hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

かんだやぶそば~神田グルメ

2015-04-30 05:00:02 | グルメ

かんだやぶそばに再開後初めてお邪魔した。この店は亡くなった親父が好きだった店で初めて行ったのは小学生のころ、いつも交通博物館とセットで伺った記憶がある。


しかし、残念ながら2013年2月19日に火事で休業、そして2014年10月に再開したのは知っていたが、ようやく、本日この店の蕎麦を手繰ることができた。

店構えは昔とよく似ているが、中はさすがに新しい。伺った時間が5時過ぎだったが、かなりの先客。まずは瓶ビールとわさび芋、鴨ロース、天ぬきを注文。店員さんがたくさんいて呼ぶとすぐきてくれ、しかも振る舞いが気持ちいい。

瓶ビールで乾杯、蕎麦味噌を一口たべると直ぐにつまみは揃って登場。

まずは器が熱くて持てないくらいの『天ぬき』。簡単に言うと蕎麦なしのてんぷら蕎麦。揚げたての胡麻油の香りがするてんぷらが濃いめのつゆに浮いているが、始めはそのサクサク感が素晴らしい。中からは芝エビが多数登場。そう、これが食べたかった。なお、何故か下に蒲鉾が1枚敷かれている。


次に『わさび芋』、この店では酢と醤油が添えられている。少し薄め、やや酢効かせ目が小生の好み。色々な蕎麦屋でトロロを頂くが、つくね芋ならではのこの硬さがいい。因みに蓋には鳥獣戯画が描かれていた。

さらに『鴨ロース』、かえしで味を付けた鴨ロースが3切れ、辛子を添えられ登場。白髪ネギをのせながら食べるがこれも美味い。

瓶ビールからぬる燗の菊正宗に変更。この店は菊正宗1銘柄のみで常温のヒヤか、お燗しかない。ただ、燗はぬる燗、熱燗などの調整はできるが。小さな猪口でちびちびやるのもまたいい。蒲鉾も追加したが、わずか2切れ、コスパなど面倒なことは考えず、酒のアテに愉しむ。いや~至福の時間である。

酒は2合で我慢して、蕎麦に移る。蕎麦は小生が鴨南蛮、相方がせいろ、これを分け合って食べる。

鴨南蛮はそろそろ季節外れだが、鴨の出汁がよく効いた中に鴨肉と白ネギ(回りの部分をのみ)が入るが、鴨の脂が溶け出して熱くて美味い。蕎麦では1番コッテリしているが、食べると次の一口が食べたくなるのが不思議である。

せいろは薄緑色の蕎麦がせいろにのり、湯のみのような黄土色の蕎麦猪口で、少ないが味の濃いめのツユでいただく。これも昔と全く変わっておらず、美味い。
いや、美味いの連発だが、器は変われど味は変わらずホッとした。

そして、このブログを書こうとして調べて驚いた。実は最後にかんだやぶそばに行ったのが、2012年4月29日、つまりちょうど3年前である。(その日にブログも書いていた。)よくわからないが何かの縁を感じた。まあ、ともかくこの店は好きだ。

《最後の1枚はその際のもの、祝日の国旗もでている。》

西海神田店~神田ランチグルメ

2015-04-29 05:00:44 | グルメ

『東京で食べるチャンポン・皿うどん』その8。本日は神田駅近くの長崎料理『西海』にお邪魔した。神田駅西口からガード沿いに真っ直ぐ行き、居酒屋チェーンの花の舞の手前を右に曲がり、3分ほど。長崎料理を夜は提供する居酒屋さんでランチはチャンポン、皿うどんなどが主体。

あまり関係ないが、人形町周辺は競争が厳しいのか、大抵の店はランチは11時からである。しかし、なぜか神田は11時半スタートがほとんど。揃いも揃ってなぜ違うのか、まあ、神田には証券会社がないからかもしれないが。

やはりこの店もランチは11時半から。長崎料理を標榜するだけあり、チャンポン、揚げめんチャンポン(皿うどんの細麺で作ったチャンポン)、皿うどんの他に角煮定食、シュウマイ定食、茶碗蒸し定食などもある。

