hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

玉川上水の橋を巡る①

2020-04-30 05:00:00 | 川と橋


『ぶらり橋巡り』その101、今回は玉川上水を歩く。スタートはJR中央本線武蔵境駅、駅も高架になり、立派になった。南口と北口の間に自由通路もでき、北口側に行く。駅前ロータリーを抜けて『すきっぶ通り』と名付けられた商店街を北に向かう。商店街は一部休業している店もあるが、結構な賑わい。



商店街を抜けるとそのまま北に武蔵境通りが伸びる。ちょうど白やピンクのハナミズキが見頃で美しい。まだ古い店や空き地もちらほら、のんびりとしている。


少しいくと玉川上水に出くわすが、この橋が桜橋。上水沿いに桜が植えられていて比較的新しい橋だが、これは武蔵境通り拡張に伴い平成11年に架け替えたもの。

その国木田独歩の文学碑が左側に建てられていて『武蔵野』の第6章の書き出し『今から三年前の夏のことであった。自分は或る友と市中の寓居を出て三崎町の停留場から境まで乗り、其所で下りて北へ真っ直ぐ四五丁ゆくと桜橋がある。』と彫られている。



玉川上水に沿って上流を目指す。堤にある歩道は大きくなったソメイヨシノが邪魔をして歩きにくい。



歩道にはタンポポの黄色い花だけではなく、ツリガネニンジンやダイコンの紫色の花やイフェイオン(はなにら)の白い花などがたくさん咲いていて美しい。



次に出てきた橋が『独歩橋』、昭和44年にかけられた。国木田独歩から名前を取った小さな橋である。



また、すぐに橋が出てくるが、これが『うど橋』。地元の名産である独活(ウド)は江戸時代吉祥寺で栽培が始まったと言われている。橋のたもとには『今から180年前(天明5年頃)より土地の人々は薪炭を作り、また落葉の温熱で軟化独活特産地として有名になった。このたび由緒ある玉川上水への橋をかけられるにあたって特産地の名をとどめるため独活橋と命名されたものである。』と刻まれた石碑がある。

この石碑は昭和40年3月25日とあったが、白い石に刻まれていて現地ではよく読めなかった。



この辺りぬ何らかの理由で切り倒された木がいくつもあり、これが腰掛けるのに良い高さに調整され、天然のベンチのようになっている。



少し歩くと水番屋の跡がある。江戸時代は上水を保守管理をする役人がいた詰所で明治に入り水衛所に名を変え、淀橋浄水場廃止に伴い、昭和55年に廃止された。その先には玉川上水の石碑がある。



『境橋』がすぐのところにあり、五日市街道と交差する。さらにここで千川上水が別れ、玉川上水は北に向かって流れていく。(以下、次回)



巴屋〜武蔵境ランチグルメ

2020-04-29 05:00:00 | グルメ


武蔵境駅で昼食となった。知っている店もなくウロウロしているとイトーヨーカドーの向かい側に『創業天保元年』と書いた巴屋という蕎麦屋さんを発見。天保元年とは中々すごい。当時はこの辺りは一面の畑や田んぼに囲まれていて、かなりの田舎だったろうなあと思いつつ、入店した。

メニューには『天保元年に東京都麹町で巴屋を創業』とあり、それなら合点がいく。天保元年ならば東京都ではなく、江戸だろうがと突っ込みたくはなるけど。

幅広い種類のメニューがあるが、特に目立つのはセットメニュー、親子丼・ヒレカツ丼・ソースカツ丼・とろろ丼・玉子丼・カレーライス・モツ煮・さば味噌煮にもりかかけそばがついて1000円なのである。迷わずヒレカツ丼セットをオーダーする。

1時過ぎのため、ピークは過ぎていたが、高齢者が目立つ店内。常連が多いのか、100円玉を流しの下に落としたおじさんに後で拾うから次回ね!などという声が聞こえる。注文をした後、席でうたた寝をするおばあちゃんもいて何とものんびりした店内。

注文後、比較的早く、セットは運ばれてきた。一目見て、蕎麦も丼も盛りがいい。まずは蕎麦から、かけそばと言いながらちゃんと揚げ玉とナルトが乗っていて三つ葉と振りネギが薬味でつく。


