hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

五箇山(富山県)

2014-06-30 05:00:00 | 日記
『日本の風景再発見』シリーズ その9。今回は『五箇山』を取り上げてみたい。五箇山地区は富山県南砺市の南部に広がる地区で赤尾谷・上梨谷・下梨谷・小谷・利賀谷の5つの谷からなるので『五箇谷間』これが転じて五箇山になった。東京に住んでいる人間にとっては合掌作りの集落というとすぐ白川郷(岐阜県)を連想するが、五箇山にも合掌作りの集落がありその風景はまさに日本の原風景である。


五箇山は平家の落人が住み着いたものと言われ倶利伽羅峠の戦いに敗れた平維盛の一党が五箇山に隠れ住んだものと言われ、一部五箇山の家紋にも残っている。この合掌作りの家は周囲で見ていると趣があって素晴らしいが、実際にはこの屋根を葺いているコガヤという植物を確保することもなかなかままならず、維持することも難しい。また、昭和30年代までは共同作業で住民が葺替えを行っていたが今は県の森林組合が屋根の葺き替えや茅場の管理・維持を行っている。

前に訪れたのは8月の上旬で青々として生育している稲や家の前に植えられている桔梗が美しく感動した。こういった場所に最近行くと思うのは日本人の観光客はバスでやってくる中高年の特に女性グループ、若い人はと気に留めてみるとその殆どが外国人で日本人の若者が祖国を特に自転車屋バスで旅行する姿などほとんどない。海外にもいいところはたくさんあるが、この素晴らしい日本を感じるのはサッカーの応援だけではないような気がするのは自分だけであろうか。


弘明寺(神奈川県)

2014-06-29 04:01:46 | 日記

古刹を巡る その16。弘明寺(ぐみょうじ)は実は横浜市最古の寺院で、坂東33カ所巡りの14番札所、ちなみに13番は浅草寺である。

お寺の場所は京浜急行線弘明寺駅からすぐの便利な場所にある。駅を降り改札口を越えて、右手に出ると道に出るが、これを右折、だらだら坂のしたにすぐ山門が出てくる。その先、お寺の前を通過すると商店街のアーケードが間近に見え、お寺の隣のパチンコ屋の音がする。

しかし、山門をくぐると急に静かになり、階段を20段くらい登ると本堂につく、極めてコンパクトなお寺である。


歴史は寺伝によると721年にインドの僧、善無畏が創設、737年に行基が観音像を刻み一宇を建立した。空海が双身歓喜天を刻み安置し、鎌倉時代は源氏の将軍の祈願所であった。

仏像は500円払うと内陣に入ることができ、行基の作と伝えられる平安時代作の木造十一面観音立像(国重要文化財)を間近に見ることができる。ほかにも室町時代の木造黒漆花瓶や他の仏像など多数ならべられている。

また、本堂前の鐘楼には江戸時代の鐘も置かれ、実に落ち着きのある古刹である。今回は行かなかったが、弘明寺商店街も下町の風情があるらしく、次回は寄って見たい。

昼下がり、小生が寺にお参りし、外に出るとお寺の猫か、三毛猫が気持ち良さそうに山門前で寝ていたのが気持ち良さそうで印象的であった。



玉箒~新橋グルメ

2014-06-28 00:02:18 | グルメ

後輩のFくんのお誘いで久々に新橋の新しい河岸で飲む。店の名前は『玉箒(たまはばき)』、酒飲みの一部にはよく知られていた幡ヶ谷に2005年まであった玉箒とは関係はないそうで、昔、世田谷の三宿で店をやっていたマスター一人のお店。

席に着くと殆どスタンドバー、最近オープンした門前仲町の某店と同様、見た目は洋風、中味は和風。

最初に生ビールで乾杯、すると大きめの皿にお通しが登場。夏野菜のラタトゥイユ風、青パパイヤとミミガーの酢味噌和え、レバーや沢庵、はんぺんのスモーク、マグロの漬け、汲み豆腐、もずくの寄せものなど約10種類のつまみはバランスも良く、中々のもの。酒はマスターのお勧めに従い、スタートの酒は東富士や十右衛門の夏用冷酒、スイカのラベルが涼しげで爽やかでよい。

