hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

再建された荻外荘を訪れる②〜スローモビリティにも乗車

2025-03-09 05:00:00 | 日記
荻外荘見学の続き。蔵の隣は喫茶室とショップとなっている。土曜日の午後ということもあり、たくさんの人。ショップでは絵葉書や風呂敷、バッグなどのノベルティを販売している。



戻って茶の間の先を右に曲がり、客間に向かう。ここは荻外荘の写真で最も有名な荻窪会談が行われた場所。荻窪会談は1940年7月19日に近衛文麿が組閣を行なうにあたり、海軍大臣になる予定の吉田善吾、同じく陸軍大臣候補の東條英機、外務大臣候補の松岡洋右の4人が日独伊三国軍事同盟の是非や長引く日中戦争の帰趨などを議論した。

戦争回避を目指した吉田と近衛に対して特に東條が反対、結果第二次世界大戦参戦に向かい突き進むことになったターニングポイントである。



VRも備えられていて当時の様子と重ね合わせることもできる。飾られていた人形や亀と海老の剥製なども再現されている。近衛文麿が座った渦巻きの模様がある椅子も当時のものとそっくりであった。



お隣は食堂、ここも壁紙まで忠実に再現され、中のモニターでは解説のVTRを見ることができる。10年にも渡り再建した過程、特に邸宅の半分は豊島区に移築後、再びこの地に再移築し、当時の様子(最初に作られた姿)の再現をする苦労や戦後吉田茂が首相になった頃に荻外荘に一時住んでいた様子など知らなかったことを多く知った。



その隣の書斎は昭和20年12月に近衛文麿が服毒自殺をした場所であり、歴史の重みを感じた。

また、ここからは庭を一望することができ、またVRを使いその復元もなられていて当時は下に降りたところに池があり、その先には水田が広がっていた状況がよくわかる。水田は集合住宅となってしまったが。

建物の見学を終えて外に出る。砂利道を歩き、坂の下から眺める。池の跡は芝生となり、ここから眺めると堂々とした建物の全景を見ることができる。当時のままだろうと思われる木も残されて武蔵野の雰囲気を味わうことができる。



昨年11月からは荻外荘下にスローモビリティが通っている。駅〜大田黒公園〜荻外荘公園〜荻窪2丁目〜駅を20分かけて循環運転しており、100円で乗ることができる。



バス停は前におばさん1人、その後ろに我々2人が並び、後ろにはおじさん1人。使われている車両は4人乗りのゴルフカーとと7人乗りのバスなのだが、やってきたのは4人乗り。ここで1人乗っているので我々までで満員となってしまう。




カートに乗って公道を走るのは不思議な感じがする。目線が低く、ゆっくり走るのでお店探しなどにはもってこいであった。無事に8分で荻窪駅西口に到着。ここでもう一台のバスも見ることができた。






再生された荻外荘を訪れる①

2025-03-07 05:00:00 | 日記
ようやく春らしくなり、気温も上り、天気も良かったので散歩方々最近オープンした『荻外荘(てきがいそう)公園』まで出かけることにした。

出発は午後2時半、我が家からは北東方向にあるため、まずは西高そばから井の頭通り、五日市街道、神明通りと歩き、右に曲がる。環八を渡り、まっすぐ行けば到達、3.7kmだからのんびり歩いても1時間はかからないくらいの距離である。

家を出て順調に歩くが予想外に暑い。ついこの間までは日向を狙って歩いていたのだが、日陰側の歩道を歩くとは。神明通りを右に曲がると急に道が広くなり、与謝野晶子夫妻が過ごした家が近くなる。



環八を渡ると少し上りになり、善福寺川を越えると急に左右に大邸宅が現れる。そうした街並みの中、右手に荻外荘は今も『近衛』という表札がかかる邸宅に入る。



入口から続く並木の木も大きく、屋敷の時代を感じる。荻外荘は1927年大正天皇の侍医頭を務めた医師・入澤達吉が楓荻荘として1927年に建設、1937年に首相となった近衛文麿が別荘を探していることを知った入澤が近衛に譲ったものである。

