hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

百万石〜柳橋ランチグルメ

2024-03-31 05:00:00 | グルメ
浅草橋駅近くでランチタイム、特に店を想定していなかったため、ウロウロ。柳橋近くの佃煮屋さんに買い物をしようと駅前の信号を反対側に向かう。あまり来たことがない場所をウロウロ、釜飯屋やラーメン屋などが並んでいる中、クラシカルで間口の広いトンカツ屋さんを発見、お店に入る。



中は4人席が2つ、あとはカウンター、私はカウンターの真ん中に座った。ご主人はこの道50年と言った小柄なおじいさん、お茶を入れてくれたのは奥様のようである。

メニューをみるととんかつ定食、盛り合わせ定食(ヒレカツ、魚フライ、メンチカツ)、プルプル定食(豚生姜焼き風)、魚フライ定食、小海老フライ定食などが900円、ハンバーグ定食、かつ重定食が850円とリーズナブルである。今日はカツ重にしてみた。

お店の奥を見ると中庭があり、石を組んだ枯山水造りとなり、さらに奥には座敷と風流な造り。目の前はまるでオープンキッチンでご主人の調理がよく見える。注文は私以外は皆とんかつ定食、これはとんかつのほか、ご飯、味噌汁、漬物、小鉢(煮物)がつく。

見ていてすぐに分かったのはとんかつ定食はカツを揚げ、切って、さらに載せるだけですぐに出される。しかし、私のかつ重は揚げたてのカツを煮て、卵をかけ、しばらく煮てこれをお重のご飯に載せるのだから手間がかかり、すぐには出てこないのである。

それでも7、8分でカツ重は出来上がり、漬物と煮物も到着。そこでこのお重を写メに撮る。ご主人はおもむろに『お重は蓋を開けないとわからないよ』と突然話しかけてきた。私が同意して蓋を取り再び写メを撮ると、『この姿がいいんだよ』、実に気さくなご主人である。

作っているのを見ているから分かっているが、カツ重でもよく煮込んだかつ煮をご飯に載せるタイプでよく馴染み味が染みて美味い。味付けも見た目ほど濃くなくいい。

また、慌てて奥さんが出してくれた味噌汁の具はしじみ、貝は4つあったが中身があるのは2つ。しかし、貝のエキスが出ていていい味である。



煮物はさつま揚げ、筍、ほうれん草。特筆すべきはお漬物、大根ときゅうりの浅漬けだが、糠の香りが爽やかで美味かった。

食べ終わり、会計をしたあとお庭を見せていただいていいかを聞くと、襖を開けてどうぞと言ってもらった。『これは私の親父が作ったもので、私は引き継いだだけです。』とのこと。なるほど、かつての花街である柳橋にあっただけのことはある、立派な洋食屋さんであった。ご主人も奥さんもいつまでもお元気で。ご馳走さまでした。

百万石
台東区柳橋1ー12ー12
0338511361

関東三十六不動尊巡り⑥〜目白不動尊

2024-03-30 05:00:00 | 霊場巡り
関東三十六不動尊巡り⑥、今回は第14番札所目白不動尊をお参りした。目白不動尊の正式名称は神霊山慈眼寺金乗院で真言宗豊山派のお寺である。実は私の義両親の墓があるお寺からほど近く、お彼岸に墓参りをした後、伺った。

目白不動尊と言えば江戸五不動(目黒、目白、目青、目黄、目赤)の一つである由緒あるお寺であるのだが、元々この不動尊像はこの寺にあった訳ではない。二代将軍秀忠の命により奈良の長谷寺の本尊と十一面観世音像を関口台(文京区関口)に新長谷寺を建立。



さらに三代将軍家光は当山の本尊断臀不動明王に目白の名を送り、五色不動の一つとした。このため、関口周辺を『目白台』と呼ぶようになった。しかし、太平洋戦争で全焼、この金乗院に遷座することとなったのである。

断臀不動明王像は弘法大師作と伝わりられ、かつては50年に一度開帳される秘仏であった。その縁起によると弘法大師が湯殿山に参籠された際に大日如来が現れて不動明王の姿に変じ、大師に『この地は諸仏内証秘密の浄土なれば有為の穢火をきらえり。故に凡夫登山する事かたし、今汝に無漏の浄火を与うべし』といわれた。

