hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

東京メトロ銀座線渋谷駅〜井の頭線の連絡通路開通

2020-09-30 05:00:00 | 日記



渋谷駅の新通路が26日に開通した。従来は銀座線渋谷駅を降りてしばらくまっすぐ歩き、JRの西口改札の脇を通り、階段を降りる。

ここまでは変わらないが、階段を降りたところを右に曲がり、JR玉川改札を右手に見ながら左へ向かう通路があったのだが、これが閉鎖されてしまった。



そして。階段を降りたところからまっすぐ行くかなり広い通路(西口連絡通路)ができている。

この通路は左右に分かれていて左に曲がると渋谷フクラス(旧東急プラザ)まで高架橋で繋がり、さらに桜丘まで国道246号を跨いで地上に降りることなく行くことができる。



一方、右に行くとちょうど東急東横店をぐるっと回る形で通路は伸び、かつての銀座線に向かうエスカレーターの下、岡本太郎の大きな絵の下に出てきて、従来の通路と合流、左に行く(左にしか行けない)と井の頭線改札口にたどり着く。




帰宅の際に利用したが、JRから降りる階段が以前より利用客が増えたため、混んでいるが、その先の通路はかなり広く、以前のように柱がないため、通行には問題ない。




いよいよ東急東横店西館、南館の取り壊しによるもので取り壊しに4年ほどかかり、その後にはスクランブルスクエアIIという高層ビルが作られる予定らしい。
それにしてもフクラス、スクランブルスクエア、セルリアンタワー、ストリーム、ヒカリエ、スクランブルスクエアII、全て東急が関わっているビルだが、これが私のような英語かぶれの名前不得意な人間には堪えられない。こうしたネーミングは海外小説の登場人物が覚えきれないのと同様に今回の再開発が馴染めない原因のような気がする。

淡路町三むら〜神田グルメ

2020-09-29 05:00:00 | 日記
淡路町というと旧交通博物館(元、万世橋駅)を今でも連想してしまう。この辺りは交通の要衝であるが、なぜか駅名が不揃いである。都営地下鉄新宿線は小川町、東京メトロ千代田線は新お茶の水、同 丸の内線は淡路町だが、一番古いのは淡路町駅である。



今日お邪魔した店は『淡路町三むら』、これがわかりにくい。1階は坦々麺の店、2階はカレーショップ、その3階にあるのだが、狭い螺旋階段をグルグル登ると黒いドアが出てくる。店も不等辺三角形のような形でなぜかカウンターの後ろは広い。

山形県鶴岡市出身の大将は中々面白い。少し早く到着したので色々と話をする。相方が到着、まずは生ビールで乾杯。まだまだ暑いのでビールが美味い。メニューは1階の螺旋階段のところにも貼ってあるが、面白い取り合わせの料理も多い。



まずは『刺身3品』、大間のマグロ中トロ、根室のムラサキウニ、宇和島のイトヨリの昆布締め、いずれを取っても美味い。早速酒にするが、まずは『初雪盃』(愛媛県)の薄濁り。



『茄子と磨きニシンの煮物』、身の厚いニシンをふわっと煮込んだ逸品。技の冴えを感じる。『ブルーチーズ風味のポテトサラダ』、料理はその名前の通りだが、不思議な味わい。もちろんワインにも合いそうである。



次は『勢正宗』(長野県)、ラベル通り佐久の酒でしっかり系。パンチの効いた『大山鶏の山椒焼き』にぴったりである。



肉系の料理が続くが『豚の角煮』、もちろん肉も美味いが、このツユがさらに美味。相方がご飯を少量加えるともう堪らない。
ここで『新生姜と揚げの煮びたし』、新生姜がよく効いていて箸が進む。酒は『和田龍登水』(長野県)、さらっとしたふくよかな味である。



冷たいのばかりではと燗酒を挟む。『地酒屋こだま別誂』(長野県)、これも燗酒にするとふんわり。つまみは『煉ウニ』、海苔に挟んで山葵をつけて頂く。



ここで『王禄』(島根県)、やや磨きが少ないタイプ。米の味わいはこちらの方がある気がする。つまみは今日一番の冒険メニュー『神威豚のスパイスグリル』、見た目は緑のソースに赤い粉。

パクチーソースにパプリカなのだが、パンチが効いていて、パクチー嫌いの私でも思わず食べる不思議な味。初め見た際に日本酒のつまみ?と思ったが、意外に違和感は少なかった。

