hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

富士見坂・文坂ほか(千代田区)

2014-07-31 05:18:19 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』シリーズ その5。前回に続き神田駿河台の坂を取り上げる。神保町から駿河台に向かって歩き、靖国通りを三省堂書店の向いあたりを左手に行く細い路地のような坂が『富士見坂』である。

富士見坂の名前は東京23区に16カ所、全国には24カ所以上が確認されており、なぜか香川県丸亀市にもある。もちろん、千代田区にも3カ所あるが、この富士見坂は江戸名所図会にも載っている位の由緒正しい坂である。


ただ、今は建物が林立して富士山は見る影もないが。坂の頂上(はなまるうどん付近)で御茶ノ水駅から明大の前を通り、駿河台下まで続く『文坂』と合流する。


この坂の途中には大久保彦左衛門の屋敷跡や法政大学創始の地など歴史的には有名なものが多くある。ただし、坂の名前の由来は不明である。


更に左手に折れて、明治大学のキャンパスの真ん中を山の上ホテルに向かう細い坂が『吉郎坂』、これは明治大学総長を務めた佐々木吉郎氏に因む命名で江戸時代は胸突坂と呼ばれていた。

突き当たりの山の上ホテルを右に歩き、明大14号館を右折するとかつての文化学院の辺りに出る。当時の建物は今もBS11になって保存されている。


さらに少し先に行き、かつての明治大学大学付属明治中高があった(今は大学の施設)手前を左手に折れると急な階段の坂が広がるが、これが『男坂』。この坂は新しく1924年の区画整理でできたもの、ここから先に100mのところに女坂もあるが、こちらも男坂ほどではないが、結構急な坂である。

男坂を降りると東京音楽大学創始の地の碑があり、その先を右折すると神保町に戻る。このあたり駿河台を中心にすぐに坂にぶち当たる、まあ『坂』のファンにはたまらない場所である。


やきやき三輪~広尾グルメ

2014-07-30 05:23:24 | グルメ

お好み焼き屋というと庶民派を想像するが、今日紹介するのは広尾のお店の『やきやき三輪』。しかし、本店は大阪・堀江にある本格派で初めてお邪魔したのはもう10年くらい前に大阪・新梅田シティの地下にあったお店(現在は閉店)。初めて行った時から大好きな店である。

広尾店はTVCMにも使われるほどおしゃれな店で、大きなカウンターの周りに席がならび、それ以外にボックス席が2つ。今回は小生の誕生日を娘がご馳走してくれるというややこそばゆいスチュエーション。

先ずは生ビールで乾杯。このジョッキがよく出来ていて、保温機能があり、ぬるくならない。

最初にいつも頼む『ピリ辛キュウリ』、爽やかな辛さがいい。焼き物はまず『キムばら炒め』、なんでもないメニューだが、たくさん降られた青ネギがアクセントになり、甘めのキムチと程よい脂のバラとよく絡む。ついで『玉ねぎの焼き物(何かブランド玉ねぎだった)』、じっくり焼かれた厚切りの自然の甘みとポン酢がいい。


ビールを追加して、『コロコロ焼き』、これは牛肉のサイコロステーキに野菜焼き、豆腐がついている。肉はもちろんだが、ここの野菜、特にもやしは旨い。
お好み焼きはトッピングに『油かす・牛スジ』を入れる。もちろん周りはカリッ、中はふんわりとしているが、とにかくここのソースが絶妙。今まで食べたお好みソースで最高である。

さらに、『じゃがいものタルタル』『ネギ焼き』も頼んでしまう。じゃがいもはほんのり香るバターがいい。ネギ焼きはトッピングに『キムチ・油かす』を選択するが、お好み焼きと違い、酒のつまみには最高である。

飲み物も色々あるが、夏なので特製ライムサワーとジントニックを頂いたが、フルーツの味がよく効いていて美味しかった。

お値段もそこそこだが、味、技術を十分堪能させてもらった。娘にゴチソウサマ。
やきやき三輪 広尾店
港区南麻布5ー2ー35
0334481858

七蔵~新橋ランチグルメ

2014-07-29 05:35:23 | グルメ

このところランチグルメが続くが、今回は稲庭うどんの名物ランチ。午後2時前にようやく昼飯が食べられる時間が出来たが、新橋駅近くにいたため、先日銀行の先輩N氏に教えられたうどん屋に行ってみる。