持っていた剣で左側の臀を切ると、霊火が盛んに燃えいでて、仏身にみちあふれた。その姿を2体に刻んで1つを同国荒沢に安置、もう1つを自ら護持した、というものである。



金乗院の山門は江戸時代(約200年前)建立されたもので屋根部分は焼失したものの、全焼は免れた。これを1988年に修理したもので、立派な外観を誇る。

境内に入ると右手に本堂、本尊は金銅仏の聖観音像。お堂は1945年4月の空襲で全焼し、1971年に再建されたものである。
その前には『倶利伽羅不動庚辛』、1866年に建てられた不動明王の法形を表した庚申塔で姿は珍しいものである。



階段を上がると不動堂、お堂の奥にパンフレットの表紙と同じ不動明王像。たしかに右手の下に炎が出ている力強いお像。



5月と10月の各28日には開帳されるとのこと。ぜひ実物に手を合わせて見たいものである。

キッチンサウザ〜人形町ランチグルメ

2024-03-29 05:00:00 | グルメ
人形町にはかつて色街であった名残なのか洋食店が多い。名店といえば『芳味亭』『そよいち』、明治創業の老舗は『小春軒』『来福亭』『日勝亭』など数多くある。しかし、庶民的といえば本日お邪魔した『キッチンサウザ』を私は挙げる。

この店に入るとかつて東京の学生街に数多くあった『キッチンジロー』を彷彿させるが、実はこの店も元はキッチンジローであった。しかし、キッチンジローは2020年に15店舗のうち13店舗を閉鎖、今東京には九段下1店舗のみ(もう1店は大阪・中之島)しかない。



今もランチメニューにはハンバーグとメンチカツを中心に①ハンバーグとミルクコロッケ(これはキッチンジローからの伝統でクリームコロッケのことを指す)、②ハンバーグとスタミナ焼、③メンチカツとカラアゲ、④メンチカツとスタミナ焼、⑤カラアゲと魚フライの5つが800円。

他にもカキフライ、エビフライなどを組み合わせた典型的な街の洋食屋さんのメニューが並ぶ。3年前には750円だったのだから50円は値上げされていた。前回は③を食べたので今回は④にしてみた。
待つ事しばし。その間もお弁当を求める人がひっきりなし、コンパクト弁当(コロッケとおかず)580円が人気だが、色々好みを言うこともできる。そのうち私のランチも到着。



メンチ+スタミナ焼のほかに豚汁、ご飯が付いてくる。まずは豚汁、前回訪問時にはごぼうと大根ばかりが具の豚汁と書いたが、今回はちゃんと豚肉も入っている。寒い時にはやはり豚汁がありがたい。

スタミナ焼は少しニンニクを効かせた甘めのタレで豚肉とタマネギが炒められている。これはご飯に合う。気をつけないとこれだけでご飯を食べ終えそう。また、スタミナ焼のタレが沁みたキャベツの千切りもいい。


メンチカツは大きく、薄い。これはジローゆずり。辛子ととんかつソースをたっぷり掛けて割ながら頂く。ご飯にもビールにも合う旨さ。気がつけば完食してました。懐かしく、庶民的な洋食は捨てがたい旨さがある。ご馳走さまでした。



キッチンサウザ
中央区日本橋堀留町1ー5ー7
0336649728

『ワクワク』『はらはら』の狭間で〜阪神ファンの戯言

2024-03-28 05:00:00 | 阪神タイガース
阪神ファンは小心者が多い。これは特に関西人が気が小さいからではない。私がタイガースを応援し始めて60年近くなるが、裏切られた記憶はあるが、安心して応援できたためしはない。私が気にしているのは『阪神は優勝の翌年はスタートで躓く』ということである。しかし、新聞各社の順位予想では阪神が優勝の声が高い、こんな年が一番怖いのである。

今から38年前、1986年。前年は2リーグ制になって初めて日本一になった1985年の翌年、当時の阪神タイガースは投手力というより、打撃力が売りのチームであった。

前年日本一を受けて満を持してのシーズンであったが、①センバツがあるため、アウェイ開催、川崎球場で大洋(現、DeNA)と対戦、しかし3連敗してしまう。②主力の掛布が4月20日に死球で右手首を骨折、前半戦を棒に振る、③前年にストッパーの一角を占めた中西と先発の柱ゲイルの不調、そのうち野手も含めて故障者続出で4月は4位、その後も3位より浮上することもなく、勝率.500(60勝60敗)でシーズンを終えた。

