hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

ヒメツルソバ

2014-04-30 05:43:35 | 日記

ヒメツルソバ。名前を知っている人は少ないが、皆一度は姿をみたことがあるはず。タデ科のヒマラヤ原産の多年草の植物で明治初期にロックガーデン用に輸入されたが、強靭な生命力で半ば野生化しながらも其の勢力範囲を広げている。
その名前の起源は茎や花が蕎麦に似ているから付けられたらしく、別名ポリゴナム。

かなりの人が雑草と思っていらやらかもしれないが、れっきとした観賞用植物で、庭づくりでは地を這わせる植物としては人気が高い。また、コンクリートの隙間や石垣の間にも生える。

我が家の庭にも一昨年、昨年と植え、うまく育ち初夏から晩秋まで鞠状の金平糖のようなうすいピンクの花を沢山付けて目を楽しませてくれた。普通なら先ほども述べた通り、乾燥や暑さにも強く、春には新芽が出てくるはずなのだが、唯一弱いのが厳冬。それでも霜程度であればよいのだが、今年の冬は雪が厚く積もり、また日当たりの悪い庭は中々雪が解けないため、根まで凍り、ついには枯れてしまった。

地植えのため、止むを得ないのだが、今度こそ冬が越せるようによく面倒をみていきたい。


ボーンヘッド

2014-04-29 08:35:31 | 日記

たまには野球ねたも。そろそろプロ野球開幕以来約1ヶ月。予想を上回る調子で首位を走る広島カープ、自力があってやはり強い読売ジャイアンツ、予想以上に怪我人が続出して2弱と言われている横浜ベイスターズとヤクルトスワローズとセントラルリーグはかなりはっきり差が出て来てしまっている。

その中で我が阪神タイガースは曲がりなりにも先発ローテーションが守られ、能見、メッセ、岩崎、藤浪、岩田の5人で何とか回せるようになった。今は2軍の榎田以外は調子を取り戻し、最初の3試合位は目を覆ったリリーフも福原・呉の終盤を投げる2人だけでなく、加藤や金田、伊藤和などもまともになってきた。やはり、その背景には打線がこれだけ維持できているのが大きい。オマリーコーチの影響かゴメスとマートンが素晴らしい活躍をし、鳥谷が復調、もちろん上本、大和の1.2番もいい。よく2、6番がよく打つチームは強いというが、大和も新井良太もよく打っている。こうした調子だと毎日野球を見るのも楽しい。

その中で『ボーンヘッド』という言葉を何回か耳にした。一つは4月25日のロッテvs日本ハムの試合、ロッテの成瀬投手にゼロに押さえられた9回裏1アウト1、3塁のチャンス。もう9点差があるものの、まだチャンスという状況で外野に大きなフライが上がる。もちろん3塁ランナーの陽はタッチアップで1点取り、完封は免れた。しかし、1塁ランナーの中田はなぜか1.2塁間に立ちつくしたまま。

外野からの返球が1塁に帰り、ベースタッチで試合終了。アウトカウントを間違えたとのことだが、集中力を欠いたとしかいえない。

もう一つは同じく26日の阪神vs横浜、これも9回表4点のビハインドの場面で阪神は1番上本がフォアボールでランナー1塁。2番大和は送りバント、ピッチャー山口は2塁を見るも、上本のスタートがよく諦めて1塁に送球。これを1塁カバーの横浜・宮崎2塁手が送球は来ないものと思っていたのか、スルー。これを見て上本は生還、大和も3塁までいく結果に。

その前日にもセンター荒波がセンターフライを落とし、3人の走者が帰る失態をしたばかり。

こうしたプレイをボーンヘッドという。ではボーンヘッド(bonehead)とはどういうことなのかを調べると普通のエラーや暴投、走塁ミスではないらしい。その意味は『マヌケとか愚か者の意味で、野球用語では明らかなミス、例えば明らかな走塁ミスや意味のないところにボールを投げること』で語源は『脳味噌がなく、骨だけのあたま』ということらしい。まあ、ファインプレーの逆の意味であることは間違いない。しかし、野球用語は フィルダースチョイス(野選)やボーク、インフィールドフライ、インターフェア、スリーバントなど中々覚えるだけでも大変である。

