『東京の坂、日本の坂』その226。上野駅界隈の坂道②、エレベーターで上野公園に入ると正面に清水観音堂。
上野寛永寺は天海が開山した徳川家の菩提寺であり、当時の年号を取り、寺の名前とした。面白いことに京都を模して作られ、不忍池が琵琶湖、弁天堂が竹生島、清水観音堂は清水寺、根本中堂は比叡山延暦寺などよくできている。清水寺の様に舞台造となっていて初めはすぐ近くの摺鉢山の上に作られたのだが、根本中堂建設にあたり、1694年に移築された。
ご本尊は千手観世音菩薩像で恵信僧都源信作と伝わる。
また、舞台の前には月の形をした松が設えてあり、願い玉を投げてこの輪の中を通ると願いが叶うと江戸時代から伝わっている。歌川広重作の江戸名所百景にもこの松は描かれている。
横の石段が『清水坂(きよみずさか)』、近くに清水坂(しみずさか・都立上野高校横)もあるから間違えやすい。
階段を降りて見上げると舞台造りがよくわかる。周りを見渡すと外国人観光客ばかり、日本とは思えないほど。
そのまま階段を降りて不忍池の方に向かう。こちらは露店も並び観光地ムード。八角形の弁天堂があり、まわりにはたくさんの慰霊碑や石碑が並んでいる。
一つずつ見て回ると『ふぐ塚』『鳥塚』『包丁塚』ほかにもたくさんある。もう蓮の葉も枯れて夏とはまた違った趣がある。弁天堂にお祈りして左に曲がる。
少し行くと右に上り坂が分かれるが、これが『忍坂』。五條天神社の参道ともなっている。秋のやや斜めになった日差しの中を歩くが、振り返ると眩しい。左側に時の鐘、芭蕉の名句『花の雲鐘は上野か浅草か』の鐘である。
さらに行くと左側に花園稲荷がでてくる。京都の稲荷大社同様、たくさんの鳥居がならんでいるが、鳥居をくぐり出てきた急な石段が『稲荷坂』である。
近くの『韻松亭』にはたくさんの外国人が詰めかけ、さらに上野精養軒の入口もある。パゴダの横には上野大仏。元は6mの釈迦如来坐像だったが、関東大震災で被害を受け、仏頭が落ちてしまった。
さらに再建に備えて寛永寺で頭と胴体は保管されていたが、戦時中の金属供出のため、顔面を除き持ち去られた。しかし、現代になり、受験生が『これ以上落ちない』と合格祈願をするために参拝する様になり、人気が復活している。
上野公園にきたら『西郷隆盛像』に行かねばと足を伸ばす。背景のイチョウが黄色く色づき、美しかった。こちらも周りにはインバウンドの人ばかり。敬天愛人を知る人は何人いるのであろうか。
お隣の『彰義隊の墓』にもお参りし、帰途についた。