締めは先ほど食べた新生姜と揚げの煮びたしで煮麺が作れると聞き、お願いした。冷房で冷えた身体もポカポカする美味い煮麺である。日本酒らしいつまみからかなり冒険したメニューまで十分遊び心と豊富な酒がある楽しい店である。ご馳走さまでした。

淡路町三むら
千代田区神田司町2ー2ー8マガザン神田2 3階
08030236298

コロナと阪神タイガース〜阪神ファンの戯言

2020-09-28 05:00:00 | 阪神タイガース
阪神タイガースのファンを半世紀以上やっているが、そのリスク管理の甘さをこれほど痛感したことはない。3月に藤浪や伊藤などの選手が合コンでコロナに感染し、球団の管理姿勢や選手の意識の低さがさんざん問い直された中で再び今回のコロナ感染事件である。

9月17日に浜地、馬場、小川、岩崎の4選手が会食、その後浜地投手に症状が出たことから発覚。さらに同日別のグループでは福留、糸原、陽川、岩貞、江越、木浪、小林の7選手とスタッフ1名が会食、こちらでも岩貞、陽川、糸原、スタッフの4人が陽性判定を受けた。一般に会食の際にはマスクを外すため、リスクが高く、多人数の会食は球団のルールにも違反している。

糸原はチームキャプテン、福留はチーム最年長、岩貞・岩崎・馬場は何とか2位で持ち堪えてきたセットアッパー、陽川・木浪はレギュラー、江越は代走として毎回出場していたのである。この登録抹消は致命的である。

これを受けやむなく25日のヤクルト戦に向け、10人を登録抹消、9人(能見、藤浪、谷川、斎藤、上本、北條、熊谷、高山、島田の各選手)を登録。さらに26日には尾仲投手を追加登録した。

しかし、この入れ替えは少なからず試合に影響を与えている。25日の試合は西投手が頑張っていたが、不運なタイムリーもあり、6回に逆転を食う。7回は能見投手がヤクルトの荒木選手のバスターからの3ランを浴びて万事休す。当日補強の選手も荒木、上本、高山、北條が打席に立ったが、北條の1安打のみ、投手は能見が被弾するなどレベルダウンは隠しきれない。
26日のヤクルト戦もガンケル投手を次いだ藤浪投手が村上に決勝ホームランを撃たれ、さらに打線も3回の近本、北條の唯一の連打を糸井の内野ゴロの間に返した1点のみ。トータル4安打では勝てない。

こんな試合しかできない状態になったことはコロナのためと言ってしまえばそれまでだが、これだけ感染リスクが叫ばれ、他球団からは感染者が出ていない中でなぜ阪神タイガースのみから発生してしまうのか。球団管理と選手の姿勢の甘さが露呈してしまったとしか言いようがない。応援しているチームがこのような体たらくなことは情けないの一言である。

時刻表机上旅行の楽しみ③

2020-09-27 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その279。昭和39年9月号を使った机上旅行も3回目となった。日本全国のなかで鉄道地図が当時と今が最も変わったのが『北海道』というのは間違いない。当時と比べ、廃止になった路線は主なものを挙げても江差線、広尾線、札沼線(一部)、名寄本線(日本中で本線と付く路線で唯一廃止)、羽幌線、池北線、天北線などキリが無い。


私は今でも学生時代に乗ってよかったと思われる湧網線や標津線、一方で列車が遅れたおかげで遂に乗れなかった興浜南線、学生時代でもすでに廃止されていた根北線や白糠線など気になる路線は多数ある。

列車に目を移してみると当時の時刻表には三階建(起点もしくは終点が同じで3つの行先の車両をつないで運行する)急行がある。函館1110発の急行オホーツク(網走行)、急行宗谷(稚内行)、急行摩周(釧路行)である。(『オホーツク』はその後北海道で初の特急〔札幌〜網走〕となった記念すべき愛称。私のハンドルネームも北海道の特急『北斗』から取ったもの。)



まずは列車編成が面白い。1〜3号車は札幌〜釧路のため、函館発の際には連結していない。先頭から4〜6号車は急行摩周(釧路行)、7〜10号車は急行宗谷(稚内行)、11・12号車は北見止まりのオホーツク、13〜15号車は急行オホーツク(網走行)となっている。よく行き先を確かめないと大変なことになる列車である。

函館を出た後は函館本線を北上、長万部から室蘭本線、千歳線を経由して苫小牧1451、札幌1552、再び函館本線に戻り、滝川で急行摩周を切り離し、さらに旭川で急行宗谷を切り離し、急行オホーツクは石北本線経由で北見には2150到着、2両を切り離し、終点網走に2242に到着する。