蕎麦は自家製麺らしく、席のすぐ隣には機械がある。麺の喉越しもよく、ツユも甘め、いや中々好みである。



次いでカツ丼、カツは6等分、こちらもじわっと甘辛い味がいい。濃過ぎず、薄過ぎず、実に旨い。ただ、蕎麦も丼も両方量が多く、かなり腹一杯。本当は軽く昼飯だったつもりが、トホホ。とにかく美味しいお店でした。ご馳走さま。

巴屋
武蔵野市境南町2ー10ー25
0422323085


狭い庭を見て癒される

2020-04-28 05:00:00 | 日記


4月7日に非常事態宣言が発動されて3週間、GWはstay home週間となり、いよいよ外出することも憚れるようになってきた。前の週末は土曜日に3日分の買い物に出かけ、遂に日曜日は家から殆ど出なかった。こういう時に家でじっと読書、得意な楽器の演奏、ネットで映画鑑賞・ゲームという人たちが羨ましい。

私は『hokutoの気まぐれ散歩』などというタイトルでブログを書くくらいだから外を歩き回り、見たことのない風景を見て、神社・仏閣・坂道などを巡り、行ったことのない居酒屋に行くのが趣味の人に家に閉じ籠れと言っても結構酷な話である。
ただ、ここで改めて気づいた。幸い我が家には小さな庭があるのだ。まずは大した時間はやってはいないが庭の草取りをした。

庭は狭く、すぐ終わるつもりで始めた癖に身体をかがめて小さな雑草を根元から引き抜くのは意外に難しい。手元は綺麗にしたつもりでも立ち上がって見下ろすと足元にはまだ生えている草を見逃していることもある。


こんな庭だが、春になり、最初に目を楽しませてくれたのは福寿草。何もしなくても毎年黄色い花をつける。ついでヒメツルソバの丸いピンクの花や木瓜の朱色の花、圧巻はハナカイドウである。



庭に桜が咲いたようで見ていて飽きることがない。



今ちょうど2階のプランター内で咲くスズランが満開、さらに先週からハナミズキのピンクの花も開花し始めてきた。見ているだけで確かに癒されるのである。初夏になると紫色の紫陽花やクレマチスといった花が楽しめる。特に手を入れている訳でもないのに毎年律儀に咲いてくれる花たちに感謝である。

外を眺めていたらメジロのつがいやアゲハチョウにも会うことができる。何とかstay at homeできるかな。



2003年9月15日〜阪神ファンのたわごと

2020-04-27 05:00:00 | 阪神タイガース


4月17日の夜、BS1のゴールデンタイムに『2003虎の夢 星野阪神18年ぶりV』と題したプロ野球の試合のダイジェストが再放送された。(私はビデオで視聴)2003年9月15日は阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝をサヨナラ勝ちで決めた記念すべき日である。コロナウィルスの関係で中々始まらない今年のプロ野球だが、昔の栄光に浸り、久しぶりに興奮した。


試合は阪神甲子園球場で3連休の最終日、14時プレイボールで始まった。この日の開門は8時というから驚きである。2003年のシーズンは阪神は絶好調で1度も首位を渡すことなく、すでに80勝、マジックは2。しかし、直前はヤクルトに1分2敗、中日に3連敗と引分を挟み5連敗していた。

阪神先発は伊良部。広島は初回初球を森笠が2ベースヒット、2番木村拓哉は今岡の代役である藤本がファインプレーでショートゴロ、さらに3番浅井、4番シーツを打ち取り、何とか0に抑える。一方、広島は若手の河内、荒れ玉が功を奏したのか初回は三者凡退に切って取る。


試合が動いたのは3回、2アウトランナー1塁で4番シーツが風にも乗って左中間深いところに23号2ランホームラン、先制をされてしまう。
河内を中々打ち崩せない阪神であったが3回に矢野がヒット、2死後沖原が四球で1、2塁のチャンスを作り、ワイルドピッチで2、3塁となり、赤星四球で満塁とするも金本がセカンドゴロとチャンスを潰す。

