hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

『久我山歳時記』㊸〜小暑ではあるが、暑すぎ?

2024-07-07 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』㊸、7月7日は二十四節気の一つである『小暑』である。七夕とも重なるのだが、かつては梅雨明けと重なることもあった。ここ数年の平均的な梅雨明けは7月19日だが、2013年からの10年を取ると最も早かったのが6月29日(2013年)、遅かったのが8月1日とかなり日幅がある。

小暑は二十四節気の夏の中では3番目、芒種→夏至→小暑→大暑と続く。季節としては梅雨明けがあり、本格的に暑くなりだす時期と言われ、暑中見舞いを出すのもこの時期である。



また、七十二侯では『温風至(あつかぜいたる)〜7月11日』『蓮始開(はすはじめてひらく)〜7月16日』『鷹乃学習(たかすなわちわざとなす)〜7月22日』となる。蓮の花が開き、鷹が巣立ちをする時期なのである。



久我山を歩いていても夏らしい風景を見ることが増えた。少し前からは木槿(むくげ)の花が咲き始めたと思っていたが、毎日たくさんの花を咲かせる。ピンクや紫、白い花の真ん中が紅色(日の丸、宗旦と呼ばれる)と種類も豊富である。

他には夾竹桃(きょうちくとう)や朝顔、ゴーヤーなどが続々と咲き始めた。



まだ久我山では花を見ていないが、日本橋では早くも百日紅(サルスベリ)の花がピンクの花を付けている。


白粉花(オシロイバナ)も濃いピンクの花をたくさん付けて咲き誇っている。オシロイバナとは言いながら、あまり白い花はなく、この赤紫の花が多い。まあ、オシロイバナの由来は種を割ると中から白粉のような粉が現れるからなのかもしれないが。





雑草と言われているものでは目立っているのがオレンジ色の花が大きいノウゼンカズラ。蔓性の植物なのだが、あたかもそこに生えている木の花のように見える。



ヨウシュヤマゴボウは白い花をたくさん付け、これがあっという間に暗紫色の実を付ける。タケニグサもどんどんと高さが高くなり、花を咲かせている。



また、ヒルガオも良く見るとピンクの花が意外に美しい。それにしてもこれら植物の生命力の強さ、刈っても刈っても翌年には芽をだす。

我が家の庭ではキキョウがどんどん花を付けて買った昨年より多くの花を咲かせているし、今年の日々草もテラコッタに2株を植えただけなのに溢れんばかりに花を付けている。



やはり、夏の草花(木の花)は勢いがあり、力強さを感じる。ただ、人間の方は早くも暑さに負けてしまいそうになっているのだが。

最後に番外編、帝国ホテルの入口にある花が今はひまわりであった。

6月の旅④〜草津の湯であったまる

2024-07-04 05:00:00 | 日記
6月の旅④。旧北軽井沢駅の後は本日の宿『季の庭』に向かう。まだ、時間は早かったが、温泉に来たならば早めに宿に入り、風呂に浸かろうと14時半には到着する。



この宿はドーミーインなどを展開する共立メンテナンスの子会社共立リゾートが運営していて森の中にゆったりと立っている。やはりウリはお風呂、男女それぞれ大浴場が2つずつ、それ以外に家族風呂が3つ、今回は部屋にも露天風呂がある。荷物を置いてすぐに大浴場へ。

湯船は室内に4つと冷水風呂、サウナ、岩盤浴もあり、もちろん大きな露天風呂も備えている。室内の風呂に浸買った後に、露天風呂へ。湯は白濁しているが草津温泉の割には肌がピリピリすることもなく、ゆっくり浸かれる。サウナは熱いのですぐに出たが、良かったのは岩盤浴。タイル張りの寝台に寝転ぶだけだが、肩や腰、さらに背中や脹脛など後ろからじわじわと温めてくれる。痛いところがあるだけに嬉しい。翌日の朝までに夜1回、朝1回、計3回も大浴場に通ってしまった。