次は『米による酒の飲み比べ』、神力・山田錦・雄町が三つ並ぶ。

蔵は『姫路の龍力』、力強い神力、香り立つ雄町、なかなか特色があって面白い。この辺りでK君も合流し、賑やかに。つまみは鳥のゴマ付き唐揚げ、生身欠きニシンと味噌添えを注文。次の酒はバルタン星人とヌラリヒョン(山梨県・笹一酒造)。常温のヌラリヒョンは熟成が効いてさなかなかのもの。特にラベルが楽しい。


ほかにもまだ飲んだと思うが、雁木の薄濁りを飲んだことは覚えている位。W杯で早起きしたためか、酒が早く回り、残念ながらここでお開き。


なかなか面白い店でマスターの話をつまみに飲める楽しい店である。また、一度ゆっくり行ってみたい。


玉箒
港区新橋3ー18ー3三青ビルB1
0334365502

This is The Burger~国分寺グルメ

2014-06-27 05:52:25 | グルメ

ハンバーガーといえば日本ではマクドナルドが大多数を占めていて日本国内に3600店舗、10万人あたり2.9店のショップがあることになる。いつの間にかマクドナルドを追っていたロッテリアやファーストキッチン、バーガーキングなどには大きく水を開けており、好みの『ベーコンエッグバーガー』(ファーストキッチン)や『エビバーガー』(ロッテリア)などもなかなか食べられないのが残念である。

また、チェーン店も悪くはないが、やはりハンバーガー専門店で目の前でパティを焼いて、バンズに挟み、好みのトッピングを加えて、頬張るのがハンバーガーの醍醐味である。もちろん、吉祥寺や西荻窪にあるヴィレッジバンガードもいいが、国分寺の『This is The Burger』がお気に入りの店。場所はJR国分寺駅を降りてみずほ銀行の前を通り過ぎ10m歩くとこの店に到着する。

ハンバーガーが14種類、ホットドッグが4種類とかなりバラエティに富み、サイドメニューではフレンチフライと小生の大好きなオニオンリングがある。バンズもブリオッシュとノーマルの2種類、パティも有料だが増量可能である。

ランチはポテトかオニオンリングが付いつきて、ドリンクも安い。この手作り感が好きで店内のアメリカンな雰囲気もいい。

夜はカクテルやビールの種類も多く、酒を飲みながらハンバーガーをほうばれる。マクドナルドにはないビールとオニオンリングのあるこの店は意外に安い。ぜひ、国分寺に来たら寄ってみたい店である。

This is The Burger 国分寺店
国分寺市南町2ー16ー21
0423232022


日御碕灯台(島根県)

2014-06-26 05:00:00 | 日記
『日本の風景再発見』シリーズ その8。今回は日御碕灯台(ひのみさきとうだい)を紹介する。美保関は出雲大社から車で20分ほどのところにある。日本海に向かって突き出た日御碕の先端にあり、最も高い石造の灯台で完成は1900年というからもうすぐ建設後114年になる。日御碕は日本海に対し大きく展望が開けている。晴れた日にはも見えるほどであり、とにかくその風景はダイナミックである。

駐車場に車を止め、土産物屋が軒を連ねる中を行くが、写真にあるとおり、とにかく人がいない。訪れたのは平日とは言え8月上旬、夏休みなのでさぞや混んでいるだろうとの予想を大きく外し、お店の人たちも皆暇そうにしている。しばらく行くと灯台が見えてくる。もちろんその内部にも螺旋階段を登って一番高いところまで行くことができる。

元来、高所恐怖症ではあるが、馬鹿と煙は何とやらで旅に出ると山はもちろん、城の天守閣や灯台には必ず登る。いままでも尻屋崎(青森)、石廊崎(静岡)、御前崎(静岡)、入道崎(秋田)、納沙布岬(北海道)などいくつ登ったかわからないほどである。しかし、この灯台は犬吠崎と双璧の眺めの良さで感動することは間違いなしである。


『日本の灯台50選』だけでなく『世界の灯台100選』にも選ばれた灯台はその高さ43.65M、灯台の標高は63.3Mである。建設当初から日本一の灯楼を誇り、姫音人による設計をされたものである。海外旅行もいいし、新しくなった出雲大社もいいが、この近くに行かれた際には立ち寄ってみたい施設である。日本にはまだまだ素晴らしい風景があるのに廃れていくのは残念至極である。


