hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

プラットホームにある水飲み場

2017-07-31 05:00:11 | 日記

『鉄道シリーズ』その175。東京の駅のホームは改装が相次いでいる。特にJRと東京メトロは工事をしていないことがない、どこかの駅が工事中、大手町駅など工事中でないことの記憶がない駅すらある。この改装工事は単に新しくするだけではなく、新たなものが設置され、古いものは撤去されて『◯◯がなくなっている』としばらくして気がつく。そのなくなる典型が冷水機などの水飲み場とキオスクのような売店、立ち食い蕎麦コーナーそして公衆電話である。


その一方、新たに加わったのはキャッシュコーナー、自販機、変わったところではキャラクターショップなどである。

そのなかで今回探したのは冷水機、水道の類いの水飲み場や水道である。かつての国鉄の主要駅、特に東海道本線や東北本線などには必ず一回に10人程度利用できる水道設備があった。というのはかつては蒸気機関車が走っていたため、停車時間に水道で顔や手についた煤煙を洗い流したからである。

まずはJRから探してみる。最初からない駅を探してもしょうがないので確かあったはずという駅からスタート。しかし、浅草橋、秋葉原駅にはない。次に飯田橋、水道橋駅を探すが、いずれもリニューアル後で確かあったはずの場所にもない。



実は確実にみたことのあったのは千駄ヶ谷駅。島式ホームの真ん中に将棋連盟から寄贈された王将のついた水飲み場があったはずと探すも水道があったと思われる辺りには『4月よりリニューアル工事のためご迷惑をおかけします』の張り紙。残念、遅かった。

次に東京メトロ、日比谷線を中心に人形町〜上野を探すがやはり何もない。もう駅の売店すら廃止されているのだ。がっかりして人形町に戻り、今度は都営浅草線ホームに行くとやっとありました冷水機。


隣には水栓もついている。都営地下鉄の他の駅はと東日本橋、浅草橋、大門、三田と降りるが、何と全てある。しかも、水はちゃんと冷えて美味いし、私以外にも使う人は多い。

さすがに全駅とはいかないが、今でも都営浅草線や三田線に乗れば冷水機に出会えることは確認できた。まあ、ひまな取組みであるが、暑い夏には少し役立つかもと思っての企画である。

千駄ヶ谷付近の坂道(1)

2017-07-30 05:00:11 | 日記

『東京の坂、江戸の坂』その87。新国立競技場の建設に沸く千駄ヶ谷近くの坂道を訪ねる。新国立競技場だけではなく、現在JR総武線千駄ヶ谷駅も工事の真っ最中で駅の中まで削岩機の音が響き、まずは驚く。

そうでなくても毎日暑い日が続く中、左手には都営地下鉄大江戸線国立競技場前駅の入口、向かいに渡ると東京体育館、これも前の東京オリンピックの際に造られたのだから、かれこれ半世紀になる。その前を通り過ぎ、まっすぐ行くと鳩森八幡宮前に到着。

八幡宮に沿って下っていく坂道が『八幡坂』、由来はもちろんそのままである。

鳩森八幡宮と言っているが、正式には八幡神社であり、千駄ヶ谷一帯の総鎮守である。

その由緒は神亀年間(724〜9)に創建された社に860年慈覚大師が神功皇后・応神天皇・春日明神の像を添えて八幡宮とした、と言われる。


境内にある都内最古の富士塚も有名だが、この神社の裏手にある日本将棋連盟から奉納された大きな駒と御影石の将棋盤を納めた将棋堂という六角堂もある。

神社の前を八幡坂と反対に少し行き、次の道を左に曲がると道が狭くなる。その先に聖輪寺があったが、この寺にかつて如意輪観音があったため、この坂道が『観音坂』と名付けられた。
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ただ、戦災で観音像も燃えてしまった。なお、今でも聖輪寺は一本隣の道に面して建て替えられている。(以下、次回)

御成門駅

2017-07-29 05:00:21 | 日記

『メトロに乗って』その64。今回は都営地下鉄三田線御成門駅で降りて見る。都営地下鉄三田線は1973年都営地下鉄三田線(当時の6号線)開業とともにできた駅である。出口を上がるとすぐ目の前には大きな東京タワーが現れる。

駅名の由来は当時御成門交差点あたりにあった増上寺の門に由来するが、実は御成門自体を見たことがない。御成門はどこにあるんだ?これではいかんと反対側に渡ると芝公園の入口に出る。