部屋からは緑たっぷりの森が見えて外を見ているだけでリラックスできる。ベランダの露天風呂に入ると外の蛙や鳥の声が聞こえて心地よい。翌朝にはウグイスの谷渡りやカッコウなどまるでテープを流しているような鳥の声を聞くことができた。


夕食はレストランで摂る。サービス満点だし、懐石料理をゆっくり楽しむだけで満足。メインは鍋か鉄板焼きから選べるが、肉が食べたくて焼き物に。鉄板で牛肉や野菜、名物こんにゃくなどを堪能した。





なぜか食べ終わる頃にシェフからのサービスとして小鉢が6種類から好きなだけ選べる。私はマグロのスペアリブ、鮭のエスカベージュなどを楽しんだ。





朝食もレストランにて。たっぷりの惣菜に地元名物の味噌汁がつく。名前を聞いたが忘れてしまった。具沢山の味噌汁はたまらない。いつも朝はパンだが、たまに食べる旅館の朝ごはんは旅の大きな楽しみである。

館内は畳が敷き詰められ、作務衣・裸足で歩くことができる。初日夜までは缶チューハイやノンアルコールビールなどが無料で飲み放題とサービスもいい。

翌朝も室内の露天風呂に浸かり、9時過ぎに出発、実にいいホテルで満足度大である。(以下、次回)

ぷらっと東京散歩⑫〜秋葉原駅→小伝馬町駅

2024-06-28 05:00:00 | 日記
『東京の街をぷらっと』⑫、秋葉原駅から岩本町交差点を越えて水天宮通りを歩く。この辺りは意外に古いビルがまだ残されている。そんな古いビルを右に曲がると小さな神社『繁盛於玉稲荷神社』が現れる。

江戸時代にはこの辺りに『桜が池』という不忍池より広い池があった。池の西側に谷田川が流れていたが、水量が多く、下流は度々洪水に見舞われたために柳原堤が作られた。洪水は無くなったが水量が減り、埋め立てられてしまった。



この池の名前が『於玉が池』となったのはお玉という美しい娘が2人の男から言い寄られ、悩んだ挙句に池に身を投げてしまう。霊を慰めるためにこの神社が作られたという。



また、お玉が池近くには1858年に伊東玄朴が開いた西洋式の種痘所が設けられ、その後の日本の医学発展に大きな影響を与えた。



お玉が池近くにはお玉が池児童公園やお玉湯、お玉が池法律事務所など名前が着いた施設が多くある。

水天宮通りを歩くと小伝馬町駅地下鉄入口の所に『十思公園』がある。旧十思小学校の跡地の一部だが、江戸時代には小伝馬町牢屋敷があり、吉田松陰が処刑されたため、その終焉の地の石碑がある。

また、公園の真ん中に遊具かとも見える鐘楼がある。これは『石町時の鐘』と呼ばれ、大元は江戸城内にあったが、1626年に日本橋本石町(今の日本橋本町4丁目)に辻善七という人が鐘楼を建て移した。1710年に火災で鐘楼は燃えたが、鐘は1711年に作り直され、さらに現在地に1930年に移された。





十思公園の向かいには大安楽寺があり、境内に『江戸伝馬町処刑場跡』という石碑がある。

牢屋敷は1875年に市谷監獄へと移されたが、荒れ放題となっていた。これを山科俊海という大僧正が刑死した者の菩提を弔うために勧進し、大倉・安田など財閥の寄付を得て新高野山の山号を称する寺となった。



ちなみに大安楽寺の『大』は大倉、『安』は安田に由来する。

水天宮通りはこのまままっすぐ行くと人形町交差点、水天宮前を経て箱崎町へと続き、隅田川を越えて清澄通りと合流する。

『久我山歳時記』㊷〜夏至の日に梅雨入り

2024-06-22 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』㊷、6月21日はもう『夏至』である。北半球では1日の昼の時間が最も長くなる。(南半球では昼の時間が最も短くなる)通常の年は梅雨の真っ只中、雨が降ることが多いが、ようやく今日から雨模様、関東も梅雨入りとか。

