hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

2023年あけましておめでとうございます。

2023-01-01 00:00:00 | 切手
あけましておめでとうございます。日頃より『hokutoの気まぐれ散歩』をご愛読いただきありがとうございます。このブログも開始したのが2013年5月、気がつけば連載も3500回を越え、今年5月でいよいよ10周年。ブログと共に私も歳を重ね、今年で遂に高齢者の仲間入りとはなりますが、まだまだ意欲は十分、引き続きご愛顧賜ればと存じます。

2023年初回は以前より行っている『切手シリーズ』もその90回目。寅年も終わり、今年はうさぎ年(卯年)ということもあり、うさぎの図案の切手の特集をしたいと存じます。
卯年は干支の順番では4番目、うさぎは昔からかなり足の速い動物と思われていたようである。

切手の中のうさぎの図案としてすぐに浮かぶのは2014年3月に発行された『2円普通切手 エゾユキウサギ』。真っ白な可愛らしいウサギである。2014年4月から消費増税(3%→5%)に伴い、従来の切手に不足分の2円を足す必要が出たの。

2002年に販売終了していた秋田犬に変わるデザインとして発行された。

アマミノクロウサギの切手は1974年8月に自然保護シリーズ第3集として発行された。因みに第1集イリオモテヤマネコからニホンカワウソ、アマミノクロウサギ、オガサワラオオコウモリ、アホウドリ、タンチョウヅル、ハハジマメグロなど5年間で20種類発行された。アマミノクロウサギは鹿児島県徳之島のみに生息する固有種で耳が小さいうさぎである。

ふるさと切手には1991年10月に発行された『うさぎとかめ』がある。これは童謡『うさぎとかめ』の作詞家石原和三郎にちなんだものである。この切手の原画を手がけた星野富弘さんも群馬県出身で不慮の事故で手足が動かなくなり、口で絵筆を使い描いておられるとのことである。



ウサギの切手では『グリーティング切手』に採用されたものが多い。グリーティング切手とは四季ごとに発行されるシールタイプの切手で販売期間が決められている。

思わず手に取りたくなるような可愛らしいデザインが多く、1997年、1998年には変形切手でうさぎが3種類発行されている。
他にも2021年の春のグリーティング切手(63円)に1種。



またピーターラビットのグリーティング切手が何回か発行されている。

うさぎの図案の切手で最も古いものは昭和26年用年賀切手で『うさぎと少女』。この頃はその年の1月に発行されていた。翌年からは干支の民芸品のデザインとなったため、この年賀切手は珍しく普通のデザインであった。

昭和38年用年賀切手はのごみ兎土鈴(佐賀県鹿島市能古見)の民芸品。(昭和50年は干支の民芸品は採用せず)

昭和62年用年賀切手はうさぎの餅つき(愛知県名古屋市、名古屋土人形)

平成11年用年賀切手50円は佐原張子餅つき兎(千葉県佐原市)、80円は山形県張子玉のり兎(山形県山形市)

平成20年用年賀切手50円は西会津張子(福島県西会津町)、80円は稲畑土人形子兎土鈴(兵庫県丹波市)

令和5年用年賀切手は63円、84円とも川崎巨泉画伯の描いた民芸品で63円は三春張子(福島県)、84円は博多張子兎と亀である。いずれも可愛らしいうさぎを使った民芸品、個人的には今回採用された博多張子が面白いと思う。

うさぎは比較的身近な動物の割にはグリーティング切手・年賀切手を除くとあまり切手のデザインとして使われていない。


ツバキとサザンカ〜切手を見ながら

2022-11-30 05:00:00 | 切手
『切手シリーズ』その89。もう早くも師走、冬になると当然花は減っていく。そんな東京の冬を彩る花の代表選手はツバキ(椿)とサザンカ(山茶花)である。

1961年に発行された花切手シリーズ。毎月1つの花の切手を発行して12ヶ月で完成するもの。1月はスイセン、2月はウメと続く。先程のツバキは3月、サザンカは12月となっている。