ここで2つ目の疑問がわく。隣の駅名は確か芝公園駅なのに、1つ手前の御成門駅で降りると目の前に芝公園があるのかが気になった。駅名に関して調べて見ると『芝公園』は南北は御成門駅から芝公園駅まで広がっており、また、地名として港区芝公園に芝公園駅が存在する(御成門駅は西新橋)ためである。蛇足ながら、東京プリンスホテル、東京プリンスパークタワー、増上寺は全て芝公園に囲まれている。

元に戻り、芝公園の中を抜けて、みなと図書館あたりまで行く。その向かいに渡ると東京プリンスホテルの敷地の中に古ぼけた門らしきものを発見。そばによると『東京都史跡 御成門』とある。

増上寺の正門は大門であるが、徳川家の強い庇護のもと、将軍が増上寺に行く際はこの御成門を使ったため、この名前がある。御成門は国道1号線建設の際に明治25年にこの地に移されたのだが、戦災も免れ、今もその勇姿を保っている。


国道1号線まで戻り、東京プリンスホテルの前を抜けて行くと増上寺の前に出る。現在は増上寺の寺宝と徳川家将軍の墓所を公開しているらしい。


そして、国道1号線を反対側に渡り、しばらく行くと大門が見えて来る。かつてはこの前には落語ではないが、『芝浜』が広がっていたのであろう。

ブログの製本化?

2017-07-28 05:00:26 | 日記

拙ブログの『hokutoの気まぐれ散歩』も1500日を超えて本日で開設から1527日、うち1500日は連続投稿することができました。これを記念してではないですが、このブログを製本化(?)してみました。

もちろん、自費出版限定1部ですが。書き始めたころは写真もなく、実際にブログらしくなったのは2013年5月31日。まずはこの日から10月10日まで約4ヶ月分を459ページの本にしてみました。最初はコメントも短く、面白味のない記事ばかりですが、読み返すと逆にシンプルで新鮮な感じもします。

ただ、一冊作るのに費用が4000円以上(カラーにすると12000円)するので全てのブログを製本化するかはこれから考えます。まあ、何かを残すということはいいもの、自分への59回目のバースデープレゼントのつもりです。これからもこのブログをよろしくお願いします。(もちろん、配布の予定はありません、悪しからず。)

都立大学駅周辺の坂道(2)

2017-07-27 05:00:11 | 日記

『東京の坂・江戸の坂』その86。前回に引き続き都立大学駅周辺の坂道を歩く。天神坂を降りて右に曲がる。しばらくすると右側に東光寺という大きな寺が現れる。

東光寺は鎌倉時代に上州から世田谷に移り、豪徳寺付近に城を持ち、さらに碑文谷・衾を領地としていた吉良家当主吉良治家が若くして亡くなった息子の菩提を弔うため建てた寺で立派な本堂、心字池を中心とした庭園などを持つ。

その先には都立大学附属高校、氷川神社などがある。その先あたりにあるのが化坂(ばけざか)であり、起伏のある道の一部である。この坂の名前は赤土層に砂礫層が露出し、湧水が出ることを『はけ』といい、これが訛ったものと思われる。

坂の先を左手に曲がる。この道はバス通りとなっているが、さらに先を右に曲がると小学校が出てくる。これを左に曲がると上り坂となるが、これが『しどめ坂』。

しどめとは植物の一種、草木瓜のことで周囲に赤い花をつけるこの草が群生していたからついた坂の名前である。

その一本先を右に曲がるとまた同じような坂があるが、この坂が『太鼓坂』。急坂のため、太鼓を転がすように人が転がったからついたとも言われる。(谷中の団子坂と同様)

ここまで来たら、元来た道を戻る。左側に氷川神社に向かう道が出てくるが、途中から緩い下り坂となる。これが『氷川坂』、神社からついた名前である。


この辺りは目黒通りを頂点として下り坂となっているため、名前がない坂も多く、平行して坂となっているため、中々目的の坂までたどり着けない坂道マニアには厳しい地形である。

万福 豊洲駅前店〜豊洲ランチグルメ

2017-07-26 05:00:13 | グルメ

なんとなく入った店が好みだと嬉しくなる。先日、豊洲駅近くに仕事出掛け、昼時になったので店を探した。しかし、豊洲駅周辺にはチェーン店以外にはあまりランチを食べる店がない。すると目の前に中・和・洋・定食と看板に書いた店があり、とりあえず入店。皿うどんを食べたが、これが当たり、しかし、麺を長崎から取り寄せているチャンポンを食べなかったので本日リベンジした次第。