では夏至はどのくらい昼の時間が長いだろうか。今年の夏至は6月21日なのでこれを調べると日の出が0425、日の入りが1900、つまり昼の時間は14時間35分となる。同じように冬至(12月21日)を見てみると日の出が0647、日の入りが1632、昼の時間は9時間49分であり、5時間近く違うのである。

夏至は6月21日〜7月6日の事を言うが、さらに細かい七十二侯では『乃東枯(なつかれくさかるる)〜6月25日』、『菖蒲華(あやめさく)〜6月30日』、『半夏生(はんげしょうず)〜7月6日』と細かく分けている。『なつかれくさ』とはウツボグサ』のことで冬至に芽を出し、紫色な花をつけ、夏至に枯れるとされている。

ただ、高原に行けば8月中旬までは美しい花を見ることができるのであるが。『半夏生』は有名だが、夏至から半夏生の間に田植えを済ませるといいとされていて無事田植えが終われば田の神様に感謝する行事を行うからである。

また、半夏生という植物があり、この頃には緑の葉が一部を残して白くなるのである。

久我山はもう夏、5月に最初に小さな実をつけ始めた葡萄も育ち始め、緑色の実が大きくなり、葡萄の房らしくなりつつある。ブルーベリーも温室物は出回っているが、路地ものも実が大きくなり始めている。

夏の花ではゴーヤが黄色い花をつけ、木槿が可愛らしいピンクの花をつけ始めている。



また、この時期に一斉に咲くのがアガパンサス、最近は庭に植える人も増えてきたが、ギボウシに似たユリ科の花で薄紫色の花を付ける。

原産は南アフリカのようだが、不思議なことに一カ所で開花を見つけると他のところに植えてあるアガパンサスも勢いよく咲いている。

我が家の庭では一昨年に買ったキキョウが今年も花を咲かせていて美しい。紫色のものは写メに撮ったが、その後、ピンクの花も咲き始めている。



玄関横のプランターに植えた日々草も今年は元気でピンクと紫の花をたくさん付けている。ただ、ポーチュラカは日照不足のせいか、なかなか花が続かない。家の近くではリュウキュウアサガオが早くも白い花を付けていた。



梅雨といえば紫陽花、他にもヤマボウシやヤマブキなどの花も見ることができる。



関東地方もようやく梅雨入りもした。このまま一気に夏になって行くと植物は生き生きするが、肝心の人間の方が参ってしまいそうであるが。

6月21日の月はストロベリームーンというらしいのだが、私には普通の月のように見えました。

このようにはなりません。





東京の街をぷらっと⑪〜秋葉原駅→小伝馬町駅

2024-06-13 05:00:00 | 日記
『東京の街をぷらっと』⑪。約2年ぶりの企画、東京の街をぷらっと歩きながら色々な史跡を巡る散歩。復活の初回は『秋葉原駅〜小伝馬町駅』を歩く。



秋葉原駅と言うと『電気街とAKB』少し前ならば『メイド喫茶』が有名だが、昭和通り口を降りて右に曲がると神田川に架かる和泉橋に出る。東京メトロ日比谷線秋葉原駅出口前には書泉グランデ。鉄道ファンならば大概の人が知っているかなりマニアックな書店である。



和泉橋は江戸時代の地図に『いづみ殿橋』とあり、川の北側に藤堂和泉守の屋敷があったからとも、築城の名手といわれた藤堂高虎が創架したからとも言われている。1892年には鉄橋となり、今の橋は1916年に作られた長さ35.8m、幅44mの鋼橋である。即ち、関東大震災も太平洋戦争にも耐えた橋である。橋の横あたりには非常時に使われる防災船着場もある。