ツバキの意匠はほかにも普通切手30円をはじめ、2015年発行の地方自治法施行60年やふるさと切手など意外に多い。

一方でサザンカは花切手を除くと東京のふるさと切手にあるくらいと扱いが異なる。


実は花のない時期はツバキもサザンカもよく似た常緑樹である。細かく言えば葉の先の切れ目(ギザギザ)が大きく切れ込んでいるのがツバキ、小さいのがサザンカ、また比較すると葉はツバキの方がサザンカよりやや大きいが、個体差もあるので単純には言えない。

(ツバキ)
花はというとツバキの花は雄蕊が綺麗に環状に並んでいて黄色い部分がはっきりと見える。

(ツバキ)

最も異なるのはツバキの花は咲き終わると根本からボトッと落ちるのに対してサザンカは花びらがハラハラと散っていくところであろうか。

(サザンカ)

我が家の小さい庭に隣り合わせで植えてあるが、一番困るのが夏チャドクガが大発生することである。これはいずれの木にも言えることで5〜6月の薬剤散布は必至である。

(サザンカ)

チャドクガは始末が悪く、鱗粉に毒があり、これは虫自体が死んだのちも手足などに付くと腫れ上がる。腫れた場合は水で洗い、ステロイド系の軟膏を付ければ対処はできるのだが。



(サザンカ)
花が先に咲き始めるのはサザンカ、11月中旬〜12月上旬にピークとなる。それを追うように咲くのがツバキの花である。花が少なく寂しい季節に咲く貴重な花、サザンカは中国原産、ツバキは日本原産の花である。


スポーツの切手②〜野球・ソフトボール編

2021-08-23 05:00:00 | 切手
『切手シリーズ』その88。オリンピック閉会後早くも1週間、スポーツに関する日本切手についての第二弾、いずれも日本が金メダルに輝いた『野球』『ソフトボール』の切手について書いてみた。

まずは野球だが、初めて記念切手の意匠として用いられたのは1948年10月発行の第3回国体切手である。当時は4種類の切手が発行され、野球、陸上競技(ランナー)、走り高跳び、自転車が採用された。

1968年8月に高校野球50周年記念の2種類の切手が連刷で発売。15円切手で1枚は50周年を表す人文字、もう一枚は真紅の優勝旗と投手であった。

1978年10月には第33回国体切手として軟式野球のバッターとキャッチャーのデザインの切手が発行された。

さらに1979年8月には都市対抗野球50回記念切手が発行されたが、デザインは野球ボールの上にバッター、野球ボールには黒獅子が描かれている。黒獅子は都市対抗野球の優勝旗にもあるマークである。

ここまでは全てアマチュア野球の切手ばかりだったが、1984年11月には日本プロ野球50周年を記念した60円切手が3種類発行された。うち2種類は昔ながらのユニフォーム姿の投手と打者。実はこの切手は読売新聞が王貞治と正力松太郎の2人をデザインとし、巨人軍50周年で発行を目論んだもの。ただ、当時の郵政省はプロ野球全体でないとと難色を示し、沢村栄治を彷彿させる投手、景浦将(戦前の阪神の主力打者)を彷彿させる打者になり、もう1種類はプロ野球創設に貢献した正力松太郎の切手発行に落ち着いたもの。

2018年6月には第100回全国高等学校野球選手権記念大会の切手が82円×10枚の形で発行された。

一方、ソフトボールは1962年10月の第17回国体切手として射撃とともに発行されている。

最も新しいのは野球・ソフトボール共に今回の東京オリンピック2020記念切手は2021年6月23日に20種目のうちの2枚として発行されている。(フレーム切手は含めていません)

スポーツの切手①〜柔道・空手編

2021-08-13 05:00:00 | 切手
『切手シリーズ』その87。オリンピック熱も冷めないうちにスポーツに関する切手について触れてみたい。まず最初はオリンピック前半戦を盛り上げてくれた『柔道』『空手』を取り上げてみた。
まず、最初の柔道切手は第1回国際柔道大会を記念して1956年5月3日に発行されたものである。豪快な技が描かれているが、そのモデルは『柔道の神様』と呼ばれた三船久蔵十段で彼が主演した映画の一場面を用いたものである。この豪快な技は彼が編み出した『空気投げ(隅おとし)』なのである。この大会は国際柔道連盟が主催した最初の国際大会で無差別級のみが行われ、金メダルは夏井昇吉、銀メダルは吉松義彦、銅メダルらアントンヘーシンクであった。