場所は新橋駅前ビル1号館2階の稲庭うどんの店『七蔵』。あと5分で2時というのに店の前にはまだ短い列。しかし、よく見ると店の中には15人位の列が出来ている。ただ、店の人は直ぐご案内出来るとの話で、確かに皆食べ終わり出てくる時間。まず、レジでうどん単品か、セットかを聞かれ、セットの場合は丼を選び、お金を支払う。

以前に先輩に教わった通り、『小セットのバラちらし(1100円)』を注文し、列の最後尾につく。しかし、ものの5分で席に案内される。バラちらしはレジを見ていると小生が注文後に直ぐに売り切れたので幸運かなと思うが、他にもサーモンイクラ丼、まぐろ丼、ミックス丼、高菜イクラ丼などかなり選択肢は多い。
まあ、2時を過ぎても列が出来ていること自体すごいが、訪れる際に気を付けてもらいたいのは昼の営業は2時10分までということ。

席に着いてまた5分で注文の品が到着。先ずはうどんを一口、温かいゴマとミョウガ、さらに鴨の出汁の良く効いたつけ汁に細く喉越しのよい稲庭うどんが良く合う。改めて食べると余計な甘みはなく、箸が進む。しかし、中規模のザル一杯のうどんは結構量もあり、これだけでも十分。


一方、バラちらしはサイコロ状に刻まれたマグロ、サーモンなどの刺身とイクラ、キュウリ、椎茸、卵焼きなどが入り、自体には醤油を中心とした甘めのタレで味が付けられ、ワサビが添えられている。しっとりとした具材の中でキュウリの食感がよく、なかなか旨いが、丼は普通の大きさで本当にミニ丼⁇と思う。ついでだが、一緒に付いている白菜漬けも旨い。

これを一気に食べるのだから腹も膨れるはず。最後にテーブルにあるスープでつけ汁を割って飲むと満足。ポットに記載の通りあまり薄めないのがコツ。それにしても、周りのお客さんには女性も半数位いるが、うどんのみで丼なしの人は殆どいない。その皆様の健啖ぶりにも驚く。


以前に夜に2回呑みに来たが、呑まずに食べる稲庭うどんの味は格別である。ただし、つまみ~ローストビーフやフォアグラの味噌漬け~も格別で、次回は夜の部でレポートしたい。

七蔵
港区新橋2ー20ー15新橋駅前ビル
0335715012

沼津の朝散歩

2014-07-28 05:43:20 | 日記

前日は愛鷹600ゴルフでワンラウンドし、宴会をするというゴルフ旅行で沼津市を訪問。丁度、7月最終の土日に行う夏祭り期間であり、26日の夕方から駅前はすごい人。宴会のため、港から歩いてホテルまで帰ったが、その道すがら数多くの露店の前を通る。

一夜明けて今朝は早起きして市内を散策、先ずは駅に行く。隣の三島駅に新幹線は止まるため、在来線のみの駅で、かつて特急『こだま』『つばめ』『はと』などの電車特急が華やかな頃は停車駅であったのに、今は殆ど優等列車もない駅で、唯一止まる特急はサンライズ出雲のみである。しかし、駅前は御殿場線の分岐点で昭和初期は交通の要所であったことを記した沼津機関区のレリーフが残され往時の賑やかさをしのばせている。

駅前からさんさん大通りに並行する道は仲見世アーケードになっており、色々な飾り付けで目を楽しませてくれる。しばらくアーケードを歩き、大手町の広い通りを左折、交差点の先は中央公園になっている。


その先に狩野川の豊かな流れがあり、公園からはあゆみ橋という歩行者専用の橋となる。橋はかなり長く、対岸に渡り、川沿いを右折する。この川のあたりから花火を打ち上げるが、仕掛け花火などの用意がされている狩野川沿いを歩く。朝は犬の散歩をする人がかなりいる。初めて見たが、中々の大河で昔狩野川台風で大変な被害があったと聞いたことがあるが、よくわかる。