江戸時代頃は和泉橋から見て左側の岸は『柳原土手』と呼ばれ、土手の上を人が通り、下には古道具や古着を扱う葦簾張りの店が並んでいて繁盛していた。土手は1873年に壊されたが、須田町に軍服を扱う羅紗問屋ができたこともあり、橋を渡り、次の柳原通り沿いには多くの衣料問屋が立ち並んでいた。



昭和通りに沿ってまっすぐ行くと次の大きな交差点が岩本町、一八通り沿いの交番の奥に行く。



すると左に石碑が幾つかあるが、1つが『玄武館、瑶池館』跡の石碑。玄武館は千葉周作が開いた北辰一刀流の道場で練兵館、士学館と共に幕末三大道場と言われたとある。

その隣の『千桜百年の碑』は千桜小学校の百年の記念碑である。ただ、他の都心の小学校同様に生徒減少から1994年に神田司町にある神田小学校に統合され、今跡地は高層マンションとなっている。



(緑で囲んだ地点)

再び、岩本町交差点に戻る。昭和通りと水天宮通り、さらに靖国通りが合流する三角地帯に行く。不思議なもので周りはたくさんの車が行き交っているが、ここ土地だけは青い草が生い茂り、不思議な雰囲気を醸し出す。



ここが『馬の水飲み場』である。説明板には『江戸時代より房総や東北方面からの物資輸送(米、野菜、魚介類、材木など)のための荷車を引く牛馬の水飲み場として、また旅人の休息場として重要な役割を果たしてきた』とある。(地図に緑のマークした場所)(以下、次回)





東京ドームのエキサイティングシートに行きました

2024-06-11 05:00:00 | 日記
1年ぶりにプロ野球観戦に東京ドームを訪れた。カードは読売ジャイアンツvsオリックスブルーウェイブ、巨人主催のセパ交流戦は最終戦となる。チケットは某所からの頂き物、とても自分で取ることは難しい1塁側エキサイティングシートである。

試合開始は14時だが、その前にビールと弁当を買って席に座りながら守備練習を見るのがいつものスタイル。並ぶ人が多く、ドーム内に入ったのは12時50分。



しかし、東京ドームに行ったこのがある人ならば分かるがとにかく弁当の種類が半端ない。昨年は確か坂本選手プロデュースの弁当を頂いたのだが、連れ合いも私も悩んで結局崎陽軒の弁当を購入。席にたどり着いたのが1320である。

エキサイティングシートに行ったことのない人に話すと嫌味に聞こえるかもしれないが、普通に野球を見たい人が行くには不便。というのは①席が最前列にあるのでかなり階段をトコトコと降りなければならない、②いちいち係員の人に言わないと入れないスペース、③追加のビールが欲しくてもなかなか売り子さんが来てくれない、④席にいる時にはヘルメットとグラブ(もちろん貸与品)をしなくてはならず、頭の大きい人には暑くて辛い、と言った調子である。

もちろん、席も広々していてクッションも効いているし、目の前に吉川選手や岡本選手が練習していると言ったメリットもたくさんあるが。
(崎陽軒のおつまみ弁当)


(崎陽軒の特製幕の内弁当)

席に着き、弁当を開け、つまみにしながらビールを飲む。この至高な一時、目の前では守備練習が続いている。すぐにスターティングラインナップが発表、巨人は5連勝中の菅野、今年は本当にいい。一方、オリックスは佐藤投手、左投げということしか知らないが、これもやむなし、最近支配下登録されたばかりの投手であった。

試合は14時ちょうどにプレイボール、まずはオリックスの攻撃である。先頭打者中川圭は内野ゴロでアウト、続く来田も私はよく知らない。しかし、彼は足が早く、セカンドゴロが少し左に飛んだのを吉川選手は好捕したのだが、これを内野安打にした。



菅野は続く太田選手にフォークをワイルドピッチ、結局四球で1アウト1、2塁。ここで当たっている西川。うまく打ってタイムリー2塁打で先制される。さらに1アウト3塁で5番紅林がきっちりも犠牲フライ、あっという間に2点が入る。