国体切手では1953年10月の第8回大会でラグビーとともに柔道のデザインが採用されている。国体切手は1947年の第2回大会から発行されているが、当初は4種類、第6回大会(1951年)からは2種類、第22回大会(1967年)からは1種類、第45回大会(1990年)からはふるさと切手として1種類と発行規模が縮小されてきている。(但し、1993年からは再び2枚として全国規模で発行に戻されている)


これは東京オリンピック(1964年大会)に先駆けて1961年から6回に分けて寄付金付き(5円+5円、すなわち10円で販売するが切手としては5円分)切手で3年間で20種類、小型シートが6種類発行された。うち柔道は1962年6月に発行された3枚のうちの1枚(のこりは平均台、水球)である。このシリーズは正方形の切手を45度の角度をつけ、単色ながらダイナミックな図案で私の好きな切手の一枚である。

1995年9月には第19回国際柔道大会が幕張メッセを会場に開催された。この大会は男女とも8階級(含む無差別級)あり、日本男子は古賀稔彦、秀島大介、女子は田村亮子が金メダルを獲得。メダル数では金3銀2銅5で計10個と何とか面目は保ったが、金メダルは韓国、フランスと並んでしまったのである。この時のデザインは女子選手が使われている。

一方、今回オリンピック種目にも加わった『空手』であるが、国体切手としては1995年9月の第48回大会で競泳とともに図案に採用されている。


今回のオリンピック、空手の『形』で沖縄県出身の喜友名諒選手が金メダルを獲得したことが話題となったが、返還前の琉球政府が発行していた切手の中に1964年〜1965年空手シリーズとして3枚の切手がある。『ナイハンチ』『巻藁』『組手』であるが、空手が盛んな沖縄県らしいシリーズである。ちなみに一枚の販売金額は3¢であった。

1964年オリンピック記念切手の建物⑥

2021-08-03 05:00:00 | 切手
『切手シリーズ』その86。1964年オリンピック記念切手の図案となった建物のシリーズ最終回。6枚目、30円切手の図案は『日本武道館』である。

このブログを書くまでは日本武道館は戦前からある由緒正しき建物という意識でいた。しかし、調べてみると東京オリンピック(1964年)のために建設されたものである。
田安門を入った旧江戸城の一部であるこの地域は江戸時代初期には築土神社、その後徳川忠長などの邸を経て、御三卿の一つ田安家の屋敷となっていた。明治以降は近衛師団の兵営地であった。

戦後、柔道が東京オリンピックの正式競技になると党派を超えた国会議員柔道連盟が組織され、武道館の建設運動が起こり、1964年9月に落成を見た。私は知らなかったのだが、東京オリンピック開催の際に柔道競技に先立ち、10月15日には公開競技として日本武道館で武道(剣道、弓道、相撲)が行われたのである。

日本武道館の八角形になっているフォルムは法隆寺夢殿をモデルにしており、大屋根の稜線は富士山を表す。また、天頂に付けられているタマネギのようなものは擬宝珠である。

1964年のオリンピックでは柔道会場となったが、今回のオリンピックでも柔道、空手、パラリンピックでも柔道が行われる。ただ、現在では警備が厳しく、今回は遠くから眺めた写メを貼り付けた。

1964年東京オリンピック記念切手の建物を見に行く④

2021-07-30 05:00:00 | 切手
『切手シリーズ』その85。1964年東京オリンピックの記念切手の図案となった建物を巡るシリーズその4は『駒沢体育館』(額面50円)である。

駒沢体育館(正式名称、駒沢オリンピック公園総合運動場体育館)は1964年のオリンピックの際にレスリング会場として使用するため、1964年3月に竣工したもので芦原義信設計。他にも駒沢オリンピック公園ではサッカー、バレーボール、ホッケーなどの競技が行われた。