三徳山三佛寺

2014-04-28 05:05:00 | 日記
古刹をめぐる その9。今回は日本で一番危ないところにある国宝のお話。三徳山本坊三佛寺というのが正式名称で場所は鳥取県の三朝温泉の近くにある。その奥の院投入堂は706年に役行者の法力によって作られたものと言われ、その本尊は蔵王大権現(重要文化財)である。また本堂は慈覚大師円仁によって849年に創建されたものである。
この寺の存在を知ったのは五木寛之しの百寺巡礼である。『日本で最も危険な場所にある国宝』も氏のネーミングである。
この寺というか山に登ったのは2011年8月2日、修験道の本山というだけに皆白装束かと思ったが、ほとんどハイカーのような格好をした人ばかり。あらかじめ滑り止めのある靴でない場合は草鞋ばきでないと入山は認めないとあったため、用意は万端。駐車場から参詣口を通り階段を上がると参詣者受付所に10分くらいで到達。そして、宝物殿や本店の前を通過し、いよいよ登山事務所に到着。

ここで靴の裏を見せ、合格すると入山料(拝観料と合わせて600円)を支払い、輪袈裟をもらって参拝登山開始。すぐに朱色の橋が有り、渡るといよいよ山道かと思ったら、すぐに崖が登場。正直前を行く人がいなければどうして登ればいいかも見当がつかない。とにかく、木の根や蔦、出っ張った岩などに足をかけて登り始めるが、我が身の重さをすぐにひしひしと感じる。この葛坂、所々に休息する場所はあるが、人が来れば退かねばならず、休んだら立てなくなりそうなところのため、なんとか登る。ようやく鎖坂(文殊堂の下)に到着するが、鎖が登れない。やむなく無理に脇道を歩く。さらに『馬の背・牛の背』という両側が崖の細い道を行くところは下を見ると足がすくむ。よくみると『龍楽事故発生注意』bの文字が。

鐘楼につくが大きな岩の上に大きな鐘があるお堂、どうやってこんなものが作れるのか?さらに少し行くと納経所(重要文化財)だが、これも岩のくぼみに立っていて、足の下には何もなく、落ちれば奈落である。

もうこの辺まで来ると汗は止まらず、過呼吸で意識も飛びそうになる。さらに観音堂、不動堂のの周りを慎重に回る。

そしてようやく投入堂が望めるところに到着するが、お堂にはいくことはできない。というのも見上げた上にしか投入堂はなく、途中も道もない。それでも岩の中に高く細い足場があり岩のくぼみにはまったようなこのお堂、だれでもどうして作ったのかということが気になる。やはり役行者の法力で大きなお堂を投げ入れたという伝説は本物ではないかと思ってしまう。

ただ、テレビの番組ならここで終わりだが、現実に行くと帰らなくてはならない。上りよりも行の方が危険で、数日前にも滑落して60代の男性が亡くなったことを知る。とにかく慎重に、慎重にと思いつつ、買ったばかりの時計の文字盤に岩がぶつかり傷つこうが、タオルが絞れるようになろうが、とにかく時間をかけて下山。朱色の橋が見えてきた時のはとにかく嬉しかった。若いうちでないとなかなか行けない、また天候が良くないと難しいこの国宝はぜひ見ておくべきで、お参りすることをお薦めする。しかし、登山に2時間もかかったのは体力なきゆえか?