その裏は1アウトの後、2番ヘルナンデスがインコース高目を捉えて2塁打。内野ゴロで2アウト3塁となり、4番岡本となる。佐藤投手はかなり緊張していてストライクが入らず0ストライク3ボールとなる。まずはウェーティングと思ったが、次の甘めの球を強振、ただ結果はやや深めのセンターフライで点が取れない。やはり2点ビハインドで相手投手が浮き足立つシチュエーションを考えるともっとじっくり行くべきであろう。

3回表は1アウトから3番太田がクリーンヒット、再びチャンスに4番西川。フルカウントまで行くが勝負球をセンターに運ばれて2塁打で3点目、西川には菅野は相性が悪そう。

(バッファローベルは味が早い)

その後は両チームともあまりチャンスはなく、佐藤投手は5回を1安打ピッチで終える。やはり1回のピンチを上手く抑えられたことが、好投に繋がっている。

6回裏の巨人は変わった鈴木投手から1番丸がクリーンヒット、2番ヘルナンデスは外野フライとなるが、3番・4番に四球となり1アウト満塁と巨人は2度目のチャンス。ここでオリックスベンチは鈴木投手を諦め、日ハムから来た金足農業の吉田投手が登板。5番坂本はきっちり外野フライを打ち1点、ただ、これで終わりでは勝てない。

7回は巨人が菅野から船迫に変わるが、2本のヒットで1アウト1.3塁を作り、内野ゴロの間に4点目。せっかく1点苦労して取ったのに水の泡。7、8、9の3回の攻撃で3点は無理かなあと思ったが、9回は坂本にクリーンヒットが出ても代打中山がダブルプレイでチャンスを潰すなどほぼ3時間で試合終了。あっさりと巨人の敗戦。
(クローザーのマチャド)


負けのなかった菅野が敗戦投手、オリックスの佐藤投手は初登板で嬉しい初勝利、同一カードで3タテを食らってしまう。26イニングぶりに点は取れたが、巨人の打撃は結構深刻であった。

(巨人優勝年が記されている)

どちらのファンでもない私(阪神ファン、次の3連戦は阪神vsオリックス)はじっくりと試合をチェック。オリックスはやはり太田、西川が振れているので要注意。ただ、代打で出た杉本選手や守備から出た宗選手など去年の優勝の立役者は打撃の調子はイマイチである。
一方、巨人は次の打者に繋ぐ野球をしないとなかなか得点には至らないだろう。僅か4安打はしょうがないが、完全に散発でチャンスでクリンナップに回っても点にならない。特に5番より下位の選手には怖さを感じなかった。

ちなみにエキサイティングシートにも結構オリックスファンがいて頑張って応援していた。やはりどんなスポーツでも同じだが、現場の臨場感は全く違うのである。

『法然と極楽浄土』展を上野に見に行く

2024-06-10 05:00:00 | 日記
久しぶりに上野にある国立博物館に行く。6月9日までの会期で『法然と極楽浄土展』が開催されていて何とか間に合わせることができたのである。

上野駅公園口を降りるとすごい人の数、外国人も多いが、やはりパンダ目当ての親子連れが目立つ。国立西洋美術館のカレーの市民や考える人を右にながら歩くと。さらに右に曲がると大音量、フィリピンExpoが開催中のようだ。

そのまま噴水の横を歩くと目の前に国立博物館の立派な姿が見えてくる。大枚をはたき、入場券を買うと大きなユリノキ、神代植物公園の木より大きい。池横を通り、構内左奥にある平成館を目指す。



歴史を学んでいた際に仏教は鎌倉時代に入り、貴族や天皇といった支配階級ではなく、国民全体を救える宗教として浄土宗、浄土真宗、日蓮宗(法華宗)、時宗などが起こされたと習った。その中でも最も古く、また自身の菩提寺も京都黒谷にあり、金戒光明寺の前にあると言う縁もあり、どうしても行きたかった企画展である。