その後も含めて3回首相を務めた近衛が要人と会談を開き、太平洋戦争に関する重要な歴史の転換がこの地で行われた。さらに首相の地位を辞したのちも近衛はここに暮らすが、GHQからの呼出期限である1945年12月にこの邸で服毒自殺を図ったのである。



入口横に券売機があり、1人300円の入場料を支払い中に入る。混んでいるという噂を聞いていたが、それほどでもない。中に入り、左側にある屋敷の玄関から見ることにした。





玄関を上がると来客用応接室があり、床はタイル張り、つまりここまで土足のまま入れるようになっている。机は美しい螺鈿細工、飾り棚には中国製の陶器、天井から降りる掛け軸もある。後のビデオで知ったのだが、ここで近衛は記者会見を行ったのである。

少し目線を上げると『荻外荘』と書かれた看板がある。これは建物の名付け親である、西園寺公望により揮毫されたものである。

部屋の前には大きな太鼓、尚武太鼓が置かれている。これは1940年の組閣の際に打ち鳴らしたものである。



和室に行くと近衛夫人・千代子の生家前田家より杉並裁縫学校(現、荻窪高校)より贈られた7段飾りのお雛様が飾られていた。これは杉並裁縫学校の土地が前田家からの借地だった縁から贈られた物である。

蔵を見ると中には近衛文麿氏の礼服や陶器製の庭のエクステリア、箪笥などが置かれていた。(以下、次回』


『久我山歳時記』(58)〜神田川沿いを歩く

2025-03-05 05:00:00 | 日記
2月18日の雨水から2週間、啓蟄になった。わずか15日で気候は10℃以上上り、春本番ももうすぐと思ったのは3月2日まで。

月曜日から気温が急落、さらに雪も降り始めてしまった。ただ、3月に入り、東京でみぞれや降雪を観測するのは珍しくはない。2024年3月8日に雪が降り、積雪は1cmで最低気温も0.4℃、2022年3月22、23日、2021年3月14日はみぞれ、2020年3月29日も積雪1cmであった。

今年は3月5日が啓蟄、これは冬籠りしている生き物たちが目覚める頃のことを言い、生き物たちは久しぶりに感じる爽やかな風と麗らかな春の光の中で生き生きしている。

より細かい七十二侯では『蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく〜3月9日)』『桃始笑(ももはじめてわらう〜3月14日)』『菜虫化蝶(なむしちょうどなる〜3月19日)』と季節が進んでいく。



神田川沿いの京王富士見ヶ丘検車区あたりを歩いてみた。2週間前はかたばみとオオイヌフグリしか咲いていなかったが、フキノトウを発見。中にはかなり大きく開いたものもある。





菜の花も日当たりの良いところではもう黄色の花が開いている。した草が刈られていてなかなか見つからないが、ツクシ(土筆)がかおを出している。まだ、スギナが生えていないため、これから出てくるのだろう。 





今年は梅の開花が遅く、先週行った羽根木公園で咲いていたが、久我山も今がピーク。白い花、ピンクの花が木いっぱいに咲いていて美しい。

早咲きの桜も河津桜のようなやや色の濃い花が5分咲き程度、遠くから見るとかなり咲いているようだが、まだまだ、蕾が多い。
庭の花も遅れていた福寿草は一斉に花が咲き、大きく広げているものもある。



ハナカイドウもピンクの蕾が膨らみかけてもうすぐさくのではないか。庭のツバキもようやく開花し、メジロのつがいが毎日のように花を突いている。



また、はっきり姿を見たわけではないが、タヌキの後ろ姿も見ることができた。あっという間に春本番である。




羽根木公園のせたがや梅まつりに行く

2025-02-25 05:00:00 | 日記
羽根木公園に行く。我が家から井の頭線に乗って東松原駅で下車、しばらく商店街を歩く。細い通りながら昔ながらのお店も多く、美術商、表具屋など珍しい店もある。和菓子屋では美味そうな団子、思わず買ってしまう。



