hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

鉄道の日本切手

2014-01-31 00:13:15 | 日記

切手シリーズ その5。日本の切手にはよく鉄道が登場する。その中で古いものから少し紹介したい。
その第1号が1942年の鉄道記念日(10月14日)に発行された『鉄道70年』、当時は戦争中だったこともあり、記念切手といっても『シンガポール陥落』『満州国建国10周年』『大東亜戦争1年』といった戦争に絡むものばかりの中で発行された珍しい1枚。図案は『C59型テンダ機関車』の5銭切手。

次に出たのは戦後の1947年の鉄道記念日に『鉄道75年』の記念切手。図案は『弁慶号』の4円の小型シートのみで、単片は発行されていない。それにしても70年と75年、わずか5年しか経っていないのに発行されること自体珍しい。
普通切手は1枚しかなく、1949年9月に発行された500円の高額普通切手。図案は『機関車の製造』。この切手は今も高い値で取引されている。

その次は1956年11月の『東海道電化完成』でEF58と広重の由比の図案の10円切手。

1962年6月の『北陸トンネル全通』でトンネルを走る特急白鳥の10円切手。なお、トンネル内の架線が違うなど間違いだらけの切手としても有名である。

『新幹線開業』が1964年10月、ひかり号0系の凛々しい姿の10円切手。

『鉄道100年』は1972年の鉄道記念日に3種も発行された。山陽新幹線、C62型蒸気機関車、鉄道開業の広重画の錦絵である。

さらに1974年から75年にかけてはSLシリーズと銘打って5回に分けて10枚の記念切手が発行されている。
1977年12月には『地下鉄50年』で2種の50円切手が発行。

さらに1982年には6月に『東北新幹線開業』で新幹線と1290型蒸気機関車、11月には『上越新幹線開業』で新幹線とED16型電気機関車の切手がそれぞれ発行された。

1987年3月には『さようなら鉄道郵便』でユ3700型鉄道郵便車と郵便現業絵巻の切手まで発行されている。次の月には『新鉄道事業体制発足』としてリニアと1号機関車のデザインの切手が発行。


翌年3月には『青函トンネル開通』としてED79型電気機関車の切手が発行。
しまいには1990年に電気機関車シリーズとして5回に分けて10枚の記念切手が発行されている。
この辺りで終了しておくが、日本において鉄道の存在価値というか、鉄道好きというか、とにかくこれだけ切手の素材になっているとは改めて驚いた。

同じ駅から同じ駅まで乗換なしで・・・。

2014-01-30 06:45:25 | 日記

鉄道シリーズ その40。都内で鉄道に乗っていると乗換がない場合も、A地点からB地点までどの行き方が早いか、どちらの線も同じ目的地にいくのだが、どちらを使うべきなのか、と悩むことがよくある。

例えば土曜日朝早く、中央線快速がない時間に『中野~西船橋』まで行くのに地下鉄東西線が早いのか、総武線各駅停車(レモンイエロー)が早いか、安いか、を考えてみる。(これは実際に小生が八千代GCに行くのに悩んだことがある。)実は乗車時間はどちらも50分程度と殆ど変わらない。距離はJRのほうが1.4km長く、乗車券も地下鉄は300円に対してJRの方が540円とかなり高い。(但し、中野・西船橋とも駅やホームは共通のはずで料金は安い方になるはずだが。)

次に『多摩センター~新宿』まで行くには京王と小田急のどちらを使うと良いだろう。多摩センターの駅は両社とも同じ屋根の下にある。京王に乗ると直通特急なら32分、小田急だと多摩急行が代々木上原から千代田線に行ってしまうため、乗り換えが必要となり、最短でも37分。運賃は小田急の方が30円高い360円、距離も1.4km長い。この勝負は全て京王の方に軍配が上がる。