特に気になるのが開幕4連敗、加えて補強を柏原(日本ハム)くらいしか行わなかったツケが回ったと他球団からは見られた。続く1987年は4月から最下位を独走?、終わってみれば41勝83敗、勝率.331、首位とのゲーム差が37.5ゲームと散々なシーズンとなり、吉田監督はクビとなってしまったのである。この先もダメ虎時代が続いたのはご存知のとおり。

もう一つ気にしているのが、2022年シーズン(矢野監督ラストイヤー)である。この時はオープン戦は好調で8勝4敗3分であったが、開幕投手青柳がコロナに罹患、藤浪がヤクルト戦に先発。7回3失点で纏めるが、中継ぎが崩れる。

さらに来日したばかりのケラーを投げさせたがHR2本を打たれるなど、7点差を逆転され、10対8で敗れた。

この敗戦は後を引き、開幕9連敗、さらに西で1つ勝つが、その後再び5連敗と散々なスタート。3、4月は9勝20敗とまさに出鼻をくじかれた。終わってみれば3位、しかし、クライマックスシリーズは横浜が相手だったが、1stシーズンを勝ち越した。思い返せばそれほど酷いシーズンでもなかったが、矢野監督は退任に追い込まれた。

何がいいいたいのか、まずはスタートダッシュの重要性、特に2022年シーズンはスアレスが抜けた穴が埋めきれないだけでなく、実績のない若手の中継ぎばかりの一軍スタートであったため、歯止めが掛からなかった。



1986年シーズンで5番打者だった岡田監督は2005年優勝後に連覇を逃した2006年は監督として悔しい思いをしているので、当時の失敗を忘れてはいないだろうが。
ただ、今年も補強は外国人を行なった程度(トレードで入団したのは現役ドラフトの漆原投手のみ)、さらに主力打者の大山、近本がまだ故障が癒えていない中でどのように阿部巨人と戦うのか。阿部監督も去年の反省の上でコツコツ点を取ってくるのではないか。気になるところである。

私にとってははっきり言って『ワクワク感』は僅かなもの、殆ど『はらはら感』の球春到来である。

最新式がいいのだろうか〜立喰うどんの一考察

2024-03-27 05:00:00 | グルメ
立喰そばのヘビーユーザーではあるが、JR系の『いろり庵きらく』の進化には驚かされる。りんかい線国際展示場駅にあるお店に11時頃入ろうとした。当然、外には券売機があり、タッチパネルで食券を買う。JRダイナー傘下の店なのでPASMOやSuicaも使うことができる。



今日はうどんでも食べようと『たぬきうどん』のボタンを押すと食券が発券され、番号が付いている。店に入ると『空いた席にお座りいただき、お待ちください』と従業員の方に言われ、お冷を汲んで席で待つ。

すると上の方に設置されているモニターに番号が出て、同時に従業員の人が番号を呼ぶ。

カウンターに行くとたぬきうどんと振りネギが用意されていてこれを取り席に着く。食券は入れ物があり、これに入れる。この間、一言も言わない。



今、小諸そばでも富士そばでもおばちゃんに食券を渡し、『うどんなの、そばなの』とか『温かいの、冷たいの』とか聞かれてカウンターでは『お待たせしました』と言われてそばが提供される。これが当たり前と思っているとやはり驚くし、まごまごする。

出てきたたぬきうどんは普通の味、揚げ玉は市販品、ネギは早く切りすぎたのか、乾燥気味。何となく味気なさを感じた私がおかしいのだろうか。これだけ省人化しても特に安いわけでもなく、520円だった。

こんな雰囲気だからやはりうどんもあまり美味くない。誰が悪いわけではないが、未来の立喰そばはつまらないところになりそうな気がした。最近は店に入っても机の上にQRコードの紙が置かれ、これをスマホで読んで注文するのが普通になってくるなど、省人化はいいが、私にとってはやはり店の人にお金を渡し、蕎麦を受け取る今の方がはるかにいい。まあ、ともかくご馳走様でした。
いろり庵きらく 国際展示場駅店
江東区有明3ー7ー3
08043763844

麻布十番付近の坂道④

2024-03-26 05:00:00 | 坂道
 『東京の坂、日本の坂』その202。麻布十番付近の坂④。くの字に曲がった潮見坂を降り切り、次の道を左に曲がると目の前に坂道が現れる。



これが『於多福坂』、面白い名前で初めはきつい上り坂、これが一旦緩くなり、再び先に行くときつい上り坂となる。これが於多福のお面のようだからと付けられた名前とのこと。