山吹の花

2014-04-27 07:33:25 | 日記

この季節になるとヤマブキが黄色い花を咲かせる。樹木ではあるが、せいぜい2m位で、一重のものと八重のものがある。八重咲きは花は咲くが実をつけることはなく、太田道灌の逸話が有名。知らない人はいないと思うが、改めて...。

太田道灌が父・資清を訪ね、埼玉県の越生あたりに行った際に突然のにわか雨に会い、農家に箕を借りようと立ち寄った。その時、娘が出て来て1輪の山吹の花を差し出した。道灌は箕を借りようとしたのに花を出され腹立たしく思った。

後に家臣に話したところ、後拾遺和歌集の『七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだに亡きが悲しき』の兼明親王の歌に掛けて、山間の貧しい農家で箕の一つもないことを奥ゆかしく答えたと教わった。そのことを道灌は恥じて歌道に励み、歌人としても名高くなったという話。

もちろん一重の方には実もなる。また、よく似ているのがシロヤマブキ。ただ、ヤマブキは5枚の花びらだが、シロヤマブキは4枚である。

ヤマブキはその色から昔より黄金や小判のことを表すことが多い。山吹色な鮮やかな花は温かいこの季節によく似合う。


ぐいのみ大 ~大塚グルメ

2014-04-26 07:48:10 | グルメ

また来てしまった大塚、なかなか良い店が多いと聞いていたが、今日は先日飲んだみせから僅か10m程。店の名前が『ぐい呑み 大』、ネーミングがなかなかいい。なかはカウンターに座敷が5つほど、いずれも掘りごたつ式でゆっくり飲める。

店に入ると酒屋の前かけが飾ってあり、酒の種類がありそうと思ってメニューをみるとその通り。まずは湘南ビールという地ビールで乾杯。

お通しはあらのはいった潮汁とフグの唐揚げ、のびるの酢味噌和え。どれも美味いが、やはり温かい汁はいい。


注文は刺し盛り、ポテサラ、名物鳥から、自家製厚揚げ、ネギたらこ。酒は飛露喜、綿屋をお願いする。

出てきた徳利がいい、昔、新宿ハルクにあった五味八珍のものに見まごう位のもの。ちょこも台がないと置けないソフトクリームのコーンのような奴で凝っている。

すぐ飲み終わり、次いで小左衛門の備前雄町、風の森を注文、もう呑みすぎ。



つまみの鳥から揚げは素晴らしいし、厚揚げもカリカリとフアフアが同居しており、美味い。

刺し盛りは的鯛、ハタ、黒鯛、イワシ、スミイカ、カンパチの7種類、2人前ながら3で割れる気遣いに感謝。

酒は小左衛門の山田錦、東一。つまみは、おから、新キャベツの和え物、おしんこ、そして名物のおつまみピザ。


酒は日高見で締める。いやー美味かった、大塚に今のところ外れなし。

ぐいのみ 大
豊島区南大塚3ー38ー9
0339856668

日本橋小舟町

2014-04-25 00:09:04 | 日記

日本橋町巡りシリーズ その2。やはり事務所から近い日本橋小舟町を歩く。

この町が有名なのは浅草寺宝蔵門(仁王門)に吊るされた提灯に大きく書かれた『小舟町』の文字だろう。この起源は江戸時代貞享年間(1684~1687)の頃にこの辺りに住んでいた魚河岸の人達が心意気を示す為に奉納したもの。今の提灯は江戸開府400年を記念して2003年に500万円をかけて作られたものである。提灯は高さ3.75m、直径12.7m、重さ400kgである。

町巡りに戻るとビルが立ち並びゼリア新薬、長瀬産業、牛乳石鹸などが主な企業。ビジネスホテルも東横イン、西鉄イン、スーパーホテルと揃っている。街自体にはあまり古い建物もなく、それ程見るべきものはない。しかし、よく調べると伊場仙(1590年創業の扇子製造、元は浮世絵を印刷していた)、呉服商の笠仙(浴衣が有名)、松久庵などもある。谷中で有名な千代紙を製造するいせ辰の刷り元もこの町にあった。



江戸時代の地図を見ると左側に西堀留川、右側に東堀留川があり、元は川だったようだが、明治時代には両方堀となり、日本橋川に繋がっていた。西側が昭和3年頃、東側は昭和23年に埋めたてられ、今は道になっている。