阪神の5回は先頭矢野がレフト前ヒット、1アウトから伊良部が簡単にバントで送り2死2塁のチャンス。伊良部はバントがうまい。沖原がライト前にタイムリーを打ち、1点獲得。
いよいよ追い込まれた8回は表の攻撃で2死満塁まで攻め込まれたがリガンが凌ぎ、裏の攻撃で代打片岡が長谷川の4球目をライトに起死回生のHRで同点。


9回表は安藤に投手交代、先頭石原に死球を与え、代打末永にバントを決められていきなり1死2塁のピンチとなるも森笠をレフトフライ、木村拓哉を三振と落ち着いて抑える。
9回裏広島は鶴田に投手交代。1死から藤本がセンター前ヒット、続く前の打席でHRの片岡がライト前ヒット。1死1、3塁を作り、1番沖原は敬遠四球で満塁。2番赤星が初球を狙い、ライトの頭を越して阪神がサヨナラ勝ちということになる。この時点ではマジックは1だったが、対象チームのヤクルトが横浜に逆転負けしたおかげで甲子園で優勝、胴上げを決めることができた。この試合は片岡と赤星がヒーローとなったのである。


実は星野監督は2日前にお母さんを亡くし、葬式も欠席してこの試合にかけていたもの。また、阪神では星野監督、先発伊良部、広島の木村拓哉は既に亡くなっており、阪神の歴代監督、金本、矢野がスタメン、岡田がコーチと全て出ていて懐かしい試合であった。
阪神ファンの私としては、保管している翌日のスポーツ各紙を引っ張り出し、広げてさらに感動したのである。やっぱり優勝はいいものである。


なぜ、蕎麦にラー油を入れるのか〜秋葉原ランチグルメ

2020-04-26 05:00:00 | グルメ


秋葉原は神田、人形町などと並んで立食い蕎麦激戦区となっている。特に昭和通り沿いには手前から『富士そば』『みのがさ』『なぜ蕎麦にラー油を入れるのか。』さらに以前は『あきば』(現在は閉店)という4軒がほぼ並んでいた。

今回はその中で異彩を放つ『なぜ蕎麦かなラー油を入れるのか。』にお邪魔した。いつも混雑している店もコロナ騒ぎで空いている。ちゃんとアルコール除去スプレーやボックスの相席禁止など対策も講じている様子。まずは自販機で食券を購入。『肉そば』(900円)にするが、麺は小(200g)中(250g)大(350g)は値段は同じ。ただ、年齢的なことも考えて中にしておく。



カウンターの端に座り、中を見ると2人で回していて、まずは蕎麦を茹でて、冷やし、丼に盛る。さらにトッピングを乗せ、7分ほどでお盆に乗せて出される。

まず、驚くのは刻み海苔の量、海苔で下が見えないほど。つけ汁は大きめのとんすい(呑水)のような大きめの器に入り、確かにラー油は入っているが味は濃いが、辛さはちょい辛くらい。

海苔を避けながら肉と蕎麦を探すが、その過程で大量の刻みネギ、胡麻を発見、これもつけ汁に放り込む。麺は太め、黒っぽく弾力があり、中華つけ麺同様つけ汁に負けない強みを感じる。よく締められていて喉越しもいい。

また、ラー油も違和感がなく、いつものもりそばと別物と考えればいいだけのこと。しっかりした麺、たっぷりの肉とネギ、さらにたっぷりな刻み海苔、これを黙々と口に入れていく。

生卵と揚げ玉は入れ放題なのだが、つけ汁が濁るのが嫌で揚げ玉のみを投入。食感が変わってこれもいい。さらに目の前のラー油を足すが流石に辛くなる。山を少しずつ崩して10分ほどで完食、お腹いっぱい。やはり女性客はゼロ、デリカシーを感じる店ではありません、ただ、美味かった。ご馳走様でした。



なぜ、蕎麦にラー油を入れるのか。秋葉原店
千代田区神田和泉町1ー3ー5



日本のスポーツ切手②

2020-04-25 05:00:00 | 切手


『切手シリーズ』その77。日本のスポーツ切手の続き、前回は国体切手を取り上げたが、戦後日本の復興も進み、最初に行われたスポーツ大会がアジア大会である。第1回は1951年インドのニューデリーで開催され、4年ごと(第1回大会は1950年開催予定だったが1年遅れたため、第2回マニラ大会は1954年開催)に開かれ、第3回は1958年5月に東京で開催された。