ワールドカップのジンクス

2014-06-25 04:46:04 | 日記

FIFAワールドカップも前半の大詰め、前回優勝のスペインや発祥国であるイングランドが早くも予選敗退するなどその厳しさを見せつけている。
その中でジンクスというか、法則というか、偶然というかを感じることが度々ある。

その一つが開催地と優勝国の関係。1930年以来、今回のブラジル大会で20回を重ねるが、『欧州で開催すると欧州諸国が優勝、米州(北・中・南アメリカ)で開催すると米州諸国が優勝する』というもの。その法則が成り立たなかったのは1958年の第5回スウェーデン大会にブラジルが優勝した1回があるのみ(アフリカ、アジアなどその他の地区は除く)である。これはサポーターの数や移動距離も関係あるかもしれないが、やはり気候風土が厳しい今大会を見ていると順応性がいかに大切かがよく分かる。予選敗退が決まったボスニアヘルツェゴビナの選手がこの気候に勝てなかったという言葉が全てを表しているのかもしれない。

もう一つは日本の成績である。初めて参加したフランス大会(1998年)は中山の1点しか取れず、アルゼンチン・クロアチア・ジャマイカに3敗して予選で敗退した。
しかし、ご存知のとおり、日韓共催大会(2002年)はベルギーに引き分け、ロシア・チュニジアには勝って予選を突破した。
しかし次のドイツ大会(2006年)はオーストラリア・クロアチア・ブラジルに3敗を喫して予選敗退した。南アフリカ大会(2012年)は前評判は低かったが、カメルーンに勝利、オランダには惜敗したが、デンマークに勝利して予選を突破した。つまり、法則からみると偶然大会は予選敗退、奇数大会は予選突破という成績が続いているのである。

さらに不思議なことに日本のサッカーにおける最大ライバルの韓国も初出場こそ1986年メキシコ大会だが、フランス大会までは予選敗退、日韓大会は予選突破したうえで4位、ドイツ大会は予選敗退、南アフリカ大会はベスト16と日本と同じような傾向がある。その中で今回も…。いや、きっとコロンビアに勝てると信じたい。

因みにワールドカップの得点王はロナウド(ブラジル)とクローゼ(ドイツ)の15点だが、では日本人の得点王は誰なのか?今までの5大会で日本が入れたのは13点。その内訳は1点入れているのが、中山雅史、鈴木隆行、中田英寿、玉田圭司、中村俊輔、遠藤保仁、岡崎慎司、森島寛晃の8人、2点入れているのが稲本潤一、そして3点入れているのは本田圭佑だけである。

王禄(島根県)

2014-06-24 05:00:00 | 日記
『きまぐれ酒蔵散歩』その2。今回は島根県の誇る銘酒『王禄』を取り上げる。というのは最近小生の飲み友達であるXくんから滅多に手に入れることができない『超王禄(星5つ)』(即ち、王禄を超える王禄)の一升瓶を頂いたからである。この蔵は明治5年の創業で、その名が高まったのは昭和37年に“黄金の井戸”と呼ぶ素晴らしい井戸が発見されたことが起源と蔵の人々はいう。この水源と2KM離れた松江市東出雲町、場所は松江から少し東の方に行ったところにある。お邪魔したのは2011年夏だからもう3年近くなる。

この蔵もかつては自社では全く酒の販売はしていなかったが、今は少量ながら売っているのが嬉しい。酒蔵見学や試飲はできないが、その作っている姿を見たくて一畑薬師の帰りにお邪魔した。歴史があってなかなかの風格、あのどっしりとして香り高い銘酒が酒の名前にもある杜氏・石原丈径(当社社長)氏らがここで『渓』や『丈径』、『超王禄』、『意宇』などを醸している場所にふさわしいと感じ入った。

今日は東京でも限られた酒店でしか手に入らないこの銘酒は味わってじっくり飲むことにしたい。


王禄酒造 島根県松江市東出雲町揖屋町484番地

真鶴半島(神奈川県)

2014-06-23 05:00:00 | 日記
『日本の風景再発見』シリーズ その7。初めて真鶴半島を訪れたのは高校2年の課外授業だからかれこれ40年近く前のことになる。名前のとおり神奈川県真鶴町に突き出た小さな半島で東京からならば東海道本線真鶴駅まで行きそこからケープ真鶴行きのバスで15分ほどで着く。何回も行ったことがあるが、観光客は日に日に経ているような気がする。ケープパレスはお土産物屋とドライブインが合体したような建物で、この土産物屋の中を通らないと半島の突端である『三ツ石』までは出ることができない。三ッ石まではゴロゴロと石の転がった歩きにくい坂を下りていくことになるが、早春(写真は1月上旬)にはもう水仙の花が咲き乱れて一足早く春が来る気がする。