西堀留川は堀留児童公園を通り、セブンイレブンの脇、田辺三菱製薬の脇を通り、少し右に曲がりながら日本橋川に、東堀留川は小舟町と本町の境の道で小舟町記念会館の脇、スギ薬局の脇を通り、日本橋川に至る。

また、小舟町は旧富士銀行らの前身である安田銀行の創業の地で、今も立派な支店がある。前には現在の支店の建物が完成した際に『明治13年1月1日安田銀行はこの地で開業しました』というプレートが残されている。

周囲を10分足らずで歩ける町だが、歴史と心意気の町である。



たかね~日本橋ランチグルメ

2014-04-24 06:34:04 | グルメ

昨年11月以来の立食いそばシリーズ第7弾。兜町の取引所と茅場町の真ん中あたりにある十割そばながら立食いそばの『たかね』に行って見る。

ここはご近所の証券会社御用達の店らしく前場がひける11時半になると列ができる。その少し前に入店するも先客は6人。椅子は10脚程度しかないのでギリギリ。自動販売機で食券を買うシステムで前の3人は天ザルを注文。

こちらは少し寒いので天ぷらそば(580円)をお願いする。前の3人の天ザルはなかなかでない、というのは本当に天ぷら揚げたてのためで、この店は冷たい蕎麦は細麺、熱い蕎麦は太麺らしい。配膳口の先にはネギ、ワカメ、天かす、わさびなどは取り放題となっている。

天ぷらそばはすぐ出てくる。ネギを添えて食べるが、かき揚げは玉ねぎ、人参、ゲソ、小エビなどが入りきつね色。蕎麦は腰があり、固め。つゆは辛すぎず、出汁がよく効いている。これをフーフーいいながら食べるが、どうも冷たい蕎麦の方が旨そうである。まあ、小生があまり太麺が好みでないせいもあるが。
なお、机の上には蕎麦湯のポットも完備、ざるそば(400円)を食べ終わり、揚げ玉を追加してゆっくり蕎麦湯をすすることも可能。

入り口には機械式の石臼が蕎麦をひいており、確かな3タテ、混む店には理由がある。

蕎麦たかね
中央区日本橋茅場町1ー6ー16
0336391007

橋の記念切手

2014-04-23 07:31:13 | 日記

切手シリーズ その24。今回は記念切手に描かれた橋がテーマ。日本はご存知の通りの島国で、海が荒れても安全に通りたいというと悲願が叶うものという存在が橋である。その歴史を見ると日本の高度成長を垣間見た気がする。

ただ、初めて橋の記念切手は先日もブログで取り扱った観光地百選の6集、河川の部で登場する『宇治川』に架かる『宇治橋』(1951.8.1)24円切手である。


そして9集の渓谷に登場する『昇仙峡』の『長潭橋(ながとろばしに )』(1951.10.15)24円切手、10集の建造物に登場する『錦帯橋』(1953.5.3)10円と24円切手と続く。

まあ、今回は産業や交通の発達に伴う開通を記念したものに焦点を当てると初めて切手になったのは若戸大橋開通記念(1962.9.26)10円切手。これは縦長の構図に赤一色で良く目立ち、印象深い。若戸とは北九州市発足直前の若松市と戸畑市をつなぐ2.1kmのつり橋の開通を記念したもので、洞海湾を渡る当時画期的な橋。当時、地元では若戸大橋大博覧会なるものも開催されるほどだった。

因みに翌年(1963.2.10)には北九州市発足記念の記念切手も発行されている。
次は天草架橋完成記念(1966.9.24)15円切手で天草5橋全景を小さな切手に納めている。