その先に公園の入口が現れる。入口付近にも梅が咲いている。付近に駐車場もあるが、満車のようである。



羽根木公園は『せたがや梅祭り』が開催中で紅梅280本、白梅390本、計670本の梅の木が植えられている。元はこの一帯は『六郎次』という野鍛冶が住んでいたと言われ、『六郎次山』と言われていたが、その後根津財閥の所有となり『根津山』となり、これを1956年に都立公園とした。その後1965年に世田谷区に移管され、1967年より梅の木の植樹が行なわれたもの。



中に入ると野球場やテニスコートがある。使っていなかったが、ここ数週間に雨らしい雨が降っていなかったため、風に土が巻き上げられ、埃っぽい。



その先には売店や子供たちの広場があり、これを右に曲がると梅林が広がる。休日の午後ということもあり、芝生に座り、梅見をしている人も多い。





梅林に入ると南斜面ということもあり、先ほどの梅より開花している。白加賀や八重寒紅、鶯宿、紅千鳥などの名札がついている。やや桃色に見える枝垂れ紅梅が目立っていた。

勾配を降りて行くと左右に梅の木が広がり、大きな白梅が目立つ。飛梅も太宰府から持ってこられたものも今が見頃である。





さらに白と紅の枝垂れ梅も美しい。中村汀女の『外にも出よ ふるるばかりの 春の月』という句碑もある。ただ、この句が詠まれたのが1946年なので羽根木公園の梅林はまだなかった頃に詠まれた句なのだが。

周りでは外国人の家族が写真を撮ったり、シニアカーに乗ったおばあさんが結構なスピードで坂を下ったり、色々なことに巡り合う。

売店を除くと梅ジャムや梅干しなど梅関連の食品は売っていたが、楽しみにしていたザラメのまぶされた『梅かりんとう』は売り切れていた。

先程きた道を戻って東松原駅経由で帰途についた。数日前に松庵梅林公園にも行ったが、羽根木公園の方が規模も大きく、賑わっていた。東京では確かに桜の名所は幾つも知っているが、梅が美しいのは神代植物公園くらいしか思い出せない。


『最後の新車』が納車されました

2025-02-19 05:00:00 | 日記
今まで乗っていたプリウスがついに13年となることから新車を購入することにした。しかし、前回購入時からかなり時間も経過。さらに新車選びの状況が大きく変わってしまっていた。

(スカイラインJAPAN)

私が免許を取得したのが21歳の頃、それから45年経過した。初めて買ったというか買ってもらったのが、日産のスカイライン(JAPAN)2000ccターボ。6気筒の力のあるエンジンで走りには問題なかった。ただ、夏のバッテリー上がりやパワーウインドウの故障など細かい問題はあったが。

(ローレル)

次いで義理の父から貰ったローレル2000GTメダリスト、これは10年落ちだったが、乗り心地は良かった。ただ、野晒しにしておいたため、最後はマフラーが外れるトラブルが発生、修理をしながらだましだまし乗っていた。スカイラインは1リットルで8km、ローレルは6kmしか走らない燃費も問題だった。



自分で一から探して買ったのは次のカルディナが最初である。実は当時トヨタのディーラーを新規で攻めていてトヨタに乗り換えた。1997年モデルチェンジ直後の2代目カルディナ、本当はマークIIが欲しかったのだが、当時の社宅の立体駐車場に入らずやむなくではあったが。従来の乗っていたセダンからステーションワゴンに変え、旅行の荷物の量を気にせず行けるようになり、燃費も1リットルで13kmとかなり良くなった。とにかく故障とは無縁の名車、単身赴任の相棒だった。

2012年3月に今のプリウスに乗換。カルディナが購入後に13年経過、毎年車検回避の必要(当時、今は毎年車検ではない)が出てきたことも買い替えの大きな理由である。同じタイミングで東日本大震災が発生、ハイブリッドカーの燃費の良さと税制優遇などの様々な環境がプリウスを選択させた。新車購入後に高速道路で1リットルあたり25kmも走るプリウスの魅力、走りの良さに満足している。