御成橋右折するが、その反対側の岸には紐が張られ有料の桟敷が用意されている。この橋のたもとに花火本部が設えられている。


ここからは駅近くのホテルまで街中を歩くが、金融どはメガバンクも三菱UFJ、三井住友は支店があり、スルガ銀行や静岡中央銀行は本店もあるらしい。証券もみずほ証券や証券ジャパンなど並んでおり、静岡県東部の中心都市であることはよくわかる。


前夜に行った港付近は観光用に深海魚水族館なども併設し、昼食が中心ながら賑わいも取り戻しつつある。こうして普段行かない街を歩くのは色々発見があり、楽しい。


表参道新潟館エスパス

2014-07-27 05:27:58 | 日記

アンテナショップ巡り その10。表参道でぽっかり時間が空いたため、表参道ヒルズの裏にある『表参道新潟館エスパス』を訪問。


外は33度の暑さだが、中はクーラーがよく効いていてホッとする。入口ではレルヒ少佐がお出迎え。レルヒ少佐はオーストラリア=ハンガリー帝国の軍人で高田(現在、上越市)で日本に初めてスキーを教えた人で地元ではゆるキャラにもなっている。

中に入ると菓子類(特に柿の種)、麺類、日本酒の充実ぶりが目立つ。特に日本酒は八海山、禮泉、上善如水、〆張鶴などかなりの銘酒が揃い、また、それぞれの種類も多い。


八海山の米焼酎『よろしく千萬あるべし』はもちろん、カストリ焼酎の『宜有千萬』も揃えてあるのには感動した。

また、越後名物のかんずりなど唐辛子の加工品も多く、和風のタバスコのようなものやかなり辛いと思われるものも並べられている。栃尾名物の油揚げもあり、なかなか見飽きない。

そういえば『バスセンターのカレー』も売っていて、新潟交通ファンには見逃せない。

イートインコーナーでは日本酒の飲み比べ(有料)や笹団子もあり、そば茶が無料で飲むこともできるため、表参道散策の一休みにはいい。外に出ると同潤会アパートがレトロな感じでいい。おじさんに取っては表参道ヒルズより居心地のよい、中々の穴場である。


UDON BUZEN~新橋グルメ

2014-07-26 05:38:47 | グルメ

最近は立食いそばより九州うどんにはまりつつある。炎天下、新橋を外回りする最中に新橋ガードそばのはなまるうどんが閉店となったのに気づく。止むを得ずにうどん屋を探すとスマトラカレーのそばに新たなうどん屋がオープンしている。(実は今年1月にオープン)

名前はUDON BUZEN、普通のうどんの店は『武膳』という屋号で関東近県にあるとのこと。他にも霞が関などに店舗展開中のチェーン店。

この場所は確かスペインバルかイタリアンの立ち飲みがあった跡で店の造作は以前とあまり変わっていない。

注文は暑い時こそ熱いうどんと『とりごぼううどん』(550円)を注文。自販機の情報が厨房に伝わる方式でうどんが出来たら呼んでくれる。5分経って呼ばれるが、うどんは細い稲庭風、それにとり唐揚げが2個、斜めに薄く切ったごぼう天が7枚程度が入る。丼にさわるだけでもわかる位とにかく熱い。つゆは九州風でなかなかいい感じ、麺は福岡県北部の豊前風らしく、柔らかくこしがない点はいいが、ややツルツル感が強すぎる。これは『冷やしが正解』かもと後悔。ただ、天ぷらや唐揚げは注文を聞いてあげており、カリカリのサクサクで汁に浸かってもぶよぶよせず、これは美味い。また、量は若い人には絶対に足りない量、他にも色々なメニューがあり、組み合わせるといいかも。また来たい店であるが、個人的好みをいえばもう少し太いうどんが好きである。

UDON BUZEN
港区新橋1ー16ー8
0335043811

ヤマト~人形町グルメ

2014-07-25 00:00:23 | グルメ

人形町とはいいながら、少し浜町よりに行くともう日本橋富沢町となる。今日の店はNTTピルの先を左折し、3件目あたり。炉端焼きの店『ヤマト』である。中にはカウンターと炉端が2つ、炉端一つあたり約10人が座れるようになっている。