店の名前は『万福豊洲駅前店』、よく知らないが本店も近所にあるようだ。注文はもちろんチャンポン(900円)、同席のKくんは皿うどんである。隣の人が食べていた餃子(500円)も思わず追加した。

運ばれてくる料理を待つ間に周りを見ているとまだ11時半というのにドンドン来店客が増えていく。すると、チャンポン・皿うどんは到着。

胡椒をかけ、食べ始めるが、キャベツやタマネギ、モヤシなどの野菜がたっぷり、練り物も長崎名物ピンクのカマボコ、さつま揚げが入り、さらにキクラゲも。豚肉に加え、エビ、ゲソ、タコ、アサリなど魚介もたっぷり、味はアッサリ系でそれほどトンコツ味は強くない。

素材がうまいからバランスもいい。長崎直送のチャンポン麺もよくスープを吸っていい味に仕上がっている。

ついで餃子、大きめの焼き餃子が5つ。私は2つ頂くが、皮はモチッとしているが、焼き目がカリッとついて食べ応えあり。ニンニクやニラも程よく効いてビールが欲しくなる。

食べ終わる頃には満席。他にもエビフライとイカフライ、麻婆豆腐、鯖の味噌煮、うな丼など書ききれないメニューは大衆食堂だが、味は一流。もっといろいろなメニューに挑戦したい。

万福食堂豊洲駅前店
江東区豊洲5ー5ー1
0335360129


都立大学駅周辺の坂道(1)

2017-07-25 05:00:19 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その85。今回は都立大学前駅周辺の坂道を歩く。
ところでその前にふと私が気づいたこと、それは東急線の駅名が現状に整合していないことである。修正したものとしては、近隣遊園地が廃止されたため改名した『多摩川園』→『多摩川』、『二子玉川園』→『二子玉川』、温泉施設が減って『綱島温泉』→『綱島』などがある(二子玉川は意味がよくわからないではないが)。

しかし、『学芸大学』は大学が小金井市に移転したのは1964年と半世紀も前なのにそのままであるし、今回降りたった『都立大学』駅も肝心の大学は2011年に廃止、改組した首都大学東京(2005年4月開学)も南大沢に移転、しかし、駅名はそのままとなっている。ちなみに都立大学の前身である府立師範が開学する前の駅名は柿の木坂であった。ただ、実際にこの辺りを歩くと『都立大学』という名前は単なる大学名ではなく、完全に地名化しており、マンションやアパートので名前にたくさん付いていたのである。このため、敢えて名前は変えないのであろう。

本論に戻り、坂道巡り、まず最初は柿の木坂に行く。都立大学駅を降りて目黒通りまで出てら右折する。目の前に東急東横線の高架が見えてくるが、この辺りは目黒通りの拡幅以前は勾配はもっと急であった本に書かれていた。

その先で環七通りと交差するが、現在は交差点までゆるゆると上り坂となっている。名前の由来は以前に大きな柿の木があったという説、近所の子供たちがこの坂を通る荷車から柿の実を取ったので柿抜き坂とよばれたことが起源とする説などがある。環七通りの高架橋も柿の木坂陸橋と名付けられ、また、地名にも使われるなど有名な坂道である。

次の坂は一旦今来た道を戻る。歩道橋で目黒通りを反対側に渡り、左に分かれる道を行き、さらに右に曲がると目黒キャンパスに向かう道になる。

だんだん、上り坂になって行くがこの坂道が『天神坂』である。天神はどこかと少し行くと坂の表示板上り坂向かいあたりに北野神社がある。


そばによると『柿の木坂の天神様』とあるが、この神社が坂の名前の由来であった。(以下、次回)

澤乃井〜渋谷ランチグルメ

2017-07-24 05:00:24 | グルメ

渋谷に仕事で行くが、チェーン店が多く、なかなかこれという店が見つからない。宮益坂と青山通りの交差点近くにいた際、信号待ちでふと辺りを見ると『宮崎風うどん』と書いた店を見つけた。実は前店主が釜揚げうどんの元祖とも言われた『澤乃井』という日本酒の銘柄のような名前である。