つまり21歳の時から乗換した車が4台、乗り潰しながら新しい車を買うサイクルとなっていた。ここで車を乗り換える最大の理由は年を重ね、私が車の運転が下手になったことを自覚し始めたからである。13年間のうちに車の安全性向上の技術革新が目覚ましく、夏の旅行の際にレンタカーを借りた際に安全装備、例えば右からの車の接近のセンサー、駐車サポートシステム、踏み間違え防止装置など驚くばかり、見た目はともかく、その性能の変わりようには驚いた。

購入を決めたのはアクア。他にも軽自動車やスズキカルタスも候補に挙げたが、①安全性から軽自動車には不安が払拭しきれないこと、②今乗っている車と運転の仕方が似た車が良かったことから昨年10月には決めざるをえなかった。幾らオーダーメイドに近いからといって納車を3月とすると10月までには注文しないと納車が間に合わないということである。半導体不足なのか、労働力不足なのかは分からないが新車事情は変わっていた。

納車をしてもらったのは日曜日10時、プリウスを走らせてディーラーまでの最後のドライブ、諸手続きを行ない、11時にはアクアに乗っていた。まずはガススタンドに給油に行ったのだが、プリウスとオイル口の位置などはほぼ同じ、あとはカーナビやスマホ連携をすれは良いのであった。

午後からは大宮八幡宮に新車安全祈願、ちょうど13年前にも同じ場所でお祓いをしたが、同様に安全運転を誓ってお祓いを終え、お札を頂いた。


アクアにあと10年乗ったら私ももう76歳、やはり『最後の新車』になるだろう。そう思うと何となく感慨深かった。


『久我山歳時記』(57)〜雨水の春の兆し

2025-02-18 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』(57)、前回の歳時記は1月19日の大寒、その後『立春』を越えていよいよ暦上での春とはなったが、かえって寒くなった日が続いた。

ようやくここ数日は日中は15℃ほどとかなり暖かい日もあり、いよいよ2月17日は『雨水』となる。

雨水とは『空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始める頃』を言う。また、雨水直前の朔日が旧正月(春節)であり、旧正月の日付を決める基準である。

七十二侯では『土脉潤起(つちのしょううるおいおこる・〜2月23日)』『霞始靆(かすみはじめてたなびく・〜2月28日)』、『草木萌動(そうもくめばえいずる・〜3月4日)』と大きく変わっていく時期なのである。土が雨により潤い、冬眠をしていた動物が起きる頃、霞やもやのため山野の風景が変わる頃、そして芽吹きが見られる頃を現している。



久我山界隈もようやく梅の花がほころび、花びらは白も紅も色が鮮やかになりつつある。最も早咲きの梅の木は倒れてしまったが、古木になっても花を付けるのが良いところ、いずれも可愛らしい。

京王電鉄の富士見ヶ丘検車区には野草が咲いているが、まだ土筆の姿は見ることが出来なかった。咲いていたのはかたばみの黄色の花とオオイヌフグリの青くて小さい花。
(カタパミ)

(オオイヌフグリ)
しかし、スズメノエンドウやホトケノザ、ノゲシも芽を出していてもう時期小さな花を付けるまできていた。

(スズメノエンドウ)


(ホトケノザ)


路地で咲いているのはスイセンとクリスマスローズ。白い花に続いて紫色の花も蕾が大きくなっていた。



ネコヤナギの仲間の芽は大きくなってきて、葉になるのももう時間の問題である。まだ、久我山けやき通りの欅は裸のままだが、芽吹きが始まると美しい季節が始まる。



ただ、そんな春の息吹も今日までで18日は寒波襲来。これを過ぎれば再び春への道を歩み、次の啓蟄(3月5日)となっていくのだろう。




深大寺に遅い初詣③〜冬の植物園で花を探して歩く

2025-02-05 05:00:00 | 日記
深大寺にて初詣参拝を終え、神代植物公園にも足を伸ばす。どんな花が咲いているのか甚だ疑問ではあったものの、立春までもう少し、花を見つけられるかなと楽観的に植物園の切符を買った。