東急田園都市線駒澤大学駅で降りて約15分ほど歩くと公園西口に到着。規模は大きく、中に入ると駒沢野球場があり、夏の甲子園の東京予選会場として連日熱戦が繰り広げられている。その先にはスケートパークがあり、今回初めて種目となっ『BMX』を練習することもできる。



さらに歩くと体育館がある。地上2階地下1階の建物だが、上から見ると8角形となっている。



中に入るとオリンピックメモリアルギャラリーがあり、1964年の選手団や聖火ランナーの制服、聖火、金メダリストの写真が展示されていて流されているビデオは女子バレーボールの決勝の模様。



久しぶりに当時の感動を取り戻したい時は訪れるといい。さらにオリンピックメモリアルタワーもある。これは芦原義信が五重塔をイメージして作ったものであり、登ることができれば競技場や体育館の姿もはっきり見れるのではないか。



戦前は東京ゴルフ倶楽部として昭和天皇がラウンドされた名門ゴルフ場であり、1940年に開催されるはずであった東京オリンピックのメイン会場を建設するはずの土地であった。そのため、広大な敷地に競技場、野球場、体育館、テニスコートなど多くの施設があり、50年以上前に作られたとは思えないデザインの建築物を見るだけでも訪れたかいがあった。

1964年東京オリンピックの図案の建物を見に行く③

2021-07-28 05:00:00 | 切手
『切手シリーズ』その84。前回に引き続き1964年10月10日に発行された東京オリンピックの切手図案の今を巡るシリーズの3回目は40円切手は国立代々木競技場第一体育館。1964年のオリンピックでは水泳会場として使われた。丹下健三による設計で2本の主柱により天井を吊り下げる極めて特殊な構造を持っており、内部に柱はなく、観客が集中して競技を観戦できるように工夫されている。

因みに今回のオリンピック終了後には第一、第二体育館とも重要文化財に指定される予定。

2021年のオリンピックでもハンドボール、またパラリンピックではバドミントンと車椅子ラグビーのそれぞれの会場として使われる。



駅舎が新しくなったJR山手線原宿駅から明治神宮入口の前を通り、歩道橋を渡ればすぐのところに入口がある交通至便な地にある。向かい側には代々木公園、渋谷寄りにはNHK放送センターなども隣接している。



この大きな体育館も歩道橋から見ると全景が見ることができる。もう事前準備として観客が開場前に並べるように鉄柵などが作られているが、無観客試合となればこれも無駄となってしまった。

ユリの図柄の切手

2021-07-26 05:00:00 | 切手
『切手シリーズ』その83。1961年に1年かけて毎月の花の切手が発行されたシリーズの7月はやまゆりをモチーフにしている。

実は日本の切手に初めて『ユリ』が描かれたのはさらに9年前の1952年5月に発行された日赤創立75周年のうち5円の方に『赤十字とユリ』の意匠である。同時に発行された10円の『日赤看護婦』のデザインの方が有名ではあるが。

次に『ヤマユリ』の図案が採用されたのは1990年ふるさと切手の都道府県の花シリーズ。ヤマユリを県の花としている神奈川県なのである。

他にも石川県の『クロユリ』もユリの仲間である。(その後もふるさと切手ではユリの切手は何枚も発行されている。)

変わったところでは1993年6月に発行された『四季の花シリーズ第二集』の鈴木其一が書いたユリの切手がある。

さらに2001年7月に発行された『日本ユネスコ加盟50周年』にもピンクのユリの花が描かれている。

記念切手のことばかり書いたが、普通切手に使われていた。見たことがある人も多いかもしれないのが1982年7月に発行された20円切手。この『花・貝・文化財シリーズ』では10円が福寿草、30円が椿、40円が菜の花、50円がさくらの図案を使っていた。

実は日本より前に1948年の琉球切手の第一次普通切手初版に10銭と40銭のユリの図案の切手が発行されている。既にアメリカに占領されてはいたが、まだ通貨が日本の円であった時代のものである。