地下鉄の『新橋~浅草』で見ると、都営浅草線では13分、銀座線だと19分で都営浅草線が早い。また、距離は銀座線が1.7km長く8km。しかし経営状況の違いか、乗車券は都営が210円と20円高い。ただ、駅が双方離れているので一概にどちらを選ぶ方が良いかは単純ではないが。

同じ東京メトロで上野~銀座を見てみる。銀座線は11分、日比谷線は16分と銀座線の勝ち。また、距離は日比谷線が6.4kmと1.5km長い。(乗車券は同じ160円)

こうして見てみると同じ駅間であっても、距離や価格、時間が違うことを実感。他にも『品川~横浜』(京浜急行・京浜東北線・東海道本線など)、『上野~成田』(京成電鉄・JR総武線)などもあるが、有料特急があるとなかなか比較は難しいかもしれない。

文化人シリーズ 記念切手

2014-01-29 06:37:08 | 日記

切手シリーズ その4。日本の記念切手は(一般の)記念切手と特殊切手に分類される。記念切手と特殊切手の違いは初日カバー用のハト印が用意されてるか否かで決まるため、趣味週間や文通週間などはシリーズ化され、毎年発行されるが、これは特殊切手ではない。最初の特殊切手に分類されるのは昭和11年発行の年賀切手で、戦前は第一次国立公園シリーズのみである。(ちなみに国立公園シリーズは戦後、昭和31年発行の西海国立公園まで継続した。)

戦後初めての特殊切手は昭和24年~27年まで18回にわたり発行された文化人シリーズである。このシリーズはすべて凹版の一色刷りでデザイン的にも大変レベルが高く、大好きな切手である。

第1回は昭和24年11月3日の文化の日に『野口英世』のデザインが発行された。因みにこの切手はタイプⅠとタイプⅡがあり、印刷の横幅が少し長いタイプⅡの方が珍しい。

また、最後の『寺田寅彦』『岡倉天心』が発行されたのも昭和27年11月3日である。

切手を集めていた頃は知らない人もかなり多かったが、のちにお札となったのが、『野口英世』『樋口一葉』『新渡戸稲造』『福沢諭吉』と4人もいる。

また、当時不思議だったのは13番目の『西 周(にし あまね)』の価格が飛び抜けて高いことである。これは人物とは関係ないことで、その前の『菱田春草』が発行されたのが、昭和26年9月21日、そして昭和26年11月1日から封書の郵便料金が8円から10円に引き上げられた。そして『西周』が昭和27年1月31日に発行され、かなり実逓で使われたため、前後と発行量が変わらないのにこの切手だけが高い価格で取引されている。さらに昭和27年4月からは銭単位から円単位(1.00円→1円)に変更されたため、この切手のみ、額面10円にも関わらず、銭単位である。もちろん、哲学者の西周先生には何の関係もないことであるが。

ところで、よく知っている人も多い反面、『梅謙二郎』『菱田春草』『西周』など何をしたのかを知らない人も、少なくとも小生には、多い。是非、一度この文化人シリーズの人々の偉業をじっくり研究することも考えたい。


梅の開花宣言

2014-01-27 08:05:42 | 日記

床屋に行ったら、J-WAVEの番組の中で『本日(1月26日)に横浜は梅の開花となり、例年より11日早い開花宣言となりました。因みに東京は1月19日に開花しています。』と報じていた。(因みに東京が沖縄県を除くと最も早い開花。)そうか、梅は咲いているのかと買い物のついでに近所の花事情を見に行った。

すると井の頭線沿い、久我山~三鷹台の南側斜面の日当たりの良い場所では梅がもうちらほら咲き始めている。

そして、そのすぐ横にはグレープフルーツのように夏みかんがたわわに実っている。もちろん、これはまだ酸っぱくて食べれたものではないだろうが。


三鷹台を過ぎると川沿いの道には低木ながら蝋梅の黄色い花が満開。下には水仙が植えられており、そこだけ春が来たかのよう。蝋梅はよく見ると2種類あり、花の中心が黄色いのと紫色のものがあるが、この木は黄色いほうである。このあたりに源平の梅(同じ木に紅白の花がつくもの)があるが、これはまだまだ。