何分この店のシステムも分からないまま席に着くとまあ少し暑いから生ビールを注文。

よく見ると炉端の中には3つのコンロ画あり、炭が燃えている。女性が色々な注文を受けて、炭を調節しながら焼いてくれるシステム。
まずはお通し、姫サザエの煮物と自家製トコロテン、なかなか美味く、期待が湧く。
刺身はわらさとかつをの叩きを単品で注文。わらさは比較的厚めに切ってあるが、身にハリがあり、大変旨い。鰹もかなり脂が乗り、たっぷりの野菜とニンニクがよく調和して美味しい。両方とも量はしっかりある。
次いで店お勧めの野菜は名物とうばん味噌をつけて食べる小大根、水ナスなどの盛り合わせ。肉味噌にピリ辛をつけた味で淡白な野菜によくあう。箸休めにはもってこい。

焼き物はまず、鮎の一夜干し。鮎の香りが残り、タデ酢をつけてもつけなくてもいい。次いでグリーンアスパラ、かなり見事なサイズだが、筋っぽくなく、根元ほど甘い。鮭のハラスは燻製してあり、良い香り、皮もパリパリしていて、ついつい酒が進む。


ただ、ツブ貝の串焼きはやや焼き過ぎの感があり、やはりハマグリの方が良かったかなあと悔やむ。

酒は冷で口開けは『ヤマトシズク』の純米酒を注文。秋田県大仙市の酒で辛く、しっかりした男酒。

次が『越の初梅』(新潟県小千谷市)は華やかな酒。更に『十右衛門』(東京都東村山市)は江戸の蔵の流れを組むだけにすっきりした味わい。と各種を飲んでしまうが、蕎麦猪口で供されるため、ついつい飲み切ってしまう。有名どころでは獺祭もあったが、他の酒は各地の蔵から取り寄せて、ご主人が飲んで気に入ったのを並べているだけのことはあり、なかなかのラインナップ。

さらに焼き物は朴葉味噌を注文、味噌の焼けたものと酒が合わないわけがない。葉っぱに穴が空くほど焦げた味噌をこそげてしまう。


面白かったのはきつねコロッケ、コロッケ種を開いた揚げに包み焼いたもの。アッサリしていてこれも酒に合う。

最後は漬物盛り合わせ、さらに皆で『ヤマトシズク』の吟醸を1杯ずつ飲んで終了。一緒に飲んだ2人も満足、まあ、この手の店は予想通りやや料金高めながら、サービスもよく、料理の工夫もされていて大満足で大団円となった。

ヤマト
中央区日本橋富沢町16ー3
0336618010

阪神巨人戦の楽しみ

2014-07-24 06:21:31 | 日記

阪神が強いと毎日が楽しい、というのは贔屓のチームが強い時には野球好きなら当たり前の話。交流戦は12球団中11位でも7月に入って13勝2敗。しかもオールスター戦の仕切り直しでまた元の黙阿弥かと思っていたら、首位巨人に2連勝、それも投げ勝ったということは価値がある。但し、昨日読んだあるブログに『交流戦がなければ阪神が首位、巨人は3位』というのがあったが、小生はそこまで非現実ではないつもりでいる。

ところで21、22日の試合を見ていて幾つか面白い点に気づいた。まず、1つ目は立ち上がりの悪い阪神のメッセンジャーが初回にあまりいい当たりと思えない亀井のレフトポールに直撃のHRを浴びたが、延長12回裏の福留孝介のサヨナラHRはライトポール直撃だったこと。一日にあの細いポールに2回も当たること自体が不思議である。W杯でのシュートがゴールポストに蹴られるのとは訳が違う。

2つ目は少しシリアスな話。一日遡り21日の最終盤を思い出してみたい。9回表の呉が出てきた際には3点差、まあ楽勝と思っていたら、長野久義、阿部慎之助にヒットを打たれ1、2塁、ロペス倒れるも代打高橋由伸、つまりHRが出れば同点という状況は前日にもあったはず。しかし、呉投手は冷静に高橋由伸をファーストゴロに仕留めている。