切手は4種類で5円は国立競技場、10円は聖火とever onwardが入ったマーク、14円はランナー、24円はダイビングが描かれている。

その後、日本では12回大会が1994年9月に広島で開催され、その際には3枚の切手(図案はセパタクロー、3000m障害、シンクロ)が発行されている。

東京オリンピックはまずは募金として5円のハガキ料金に5円の寄付金付の切手が1961年10月から1964年6月まで6回に分けて3〜4種ずつさらに小型シートも発行されたのである。

枚数が多いため、現在も価格は高くないが32種目の競技が正方形の中に円を描き、90度回転させた素晴らしいデザインである。計算すると寄付金だけで6億3千万円にもなっている。

そして1964年に発行された東京オリンピックの記念切手は5種類、5円は聖火、10円は国立競技場、30円は日本武道館、40円は代々木第一体育館、50円は駒沢体育館。小型シートもタトウ付きで発行されたのだが、なぜか5円のみが9月9日、他の切手は10月10日の開会式当日発行された。

蛇足だが、8月1日には首都高速道路開業、10月1日には東海道新幹線開業の切手も発行されている。(以下、次回)


人形町藪そば〜人形町ランチグルメ

2020-04-24 05:00:00 | グルメ


人形町にも藪そばはある。この近辺では甘酒横丁沿いにある『浜町藪そば』か有名であるが、人形町にひっそりあるこのお店も藪睦会に属するお蕎麦屋さんである。

以前はよく来たものだが、事務所移転に伴い、遠くなったこともあり、久しぶりにお邪魔した。店は一戸建てで以前に来た際には子供が座敷で夏休みの宿題をするくらいのんびりしたお店。『かんだやぶそば』や『並木藪蕎麦』、『池之端藪そば』などとは違い、普通の街の蕎麦屋さんである。

店に入ると4人掛けの席が3つ、長いテーブルが1つ、後は小さな御座敷である。1人なので広いテーブルに座り、注文を考える。有名店にはないカツ丼もちゃんとある。あまり見ないメニューの『ネギ南蛮』(750円)を注文する。

隣のおじさんたちより後に注文したが、先に運ばれてきて、七味を振って頂く。蕎麦の上にはネギの天ぷら、椎茸の天ぷらと白ネギがたっぷり載っている。

ネギの切り方も斜め切りや小口切りではなく、白髪葱のように5センチ弱に切り、繊維に沿ってやや太めに切っている。これだと歯応えが残り、ネギの味わいを楽しめる。
蕎麦は二八そば、角が立って喉越しもいい。さらにしゃくしゃくネギを食べ進め、蕎麦をすする。汁はやや濃い目の江戸っ子好みの味付け。ネギが甘く、美味い。

さらにネギも天ぷらはより甘味が立っていてかけそばにネギだけ入れたとは思えぬ旨さ、まさにsimple is bestであった。ご馳走さま。

お勘定をして床の間を見ると藪睦会の額、中には神田・並木・浜町とこのお店の4つの名前、意外に歴史があるお店かも知れない。


人形町藪そば
中央区日本橋人形町1ー7ー2
0336665922


ヒメツルソバとナガミヒナゲシ〜路傍に咲く花

2020-04-23 05:00:00 | 日記


街を歩いていてよく見かけるが、名前が覚えられない植物は結構ある。昔からあるハルジョンやタンポポ、ホトケノザ、ナズナなど以外にもよく見るようになった植物を紹介したい。

最初はヒメツルソバ。姫蔓蕎麦と漢字で書くが、日本に入ってきたのは明治時代と古い。元々はロックガーデン用に導入された多年草で売られている時はポリゴナムと呼ばれる。小さい花が球状に集まった金平糖のような形状で咲いた当初はピンク色だが徐々に白くなっていく。ちょうど4〜5月に花が咲き始め、よく見ると可愛らしい。