さらにジンチョウゲの蕾も膨らみ出し、いよいよ家の周辺も春が近づいてきた。

最後におまけに撮ったのが、紫陽花の残骸、だけどここまで完全に残っているのも珍しい。


かいぼり ~井の頭公園

2014-01-26 07:53:06 | 日記

家から歩いて15分ほどのところにある井の頭公園の池の『かいぼり』が先週あたりから始まった。『かいぼり』は漢字で書くと『掻い掘り』、一般的にはため池の水を農閑期に抜いて池の底を掃除することをいう。井の頭公園も2017年で100周年を迎えることもあり、昔のような澄んだ池に戻すために3回のかいぼりをすることとなった。


やり方は池のくびれた部分から向こう側の水をポンプで汲み上げて神田川に流す。中にいる魚を在来種と外来種に分けて、外来種を駆除する目的も大きい。先週位から水を抜き始めて、池の中央部や七井橋付近はかなりもう底が出てきている。報道もされているが、池の底から出てくるゴミ、特に放置自転車の多さには驚く。それ以外にもゴルフバッグやタイヤなど、そういう輩には腹が立つ。


今日は土曜日ということもあり、見物人が、底の見えるいけを盛んに写真撮影していた。昔は湧水が多くあったため、この池はかいぼりなどしなくてよかったが、今は湧き水が減少したことに加え、七つの井戸から湧く水も周辺の変化から水に含まれるリンなどが増えたため、富栄養化し、夏場にはアオコが発生、かいぼりをしなくてはならなくなったらしい。


一旦、水を抜いたあと、三月末には井戸水をいれ、綺麗な池に戻す計画だという。桜の咲く頃には美しい池が戻って来る。それにしても池から運び出された足漕ぎボートが整然と並べられているのは壮観であった。





みや穂 ~大塚グルメ

2014-01-25 08:05:51 | 日記

大塚駅から徒歩5分の『みや穂』にお邪魔する。駅からは南口に降りて都電の軌道を向原方向に歩き、天祖神社の先あたり。大塚にしては分かり易い立地。
店に入るとカウンター、そして奥に4人掛けテーブルが2つ、6人掛けテーブルが2つとこじんまり。

本当は4人でお邪魔する予定がT氏が風邪のために欠席で3人となる。小生もあまり体調は万全ではないが、ようやく予約が取れたこともあり、参加。

生ビールで乾杯、突出しは『地ハマグリの潮椀』『菊菜と茸のおひたし』、特に前者は大きなハマグリで味わいもシッカリ、これだけで来る価値あり。

酒に移り、まず『風の森』(奈良県)、いつも変わらぬ美味さだが、今日のは度数が14度で若干ライト。つまみはまず『ホタテのなめろう』キュウリがアクセントとなり、ホタテも甘く、いい味。『大人のポテトサラダ』、どこが大人かというと普通のポテサラにクリームチーズと塩昆布のみじん切りが映える。

次は『篠峯』(奈良県)、にごりだが、あまり発泡性が強くなく、飲みやすい仕上がり。

料理は『鰆と野菜のおろし煮』天つゆに近い味だが、鰆がほっこり煮え、根菜のシャキシャキ感といい組み合わせ。

酒は『龍神』(群馬県)、はっきりした辛口、今までに比べどっしり感。
ここでメインの刺盛り登場。ウニ、ボタンエビ、鯛、めばちマグロ、イカ、タコ、鯖の生寿し、さらにスズキとキンメとかますの寿しはテーブルで炙る趣向。あまり生魚は食べなかったが、イカもタコもキンメも美味い。

酒は『亀泉』(高知県)の純米吟醸、甘口でいてサッパリ、すぐ飲み干しそう。
小生の体調を気遣って今日はお開き。スタッフもキビキビしていて、料理・酒・サービスの三拍子揃った店、流石に激戦区大塚の店だけあると感心。次は体調を整え再度来店を目指す。
大塚 みや穂
豊島区南大塚3ー48ー5
0339883577