そしてようやく平坦なところに出てから、海に向かうと二見ヶ浦のように3つの岩にしめ縄が巻かれ、ここが名勝三ッ石である。

真鶴半島はかながわ景勝50選の一つにも選ばれ黒松やシイ、クスノキなどの原生林とシダ類が生い茂る手つかずの自然が残っている。とうの昔になくなったが、水族館もあって、以前はかなりの賑わいがあった。地理的には真鶴半島の先端と三浦半島の先端を結ぶその間が相模湾らしい。またもっとこの半島を実感したい時には十国峠にケーブルカーで上がって見ると真鶴半島が本当によく見える。もちろん富士山も良くは見えるが。

三ッ石の観光の跡はその2階にある『遠藤貝類博物館』や近くにある『中川一政美術館』、魚市場の近くの『魚座』で食事をするのも楽しいし、近くにみかん刈りができたり、干物が買えたり。それにしても40年前からあんまり変わらないところがここの魅力なのかもしれない。

ノウセンカズラ

2014-06-22 04:48:41 | 日記

夏になると近所の庭の木に巻きついてオレンジの比較的大きな花を咲かせるつる性の植物、今年も通勤路で見かけるようになり、ついに調べてしまった。

調べかたは簡単なもの、Yahooで『夏の花、オレンジ色、つる性』などと入れると『ノウゼンカズラ』と回答がすぐに出てくる、ネット時代の便利さである。

ノウゼンとは凌霄の字音で古くはノウセンカズラ、これがなまったものらしい。『霄』は空や雲のことらしく、空に向かって咲く花を現している。海外では『トランペット フラワー』というらしく、言い得て妙である。

この花は藤などと同様に2メートルからそれ以上の木に巻きつき、花が大きいのであたかもその木の花のように見える。確か春に白い花が咲いた木になぜ違う色の花がなどと不思議な気がすることも多い。

話は変わるが藤の花も同じで藤棚に咲くのは庭園の藤で野生のものはノウセンカズラ同様に他のが木に巻きついて咲く。これを昨年福島県会津で見て驚いた。木自体がふじ色になってしまうからすごい。


旅行に行くと農家の玄関には必ず咲いている気がする花。このノウセンカズラの花はやはり夾竹桃や百日紅同様に夏の青空がよく似合うと思う。



日本橋小伝馬町

2014-06-21 00:02:06 | 日記

日本橋町巡りシリーズ その8。今回は日本橋小伝馬町。この町には地下鉄日比谷線の小伝馬町駅があり、中央を東西に江戸通りが通り、町を分断している。北側はもう千代田区岩本町、南は大伝馬町、東は本町、西は馬喰町と横山町に接する横長の長方形である。

町の名前の由来は名主宮辺又四郎が伝馬役を司ったことによるらしい。今は小さな問屋が多いが、江戸時代は大伝馬町の裏通りの町であった。また、江戸時代には牢獄があったことでも知られる。牢獄は元は江戸城内の常盤橋にあったが、慶長年間にこの地に移り、1875年まであった。今は後で述べる公園と駅前に碑がある位である。


明治になり、市電が江戸通りを通るようになって繁栄し、関東大震災や東京大空襲で被害はうけたものの復興し、1964年には地下鉄日比谷線の駅もできるなど今も元気な町。

町には廃校になった小学校跡隣にある十思公園、この辺りにかつて小伝馬町牢獄があり、公園内には幕末に投獄され、ここで亡くなった松陰の石碑などもあるらしいが、改築中で外からは鐘しか見えなかった。この鐘は石町時の鐘で当時の石町(今の日本橋室町)にあった。処刑もこの鐘に合わせたため、鐘番もわざと遅らせることもあったとか。

隣の十思スクエアは元は十思小学校の廃校を利用した区民施設。明治11年に開校、今の建物も震災後の復興小学校の一つで優雅なフォルムを残している。




他にはあまり史跡はないが、昔ながらの建物もかなり残り、特に良さげな飲み屋が幾つもある。一度夜に訪問したい町である。