる。



時間通り電車は発車する。意外というと怒られるかもしれないが、乗客は15人ほど、ガラガラではない。しばらくは東海道本線に沿って走る。薬品工場を左に見ながらゆっくりと右に弧を描き、まさに富士山に向かって走る。私は最前列右の特等席でずっーと前を見て1人感動している。



気がつくと『ジャトコ前』、富士急系列のため、リラックマキャラクター入りの駅名表示板やヘッドマークになっている。『よしわら』駅は『よしわりらックマ』と無理やりリラックマになっていたが、この駅は富士山の美しい姿が描いてあり、リラックマの姿はない。

ただ、駅に着くと正面は富士山から大きな病院の建物に変わっていた。(以下次回)


都営大江戸線スタンプラリー⑫

2024-05-20 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その238。都営大江戸線線スタンプラリー⑫。次の豊島園駅に行く前に練馬駅から近い練馬区役所を訪ねる。1996年3月に竣工した地上21階建、高さ93.82mあり、文京区のシビックセンターに次ぐ高さがある。

登ると分かるが、文京区と異なり、周囲にはあまり高い建物がなく、遠くまで展望することができる。また、展望室にはゆるキャラのネリ丸が迎えてくれる。

豊島園駅までは西武豊島線と都営大江戸線が並走(もちろん、地上と地下だが)する区間となっている。



スタンプには『としまえんと庭の湯(温浴施設)』が描かれている。ただ、2020年に豊島園は一旦閉園し、昨年6月に跡地に『ワーナーブラザーズスタジオツアー東京・メイキング・オブ・ハリーポッター』が開業している。



また、付近には向山庭園や十一ヶ寺(浅草にあった田島山誓願寺の塔頭が関東大震災後に移転したもの)などがある。

練馬春日町駅は環八と豊島園通りの交差点にある駅で全くの住宅地にある。駅のスタンプには『練月山山愛染院観音寺と練馬大根』が描かれている。

いよいよ終点は光が丘駅、私は初めて降りた駅である。駅を降りると大規模商業施設である光が丘IMAに直結していて大変な賑わいのある駅である。



駅を降りて少し歩くと周囲の高層住宅に囲まれ、どちらを向いて歩いているのかがわからなくなるほど。ただ、多摩ニュータウン同様に人の導線と車の導線が立体的に分けられていて歩くにはいい。あいにくの天候であったが、四季の香公園の方に歩く。



花壇には水仙やチューリップなどが植えられていて休日には家族連れで混み合う様子が目に浮かぶ。ただ、雨が強くなってきたため、この日は再び駅に向かった。



スタンプの意匠は『光が丘公園と車両基地』である。





光が丘駅に到着後は再び大江戸線に乗車してまだ足を踏み入れていない新宿西口駅を目指した。(2024.4.4往訪。以下、次回)