hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

プロ野球後半戦

2015-07-31 05:00:32 | 日記

たまにはプロ野球の話。あまり、真剣には観ていなかったが、珍しく大阪ドームで開催された巨人対DeNAの2連戦、連続して巨人がサヨナラ勝ち。29日は亀井のサヨナラ2ラン、30日は鈴木のサヨナラタイムリー。

ここまでならばよくある話だが、両方同点で、しかも2試合ともセットアッパーのエレラが回の最初から投げて負けている。

これは小生の見方だから、異論があるかもしれないが、なぜ調子の良いストッパーの山崎康から使って行かないのだろうか。かつて阪神にJFKと呼ばれた勝ちパターンがあった。それは最初に変則左腕のウィリアムズ、次に球の早い藤川、最後の抑えは球の重い久保田というリレーで勝利の方程式と言われた。

しかし、打者の左右の並び方で変えた方が良い場合もあったのに、拘った監督がいた。これは今年のヤクルトのロマン・オンドルセク・バーネットとも似ている。どうも日本の監督は方程式を使いたがるようである。

しかし、後半戦がはじまって10日が経過し、山崎康が投げたのは阪神に勝った7月25日の試合のみ。一方でエレラは4試合にも投げている。昨日まではまだ分かるが、今日の試合は9回表に追いついてさらに押せ押せの時に代走が2塁ベースをオーバーランで逆転のチャンスを潰して水を差し、さらに前日のサヨナラ負け投手が出てくるとは。
まあ、あまりよそのチームの批判はしてもしょうがないが、阪神ファンだからこうなるのではと予測がついてしまうのは第三者的な冷静な目で見ていたからだろう。

ペナントレースに目を転じると前半は1~6位のゲーム差が4しかない団子レースのセリーグだったが、7勝2敗のヤクルト、6勝2敗の阪神、6勝3敗の巨人の3チームと1勝8敗のDeNA、1勝6敗の中日の2チーム(広島は4勝4敗)と両極端に分かれつつあり、ゲーム差が8まで拡大した。勿論、まだまだ波乱はあるが、オールスター明け10試合がかなり大きな影響を与えると言われているが、今度はどのようになってだろう。セリーグから中々目が離せない。

秩父神社

2015-07-30 05:00:51 | 日記

秩父神社は武州六大明神の四ノ宮として数えられる神社で崇神天皇10年に時の国造知知夫彦命が祖神である八意思兼命を祀ったことに始まるとされる。何しろ今年で『御鎮座2100年』というのだから、半端ではない。



鳥居をくぐると左手には秩父宮ご夫妻のお手植えのイチョウ、特に夫人の勢津子さまが植えられたイチョウは丸く、乳房のようにコブが垂れ下がり『乳イチョウ』として有名である。

その先には本殿があるが、その装飾には左甚五郎作と言われる子宝子育ての虎などがある。いずれも描かれた動物は生き生きと描かれ、感心してしまう。



他にも小さな社屋が沢山あり、その栄華を彷彿させる。7月19、20日は境内社の日御碕神社の祭りで8基の屋台や傘鉾が引かれる。また、最も有名なものは12月1日~6日の例祭(秩父夜祭)で大規模な祭りとして切手にもなっている。

神社は広く、イチョウなど木も茂り、その時代を感じさせる中々の神社で向かいにはちちぶ祭り会館もあり、その様子を一年中見ることができる。


早川駅(東海道本線)

2015-07-29 05:00:53 | 日記

鉄道シリーズ その112。今回訪れたのは東海道本線早川駅。小田原駅の一つ先だが、民間委託駅である。お隣の根府川駅同様、すぐ前が太平洋、その名前のとおりすぐ横を早川が流れている。

1922年12月小田原~真鶴開業に合わせて開業した。しかし、翌年9月の関東大震災で駅舎は崩壊する憂き目にあっている。かつてはみどりの窓口もあったが、2009年に業務委託駅となり今に至る。

駅舎は少し小高いところにあり、海側を見ると高架になった西湘バイパス、さらにその向こうは海となっている。山側を見ると大船観音を小さくしたような観音像が見え、その後ろを東海道新幹線が通っている。