しかも22日の方が前日に比べ投球内容は格段にいい。前日のような高めに外れる変化球はなく、特に高橋由伸の前に三振に打ち取った長野久義に投げた決め球のカットボールのコントロールは最高である。しかも、高橋由伸も2ストライク1ボールと追い込み、余裕がまだ2球あるにも関わらず、何故か真ん中高めに直球を投げ、見事にHRされてしまったのか。前日と何が違うのか、それは点差である。前日は3点差、22日は1点差である点が違う。何とか早いカウントで勝負したい意識が最後の投球になったのではないか。魅せられたように好球を投げてしまう、これも不思議なものである。

3つ目として『何故福留孝介にサヨナラHRをマチソンは打たれたのか?』12回の阪神はマートンが初球をセカンドゴロ、今成は大きなファールフライを亀井に好捕され、2アウト。普通なら丁寧に投げれば引き分けになるかな?と思ったのが、落とし穴。福留孝介は最初からHRを狙っており、2球目をフルスイング、見事な弾丸ライナーのHRである。では打順を見ればHRを打てそうな選手は福留孝介しかいないのに何故無理に勝負を急いだのか。(少なくとも梅野よりは怖いはずだが。)これはマチソンはセットで投げるのがあまり得意でなく、しかも福留孝介は脚が早い。その為、失投がいってしまったのではと小生は推理する。

試合後、巨人監督の原辰徳は『ギリギリのところで頑張って追いついた紙一重の試合を僅かな差で落とした。粘り強く闘うことがこれからも大事となる。これを教訓とすれば良い。』的な談話を出しているが、腹の中は全く違うはず。11回は無死で亀井義行がヒットで出塁、長野久義がバントで送れず、さらに2塁で盗塁死、12回も1死でアンダーソンがヒット、しかし井端弘和のバントでダブルプレーとチャンスを巨人らしくなく潰しているからである。

但し、11回裏無死2塁の際に俊介を敬遠した上で鳥谷と勝負して近めのストレートで打ち取った西村とベンチの采配は大したものである。更に代打藤井をダブルプレーに打ち取った点も素晴らしい。でも何で12回2アウトのタイミングで勝負を強行するのか?その時巨人ベンチはどう指示をしていたのか、こうした点を深く考えるとプロ野球はさらに面白くなる。
(脱稿・7月23日午前7時)

筑後柳川(福岡県)

2014-07-23 05:00:00 | 日記
『日本の風景再発見』シリーズ その10。今回は『柳川』を取り上げる。東京に人には柳川鍋くらいしか馴染みはないかもしれないが、実は柳川鍋は九州の柳川市とは関係ないというのが通説で①この泥鰌を卵とごぼうで甘く煮た鍋を考えたのが日本橋にあった柳川屋という説、②使われた鍋が九州の柳川焼きであった説、③使われた泥鰌が柳の葉っぱに似ていたからという説など諸説あるが、九州柳川で作られたという説はなく、しかも柳川市に行っても名物は鰻であって泥鰌ではない。


まあ、そんなことはどうでもいいが、西鉄福岡駅から西鉄特急で50分、西鉄柳川駅に到着する。そこからは街の中心部までタクシーで約10分、時間がある人は堀めぐりの船に乗ると1時間もかからずに沖端に到着する。この船も3社が競合しており、しかも沖の端⇒西鉄駅、西鉄駅⇒沖の端と両方あるから面白い。水路は柳川の人にとっては生活に欠かせない場所で、嫁入りも船に乗って行う位である。冬はこたつぶねになり、のんびり楽しめる。途中には神社やうなぎ供養の碑、果てはオノ・ヨーコの実家まであるから興味深い。特に雨のあと水量が増えた際に低い橋をギリギリで越える船頭さんの妙技には感心する。また、最も人が出る秋の白秋祭にはこの狭い水路をたくさんの船が行きかいそれは壮観である。

沖の端に到着するとすぐのところに北原白秋の生家が残されている。ただ、古ぼけた民家なので毎回入場はしないが。

そこから川沿いに土産物屋とうなぎ店が軒を連ねている。店で有名なのは若松屋と本吉屋、さらに新興の柳川屋、六騎(ろっきゅう)などもあるが、小生の好みは本吉屋、いつも船が横を通る掘割のあたりの店に行く。ここでは小生はうな丼やうな重は食べたことがない。メニューにはあるが、絶対に食べるのが『せいろ蒸し』。誰と混ぜた飯の上にうなぎの蒲焼を載せ、さらに錦糸卵を載せて蒸したものである。器そのものが蒸し器となっていてとにかく熱い。それを夏は汗をたらたら流しながら食べるとこれはうまい。うなぎの身もふっくらとしており、嘗て福岡に住んでおいた頃には昼食時に店の前に列ができるほどであった。