国立博物館平成館2階の展示室を使って4つのフェーズに分けて紹介されている。まず、『法然のその時代』と題して生い立ちなどが記されているが、最初に目にする展示品は法然自身が模写した往生要集(恵心僧都源信の著述)実物である。法然は1133年美作国に漆間時国の子として生まれるも、9歳の時に夜討に会い、父を失うが、その際に父の遺言で仇討ちをするな、恨みの連鎖となると言われ、叔父の僧侶に引き取られる。1145年に延暦寺に登り、修行を積むが父親の恨みことが忘れられず悟りが開けない。ここでさらに厳しい修行を行なう。43歳の時に中国の高僧善導の『観無量寿教疏』によって回心を体験、専念念仏を奉ずる立場から浄土宗を開く。開宗したのが1175年でここから850年になるのを記念した企画展である。

法然の坐像や立像、さらにはその言動や教えを伝える『法然上人絵伝』、自筆と伝わる法然上人像など多くの資料を見ることができる。

私の目を引いたのは法然が80歳で入滅する時に描かれた法然上人涅槃図。一つは釈迦の涅槃図同様に周りにたくさんの人や動物が嘆き悲しむ姿、もう一枚はたくさんの弟子たちが描かれているが、特に後者はお坊さんの集合写真のようで興味深かった。

(早来迎図)

第二章『阿弥陀仏の世界』第三章『法然の弟子たちと法脈』では法然入滅後の浄土宗の動き。たくさんの仏像が出ていたが、京都知恩院の『阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)』は残念ながら展示が終わっていた。

(當麻曼荼羅図)

(綴織當麻曼荼羅)

また。数年前に奈良・當麻寺を訪れた際に見た江戸時代に作られた『當麻曼荼羅図』をじっくりと見ることができた。(『綴織當麻曼荼羅』(国宝)は素晴らしいものだが、時代を經すぎてよく見えなかった。)

最後の第四章『江戸時代の浄土宗』では徳川家康の庇護のもと、芝増上寺、京都知恩院などにおいて浄土宗を厚く信仰、全国に広がったことがよく分かった。また、狩野一信が描いた『五百羅漢図』の迫力には圧倒された。



展示のラストは法然が75歳の時に流された讃岐国にある法然寺の『仏涅槃群像』、涅槃像だけでなく10大弟子や摩耶夫人、動物たちなどが嘆く姿を像にしたものが展示されていて、その表情、形が面白く、かなり楽しむことができた。



ここだけは撮影可となっていたが、猫やウサギなど可愛らしい姿は見飽きないものである。実際の高松市にある法然寺にも訪れてみたいものである。






『久我山歳時記』㊶〜芒種入り

2024-06-05 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』㊶。季節はあっという間に移ろい、5日は『芒種(ぼうしゅ)』である。

今年の沖縄地方の梅雨入りは5月19日と平年より10日ほど遅れた。関東地方の平均的な梅雨入りは6月7日なのだが、今週の天気予報はずっーと晴れ。やはりこちらも遅くなりそうである。芒種とはイネやムギのようなのぎ(芒)、つまり針のような突起のある植物の種を蒔く季節のことを指す。

さらに細かく分けた72侯では6月9日までを『蟷螂生(かまきりしょうず)』、6月15日までを『腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)』、6月20日までを『梅子黄(うめのみきばむ)』としている。確かにこの季節になると小さな蟷螂が卵から孵り、歩いている姿をよく見る。

さらに久我山では6月8日・9日が神田川螢まつりだが、ほぼ暦通りとなっている。



久我山の街を歩くととにかく目につくのは紫陽花と百合の花。紫陽花は少し前から咲いてはいるが、植える場所の土壌がアルカリ性、酸性などにより色が異なる。アルカリ性の場合には青く、酸性の場合はピンクにかわるのだが、近年は花を青くしたり赤くしたりする肥料まで売られている