小生はやっぱり大盛チャンポン(900円)を注文。まだ、開店直後のため、先客はそれほどでもないが、それでも続々とお客様は来店。注文後、7分程度でチャンポンが供せられるが、なかなかの盛りの良さ。これなら普通サイズでも大丈夫。

野菜はキャベツとモヤシのみで、シャキシャキ感を残した調理だが、キャベツが旬なのか甘くて美味い。その他にゲソ、さつま揚げ、長崎ちくわ、豚肉が入ってる。スープはあっさり系のとんこつ、白濁スープで味が良い。

作りたてという感じで炒め具合がいい。最後まで飽きずに食べられる。気になったのが、揚げめんチャンポン、5人グループの3人がこれを注文、ところが1人が注文に迷ったが、お姉さんが『このメニューはよく皿うどんみたいだという客が多いけど本当に大丈夫ですか』と念を押すとあっさり普通のチャンポンに変更。少しマニア好みなのかも知れない。因みにこの店は太麺皿うどんはない。

テーブルには夜のつまみのメニューが貼ってあるが、茹で豚や角煮、茶碗蒸し、キビナゴなどメニューも豊富。夜も挑戦したい店である。ごちそうさま、満腹です。


西海神田店
千代田区内神田2ー8ー5
0332544780

小田原城訪問

2015-04-28 05:00:02 | 日記

久々に小田原城を訪れる。城は駅南口から正面まで700mくらいで駅前通りを左に曲がり、正面まで約10分ほど歩く。つい先日までは寒かったが、歩くと汗を掻くような日差しになった。

堀が見え、その先が赤く塗られた学橋が堀にかかる。渡ると左に登城の道があるが、行きはまっすぐ行くと大きな広場があり、その先には菖蒲園がある。


左に坂を上がると常磐木門、再興されたものだが、立派で堅牢なもので枡形門の形式を取る。
さらに坂をあがるとなぜかニホンザルがいる檻があり、その先には立派な天守閣がそびえる。


小田原城は15世紀に大森氏が築城したもので北条2代氏康が入城、秀吉の小田原城攻めに対応するため、規模を拡大し、城下町を含め周囲9kmにもなった。 江戸時代には譜代大名の大久保、稲葉、大久保と藩主を迎えるが、元禄年間に地震により天守閣など主な建物は崩壊、その後再興されている。


しかし、明治に廃城となり、今の建物は江戸時代の図面を元に1960年に建でられたコンクリート製の4階建のものである。ただ、外観からは全くわからない。中に入ると、他の城と同様に城の建物や骨格の模型、歴代藩主の甲冑、具足、刀などが並んでいるがあまり興味はわかず、ひたすら階段を登る。天守閣から眺めると四方に箱根、丹沢、三浦半島、真鶴半島が望める絶景ポイントでこれをかつて北条氏が見たのか、そして見える範囲を領地にしようとしたのか、などと考えてしまう。


ただ、お天気も良く、幼稚園児や小学生が多数見学に来ており、城の中は千客万来。彼らが登る前にと早々に切り上げ、天守閣は降りる。


下まで降りて、常盤木門からでる。堀に沿って行くと銅門(あかがねもん)、さらに馬屋曲輪を経て馬出門(うまだしもん)を経て堀に至る。馬出は博多では『まいだし』と読むが、ここは『うまだし』である。


ちょうど5月3日は北条五代(早雲~氏直)祭りだが、これだけの城を戦後建て直した小田原市民の城に対する意識の高さをひしひしと感じることができた。


大善寺

2015-04-27 05:00:54 | 日記

『古刹を巡る』その30。今日伺ったのは山梨県甲州市(以前の勝沼町)にある大善寺。以前、ぶどう狩りのついでに行ったが、時間もなく、さらにぶどうの郷でたらふくワインを試飲したため、記憶が定かでなく、再訪したもの。

