hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

下仁田散策〜井の頭五郎の足跡を探して

2018-05-31 05:00:47 | 日記

孤独のグルメで松重豊演じる井の頭五郎が歩いた下仁田の街にようやく到着。昼まで時間があるのでまずは彼が歩いた道を辿ってみる。駅は日本の駅百選に選ばれただけあり、クラシカルな雰囲気、なかなかいい。駅前にはバス乗り場と待合室があるが、タクシーが1台いるだけで人の姿は少ない。


駅にある地図を見てまずは左に曲がる。角に旅館、左に曲がるとラーメン屋のきよしやがある。どうも今日は定休日らしい。


中央通りに沿ってまっすぐ行くが道が狭くなり、軽自動車くらいしか通れない幅に。TVに出てきた撞球場、斜め前が元パチンコ屋、いずれも元は店だったような建物ばかりだが、果たしていつまで営業していたのだか、化石のようになっている。営業中なのは喫茶店、肉屋、酒屋くらいであった。


次の角を右に曲がると五郎が行ったすき焼きのコロンビアと中華料理の一番が並んでいる。しかし、『一番』は臨時休業の張り紙、わざわざやってきたのにとは思いつつ、多分たくさんの客が押し寄せたので店主もくたびれたのかなと『一番』のあのうまそうなタンメンと餃子は諦める。とにかくコンパクトなの町で全て歩いても10分足らずで街並みがなくなってしまう。

旅館のところまで戻り、川沿いまで出てまっすぐ行くとすこし広い道に出る。これを左に行くと橋が見えてくる。南牧川と鏑川の合流点であり、現れている岩が青い。


解説によると海底火山の噴出物や海底の砂泥が地下深く移動する際に強い圧力を受けることによりできたもの。中々珍しい風景だが、公園管理のおじさんが草刈りをしているだけで誰もいない。ただ、都会暮らしをしているとこういった誰もいない風景は中々楽しい。


元来た道を戻り、しばらく行くと左側に神社が見える。先程訪ねた富岡市にも諏訪神社があったが、実は戦国時代に諏訪神社を崇拝した武田氏が勢力を増してこの辺りを領地とした際に神社名を変えたと言われている。この社の創建は1830年代。明治以降に近隣町村の15社が合祀され、このあたりの総鎮守となった。特に社殿の多数の彫刻はじっくり見ると見事、また境内の400年を越す大ケヤキが立派である。


神社を出て下仁田駅まではほぼ一直線、時間を見ると11時40分、井の頭五郎のように腹が減ったので店を見つけることにした。

上信電鉄上信線(3)

2018-05-30 05:00:57 | 鉄道

『鉄道シリーズ』その213。全線で35kmの上信線は高崎〜下仁田を65分程度で結んでいるが、上州富岡駅までで約40分、この先は無人駅が増えていく。次の高崎行きの車両は群馬県の公式キャラクター『ぐんまちゃん』のステッカーが貼られ、運転席の横にはぐんまちゃんのぬいぐるみが座っている。


私が乗る下仁田行はシマウマ風のラッピング、群馬サファリパークの広告車両、旧西武鉄道の150系である。

上州富岡駅を出ると駅間が徐々に長くなり、西富岡、上州七日市とまた麦畑の中を走る。スピードを上げてくれるのはいいが、車両が古いためか、保線が悪いからか、車体が縦に揺れる。

上州一ノ宮駅は有人駅で懐かしい屋根の駅舎が見える。この辺りから山が見えるようになってきて、難読の駅名が続く。


まずは『神農原』、『かのはら』と読む。有名なのはその次で『南蛇井』、大阪人が聞いたら驚く『なんじゃい』と読む。千平駅はかなり秘境駅という感じがしてくる。


そしてようやく次が下仁田駅、ところが千平〜下仁田は7分もかかる。また、途中で上下線が交換する場所があり、それほど長く停車もせずに交換していく。


左側には下の方に南牧川が流れ、尖った山が見えてくるともう下仁田駅も近い。因みに終点まで完乗したのは私ともう1人の中年のてっちゃんだけであった。

上信電鉄上信線(2)上州富岡駅付近

2018-05-29 05:00:32 | 鉄道

『鉄道シリーズ』その212。上州富岡駅はここを終点とする電車があり、折返し運転するため、ホームが3つある。ホームは目新しくないが、構内踏切を渡ってびっくり、世界遺産決定後に立て直したのか、周囲の駅とはまるで違う近代的な駅舎となっている。