駅を降りて海側に歩くてすぐ前に国道1号線が通り、渡るとカマボコや干物を商う店、魚屋などが並ぶ。


その先はもう早川漁港(小田原漁港)である。四角に護岸された中に漁船がたくさん停泊しており、市場もすぐ横にある。早い時間には一般の人も魚が買えるようである。


防波堤まで歩くと先の港を示す灯りが小田原提灯の格好をして中々面白い。


駅に戻ると駅舎のあちらこちらにツバメが巣を作っているようで沢山飛び交う。この時期、もうヒナも大きくなり、どれが親だか、どれが子だかも分からなくなっていた。それにしても海沿いの日差しはきついなあ。


ぐいのみ 大(再訪)~大塚ぐるめ

2015-07-28 05:00:54 | グルメ

『大塚の居酒屋にハズレなし』は経験値として小生が考えたことばである。しかし、いかんせん小生の家からは結構遠く、わざわざ行くならつい浅草や四谷三丁目に足が向いてしまう。しかし、たまには河岸を変えてと今日は大塚の『ぐいのみ 大』にお邪魔する。

大塚駅から天祖神社に向かって坂を登り、同じく名店の『みや穂』の前を通り、ワンブロック先。前を都電が走る風景は中々渋い。

店はこじんまり、前来たのは寒い時期なのでハマグリのお汁が突き出しに出たが、今日はカボチャの仲間の『コリンキーの塩こぶ和え』『魚の肝と真子の煮物』『なすの煮物』の3品が突き出し。ビールはハートランドの生ビール。煮物はいずれも秀逸、特に茄子は油で炒め、煮てあり肴になる。しかし、発見はコリンキー、生で薄切りにしたものを塩こぶに和えただけだが、その食感が面白い。まさにコリンキーという感じである。


次にコチの刺身が登場、ネットリ感が独特の白身で身に味がある。これには王禄の超王禄を合わせる。最初からやや重めだが、コチにはぴったり。

次に揚げたて厚揚げが登場。カリカリとフアフアの共演、ネギと大根おろしに醤油一差し。中の豆腐が甘いし、周りの香ばしさもいい。単なる厚揚げと侮るなかれである。


いよいよ、この店の名物鳥唐揚げが登場、酒は少し夏を意識して陸奥八仙。青い瓶が涼しげ。唐揚げはカレー塩を付けて食べるが、鳥も中はフアフア、熱いのにほうばってしまう。酒の酸味が中々いい。

箸休めに梅たたきとおからを注文。こうした脇役も美味い。梅たたきの酸っぱさ、おからの甘さを感じながら、次は小左衛門のうすにごり。


さらにしらすオムレツは中々のボリューム、バターと日本酒が合うのにはビックリ。もう少し行くかを迷い、少し帰り道が遠くなったので、今日は家路に。

オリジナルの酒器も面白い。また、従業員も感じがよく、気持ちの良い店である。しかし、小生も酒が弱くなった、かな?


誕生日に考える

2015-07-27 05:00:44 | 日記

今年もまた57回目の誕生日がやってきた。いつも誕生日のブログは書く事に困るのだが、7月27日という日は冒頭の写真のように『すいかの日』らしい、ただ、小生はどうもこの果物は苦手なのであまり関係ない。生まれてから7月27日は田中角榮が逮捕された日(1976年)、バルセロナ五輪で岩崎恭子が金メダルを獲得した日(1992年)、ロンドン五輪が開催された日(2012年)くらいしか大したイベントはない。

一方、57歳に注目するが、正直もう数年前から誕生日はめでたくもないと思うようになってきた。つい先日、慶応義塾大ラグビー部元監督上田昭夫氏が亡くなっていたが、まだ、享年62歳すなわち5年しか違わないことに驚く方がインパクトが強い。あのラグビー部創立100周年で優勝したことが昨日のような気がするからだ。


満57歳というが、最近亡くなった人の中で意外に57歳で亡くなる人が目につく。例えば一昨年に亡くなった18代目中村勘三郎、声楽家の中村啓江、元阪神投手の小林繁、そしてつい先日亡くなった任天堂社長の岩田聡(敬称略)。もちろん、新聞の黒枠を見ていても大多数は70代以上の人々だが、決して他人事ではない年になってきたことを認識せざろう得ない。

別に悲観主義者ではないが、現実に目を背ける訳には行かない。やはり誕生日は一つの区切りであり、これからはさらに毎日を精一杯生きるつもりで過ごそうと自覚する日にしなくてはとふと思う今年の誕生日である。
同年代の人に縁起でもない、と言われそうな誕生日のブログだが、まあ、これからも取り留めもないことを書き連ねていく積りである。毎日更新がいつまで続くか分からないが、是非ご愛顧をお願いします。しかし、きのうのメッセンジャーは良かった。