このお寺は奈良時代に行基が開創したと伝えられる。自伝では718年行基が甲斐国柏尾山の日山渓谷で修行した際に夢枕に葡萄を持った薬師如来が現れた。満願を果たし、葡萄を持った薬師如来像を建立したことが、寺の起源と言われる。

本尊は秘仏で10月1~14日のみ見ることができるが、その通り葡萄を持った薬師如来三尊像(重要文化財)である。(前回偶然お目にかかれた。)小さいが中々の作で確かに葡萄を持っている。



さらにすごいのが、その薬師如来がいらっしゃる薬師堂とその厨子でこれは山梨県に2箇所しかない国宝である。薬師堂は1286年、厨子は1355年と言われており、本格的な密教仏堂である。

他にも日光月光像(重要文化財)、十二神将像(重要文化財)はいつでも薬師堂で見ることができるが、迫力満点である。


今の季節は藤が咲き乱れて美しいが、その分熊ん蜂が大挙して押しかけており、気をつける必要がある。


薬師堂は少し高いところにあり、階段が多いが、その分上からは甲府盆地が見渡せていい風景である。また、特に拝観の人が多いわけでもなく、きっとGW中もゆっくり仏像鑑賞とのんびりした雰囲気を楽しむことができるのではないか。もちろん、ぶどうの寺らしくワインも売っている。


我が家のハナミズキ

2015-04-26 05:00:49 | 日記

いよいよ、ハナミズキの季節となった。ハナミズキはサクラから遅れること2~3週間で早いものは花をつけ出す。サクラ同様に葉より花が先に咲くため、樹木全体が花に覆われ、初夏の日差しの中透明感のあるピンクや白の花をつける。
我が家のハナミズキは日当たりが悪く、鉢植えで直植えでないなど悪条件もあり、いつも日当たりが良い木に比べて2週間ほど遅れるが、なんとかほぼ咲き揃った。


2週間前はまだ固い芽が樹皮と同じ色をしていてとても咲きそうもない。それでも葉は細いものが出始めてはいる。


1週間前は固い芽が割れて小さな花びら(じつは総苞)が出始めてはいるが、とても花とはいえない状態。
しかし、2日前あたりから花びらが伸び始めて木全体にかなりの花が開き始め、今日はほぼ咲き揃った。

実は農協で仕入れたこの木は元は2m50cmくらいあったが、夏の旅行中に水不足で一旦枯れかけたもの。しかし、しばらくすると下の方から葉が出てきたため、買った農協職員のアドバイスもあり、枯れた部分を切り落とし、盆栽のようになったもの。枯れた部分を切り始めてから2年は葉が茂るものの、花は咲かなかった。しかし、徐々に花が増え始め、夏にはウドンコ病の薬を撒いたり、肥料を与えたりして育てているうちに今の姿になった。

周囲にもハナミズキは多くあるが、3m~10mくらいのものばかりで、地上1mに咲いているのはうちのハナミズキくらいである。これからしばらくその美しい姿を見るだけで楽しい。ハナミズキが終わるとクレマチス、猫の額も楽しい初夏である。


六本木付近の坂(2)

2015-04-25 05:00:43 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その37。六本木の坂道の続きだが、不動坂と並行してすぐそばにあるのが、『丹波谷坂』。この坂は江戸時代元和年間に旗本岡部丹羽守の屋敷が出来たため、坂下を丹羽谷と言った。昭和初期にこの坂道が出来たが、谷の名前からこの名称となった。かなり細くて急な道であり、滑り止めの凹凸が付いている。

丹羽谷坂を上って少し先に歩くと旧六本木プリンスの裏手、現在、六本木3丁目再開発ビルの建設現場に出る。

そこを左に曲がると『なだれ坂』。これも急坂のため、小生はなだれおちるからかと思ったが、案内板によると『流華・奈大礼・長華などとも書いた。もとは住民からは「ながたれ坂」と言われていた。よくわからないが、土砂崩れがあったためではないか』とあるが、はっきりはわからない。幸国寺の前であったため幸国坂、旧町名を取って市兵衞坂とも呼ばれた。