入園してくぬぎや欅の中をバラ園の方に向かうが、全く花はない。バラ園にもほぼドライフラワーのようになった薔薇の花はあるが、全て茶色っぽくなってしまっている。





やむなく大温室の方に向かう。大温室は熱帯植物、ラン・ベゴニア、熱帯スイレンなどの植物に分かれている。



熱帯植物は馴染みのないものが多く、知っているのはオニバスくらい。毛虫のような花を咲かす植物やウツボカズラなどの食虫植物などあまり美しい花がない。



隣の部屋のランやベゴニアは大きな花が多く、かなり派手な雰囲気。ポインセチアも我が家にあるものよりはかなり大きかった。



私が大温室で最も美しいと感じたのは熱帯スイレン。スイレンの白い花はよく見るが、輝くようなピンクや青、紫色の花には目を見張った。



他にも色々な形のサボテンなど砂漠のような水の少ない地域に生える植物のコーナーもある。



続いて企画展をやっていた盆栽を見に行く。入口にあった紅白の梅がいい。室内に入り、愛好家グループのおじいさんたちが熱心に説明してくれる。



黄色い福寿草、大ぶりの白梅、入口近くに展示されていた250年ものの松など手塩にかけたご自慢の作品が並んでいた。受付では大きな黒松の松ぼっくりを無料配布中。松ぼっくりから芽をださせて盆栽とするらしい。



室内だけでなく、屋外の花がないと探したが、ようやく見つけたのが紅梅(早咲八重梅)。



他には椿、山茶花の木には花をみつけることができた。




ただ、枝垂れ桜や楓、ユリノキはやはり葉も全てなくなった寒そうな裸木が続く。梅のコーナーに行っても咲いていたのは白梅1本、それも上の方の枝のみだった。



ただ、最後の最後に通常の梅の花より少し早く咲く蝋梅(黄色い梅)を見つけた。蝋梅は今が見頃、ようやくたくさんの花をつけた木が並ぶ風景があった。この時期に植物園に来た時はまず蝋梅から見に行くといい。
色々な花が咲く植物園といえども、さすがに今はオフシーズン、次は桜の咲く頃に来てみたいものである。

深大寺に遅い初詣②〜今年は大開帳です

2025-02-03 05:00:00 | 日記
深大寺の山門を登り、境内に入る。普段は左側の小さな小屋でお守りや土鈴、破魔矢などを売っているが、お正月期間は右側に大きな小屋があり、何列も人が並んでいた。



まずはご本堂にお参りする。今年4月26日〜6月2日に大開帳が行われる旨を告知したポスター、白鳳仏を安置する白鳳堂建築に向けた寄付の要請ポスターなども並んで置かれていた。

本堂にも5人程度人が並んでおり、その後ろに付きお参りを済ませた。

初詣で今年の運勢をということもあり、元三大師みくじを200円支払いお願いする。出てきたのは79番、吉が出た。



普通の寺社のおみくじの吉は大したことがないが、深大寺はおみくじの始祖と言われた元三大師が始めた。

しかし、中身はなかなか厳しい。案内文を読むと①凶が30%と凶の確率が高く、②下から『凶、末小吉、末吉、小吉、半吉、吉、大吉』の順番で吉は上から2番めなのである。引いた時はガッカリしたが、これを読んで思っていたよりいい内容にホッとした。



続いて元三大師堂にお参り、こちらは元三大師像が安置されているお堂だが、今年は4月末から6月まで大開帳がなされ、中開帳(2009年11月27日〜12月3日)以来久しぶりに大師像を拝むことができるのが今から楽しみである。大師堂にはいつものように厄払いを乞う人の列ができていた。