では急行摩周はというと滝川からは釧路本線に入り、釧路に2241に到着。急行宗谷は宗谷本線経由で稚内に2243に辿り着く。つまり、この3つの急行は1分違いでそれぞれが終点に到達するのである。(走行距離は摩周が691km、宗谷は692km、オホーツクは670kmである。)

もう一つ変わった列車が『準急旭川』、この列車、愛称が観光地や名所ではなく都市の名前を取った珍しい愛称なのだが、実は旭川発旭川行なのである。1540に旭川を出発した列車は石北本線を通り、遠軽まで行く。ここで名寄本線(廃止済)に入りオホーツク海側を北上、中湧別、興部を経由して名寄2111到着。ここからは稚内から来た準急礼文に併結されて旭川に2242に到着する。

旭川を出てからぐるりと7時間もかけて回るのだが、名寄本線が廃止されてしまった今では残念ながらもう走らせることはできない。

他にも北海道には普通列車なのに寝台車が
併結されていた等、面白い列車はまだまだあるが、これは次回に。

麺屋こむぎ〜人形町ランチグルメ

2020-09-26 05:00:00 | グルメ
台風12号も東に逸れたおかげで被害はあまりなかったが、それでも結構風が吹いている。ランチと思い、事務所を出たが、ビニール傘を壊してはと近間の店にした。店の名前は『こむぎ』、想像どおりうどんの店である。

人形町は店が多く、この店に行くのも初めて、店内に入ると2人席に1人座るようにしているようでそれなりに感染対策に力を入れているようである。



ランチはセットと単独のメニューがあるが、ついついお得に弱く、セットメニューをじっくり。高菜・ワカメうどんに①焼肉丼、②カレー丼、③ビーフシチュー丼を組み合わせている。あまり考えずに②を選択。(セットは全て800円)

水も麦茶もコーヒーもセルフサービスのため取り放題。程なく大きなお盆にうどん、丼、福神漬け、冷奴を乗せたものがはこばれてくる。

一味唐辛子を振ってまずはうどんから。麺は讃岐うどん風のコシがあるタイプ。私は博多派のため、あまり硬いのは好きではないが、コシを気にする人には美味いだろう。

ツユはいわゆるうどんのツユ、あまり出汁を感じない平板な味。ただ、わかめや高菜がそれなりに味がある。

次にカレー丼、ピリ辛とはあるが、あまり辛くはない。ただ、めんつゆを生かした蕎麦屋のカレーは日本人好み。いわゆるドロっとしたルーは意外に美味い。悩むのは冷奴、いつ食べるのかわからないがか、この辺りで口直しに食べる、普通。

若いサラリーマンが多く、量的には安いし、味も悪くない。夜は居酒屋になりそうなメニューが壁に貼られていてそちらもリーズナブルと思われる。ご馳走さまでした。



麺屋こむぎ
中央区日本橋人形町3ー2ー12
0356431572


ヒガンバナ

2020-09-25 05:00:00 | 日記
井の頭公園を散策していたらヒガンバナの花を見つけた。ヒガンバナ(彼岸花)は別名曼珠沙華ともいう多年生球根性植物である。小さな玉ねぎのような球根から花茎が地面から伸びて蕾を付け、花を咲かせる。
しかし、この花を見ると私などは違和感を感じる。というのは葉っぱが全く見つからないのである。放射状にクルマユリに似た花を咲かせるが、上からみると面白い。

それならば葉っぱはどうしたのか、これは花が終わった後にちゃんと生えてくるのだが、花がないために中々気づくことはない。

ヒガンバナの葉


さらに面白いことにヒガンバナは種をつけることは滅多になく、球根の株分けで増えていく。このため、遺伝子が同一であり、同じ株から生えたヒガンバナはほぼ同じ時期に花を付ける。

ネーミングもかなり不気味である。花の名前の由来が秋の彼岸の時期に咲くためという説が有力だが、植物全体にアルカロイド系の毒があり、もし食べると後は『彼岸』しかない、つまり死んでしまうという説もある。このため、方言では死人花、葬式花、墓花、幽霊花などあまり有り難くない名前が付けられている。

今年は猛暑のせいか、花が咲くのが1週間ほど遅いが、燃えるような赤い花は何となく艶かしい気もする。白い花の方はそれほど感じないのであるが。

川治〜浜町グルメ

2020-09-24 05:00:00 | グルメ
人形町から少し浜町寄りに大衆割烹を標榜する名店『川治』がある、いや正しくはあった。ちょうど警察署の向かいあたりを少し歩くと古ぼけたしもた屋の前に看板がある。6時15分スタートだから少し早いかと店の入口を見ると何と移転したとある。