また、丹羽谷坂の頂上に戻り、右折するが、この辺りは古い民家が密集しており、ちょうど藤の花が咲いている。少し愛でると住人らしきおばあさんが綺麗でしょと話しかけてくる。のんびりした六本木もまだあるのだ。


その先を歩き、左に折れると『寄席坂』。これは坂の途中の北側に明治から大正3年まで福井亭という寄席があったため、つけられた。



3回曲がる細い坂を下ると高速道路下の広い道路に出る。その辺りから六本木交差点までだらだら上る坂が『市三坂』。これは明治20年代に開かれた坂。名主の名がついた『市兵衞町』と松平三河守忠直邸のあった『三河町』の間にあった坂道のため、その頭文字を一字ずつ取ってこの名前にしたもの。歩道も広く、俳優座の前を通るが、交通量も多く風情もない。


一歩、中に入ったのと大通り沿いとでは全く変わる六本木の町並みを歩くのも楽しいが、数年経つとこの辺りも再開発されるのではとも思った。

関東鉄道常総線(石下~守谷)

2015-04-24 05:00:54 | 日記

鉄道シリーズ その103。関東鉄道常総線石下駅~守谷駅のレポート。山中酒造で色々な日本酒の試飲をしたまでは良かったが、やや飲みすぎで線路を渡るだけの豊田城に行く気力も失せてしまう。やむなく、跨線橋から写真を撮し、誤魔化す。言い訳ではないが小生は竹下内閣のふるさと創生事業で作られたコンクリートの城にはあまり興味がない。



石下駅から乗ろうと時刻表をみると1時間に2本しかない常総線だが、ラッキーなことにあと10分で取手行が到着する模様。駅にはさきほど伺った『一人娘』の看板があり、いい感じ。すぐにやってきた単行に揺られて先を急ぐ。

南石下駅、三妻駅、中妻駅、北水海道駅と停まり水海道駅に到着。それにしても下妻を含め『妻』のついた地名が多いことに気づく。


水海道駅で車両を変えて先に進むが、ここからは複線化が為されていて、利用客も増えるため3両編成になっている。確かに北水海道駅までは1日あたりの平均利用者100~200人程度だが、水海道駅からは急に1000人単位に変わる。


この辺りからは少し住宅も増えてきて、小絹駅に到着。次は新守谷駅、そして守谷駅に到着するが、ここではTXとの乗り換えもあり、関東鉄道常総線では始発の取手駅に次いで利用者も多く、しかも、増加している。



ここで小生も降りるが、この辺りはもう取手辺りの常磐線沿線同様にベッドタウン化しており、しみじみとした雰囲気から新興都市の匂いがしてあまり面白くない。つくば新都市鉄道(TX)の駅は目の前にあり、乗換はすぐにできる。ここでTXに乗り換えて帰途に着いた。

長崎街道~新橋ランチグルメ

2015-04-23 05:00:42 | グルメ

『東京で食べるチャンポン・皿うどん』その7。チャンポンとは関係ないが、今回でブログ700日、早いものである。
ところで前にも書いたが、東京の皿うどんは殆ど細麺をパリパリに揚げたものが出てくる。しかし、本場長崎で皿うどんを頼んだら細麺・太麺と聞かれるのだが、東京では太麺の存在があまり知られていない気がする。

今日は新橋駅から歩いて3分くらいのところにある繁盛店『長崎街道』にお邪魔する。ここも皿うどんは細麺しかないが、ランチの混雑時にも毎回餡から作り、熱々の作りたての皿うどんが登場する店。

11時45分に入店したが、小生が入店したところで満員。店は細長く、奥もあり、30人位は入れるが、なかなか人気店である。チャンポンはラーメン丼に入ってくるなど、庶民的なところもいい。10分ほど待って皿うどん到着。合わせて冷蔵庫の中から出してきた、練り辛子が提供される。

すぐに白胡椒を掛けて一口、あまり味付けは濃くないが、海鮮とトンコツのコラボした餡は美味い。さらに辛子を付けて食べるが、キャベツ・モヤシ・キクラゲ・ニンジンなどの野菜にエビ・ゲソ・赤白カマボコなど具沢山。