温冷水シャワー健康法

2014-01-24 06:25:54 | 日記

ここ5年ほどは完全な内勤で腰は悪くとも、脚、特に足の裏は痛いことはなかった。しかし、昨年5月に勤務先が変わり、営業に出ることが増えたため、毎日地下鉄の階段の上り下りが増えた。たぶん、体重も増えているため、負担増となったのか、足の裏が初冬から悲鳴を上げた。

いつも行くマッサージ店で昨年12月にこのことをこぼしたところ、担当の人に簡単なシャワーを使う健康法で治るのではと言われ、その日から約1ヶ月試している。その方法は、実に簡単で5分もあればできる。

1.まず、湯船につかり、足を十分温める。
2.次に熱めのシャワーをひざから足の裏まで前も後ろもよくかける。特に膝裏と足の裏、ふくらはぎは入念に。
3.シャワーを冷水にして2、と同じようにかける。
4.これを3セット行う。
5.また、湯船につかり、足を十分温める。
とこれだけ。

しかし、その効果は大したもので、足の裏の痛みが徐々に緩和され、今はほとんど痛くならなくなった。効果は最後に湯船につかると足の指がムズムズ痒くなることで感じることができ、さらに次に温かくなっていくようである。同じ悩みの人はお試しあれ。


切手趣味週間

2014-01-23 06:39:29 | 日記

切手シリーズ その3。切手趣味週間という言葉は昔一回でも切手収集をして、ストックブックやピンセットを持っていた人なら必ず耳にしたことはあるはず。
では、切手趣味週間の起源、いつが趣味週間なのかあたりのことを知っている人は少ない。

まず、制定されたのは1947年で北斎の1円切手を5枚並べた小型シートが発行され、オリジナルデザインの切手は出ていない。また、制定された頃は11月だったが、1958年からは郵政記念日(4月20日~明治4年東京・大阪間で近代郵政制度が開始された日)を含む一週間に変わった。

オリジナルデザインの記念切手が初めて発行されたのが1948年の菱川師宣画の『見返り美人図』。これはなかなか斬新な切手、というのも今まで日本で発行された中で最も大きい67×30mmの縦長サイズ、オリーブ色一色ながら当時の技術を駆使したもので、発行枚数も少なく大変な人気を博した。

翌年発行されたのが、歌川広重画の『月に雁』、これも同じサイズで、1975年(昭和50年)頃には見返り美人が2万円、月に雁が6万円近い小売価格がついた時代もあり、切手少年には垂涎の一品であった。

そこからしばらくブランクがあるが、5年後の1954年に当時の10円普通切手(法隆寺壁画)10枚の小型シートが発行された。

そして1955年11月喜多川歌麿画『ビードロを吹く娘』、1956年11月東洲斎写楽画『えび蔵』、1957年11月鈴木春信画『まりつき』そして1958年4月鳥居清長画『雨中湯帰り』と浮世絵のデザインの切手が続く。

その後は絵巻物や屏風絵などが続き、1965年4月発行の上村松園『序の舞』から女性を描いた現代画になっていく。1975年4月『松浦屏風』からは連刷2枚組の屏風絵や浮世絵、1985年4月竹久夢二作の2種連刷からはまた現代画、その後はガッター入りのペアや小型シートなどバリエーションは増えたが、女性の絵画が中心で今に至る。
今は昭和の頃に比べブームが去り、収集家が減少したことから、切手のカタログ価格は月に雁で13000円は維持しているが、買取であればその何分の1という時代。逆に欲しければ大人買いをしてみる手もあるかもしれない。

酛 ~新橋グルメ

2014-01-22 00:08:26 | グルメ

『酛』という漢字をiphoneで出すまでに10分かかる。これで『もと』と読むが、これは醪を仕込む前に酒母を培養するもとのことでこれを生かした酒造りを生酛づくりという。この酛を取ったのがこの店の名前。