雨が降ってきたこともあり、とりあえず入店。開店直後でクーラーがあまり効いていないため、カウンターの真ん中に座る。メニューを見て悩むが、やはり熱いうどんが食べたくなり、汗を覚悟でたぬきうどんランチ(650円)を注文、渋谷にしては安い。

その後、続々と客が入店し、店は混んでくる。約10分ほど経ってたぬきうどんランチが到着。たぬきうどんに五目ご飯と沢庵が付いてくる。

まずはうどんを一口、細い五島うどん風で喉越しがいい。具はネギと揚げ玉、昆布の細切り、ワカメ、カマボコが入っている。自慢するだけあって丁寧に椎茸と昆布で出汁を取り、宮崎の甘めの醤油で味付けた九州風のうどん、それがまずいはずがなきい。

さらに付いてきたご飯は椎茸をメインに炊いたもので抜群に美味い。サービスで提供しているとは思えない。お店の人に聞くとやはり宮崎名物の椎茸メインの炊き込みご飯が好評なのだとか。

熱いのでタラタラと汗は滴るが、負けぬうどんの味、さらに出汁もほっこりする味で大満足でした。メニューによるとフノリをつなぎにした蕎麦も良さそうであった。

澤乃井
渋谷区渋谷1ー8ー5
0334091058

目黒駅(2)

2017-07-23 05:00:32 | 日記

『メトロに乗って』その63。前回に続き、目黒駅周辺を歩く。雅叙園を出て、左にまっすぐ歩くと目黒川につきあたる。

この辺りには桜が植えられており、春には楽しませてくれる。右に曲がると目黒通りが交差するが、架けられているのが目黒新橋である。

川沿いの道からは数段の石段を登るようになっており、橋はアーチ型の石橋である。川面に映るとちょうど円形のようになるはず。(太陽光が弱く、確認できず。)


江戸時代初期からこの位置にあったことは確認されており、昭和8年にアーチ橋と架けられた。現在の橋は平成8年に原形を復元した形で作られたものである。


目黒通りを渡り、権之助坂を登る。この坂は元禄時代に作られた新坂で行人坂が急坂のため、荷を運ぶのに民衆は苦労をしていた。そのため、名主であった菅沼権之助がこの坂を開いたとも言われている。(百姓の年貢軽減を嘆願して罪に問われ、死罪となったが、その功績か、坂に名を残したとの説もある。)


権之助坂は確かに勾配は緩く、坂の途中にはアーケードもあり、商店街となっている。もちろん、日用品を扱うみせもあるが、とにかくラーメン屋が多いのには驚かされる。

また、坂の途中、左手にまた坂を下りると日の出学園(かつての日の出女子学園)があるが、我々の年代には山口百恵の母校という印象が強い。


そのまま坂を登ると目黒駅西口に出るが、その直前に『品川区』の看板がある。やはり、目黒駅は上大崎にある。

時差ビズライナー

2017-07-22 05:00:10 | 日記

『鉄道シリーズ』その174。久我山駅でいつもより一本早い急行に間に合ったので余裕の通勤となった。毎朝乗り換える渋谷駅で6時43分押上行に乗るが、あまり見たことのないヘッドマークとラッピングがされた電車である。


車内はジャックされており、発車の案内も『時差ビズライナー押上行にご乗車いただき、ありがとうございます。東武線乗り入れは次の東武動物公園行きにお乗換えください。』と言っている。


車内吊りの広告を見て初めて分かったが、混雑度では有名な田園都市線で東京都小池都知事が推進する通勤緩和プロジェクト『時差ビズ』に連動した『グッチョイモーニング』の取組みの一環として期間限定で試験的に運転されている時差ビズライナーに乗車したのである。


この電車の特徴は中央林間(6時4分)発の特急で途中停車駅は長津田、あざみ野、溝の口のみ、渋谷に6時43分、長津田から29分で到着するものである。通常の急行は青葉台、たまプラーザ、鷺沼、二子玉川、三軒茶屋も停車するため、急行で渋谷まで39分、急行のない7時台は42分かかる。時差通勤を奨励しようと始めた取組みのようである。


早起きをして、早い電車で楽な通勤をして、有効に時間を使う取組みは評価できる。ただ、6時台で20本、7時台で28本もあるダイヤを組み替えてこうした電車を運行することは至難の技とも言えるが。ちなみに私の乗る東京メトロ半蔵門線は各駅停車のため、なんらいつもと変わらない通勤であった。なお、東急では他にも時差通勤に参加すると色々な特典があるようで、なかなか面白い。