さらに以前にはなかった小さな花の紫色の種類や星のような形の花、房のような花を咲かせる種類まであり、美しい。



目立つ花としては百合とタチアオイ。百合は白ばかりではなく、ピンクや黄色い花が咲く百合を植えているお宅が多い。

タチアオイは洋名をホリホック、梅雨入り頃から梅雨明けまで花をつける為、『ツユアオイ』の別名もある。花は直列に付いていて下から上に向かって咲いていく。



トルコ原産と言われているが、日本には薬用として万葉集の時代から咲きつづけている。花の色は白、ピンク、赤、そのグラデーションなど、多種ある。






花の大きさに驚くのはタイサンボク、大きくなると20mを超すものもある大木で直径20cm〜40cmほどの白い花を付けると圧巻である。高いところに咲く為あまり感じないが、香りも強い花である。あまり小さな木には花が咲かず、私が初めてこの花を見たのが宮城(皇居)を歩いていたときである。



ほかにもサツキ、桔梗、ヤマブキなど色とりどりの花を見るのは楽しいものである。





2024年度春の早慶戦に行く

2024-06-02 05:00:00 | 日記
また今年も東京六大学の最終週に行われる早慶戦に来てしまった。というのはここ数年の早慶戦は優勝がかかっていたのだが。今春のシーズンは東大からはすんなり勝ち点を挙げたものの、法政戦は1勝1敗で3戦目勝利、立教戦は1勝1敗1分となり4戦目で勝利と苦戦続き。明治戦は簡単に2つ負けたため、優勝は早明に絞られてしまった。

しかし、優勝はなくなったとはいえ、久しぶりに同級生が5人集まれるということで6月1日神宮球場前に皆集まることにした。

東京メトロ銀座線外苑前駅はすでに大勢の人、球場までの道も人で溢れかえるが、優勝がかかる早稲田の方はTシャツを着た人が多い。一方で慶應は付属の学童や学生たちの白いワイシャツ姿が妙に目立つ。何となく動員ムード。



12時に集合、誰も遅刻せず席に向かう。今日の席は三塁側内野の最上段、まさに天井桟敷である。まずはビールで再会と早慶戦の勝利を祈念して乾杯。幸い日差しが当たらない席のため、快適に弁当を食べ、ビールを飲む。

開始30分前になると大きな応援旗が到着、エールの交換などムードが盛り上がる。慶應の先発は外丸投手、今季のエースである。一方、早稲田は伊藤投手である。



13時プレイボール、初回慶應は3番キャプテンの本間選手が四球で歩くが、簡単に終わる。裏の早稲田は尾瀬・山懸の4割コンビがいい当たりをするが、3者凡退と両投手ともスムーズな立ち上がりとなった。



2回は慶應の攻撃は淡白なもの。しかし、早稲田はしぶとい。2死の後の四球と死球で出たランナーを石郷岡選手がセンター前に弾き返し、先制する。

3回は早稲田は簡単に2死となったが、3番吉納が簡単にカウントをとりに来た球をレフトにホームラン。2対0となる。


4回は慶應が簡単に2死とはなるが、1番水鳥選手が2ベースヒット。初ヒットが生まれるも昨年の甲子園で活躍した丸田選手は凡退、とにかくこちらはヒットが続かない。
5回の早稲田は1死1、3塁から4番印出のセンター前タイムリーで3対0となる。しかし、この段階でも慶應は1四球、1ヒットのみ、攻撃がやたら早くなる。とにかく早いゲーム運びである。

6回裏の早稲田は投手の伊藤選手のタイムリー、尾瀬選手の犠牲フライ、さらに吉納選手が自身2本目となるホームランを放ち、0対8のワンサイドゲームとなってしまう。

1回と4回以外はランナーすら出せない慶應も8回に先頭の横地選手がバントヒット、代打の吉野選手がデッドボール、代打の真田選手が綺麗にライト前ヒットで無死満塁の大チャンス。しかし、得点差も大きいことから伊藤投手も伸び伸びに投げていていて、続く古野の方がセカンドゴロでダブルプレー、1点は取ったがチャンスは潰え、最小失点に抑えられた。