於多福のお面が急角度の上り、緩斜面、また急角度のの上りがどこを指すのかはあまりうまく想像できないが、参考までに図を描いて考えてみた。

坂の上まで上り右に曲がる。高速道路の並行してある坂が『永坂』。更科そばで有名な永坂更科の工場がある。麻布通りからそのままっすぐに麻布台に向かって坂は伸びる。



名前の由来は案内板によると『麻布台から麻布十番に下る長い坂だったために(この名前が)ついたと言われている。長坂氏がそばに住んでいたとも言われているが、確証は得られていない。』案内板は坂の上と坂の下の2ヶ所にある。



永坂を下り、新一の橋交差点に向かう。向かい側に渡り右に曲がると通りから何本も坂が下っている。

神座というラーメン屋の手前左に行く短い坂が『すべり坂』、今は勾配が緩く、あまりすべりそうもない。

次の道が『あひる坂』、ちょうど鳥居坂の延長線にある。麻布付近には狸坂、狐坂、いたち坂など動物の名前がついた坂道が多い。この坂もその一つだが、由来はよくわからない。(以下、次回)

春だ!春盛りそばだ!〜小諸そばの楽しみ方

2024-03-25 05:00:00 | グルメ
いよいよ立春、今年も小諸そばの春盛り蕎麦の季節がやってきた。立喰そばの中では小諸そばは季節によって趣向を凝らしたメニューを提供してくれるが、この春盛りそばはいつも楽しみにしている。


昨年は確か『桜エビと白魚のかき揚げ、筍の天ぷら』があしらわれたメニューだったが、今年は『さくらマスの天ぷら、桜エビのかき揚げ、筍の天ぷら、菜の花』と少しバージョンアップ(とはいえ昨年に比べてかき揚げが小さくなってはいるが)している。まずは天ざる仕様の春盛り天せいろ(590円+1.5人前のそば50円)から頂く。ただ、残念ながら値段も560円(普通盛り)から30円値上がりはしている。

せいろに蕎麦の大盛り、天ぷらの皿、ツユがお盆に乗って出てくる。天ぷらが3つものり、ちゃんと大根おろしも添えてある。

ツユにわさびとネギを入れ、蕎麦から頂く。小諸そばは喉越しがよく、せいろで食べると茹でたての美味さを感じる。


天ぷらは残念ながら冷えていて、そのおかげかもしれないサクラマスはやや生臭さが出てしまっていた。かき揚げはパリパリで美味い。

3つも天ぷらがあると蕎麦が足りなくなるくらい。食べ終わるとポットに入った蕎麦湯を蕎麦猪口に入れてゆったり。なかなか美味い。

次の日はかけそばバージョンの春盛りそば。値段はこちらも590円、かけそばにサクラマスの天ぷら、筍の天ぷら、桜エビの小ぶりなかき揚げに茹でた菜の花が添えてある。

たっぷりのネギと七味唐辛子を掛けて頂く。熱くしたからかサクラマスが美味い。鮭に似た味の切り身はそばによく合う。筍も穂先の小さな天ぷらだが、春を実感。もちろん桜エビのかき揚げも堪能でき、おつゆまでしっかり頂きました。

天ぷらが冷えている場合はやはりかけそばに軍配が上がるかな。いずれにせよご馳走さまでした。
小諸そば 小舟町店
中央区日本橋小舟町14ー12
0337673077

都営大江戸線スタンプラリー⑤

2024-03-24 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その231。都営大江戸線スタンプラリー⑤。清澄白河駅は東京メトロ半蔵門線との乗り換え駅。



陸上に上がるとすぐ前に清澄庭園があるが、これと東京現代美術館がスタンプに描かれている。東京メトロのスタンプもやはり清澄庭園である。


門前仲町駅は東京メトロ東西線との乗り換え駅である。今年の東京マラソンでは折り返し地点にもなり、富岡八幡宮の門前町である。スタンプの意匠は富岡八幡宮とその境内にある伊能忠敬像である。

伊能忠敬はこの近くに住居があり、また、測量に全国を歩くにあたり、必ず富岡八幡宮にお参りを欠かさなかったことから測量を始めて200年目の平成13年に境内の鳥居近くに像が建てられた。






一方、東京メトロのスタンプは深川不動堂、関東三十六不動尊の一つにも数えられる。深川不動堂は成田山東京別院の位置付けにあるが、元は成田山新勝寺の出開帳が永代寺(廃仏毀釈で廃寺)の境内で行われていた。