また、駅前には立派な大谷石の石積み倉庫とレンガ積みの倉庫が迎えてくれるが、これは蚕糸や繭、米などを扱っていた富岡倉庫という会社が1900年に作ったもので、2年前までは現役であった。現在は富岡市が保有、新たな観光の中心にすべく、再開発を計画中である。

また、駅から富岡製糸場など観光スポットを巡る小さなバスが動いているが、今回は歩いて回ることにした。

時間もないので駅前からまっすぐ国道まで歩くが思いのほか人がいない。駐車場も完備されていて、案内の人は多いが、車は少ない。国道254号を右に曲がり、さらに富岡という交差点を左に行く。お土産物屋、食堂など沢山あるが、やはり店の人ばかり。


さらに突き当たりを右に曲がるといよいよ製糸場まで一本道。左右はさらに店が増えるが、中高年のカップル2組、小学生の遠足くらいで店によっては開けていないところすらある。


しばらく歩き、いよいよ製糸場の正門、今回は時間がなく、外から見学しただけだが、外人客もあまりいない。ブームは冷めやすいのか、盛り上がってはいなかった。


それから街をぶらぶらと歩く。上町の方に行くと昔ながらの店が並んでいていい雰囲気ではあるが、レトロな喫茶店富士屋飲食店も閉店した旨の張り紙が出ていたり、店は開けていない店も多く、また、世界遺産を当て込んだ新しい店も結構for rentの看板がかかっている。

国道254号まで戻り、また、上州富岡駅を目指す。途中に諏訪神社、なぜか前が空き地になっていたが、その奥の拝殿にお参りする。狛犬の下には植えてあるのかピンクの花が沢山咲いている。

駅に戻り、次の電車まで20分程あるのでベンチに座り、時間を潰す。近くにおばあさんが1人静かに座っていたが、乗合タクシーから連れのおばあさんが降りてきて話し始める。ここまでどうやってきたか、また、知り合いの話を大声でしているが、耳が遠いのか、すこしボケているのか話が全然噛み合わない。まるで漫才のような会話を聞くとはなしに聞いていた。ようやく出発時間が迫り下仁田行のホームには乗客は私を入れてわずかに二人、上州富岡駅から先に行く人は少ないようである。(以下、次回)

上信電鉄上信線(1)

2018-05-28 05:00:22 | 鉄道

『鉄道シリーズ』その211。今回は群馬県高崎駅を起点とする上信電気鉄道に乗ることにした。創立は1897年と日本で2番目に古い老舗鉄道会社である。

JR高崎駅の改札口を一旦出て、階段を降り、立ち食い蕎麦屋の横には次発車の時刻の掲示板、これを左に曲がると0番線の上信電気鉄道上信線の高崎駅がある。

今日は下仁田駅まで往復しようと考えているため、窓口で1日乗車券(2220円)を購入。実は高崎〜下仁田の運賃が1110円のため、単に往復するだけでも損はない。

改札口で鋏を入れてもらうが、この鉄道はSuicaは使えない。改札口で若い女性駅員に切符に鋏を入れてもらうが、切符に鋏というのも久しぶりである。


待機していたのはこの鉄道では比較的新しい6000系車両、1981年新潟鐵工所製で、現在は群馬日野自動車のラッピング、トラ🐯の子供が描かれている。

下仁田行の2両編成の電車は定刻に出発、すぐ先には上信電鉄の車両が数多く留置されている。構内を走った後、左に曲がり、その後はまっすぐ走り出すとまもなく南高崎駅である。