時間前だからと地図を見ると大して離れていない浜町公園の近くに移転していたのだ。新しい店の前に着いたのが6時10分、一緒に飲む予定のTくんが所在なさげに待っていた。店が開くのが6時15分、すると中から大将がのれんを持って現れた。大将は『いらっしゃい』と言いつつ、のれんを掛けるが反対向き、まだまだ慣れないとおっしゃる。



我々2人が店には一番乗り、コロナも考えて店の入口に座る。まずはビールが枝豆付きで運ばれる。これが、冷えていて美味い。すぐに最初のつまみ、『カラスミとダイコン』が登場。




一つ摘むとすぐに2皿目『フグのカルパッチョ』『鮎の風干し』。フグのカルパッチョには細ネギとミョウガがたっぷり、オリーブオイルに違和感はない。鮎はカリッとして頭から行く。



ぼやぼやしていると日本酒を頼み損なうと羽根屋(富山県)を2合、思ったよりしっかりとしている。『鱧の梅肉挟み揚げ』、もう終わりに近づいた鱧だが、梅との相性が素晴らしい。



次いで大きな『岩がき』と『なめろう』。岩がきはたっぷり七味のかかった大根おろしとネギ、さらにポン酢でいただくが、半分でも一口で食べられない大きさ。なめろうは鯵、海苔で包み、酢につけていただく。新鮮な魚介はさすがである。




まだまだ、続く魚介、炊き合わせは『穴子と茄子の炊き合わせ』、皿いっぱいの『蛤の酒蒸し』。肴だけで腹が膨れ始める。しかし、刺身の盛り合わせはここからの登場。



これもすごい、中トロ、しめ鯖、帆立の生うに添え、金目鯛、白身3種と中々のラインナップ。酒の追加は水鳥記(宮城県気仙沼市)という初見の銘柄だが、サラッとしていて刺身にちょうどよい。



さらにここからが凄い、『鯛の昆布蒸し』『毛蟹の剥き身』。特に毛蟹は味噌が堪らない。最後に鯨刺しがあると言われたがもう食べられない状態のため、丁重に断り、締めにしてもらう。



糠漬けで残った酒を飲み、最後に赤だし。もう本当に満腹、しかも1人6000円程度。気がつけば満席であった。ご馳走さま、1年先までは予定で予約できない意味が良くわかった。本当にご馳走さまでした。さらにのれんが出ていないと店はかなりわかりにくいです。
川治
中央区日本橋浜町2ー52ー5
0336661100

国勢調査の記念切手

2020-09-23 05:00:00 | 切手
『切手シリーズ』その78。国勢調査の制度が始まってちょうど100年、その記念切手が発行される。第1回が1920年、今回で21回目となる。国勢調査は統計法という法律を根拠法(ほかに国勢調査令、国勢調査規則も定められている)に5年ごとに行われ、うち5年目が小規模調査、10年毎に大規模調査が行われてきた。因みに第1回の日本の人口は55.9百万人だったが、前回の2015年の調査では127百万人、ただ、その前の2010年調査から百万人ほど人口は減ってきている。

第1回国勢調査が行われた1920年にはこれを記念して1銭5厘と3銭の同じデザインの記念切手が発行された。そのデザインはカタログによると『大化元年の国勢調査にあたった国司・想像図)』とある。これに関して調べると総務省統計図書館の方が書いた資料に『帝室博物館・高橋健自の考証、図案は逓信博物館の樋畑雪湖の作』とある。さらに日本郵便切手史論には当時の国司の衣装を再現してモデルを作成した写真が残っているのである。また、字は正倉院古文書中大宝年間の戸籍の中より拾字したらしい。

第2回国勢調査が行われたのが1930年、この時も記念切手が発行されているが、デザインは『日本地図(当時)』とある。見るべきは描かれている地図。今の日本地図よりかなり広い。日露戦争後に日本が領土を広げ、朝鮮半島、南樺太、千島列島、台湾などにも領土を示す色が塗られているのである。

次に記念切手が発行されたのは第10回国勢調査が行われた1965年9月。10円切手の図案は『日の丸と人口を示すこけし』と何を意味しているのかよくわからないものであった。因みにこの辺りの記念切手は評価も低く、売価で20円しかしない。

1995年にはなぜか唐突に『第16回国勢調査記念』という記念切手が発行されている。国体のように毎回発行されるのであればわかるが、不思議なタイミング。しかも『16と国勢調査の字をデザイン化したもの』という芸のないものである。