8回からは慶應の3番手投手である木暮投手は変速モーションから早稲田打線を抑えたが時すでに遅し、9回表の慶應の攻撃はあっという間に終わり、2時間半でゲームセット。8対1で敗戦となった。
もちろん、打てない打線も配球ミスから打たれた投手陣も酷いが、投手の変えどころを失して最後は3ランまで献上したベンチに大きな責任問題があるように感じた。

とはいえ、四国や長野から来た同級生もいて久しぶりに色々な話ができたことは大きな収穫。もう現役生活に別れを告げる人も出てくる中、会えるうちに会って、酒を酌み交わす機会を大切にしていきたいと心から思った一日であった。秋は勝てよ!野球部!

久我山歳時記㊵〜小満に入って

2024-05-23 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』㊵、5月20日からは二十四節気の『小満』に入る。大寒・小寒はあるが、大満はないようだ。小満とは『草木が周囲に繁り、満ちはじめる』という意味であり、『夏めく』『麦秋』『走り梅雨』『薄暑』などという言葉で表現される。

さらに七十二候では『蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ、〜5月25日)』、『紅花栄(べにばなさかう)、〜5月30日』『麦秋至(むぎのときいたる)、〜6月4日』と細分化される。

『麦秋』は秋のことではないことを知ったのは学生時代に名画座で小津安二郎の『麦秋』という映画を見た時である。この映画の主人公は原節子、ストーリーは私が忘れかけるほど大層なものではないが、彼女の結婚が遅い(と言っても28歳の設定)を気にした周囲の人々が色々と考え、縁談を持ちかける。条件のいい縁談で纏まりそうになるが、最後は子連れの医師と結婚したいと娘(原節子)が意志を通すというお話。最後のシーンでばらばらになった大家族の親(菅井一郎、東山千栄子)が豊かに実った麦畑を眺めながら想いに耽るシーンが印象的であった。何気ない人間関係、日常にスポットを当てる小津映画らしい作品である。映画が公開されたのは秋であるが、麦秋というこれから実りある時期を迎えるシーンをタイトルにした意味が最近になってようやくわかるようになった。



久我山でも木々の葉が茂り、青さが増して行く時期であるが、その中で梅の木を眺めると葉っぱだけでなく、梅の実がかなり大きくなってきている。



(ジューンベリー)

ブルーベリーやジューンベリーの実も少しずつ色がつき始めてきている。



冬の間は葉が落ちて死んだように見えた葡萄も小さな葡萄の実の赤ちゃんがはっきりと実をつけている。郁子(むべ)の木にも同じように小さな実がなりはじめ、これがあの大きな実になるのかと思った。



紫陽花も青・紫・白など様々な花を咲かせていて、花が大きくなり、また、日々色が深くなっていくのがよくわかる。



ハナミズキは1ヶ月前に花を付けたが、今、多くの花を付けているのがヤマボウシ。この二つは親戚のような関係にあるが、ヤマボウシは葉が出てから、また高い枝の先に白い花を付けるのでやや地味な感じがする。



忘れてはならないのがバラ、今が春のバラのトップシーズン。ピンクのバラ、赤い薔薇がその色を競い合うように見える。





最も元気なのはドクダミ、名前や抜いた時の匂いで損をしているが、その生命力の強さには頭が下がる。近くのアパートではコンクリートの隙間から並んで花を付けている。それも毎年のことなのである。



天気予報を聞いていると5月中旬までは暑いと言っても湿度が低く、爽やかな中でのカラッとした暑さだが、今週からは蒸し暑さに変わり、じっとりとした暑さに変わるとのこと。猛暑の予感の中、身体を早く暑さに慣れさせていかないといけない季節である。