この辺りはまだ民家の軒先をすり抜けるように走っており、新幹線の高架下を越えると『佐野のわたし』駅に到着。高崎市佐野地区は烏川を挟んだ渡船場があった。

謡曲鉢の木の主人公佐野源左衛門を祀る神社が近くにあり、能の舞台となった『佐野の渡し』もこの辺りということから駅名となったようだ。駅を出てすぐに烏川の鉄橋を通過する。


川を渡ると根小屋駅、この先は急に開けて左右に麦畑が広がり始める。『高崎商科大学前』は大学が短大から4年制になり、学生も増加したため、2002年に新たに設けられたもの。学生が10人くらい下車。

その先の山名、西山名の各駅は田園風景の中、電車は走る。このあたりは麦畑ばかりで黄色に色づき、収穫もすぐのようである。

馬庭駅で上り電車と交換を行う。単線運転のため、列車交換のための停車は致し方ないが、上信電鉄は交換にかかる時間が短いことに感心する。すれ違ったのは旧西武鉄道の150系で5月25日で使用を終了するエンブレムを付けて走っていた。

次の駅が『吉井駅』で乗客の乗降が多い。西吉井駅の先は上州新屋、上州福島と上州のつく駅名が増えて来る。

東富岡駅の次はようやく上州富岡駅である。お尻も痛くなったのでここで下車、世界遺産に登録された富岡製糸場の下車駅だが、意外に降りる人は少ない。(以下、次回)

宇木央(再訪)〜新橋グルメ

2018-05-27 05:00:19 | グルメ

久しぶりに新橋の『宇木央』にお邪魔した。烏森神社を向かいに渡り、路地をしばらく歩くと2階に行灯が見えてくる。新橋をよく知る人なら大露地の2階と言えばわかるだろう。今日はまだ週初なのでゆったりカウンターで飲む。


大学時代の友人Tくんと約1年半ぶりに飲むことになった。2人で静かに飲む時はこの店がうってつけ。少し私が遅れたのでTくんの生ビールグラスは空、慌てて小さなグラスで追いかける。先付けは『じゅんさいの酢の物』と『鰆の煮付け』、爽やかなじゅんさいの味は夏そのもの。


ツマミはまず『焼きナス』から登場。焼きナスに出汁をかけて粉がつおとネギなど薬味が被せてある。冷たくて箸が進む。酒は風の森(奈良県)から。独特の甘酸っぱさと最後のコクがいい。次に『冷奴、セロリの酢漬け乗せ』ちゃんと一人前ずつ取り分けてあるが、暑くなったので冷たい肴を食べたくなる。


『マコガレイの刺身』が出てきたタイミングで鏡野(高知県)に酒を変える。先程に比べてしっかり、辛口である。

さらに『エビのクリームコロッケ』、この店の定番。しっかりしたものが欲しくなる時にいい。また、たくさんついているグリーンカールにかけたドレッシングも一工夫されている。


『油揚げの炙り』、なんでもないツマミだが、ついつい頼む一品である。酒は小左衛門(岐阜県)へ、バランスのいい何にでも合う旨さをしみじみ感じる。


最後は『新ごぼうと豚ロースの辛味噌炒め』でしっかりと食べる。酒も酔右衛門(岩手県)でほろ酔いに。お腹も満腹、話題は尽きないが楽しい宴もこのあたりで。いつ来てもいい店である。

宇木央
港区新橋3ー10ー6鈴木ビル2階
0354010552

北綾瀬駅(2)

2018-05-26 05:00:21 | 日記

『メトロに乗って』その83。東京メトロ千代田線北綾瀬駅を降りてみる。駅改札を抜けると目の前には環七通りが通り、トラックを中心にかなりの交通量がある。


これを左に曲がり、少し行くとしょうぶ沼公園の入口に出る。昔はこの辺りにしょうぶが多く生えていたことから、土地区画整理事業で公園造成にあたって旧地名である菖蒲沼耕地にちなんでしょうぶの美しい公園となった。