次に釈迦堂、こちらには国宝の白鳳仏(釈迦如来像)と毘沙門天像(平安時代後期)、梵鐘が納めてある。白鳳仏が国宝に指定され、納めるための白鳳堂は現在建築中、私もご利益をいただきたく、寄付したいと考えている。また、お隣にはおびんづるさまと願掛けだるまも移ってきており、いつものようにおびんづるさまの頭と足を撫でて痛くならないこと、よく働けることを祈った。



隣にある白山神社に手を合わせ、最後は開山堂に足を運ぶ。開山堂は1983年に開山1250年を記念して作られたお堂で中には薬師如来、脇侍に弥勒菩薩と十一面観音菩薩が安置されている。周囲には代々の住職のお墓もあり、また最も高いところに作られているため、お寺の伽藍が一望できる。ただ、あまり知れていないのか、訪れる人は少ない。

と、これだけ(但し、全てではない)をぐるぐると周りようやく初詣が完了、まずは今年の平穏を祈ることができた。(以下、次回)


『久我山歳時記』(57)〜寒さもピークの大寒

2025-01-20 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』(57)、1月20日は大寒の入り、最も寒い時期に突入する。とはいえ大寒は二十四節気の中で冬の最後の季である。今のところ東京では最低気温が氷点下になったのは1回のみだが、気象庁のデータで最低気温が最も低いのは1月18日〜1月28日(1991〜2020年の30年平均)の1.1℃、つまり大寒とほぼ付合することになるのである。

二十四節気はかなり昔に作られたものというイメージがあるが、意外に気温と連動している。では東京の冬日を調べると2025年は1月5日-0.2℃の1回のみ、2024年は1月25日-1.1℃、2月7日-0.1℃の2回とほんのわずかしか記録されていない。これに対して2023年は7回、2022年は14回とこれだけ見てもかなり温暖化が進んでいることも分かる。

二十四節気をさらに細かくした七十二侯では『欵冬華(ふきのはなさく)〜1月24日』『水沢腹堅(さわみずことりつめる)〜1月29日』『雞始乳(にわとり初めてとやにつく)〜2月3日』となっている。

水沢腹堅と聞くと仕事で昔お邪魔していた袋田の滝を思い出した。当時は良く結氷したもので美しいがとにかく寒かった。

久我山付近をそぞろ歩いて見ても風が強い日が多かったせいか、さらに木の葉が落ちて寒そうな木ばかりが目立つようになってきた。

もちろんまだサザンカの花は咲いてあり、モクレンや椿のように芽を出したり、蕾をつけたりしているものもあるが、例年ならば1〜2輪の花を付けていたはずの梅の木もまだ蕾は硬いままである。

我が家の庭もハナミズキやハナカイドウの葉は殆ど落ち、常緑樹のツバキ、サザンカなども葉はあるが、あまり明るい感じがしない。



色のあるものといえば実だけがツルにしがみついて葉葉枯れたカラスウリ、オレンジ色がやけに目立っていた。



普段ならこの時期に蕾が出てくるクリスマスローズの白い花も全く気配はなく、お正月までは網を掛けて鳥に食べられないようにしていたセンリョウも網を外した途端にムクドリがやってきて殆どの実を食べられてしまった。

(庭から切ったセンリョウ)

ただ、室内と室外両方で育てている一昨年の12月に買ったピンクのシクラメンは何とか3つ目の花を咲かせてくれて楽しませてくれているが。春になって花を見れるまでにはまだかなり時間がかかるだろう。






寒そうなカラスウリ

2025-01-19 23:32:00 | 日記
町を歩くと食べられる実もあれば食べられない実もある。ただ、人が食べなくても鳥が食べる実もあるが、カラスウリは鳥にあまり人気がないのか、所々にまだ残されている。葉っぱはとうに枯れてしまっているのに。
なぜカラスウリだけ人気がないのだろうか、毒があるのかな?目立つのにね。


見た目は美味そうなのに。道を歩くとカラスウリばかりが気になってしまう。