場所は新橋駅烏森口から歩いて5分、パチンコ屋の並び、ケンフラを右に曲がり、タイマッサージのビルの2階ていうとバタバタしたか感じがするが、店に入ると落ち着いた雰囲気。
今日は、ようやく予約が取れたとMくんからのメールで7時に合流。

まずはビールで乾杯、お通しは白子と野菜の煮物、白子は油で揚げてあり、一手間かけてある。ビールを飲み終わり、初めは『若駒』(栃木県小山市)のうすにごり、さらっとしていてすぐ飲めてしまう。
つぎのあては野菜サラダ、塩昆布と水菜と油のコントラストを楽しむ。次は『俺の姿』(栃木県)これは姿の蔵元が自ら手で汲んだもの。これにはあん肝ポン酢が良く合う。下仕事がよくなされていて、臭みなど全くなし。


次は刺身盛り合わせ、イナダ、しめ鯖、炙り鰆、そしてレモン鯛。しめ鯖は大好物、レモン鯛は餌にレモンなど柑橘類を与えたもので身もほのかに柑橘系の香りがするが、酸っぱくはなく、不思議である。これには『風の森』(奈良県御所市)を合わせる。山田錦の純米だが、従来よりスッキリしている。さらに『一ノ谷』(福井県)。


次に穴子の塩焼き、奈良漬に挟んだクリームチーズがこれもいい。酒は『華の風』(青森県弘前市)、青森県の酒は田酒、豐盃、陸奥八仙くらいしか知らないが、この酒は美味い、今日の最大の発見。


さらに旬の天ぷら~ふぐ、たらの白子、行者ニンニク、フキノトウの盛り合わせ。これには宗玄(石川県珠洲市)、いつ飲んでもうまい。


最後はイカのわた煮とそのおじやで締める。いつ来ても食も酒も最高、新しい発見もあり、新橋一の飲みどころである。



戦前の民間航空会社~昭和9年時間表

2014-01-21 06:42:36 | 日記

鉄道シリーズ 番外編その2。昭和9年12月号の時間表を見ていたら、思わぬタイムテーブルを見つけた。当時はまだもちろん鉄道がメイン、次が航路という時代だったが、もう航空路の民間輸送が3社で行われていたというもの。



まずは日本航空輸送であるが、東京発9時30分~名古屋11時20分着、30発~大阪12時20分着、13時発~福岡16時着、20時40分発~蔚山22時30分着、40分発~ソウル0時40分着、50分発~ピョンヤン2時着、2時10分発~新義州3時10分着、20分発~大連4時着という壮観な航路。運賃も東京~大阪でも30円かかった。



国内では東京航空輸送社が、東京~下田~清水という航路を1往復、時間は片道東京から清水で2時間半かかった。この会社は相羽有という飛行機好きの民間人が紆余曲折を経て1928年に作った民間航空会社で1929年に東京~下田の民間航空輸送を始めたもの。その後、4人乗りの愛知ABー1号機の貸与を受け、エアガールを乗せた航空事業も展開したが、戦争に向かう時代の流れの中で1939年に大日本航空設立に合わせ解散した。


さらに日本航空輸送研究所が大阪~高松~松山という航路を1往復である。これも大阪から松山まで2時間40分かかった。この会社も1922年に徳島県出身のタクシー会社経営者井上長一により設立された民間航空輸送会社だったが、東京航空輸送社同様国策会社である大日本航空設立に合わせ解散している。

一方、大日本航空は国策会社であり、日本航空輸送をベースに1939年12月に設立、国際線、国内線の運航を1社に独占させた。そして上記2社以外にも日本海航空、安藤航空の2社もあったが、これら4社は全て解散した。しかし、太平洋戦争終結と同時にこの大日本航空も解散した。何れの航空会社も短い間しか存在できなかったが、当時民間でも飛行機を飛ばしたいという先人たちの思いを感じ、少し詳細に調べて見たくなった。