雨の切手

2015-07-26 05:00:48 | 日記
切手シリーズ その48。切手の話もややネタ切れ気味だが、今回は『雨』をテーマにした切手について調べてみた。

以前も『雪』の切手を調べたことがあるが、あの有名な国際文通週間切手『蒲原』(1960年10月)を始め、近代美術シリーズ切手第9週の岡鹿之助の『雪の発電所』(1981年2月)など雪をテーマにした切手は数多いが、一方、雨は図案になりにくく、関連する切手が本当に少ない。

最初に雨をテーマにした切手としては1958年切手趣味週間の『雨中湯帰り/鳥居清長』があげられ、その絵の中にはっきり雨が描かれている。しかし、この切手は別な意味でも有名。切手趣味週間の記念切手の発行枚数だが、こ存じの『月に雁』(1949年)は200万枚、1957年の鈴木春信『まりつき』が850万枚に対し、いつも人気がある趣味週間シリーズだからと2500万枚も発行してしまった。

しかし、いくら人気があるとはいえ、前年の3倍近く発行したため、売り切れどころか、中央郵便局郵便普及課に長い間売れのこり、評価も低迷、今でもカタログ価格でも1枚80円と安い。なお、次の年の切手趣味週間『浮世源氏百景』は1500万枚と発行数を減らした。(カタログ値・月に雁13000円、まりつき340円、浮世源氏百景240円)まあ、これで事なきを得たのだが。

次に雨をテーマにした切手が出たのは30年後の1988年5月の奥の細道シリーズ第6集、『五月雨を集めて早し最上川』の句の切手である。よく見るとちゃんと雨が描かれている。

3回目は2001年10月発行の国際文通週間の広重作『東海道五十三次 大磯』である。虎の雨とも評されたこの作品には雨の宿場町が描かれている。

しかし、雨の図案ではないが、何と台風が描かれた切手がある。それは1999年~2000年にかけて17集に渡り発行された『20世紀シリーズ』の第10集(2000年5月発行、1959~1964年)であり、何と伊勢湾台風が取り上げられている。

ではその図案だが、何と当時の天気図、お題を貰ったデザイナーの苦労がしのばれる作品である。まさか、台風の影響で家を流されたり避難する姿は切手の図案にはならないだろうが、天気図を切手の図案とするとは、よく考えでもかなり精神的な部も酒の呑んでまあ、逆にその位インパクトのあった台風だったのかも知れない。

朝顔

2015-07-25 05:00:20 | 日記

朝顔ほど古くから改良し続けられ、多種多用に変化してきた園芸植物はない。そして、日本人は幼稚園か小学校で必ず育て、観察日記を書くため、その生態を知らない人はたぶん殆どいない。先日訪れた伝通院や浅草などの朝顔市は有名である。

しかし、種から育てでも中々思い通りにならないつる性の植物で上手く育ったかと思いきやツルばかり伸びて花が咲かなかったり、水やりを忘れて枯らしたりと毎年苦労する。

今年は思い切って、行燈仕立ての鉢を農協で購入して毎日せっせと水をやっている。

3本仕立てのため、3種類の花が咲くはずだが、今日は2つ、薄いピンク色と薄い水色の涼しそうな花を付けた。西洋朝顔の濃いブルーも悪くないが、和風のおとなしい色はいい。

会社に行く道すがらも赤に白の線が入ったもの、鮮やかな紫色のものなどがその艶やかさを競っている。因みに今まで朝顔の花を作ることが難しい色は黄色と黒らしい。言われてみれば黄色の朝顔は見たことがない。

毎朝を少し楽しくしてくれる朝顔、ただ、ツルをどこで切ればいいのか、いつも悩むのである。最後に今部屋にかけてある手拭いの朝顔、中々絵になる植物である。

水潜寺

2015-07-24 05:00:48 | 日記

『古刹を巡る』その35。霊場巡りは四国八十八ヶ所がもっとも有名だが、それに次ぐものとして西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所が知られており、この合計で100ヶ所となることから百観音とよばれている。その結願の寺が秩父三十四ヶ所目の札所日沢山水潜寺(埼玉県皆野町)である。