深川不動堂と富岡八幡宮の関係は永代寺が富岡八幡宮の別当という位置付けである。

月島駅は東京メトロ有楽町線との乗換駅である。全国的にもんじゃ焼きが有名だが、スタンプももんじゃ焼きと佃煮の店が描かれている。


東京メトロの方は鉄板の上でもんじゃ焼きが焼かれている様子が描かれている。(以下、次回)

吉そば〜日本橋ランチグルメ

2024-03-23 05:00:00 | グルメ
立喰そばのチェーンと言えばやはり『富士そば』『小諸そば』『嵯峨谷』が大手、店数を大幅に減らした『梅もと』『六文そば』、どうもなくなってしまった『岩本Q』など色々ある。

その中で東京の中心部を歩いているとよくあるのが『吉そば』。店舗は銀座本店以下、赤坂、渋谷、西新橋、四谷、中目黒、日本橋など全部で11店舗ある。HPを見ると創業124年とか、歴史もあり、無化調を守るお店である。

昼食を食べ損ねて14時半頃、日本橋室町を歩いていたら縦長の大きな吉そばの看板を発見、店内に入る。先客は1人いたが、すぐに退店、私1人になった。入口すぐのところに向かう合わせで置いてある券売機で『かき揚げそば』(520円)のボタンを押して、食券をカウンターに出す。おじさんに『温かいそばでいい』と聞かれ、『お願いします』と返答する。

最近は湯切りを機械でやる店が増え、さらに提供が早くなった。カウンター越しに蕎麦を受け取り、両サイドにまだアクリル板が付いている席で七味唐辛子を振りかける。

まずは蕎麦を一口、立喰そば独特の茹でそば、ぼそぼそしておらずいい感じ。もちろん藪や砂場のキレのいい手打蕎麦も好きだが、茹でそばも悪くない。

かき揚げはスライスした玉ねぎが中心で青みは春菊が混ぜてある。カチカチではなくふんわり揚げてあるため、ツユが染み込みやすいが、固いままもふやけた感じもいずれも美味しい。

ランチならはいなり寿司などとセット(その場合は650円)と10円お得になる。ただ、遅い時間に食べると夕飯が食べれなくなるのでそばのみで我慢する。



おじさんはランチで売れた分のかき揚げと春菊天を作っていた。店内滞在時間7分、日本橋店は椅子はないが、新しく清潔なのがいい。ご馳走さまでした。



吉そば日本橋店
中央区日本橋室町1ー13ー1
0332795298

関東三十六不動巡り⑤〜宝仙寺

2024-03-22 05:00:00 | 霊場巡り
関東三十六不動尊巡り⑤、今回は15番札所宝仙寺に伺った。正式には『真言宗豊山派明王山宝仙寺』、東京メトロ丸の内線中野坂上駅で下車をし、青梅街道を荻窪方面に5分ほど歩くと宝仙寺の信号が出てくる。これを渡ると山門前に到着する。

宝仙寺の由来は平安後期に源義家により創建された。義家は後三年の役で奥州を平定、帰途に陣中で護持していた不動明王像を安置するために建立をしたものである。





境内の入口には山門、仁王像が2体納められ、睨みを効かせている。境内に入ると石碑があり、『中野町役場跡』とある。ここに明治28年から昭和初期まで区役所があった。



すぐ目の前には三重塔、もとは寛永年間に今の第十中学の校庭に高さ24mの塔があり、江戸時代には名所であった。しかし、昭和20年の空襲で焼失、その後平成4年に法起寺三重塔を模した塔が再興された。なかなか立派な塔である。



本堂には不動明王像が安置されているが、これはお前立ちで鎌倉時代に作られたもの。本尊は鎌倉時代に秘仏となった。他に降三世明王、軍茶利明王、金剛夜叉明王、大威徳明王も合わせ、五大明王が安置されている。



御影堂は三重塔と同じく平成4年に作られたもので中には2.4mの弘法大師像が安置されていた。



境内は広く、整備されていて左側には広い墓地、その前に引導地蔵尊坐像が並べられ、そばの石仏は明和9年に作られたものである。

他にも多くの臼が山のように積まれた臼塚や鎌倉時代の無名五輪塔など歴史を感じさせられる碑が、あちらこちらにあり、ゆっくり見ているうちにあっという間に1時間くらい経ってしまった。