薄味にしてあるのは酢や醤油、ソースで味付けするのが長崎風だからである。小生は半分食べたらソースをかけるが、味が変わって美味い。もちろん長崎のチョーコーソースならなおいい。チャンポン・皿うどんとも880円だが、それなりにボリュームあり。

となりの紳士が注文した白濁の出汁が良い香りのチャンポンにも是非挑戦したい。いや~~美味かった。


長崎街道
港区新橋3ー13ー8
0334328739


六本木付近の坂道(1)

2015-04-22 05:00:00 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その36。今回は六本木の坂道を巡る。今回はその1回目。

六本木の名前の由来は幾つかあるが、よく言われるのは『木の関係のある大名屋敷が6つあった』という説である。しかし、上杉・朽木・片桐・高木の4つの家はあったが、残りの青木・一柳はこの付近にあったのかが、よく分かっていない。小生にはなんとなく良くできた後付けの由来のような気もする。ほかにも『6本の松があった』という説もあるが、これもはっきりはしない。

因みに博多には『六本松』という地名があり、また、目黒区には『五本木』があるが、野っ原に目立つ木や目印となる木があった程度の由来なのかも知れない。六本木は今でこそ繁華街であるが、元は徳川秀忠夫妻の葬儀の功績があった僧たちが、夫人の火葬場のあったこの地を寺領として拝領した場所で、今でも六本木3丁目には大きな墓地が残されており、今回はそれを発見した。



坂道の話に戻り、六本木アマンドの横を下る坂道が『芋洗坂』である。市ヶ谷駅近くにも『一口坂』と書いて『いもあらいざか』と読むものがあるが、この坂は芋問屋があったことが由来。なお、今の坂は明治になり作られたもので、元は麻布警察署裏へ上る坂を芋洗坂と呼ばれていたが、いつの間にかこの坂の方の名前になっている。


芋洗坂を下りて道なりに左に曲がる上り坂が『饂飩坂』。江戸時代天明年間まで松屋伊兵衛といううどん屋があったため、この名前が付けられた。

饂飩坂を上り、六本木通りを渡った辺りにある墓地への下り坂が『閻魔坂』。この坂の下には六本木7丁目に移転した宗巌寺がかつてあり、その寺に閻魔堂があったことからこの名前が付けられた。


この坂の下には先ほどの六本木墓苑という墓地があるが、これは宗巌寺ほか4つの寺の墓地が宗巌寺跡に集結したもので幾つかの藩主の墓などある。


坂を下りると急に道が細くなり、右に曲がると『不動坂』があるが、これはその手前にある不動院の名前を付けたものである。この坂に行く手前は細い路地になっており、標識もなく坂に沿ったビルの名前しか確認できるものはない。大通りから僅か1本中に入っただけでこの静寂の中にあるとはビックリ、ここも六本木である。(この続きは次回)

ナガミヒナゲシ

2015-04-21 05:00:56 | 日記

以前にカラスノエンドウをブログに載せたが、4~5月の丁度ハナミズキが咲く頃にオレンジ色のケシの花を見かけることが増えた。名前はあまり知られていないが、『ナガミヒナゲシ』という帰化植物である。

これはケシ科の一年草で高さが80cmになることもある。日本で初めて確認されたのが1961年東京都世田谷区。輸入穀物に紛れたのではないかと言われている。アルカリ土壌を好むため、コンクリートのそばに多く、幹線沿いに繁茂する傾向が強い。

花が咲いた後、子房の中に1000~2000もの種子を持つため、繁殖力が強く、ますます広がる傾向にある。さらに根と葉からは周辺の植物の生育を強く阻害する成分を含んだ物資が生み出されている。

ただ、花の色の好き嫌いはあるかもしれないが、オレンジの花はそれなりに可愛く、なかなか抜いてしまうことが少ないのか、近所の株は大きくなる傾向にある。

北海道には至る所に咲くルビナス(東京では観賞用なのかも知れないが、北海道では完全に雑草化している)同様、可愛らしい花を咲かせる植物は強いのかも知れない。