水潜寺は秩父の中心部からは車で30分くらいの山深いところに位置する。本尊は一木造り室町時代作と伝えられる千手観音菩薩である。

車で行くと『満願の湯』という温浴施設の少し先にあり、道幅が狭くなりやや不安になり始めた辺りに山ふところに抱かれて左側に駐車場がある。


そこから参道入口まで数分歩き、川の流れに沿って5分くらい歩くと観音堂(本堂)がある。


その隣には納経所(讃佛堂)、百観音結願堂があるが、とにかく静かなところで水の流れる音が心地よい。参拝すると本当に落ち着くが、結願の寺だけに巡礼を終えた人が金剛杖や輪袈裟が満願の札と共に供えてある。


結願堂の先は坂になり、千手観音像を始め三十三観音像が並んでおり、その脇にはヤマユリが美しい花をつけている。

実は小生も今から8年前に百観音の結願のため訪れたが、それからあたかも時が止まるように何も変わっていなかった。


秩父札所三十四番 水潜寺
埼玉県皆野町下日野沢3522

帆船の切手

2015-07-23 05:00:02 | 日記

切手シリーズその47。今週の月曜日は海の日であったが、海の日(海の記念日)には今まで2回切手が発行されている。最初は1965年7月20日に第25回海の記念日の記念切手が出されている。しかし、1996年7月に国民の祝日として海の日が制定された記念切手が改めて出されたのである。


しかし、これ以外にも船の図案の切手は他にも数多く出されている。その中で帆船に絞ってみても多いので、船シリーズ(1975-1976)を除いて探してみる。

もっとも古いのは第一次昭和切手の5厘の通常切手『朱印船』で1937年11月に発行されている。もちろん、最低単位であり、第二次昭和切手からは最低単位が1銭となったため、最後の5厘切手である。

記念切手では1959年10月発行の国際文通週間切手・『桑名』(安藤広重)である。このシリーズは1958年に東海道五十三次『京師』から始まり、第二弾が『桑名』、その後『蒲原』『箱根』『日本橋』と続いた人気シリーズである。

次は日米修好条約100年記念で1960年5月に出された『咸臨丸』である。正確には蒸気船だが、しっかり帆も張られている。

やはり浮世絵だが、1972年11月に『税関百年記念』の切手の『海岸通異人館』(三代目広重)にも帆船は描かれている。


1980年5月には練習帆船日本丸・海王丸50年記念、1986年7月には商船教育110周年記念とあまり発行意図の分からない切手が出されている。

他にも1989年4月にはオランダフェスティバル89記念の切手が出された。これは日蘭修好380周年を記念して長崎で開催されたものである。
また、ふるさと切手では茨城県から1997年9月に霞ヶ浦の帆引船の図案の切手が出されている。

やはり、日本は四方を海に囲まれているためか、図案の美しさなのか、数多くの帆船の図案が切手に用いられているのが、よく分かる。

三越本店を探訪

2015-07-22 05:00:12 | 日記

三越本店にはいろいろなものが詰まっている。なにしろ創業は1673年、今の建物が建設されたのが1914年、一部関東大震災で被災したが、1927年に復興した。さらに1935年に増改築して今の姿になった。つまり、建物自体は100年を超えていることになる。

ネオ・ルネサンス建築でなんと5階まで吹き抜けという贅沢な造りとなっている。

アーチ状の天窓からは自然光が照らし、バルコニーが周りを囲み、アールデコ風のデザインが目につく。1999年には都選定歴史的建造物にも指定されている。



玄関には2頭のライオン像が狛犬のように置かれ、その上にはマーキュリー像があるが、戦時下ライオン像もマーキュリー像も金属供出のため失われ、今のマーキュリー像は1972年に復元されたものである。

中に入ると天女(まごころ)像、1960年に佐藤玄々が創立50周年を記念して建立した。まるで紅白歌合戦の小林幸子のような像である。


パイプオルガンがその後ろにあり、1929年にアメリカから輸入されたもの。カーテンの後ろには852本のパイプが備え付けられている。金、土、日は昼過ぎに優雅な演奏があり、中々の音色である。

ついでに、その辺りの床や柱などの大理石をよく見るとアンモナイトの化石、はっきりとその姿が確認できる。

そしてシャンデリア、まるでお城にあるようなシャンデリアが1階には幾つも惜しげも無く下がっている。

エスカレーターは日本初というのは有名だが、エレベーターも高島屋東京店同様に中々の風格である。

いや、殆ど博物館のような日本橋三越本館、さらなる探検をしてみたい。