この橋も船に乗らなければどこにも行けなかった天草島の人には大きな出来事であった。

また、本州と九州を結ぶ関門橋開通記念(1973.11.14)20円切手は横長で落ち着いたトーンである。


そして全国規模で今のところ最後に発行されたのが、瀬戸大橋開通記念(1988.4.8)60円切手連刷4枚。これは香川県側からみた風景と岡山県側から見た風景が2枚ずつの構図である。
ではそれ以降はというと1989.4からスタートしたふるさと切手の形で橋の開通も発行されるようになった。レインボーブリッジ(東京・1997.10.1)、明石海峡大橋(兵庫・徳島・1998.3.20).しまなみ海道(広島・愛媛・1999.4.26)などであるが、規模の縮小は否めない。ただ例外なのが最後のしまなみ海道開通の記念切手で10枚発行、さらに小型シートも出されている。



これだけの橋の切手を見て、小生が最も好きなのはシンプルながら迫力のある若戸大橋である。これはまだまだ発展途上にあった時代であったからかもしれない。

ナガミヒナゲシ

2014-04-22 06:40:29 | 日記

ナガミヒナゲシ。この花の名前を聞いてもどんな花かを知っている人はあまりいないかもしれない。

しかし、道端に最近急に増えてきたオレンジ色のケシと聞けば大概の人には想像はつくであろう。その名前の通り、外来種のケシで日本で初めて確認されたのは1961年東京都世田谷区らしい。それが瞬く間に日本中に蔓延った。

元々は地中海沿岸からヨーロッパに分布する。アルカリ性の土壌を好み、道路の中央分離帯などに咲き始めたが、とにかく繁殖力が強く一つの花から数千のケシの実がこぼれ落ちる。普通は除草作業で刈られてしまうのだが、除草の頃には枯れており、逆に実が熟して種を飛ばし、それがタイヤなどについて繁殖して行くため、町中で見られるようになった。

花自体は群生すると美しいが、その増え方がまるでセイタカアワダチソウのようである。まあ、ケシと言ってもヒナゲシの仲間で、アルカロイドを含んでおらず、その意味では生えていても問題はないのであるが。

最近の研究ではセイタカアワダチソウ同様、アエロパシー活性といって特殊な化学物質を地中に出し、他の植物が育たぬようにしているとの報告もある。

因みに花言葉は『心の平静』『慰め』である。

クロワッサン生地のたい焼き

2014-04-21 06:44:58 | グルメ

5月23日には新駅ビル『kirarina』も登場、春恒例のHanakoの特集の影響が残る吉祥寺、とにかく朝から夜まで人が絶えない。

その中にあって常に列ができているのは、肉屋のサトウの『メンチカツ』やその隣の小笹の『もなか』ばかりではない。パルコの横のアーケードを歩くと1年前までは老舗の喫茶店、昨夏はタピオカドリンクを売る店だったはずだが、今年に入り『クロワッサン生地のたい焼き』を売る銀のあんカフェになった。初めはガラガラだったはずだが、次第に混雑し、列が絶えない。

それが、夕飯のあと見ると外の列は3人と少ないので試しに買って見ることにした。そういいながら、自分は靴を買いたいため、金を妻に託し、靴屋で待つことにしたが、10分経過後も来ない。そして、ようやく妻も来たが、話を聞くとちょうど直前でたい焼きが切れたそうで、それなら日中はいったいどれだけ待たされるのか。

家に帰り、食べ方を見ると電子レンジで2分、さらに3分待って食べるとら良いとあったが、無視してそのまま食べる。
1つ(一匹?)210円もするだけあってバリまで入れるとかなり大きい。バリはお菓子のパイのようで上に載せた砂糖もいい感触、サクサクで美味しい。期待を込めて中身に入る。

中身は甘味を抑えた本格的な餡が美味いが、感触がたい焼きとは違う。いったいなんだろう?と考えて、つぎの瞬間、そうだ、あんパンだ!味はいいが、全くたい焼きとは別の種類でしかもコスパを考えると自分の中では次はないなと確信、まあ、パイとあんパンの両方が食べられるから良しとする向きもあるかもしれないが。やはり、列に並ぶまでするほどのことはない。そういえば、去年夏のタピオカ屋もかなり列ができていたが、タピオカの季節が過ぎるとなくなってしまったように…。店の皆さんは頑張ってもらいたい。