そして9月1日に『国勢調査100年』を記念して5種類の記念切手が発行、また、シートも変形でうち1枚には国勢調査を推し進めた杉享二、大隈重信、原敬の三人の肖像が描かれている。

つまり、今回も含めて5回も記念切手が発行される重要な出来事であるが、国民の認識は低い。しかし、その重要性をより認識して今回調査に臨むこととしたい。

駅のスタンプと私①

2020-09-22 17:37:00 | 鉄道


『鉄道シリーズ』その251。今年のGWは外出することもなく家の中の整理に追われた。天井裏からは時刻表の復刻本や数多くの写真、古いゴルフクラブ、阪神タイガース優勝時のスポーツ紙など出るわ出るわ。その中で中学生の頃から集め始めた駅のスタンプ帳が28冊も出てきたのである。今回はこの歴史と印影について何回かにわたり、触れてみたい。


戦前から駅スタンプはあったようだが、一般的になったのは1970年からスタートした国鉄のDiscoverJapanキャンペーンで設置されたスタンプ。

全国1400駅にスタンプが設置され、さらに赤くて丸いスタンプ押印台も併せて設置された。私が初めて国鉄監修と書かれたスタンプ帳(弘済出版、スタンプノートの名称でキオスクで販売された)を買ったのが1971年12月(残念ながら第二版)、当時の売価が200円である。ということは私はかれこれ49年もスタンプを押していることになる。



最初の頃のスタンプには統一性がなく、色も駅毎に勝手なスタンプパッドを置いていて、それ以前のスタンプの周りに『DISCOVER ➡︎JAPAN』というデザインを加えたものが多かった。また、当時は全国の主要駅に置かれていてスタンプを集めると記念品が貰えるキャンペーンもあった。

私が初めて押したのは1972年4月2日東京駅のスタンプである。ただ、本格的にはまったのは1972年10月東京駅構内・大丸デパート・八重洲地下街で行われた鉄道100年記念イベントの全国駅スタンプ大会(詳細な名称は不明)でたくさんのスタンプが会場にあり、3日間通い詰めたことが思い出される。(この時のスタンプは下に『鉄道100年記念 1972.10』と入っていた。)



ディスカバージャパンのキャンペーンは約6年にわたり続いたのだが、途中からはロゴが変わり、また、『美しい日本とわたし』というフレーズが追加になった。

後継キャンペーンは『一枚のキップから』で1977年2月から硬券の切符にM字型の改札鋏を入れたデザインがスタートした。

この頃はまだディスカバージャパンのスタンプも併用している駅も多く、スタンプが2つも3つもある駅があった。



また、九州のみであったが、『太陽とみどりの国 九州』と題して、シャチハタの2色スタンプが使われていた時期がある。なお、このキャンペーンの頃のスタンプ帳は残念ながらなかった。(以下、次回)










吉田〜日本橋ランチグルメ

2020-09-22 05:00:00 | グルメ
日本橋には由緒正しき店が多い。三越の向かいあたりにある『吉田』という蕎麦屋だが、もう50年ほどになる老舗である。何回か伺おうとは思ったが、なかなかタイミングが合わず、ようやく行くことができた。

『よし田』という蕎麦屋は銀座にある有名店で先代がコロッケそばを出したことでも有名だが、この店は関係ないようである。(かつてよし田という蕎麦屋が3軒あり、銀座,浜町・日本橋だったようだが、場所が異なる) 



メニューを見ると①野菜天丼ともりまたはかけ・930円、②つけとろろ蕎麦と野菜天丼、卵焼き・1300円、③カツ丼ともりまたはかけ・1400円とある外のガラスに貼ってあるランチメニューが書かれていない。やむなく尋ねるとちゃんとあるので①をお願いする。




5分ほどで到着する。まず蕎麦だが、細めで角が立ついい感じの麺。ツユにネギとワサビを入れて一口、思ったとおり喉越しがいい。

つゆは甘さを排除したツユだが、辛い訳ではなく、カツオの香りもする。私は三角食いなどできないタイプで蕎麦を6箸で食べ終わる。

続いて野菜天丼、ミニサイズだがかき揚げとナス天が乗っていて濃い目のタレがかかっている。しかし、食べると天ぷらはごま油のいい香り、どんツユも色ほど濃くなく美味い。特に玉ねぎ、にんじん、桜海老の天ぷらは揚げたて、カリッとしていてレベルが高い。



最後に蕎麦湯を頂く。蕎麦ツユに入れて一杯、蕎麦湯のみで一杯、いや、美味かった。店の名物はかもせいろらしく、これだけクローズアップされていた。ご馳走さまでした。


吉田
中央区日本橋室町1ー5ー1
0332413629