腹が膨れたあとは沖端を歩いたり、神社にお参りしたり、そして御花、これは旧城主の立花氏の邸宅であるが、今は博物館兼ホテルとなっている。とくにその洋館や旧宅、その中に並べられているお雛様やお道具、更にお庭は素晴らしい。ここはぜひ入場料を払って見学してもらいたいポイントである。

小生も一昨年の夏に久々に柳川に遊びに行ったが、船に乗る人も、街を歩く人も、土産物屋の数も大幅に減っていてたいへん寂しい思いをした。今も沖の端の魚屋に行くだけでも楽しく、クツゾコやワラスボ、ムツゴロウ、ワタリガニ(地元ではガネという)など有明海の海の幸を見るだけでも楽しい。また、かつて福永武彦の『廃市』にも描かれ、大林宣彦が映画化したほど絵になる街である柳川のようなこうした素晴らしい観光地をぜひ後世に残していきたいものである。


甚内神社・鳥越神社(東京都台東区)

2014-07-22 05:00:00 | 日記
『高坂』という名前で歴史上の有名人を探してみると戦国時代武田信玄の配下の武将『高坂弾正昌信』がよく挙げられる。小説風林火山にも登場し、武士の中で最も勇気のいる隊列の最後部である『しんがり』を務めることができる勇将で『逃げ弾正』と言われて尊敬された人物、今の長野県長野市松代町にある海津城の城代として上杉氏に対する抑えとして活躍したと言われている。

そして今回のブログに関係あるのが『高坂甚内』彼は江戸時代(?~1613)の人で、高坂昌信の子とも孫ともいう説がある。元は戦国時代最末期に北条氏の残党が治安を悪くしていた際に徳川氏の要請を受けた闇世界に詳しい甚内が関東の治安回復の責任者として立ち回った。


しかし、その後は関東一円の盗賊らと糾合し巨大な組織を作り上げた。そこで幕府は陣内と手を切り、追討を行った。その後は10年に渡り逃亡を続けたが、マラリア(瘧)にかかり動けないところを捕縛され、市中引き回しの上浅草鳥越の刑場で磔となり刑死した。死に際に『瘧にかからなければ捕まることはなかったのに。瘧に苦しむものはわれに念じれば癒してやろう』と言い残したと言われる。そのため甚内神社は瘧に御利益がある神社と言われている。


同じ高坂繋がりなので折角だからお参りしてみようと浅草橋に行った際に少し足を伸ばしてみた。場所は蔵前橋通りの鳥越神社からあるいて3分くらいの場所、甚内神社とはいうが殆ど祠のような誠に小さな神社である。それでも小さいながら鳥居もあり、石の碑や小さな提灯などかかっている。考えてみれば幕府に逆らった大泥棒を神格化して祀るというのもおもしろい。それでも病の治癒に御利益があることから彼の命日である8月12日には多くの人で賑わうと案内板には記してあった。自分の先祖かどうかは疑わしいが同じ苗字の縁もあり、お参りをした。



せっかくここまで来たのだからと鳥越神社にも足を伸ばす。この周辺は昔ながらの家屋や店も多数残っており、情緒のあるところ。こんな古い家屋は使ってないだろうと思うと問屋さんだったりする。


鳥越神社からみるとついでは甚内神社と言いたくなるほど立派な神社。なにしろ縁起は651年日本武尊を祀って白鳥神社としたことと言われ、前九年の役の折、源義家がこの地を訪れ、鳥越大明神に改めたとのことである。江戸時代は2万坪の社領を有していたが幕府に取り上げられ今の姿になった。そして取り上げられた土地には大名や旗本の屋敷となったようである。有名なのは例大祭で6月9日あたりに模様され、都内の神輿の中で最も大きいものらしい。お参りに来る人も後を立たず、流石に有名な神社であると感心した。それにしても下町にはいくつものこうした寺社がありぜひ今後も巡ってみたい。