さらに1966年6月の『慰霊の日』の記念切手には沢山のユリが描かれている。因みに沖縄は1972年に本土に復帰するまでこの発行は続いたのである。1971年〜73年にかけて『守礼の門』切手が投機の対象になり、毎日スポーツ新聞を賑わせていた頃もあるのだが、近年は忘れてしまわれている。我々の年代もこの頃だけ切手を買い集めた人は随分いるはずである。

因みに守礼の門切手の現在の価値はせいぜい100円、昔買った記念切手などは『月に雁』『見返り美人』であっても二束三文になっちゃってますからね。


1964年オリンピック記念切手の建物を見に行く②

2021-07-25 05:00:00 | 切手
『切手シリーズ』その82。東京オリンピック(1964年)記念切手の建物をめぐるシリーズ2回目は10円切手、図案は旧国立競技場である。国立競技場の敷地は元々青山練兵場があったところに1919年に神宮競技場という東洋初の本格的グラウンドを作ろうと工事を始めたが、関東大震災などもあり、完成したのは1924年であった。あの有名な学徒出陣式が開催されたのもこのグラウンドである。

戦後になり、復興の象徴として1958年に第3回アジア大会を招致し、その会場として1957年1月に着工、1958年3月に完成したのがこの切手のデザインとなった競技場である。

1964年の東京オリンピックメイン会場として使われたのち、ユニバーシャード国際大会をはじめ、Jリーグの開幕、サッカーやラグビーの日本選手権決勝などに使われた。また、スポーツばかりではなく、野外コンサートや東京オリンピック招致が決まり、2014年5月末をもって取り壊された。



新国立競技場は2016年12月に着工、2019年11月に完成した。柿落としはラグビー大学選手権早稲田vs明治、OBでもないのに私も満席の中、見に行った。あの状態がオリンピック開幕までというか、オリンピック開催期間も二度とないとは、当時は予感すらなかった。



ちなみに新国立競技場の切手も500円の額面で切手帳の中の一枚として発行されたのである。




1964年のオリンピック記念切手の建物を見に行く①

2021-07-23 05:00:00 | 切手
『切手シリーズ』その81。紆余曲折ありながらも、いよいよ東京オリンピックが開幕するようである。今回は1964年の東京オリンピックの為に発行された6枚の切手に描かれた建築物などの今の姿を追いかけてみることにした。

1964年10月10日に東京オリンピックは開催されたが、同時に6種類の切手と小型シートが発行された。

まずは5円切手であるが、ご存知の通り『聖火台』である。聖火リレーは1928年アムステルダムオリンピックの際に電気局の職員のアイディアでオリンピックスタジアムに聖火台を作り、好評を博した。次の1936年ベルリンオリンピックにおいて初めて聖火リレーが行われ、その後毎回夏季・冬季を問わずに行われている。

また、1964年東京オリンピックで使われた聖火台は埼玉県川口市の鋳物職人鈴木万之助・文吾により苦労の上製作されたものであり、2021年のオリンピックでも新国立競技場に設置された。



私が見に行ったのはレプリカで、鋳物の街川口を記念して川口市青木町公園に置かれている。西川口駅から徒歩12分ほどのところにあり、野球場、競技場、プールなどの施設の中央に置かれている。

レプリカとは書いたが、実は聖火台第一号として作られたが、途中に損傷し、完成に至らなかった物を後に補修した聖火台なのである。鈴木万之助氏はその失敗が元で倒れ、急逝してしまう。息子の文吾氏らが引き継ぎ、現在、新国立競技場に置かれた聖火台が作られたのである。損傷した聖火台は鈴木氏の仲間たちが修理、完成させ、この地に置かれている。

川口市は東京から至近の距離にあり、近年鋳物工場は減り、マンションの街と変貌しつつある。しかし、かつてこの場所に鋳物職人たちがいたことを忘れないように聖火台は置かれているのである。

(おまけ)公園内には大正年間に製造された9600式蒸気機関車が静態保存されている。