公園内には水路があり、黄菖蒲をはじめ、白や紫の名前が付けられたしょうぶが植えられていて6月2、3日にはしょうぶ祭りも行われるようである。


他にも藤棚やワシントン帰りのソメイヨシノなどが植樹され、市民の憩いの場となっている。


駅まで戻り、環七通りを渡ってしばらく行くと綾瀬車両基地がある。そばにある跨線橋の上から眺めるとそれほど車両はいないが、千代田線車両が並んでいる。また、反対側には北綾瀬駅が見えるが、ホームは地面からかなり高く作られているのが確認できる。


周囲はマンションが建ってきてはいるが、まだ畑も残っており、じゃがいもの紫の花が美しかった。

さつほろ〜北綾瀬ランチグルメ

2018-05-25 05:00:43 | グルメ

北綾瀬駅周辺にはラーメン屋が多い。特につけ麺の名店『わた井』や塩ラーメンで有名な『ユーリー』、テレビに時々出てくる『ラーメンロッジ』など駅近にもいくつかある。その中で今日は正統札幌ラーメンを標榜する『さつほろ』にお邪魔した。

店は明るくカウンターとボックス席が3つというシンプルな構造、テレビではニュースをやっている。券売機で食券を購入。種類はいくつかあるが、シンプルな味噌ラーメンにネギまし(850+100円)を選択。1時のためボックス席でゆったり座る。ホールと調理場に女性が各1名、きびきびとやっている。

5分ほどしてラーメン到着。甲高の器に白ネギが山と乗せられている。調味料は黒胡椒とニンニク、七味しかないため黒胡椒を掛ける。

まずはスープ、鶏出汁に味噌が良く合うまったりとした味わい。麺は札幌の西山製麺直送とのこと、コシがある縮れ麺、食べ応えがある。具はメンマ、半熟卵半分、チャーシュー2枚。特にチャーシューは柔らかくて美味い。

外の気温が25度を超えているからか、額から汗が滴るのが分かる。全体としてバランスのよい、正統派味噌ラーメン、激戦地北綾瀬でも勝負できそうである。ちなみにラーメン屋以外の飲食はあまりないのも面白い。ご馳走さまでした。

さつほろ
足立区谷中2ー7ー12
05055947388

北綾瀬駅(1)

2018-05-24 05:00:23 | 日記

『メトロに乗って』その82。今回は東京メトロ千代田線北綾瀬駅あたりを歩いてみる。綾瀬〜北綾瀬は中野坂上〜方南町同様地下鉄では数少ない盲腸線で綾瀬から北綾瀬までは3両編成のワンマンカーが日中は10分おきに往復している。

元々は少し先にある1969年に綾瀬車両基地への引き込み線として作られたのだが、1971年に千代田線綾瀬〜北千住が開業した際には駅は設けられなかった。その後、地域住民の要請などを受けて1979年12月に開業、それ以来ワンマンカー運転が行われている。そのためか、2002年2月にはホームドアも取り付けられている。


綾瀬駅には我孫子行に乗車したため、4番線に下車。ここから北綾瀬行きの発着する0番線までは一度階段を降り、改札に近い階段をまたてくてく登って乗車する。しかし、綾瀬駅止まりの電車は2、3番線(3番線は降車ホーム、2番線は始発ホームで両側ドアが開く場合はどちらにも降りることができる)についた場合には2番線側に降りてテクテクと我孫子方面に歩くと0番線となるため、階段昇降は不要である。


北綾瀬行きの3両編成は05系が使われていて1編成が往復している。乗車すると常磐線から左に分かれて高架線路を2.1km走ると終点となる。思っていたより乗客は多く1日平均3万人が利用している。


北綾瀬駅は現在改良工事中で従来の3両しか停まれないホームを綾瀬側に伸ばして10両が停まれるようにしている。これが完成すると綾瀬止まりではなく、代々木上原方面に直通する予定で北綾瀬駅周辺の地価が上昇するのではないかと言われている。(駅周辺は次回)

代々木付近の坂道(2)

2018-05-23 05:00:08 | 坂道

『江戸の坂、東京の坂』その101。代々木八幡神社を出て、左に曲がるが、その敷地に沿ってあるのが、『切通坂(きりどおしざか)』。前出の『切通しの坂』とはよく似た名前で紛らわしいが、この辺りも切通しであった。