秋には紅葉し、さらに冬には地上部は枯れてしまうが、翌年にはまた芽が吹いてくる。名前の由来は花や葉が『そば』に似ていることから付けられたものである。



神田川沿いにも日当たりが良いてところは密集して生えるが、崖地であってもぶら下るように増えて行く生命力の強い植物である。

もう一つは以前ブログにも書いたナガミヒナゲシである。オレンジ色の花を付けるが、日当たりの良いところは50cmくらいの高さになる。外来植物で日本で初めて確認されたのが1961年、都市部に多く、路傍や空き地に大繁殖する。これは一つの花から1600粒の種を成すと言われており、駆除してもまた生えてくる。生態系に大きな影響を与える植物の一つにも挙げられている。



花は1日しか持たず、次の日には花は落ちるが、次から次に頭をもたげて開花するため、いつまでも咲いているように思われる。幸い阿片の原料となるアルカロイドは含まれておらず、そちらのリスクはない。
名前は芥子坊主とよばれる果実部分が細長いため『長実雛芥子』と呼ばれるのである。可愛らしい花だが、見た目と違い、厄介者なのである。

ただ、私はこの2つの花を通勤時に見るようになるともうGWも近いと感じるのである。


神田川にカワセミを見た

2020-04-22 13:02:00 | 日記



19日の夕方に家の近くを流れる神田川沿いを散歩。ほぼ一日家の中にいるから外に出る数少ないチャンス。かと言ってソメイヨシノは散ってしまったし、楽しみはハナミズキくらい。


川に目を移すとシラサギが魚を取っている。綺麗だなあと見ていたら何か青い鳥が川下に向かって飛ぶ。降りたあたりを見ると何とカワセミ。じっくり観察はできるけど対岸のカワセミは写真には小さすぎる。動画に切り替えて飛ぶシーンは何とか物にした。




生駒軒〜日本橋ランチグルメ

2020-04-22 05:00:00 | グルメ


日本橋付近にはなぜか『生駒軒』という中華料理店が多い。私が知っているだけで3軒、新川や人形町にもある。コロナウィルスの流行で閉店している店が多い中、兜町近くの『生駒軒』は元気に営業中。


この店のメニューは面白いのが多い。今日のサービスメニューはゴキゲンラーメン、これは醤油ラーメンの上に回鍋肉を載せたものらしい。他にも豆腐ラーメンやスタミナラーメン、ムースー丼、細切り中華丼などいちいち聞けない。サービスランチは『もやしと豚肉の細切り炒め(750円)』、『木耳と玉子の炒め物(850円)』など3種類。悩んでもしょうがないのでチャーハン定食(950円)にしてしまう。


店に入ると8つくらいボックスがあるが、2〜4人掛けに1人ずつ、相席かなと思っていると空いている4人掛けの席を指差される。水を持ってきたおばあちゃんが、出来るだけ相席にはしないよ、という。オーダーをお願いしてすぐにラーメン+チャーハンは運ばれてくる。


他の人は待っているが、このド定番は用意しているのだろう。しかし、チャーハンは熱く、タイミングが良かったのかも。ラーメンは定番東京醤油ラーメン。


ワカメたっぷりにメンマ、チャーシュー1枚。麺は縮れ麺で懐かしい系、麺の量は少ないがスープはたっぷり。いつものようにラーメンの麺をまず食べ、スープを飲んでチャーハンに。




チャーハンはごく普通の玉子チャーハン。細かく刻んだ玉ねぎ、チャーシュー、それにグリーンピース。作り立てで、普通に美味しい。ただ、この店の特徴を見たいならやはりよくわからないメニューを選択した方がいいようである。


生駒軒はかつては東京に100店舗あった古いラーメンチェーンで長野県から東京に出てきた児玉彦治さんが台東区に大正6年に製麺所を作り、その麺を使う街の中華料理店が生駒軒と名乗ったようだ。今はドンドン店数は減っていて今は30店舗ほど。チェーンといっても児玉製麺所がない現在は名前だけが残っていると書いたブログがあった。




日本橋周辺はまだ店が残っているからやたら多いなあと感じるみたい。兜町の生駒軒も安く、早く料理を提供してくれる街中華の1店である。元気なホール担当のおばあちゃんに敬意をこめて。ご馳走さまでした。
生駒軒
中央区日本橋兜町10ー4
0336652212