坂は途中までは上り坂、そして下り坂となる。この辺りはマンション建設があちこちで進められ、ダンプやミキサー車が多数往来している。

次に坂の先を右に曲がり、山手通りまで出て、左に曲がる。小田急線の跨線橋手前で反対側に渡り、階段を降りる。降りたところを今度は後ろに向かうように線路に沿って歩く。商店街をしばらく行くと左に低いトンネルがあり、小田急線をくぐるとくねくねと曲がる坂道が出てくる。

これが『しりもち坂』または『弥之助坂』。弥之助は江戸中期にこの辺りの土地を持っていた池上弥之助のこと。また、坂道が粘土質のために雨が降るとよく人が転び、いつとはなしに通称・しりもち坂と呼ぶようになったらしい。1985年頃まではトンネルではなく、小田急線の踏切があったようである。

坂を上り、しばらく歩くと商店街となる。ここから右に細く伸びて行く下りの坂道があるが、これが『旭坂』。かなりの急坂であるが、以前はさみしい坂道であった。しかし、昭和初期に改修され、当時の町会長が坂道に朝日が差し込むことから同じ読みの旭坂と名付けたのが由来である。現在は商店街となっている。

次の坂は代々木上原駅沿いの道をしばらく歩き、井の頭通りを越えて古賀政男記念館の裏手にある細い急坂である。

坂の名前は『やりくり坂』、いわれは1929年頃付近の住民が坂道を作るのに費用をやりくり算段し、さらに勤労奉仕して作ったため、この名前となった。道は細いがこの道を行くと代々木上原から渋谷や青山に出ることができるようになったのである。

代々木上原駅周辺は井の頭通りを除くと古い町並みがのこり、名がない坂も数多く残されている。

一方、その先の大山町まで行くと広いお屋敷町となるが、私はこの坂道が数多く残る代々木上原に親しみを感じてしまう。余談ながら、いい飲み屋もあり、隠れた名店のある町でもある。

元禄〜日本橋ランチグルメ

2018-05-22 05:00:42 | グルメ

蕎麦屋で飲ませる店が増えてきたが、そんな店のランチを食べに行く。店は茅場町から近く、昭和通りから一本入った通り沿い。この辺りにも飲み屋やレストランは点在している。

店に入ると2人掛けや4人掛けのボックスが並んでいる。12時前のため、半分くらい埋まっている。メニューを見て考えるが、サービスランチは海苔掛け蕎麦とマグロすき身丼で1000円と聞いてこれに決定。ちなみにたぬきそばが900円、冷やしたぬきは1100円だからまあリーズナブルかな。

お客さんは意外に若い人が多い。就職の先輩訪問なのか、専門商社の仕事を語る先輩と必死にメモを取る後輩、側で見ていると蕎麦が伸びるよと思わず言いたくなる。

ようやく蕎麦と丼が登場、というか、蕎麦も丼に入っている。ほかに白い小鉢とさくらんぼ3粒。まずは蕎麦から頂く。

田舎蕎麦らしく色黒の蕎麦だがしっかりコシがありいい香り、少し出雲蕎麦風である。ツユは辛目、ただ、蕎麦との相性がよい。わさびが蕎麦に付かないのもこだわりなのかもしれない。マグロすき身丼は普通に美味い。

暖かい丼と冷たい蕎麦を代わる代わるたべる。
白っぽいものが乗っている小鉢、これをそのまま一口、デザートかと思ったらお豆腐、寄せどうふのようだ。少し醤油を垂らすと美味い。

全て食べ終わり、さくらんぼを摘む。一粒食べると甘いどころか、塩が良く効いていて、はっと気がついた、そうか、あの山形名物さくらんぼ漬である。以前、山形で食べたのと同様に爽やか、ただ甘いと思うから余計に塩辛い。

愛想のよい店員のおばさんに『漬物にさくらんぼ漬とは凝っているね』というと『良く知っている』と返って感心された。値段は少し高いが美味い蕎麦が食べられて満足でした。

元禄
中央区日本橋2ー16ー7
0332311900