hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

竹爐山房 吉祥寺グルメ

2013-09-30 06:40:00 | 日記

井の頭線吉祥寺駅に到着すると急に前が開け、以前の通路が復活していた。閉鎖されて迂回を強いられたのが昨年8月だから一年ぶり。以前は当たり前だったものが、ビル工事に伴いなくなり、復活しただけだが、有り難みを感じてしまう。
今日は久々に母親なども呼んで家族の食事会。会場は吉祥寺駅から井の頭通りを三鷹よりに5分ほど歩いた『竹爐山房』。吉祥寺では老舗の中華料理店、オーナーシェフ山本豊氏はその道では有名な料理人である。落ち着いた静かな店内は我々以外に3組ほど、老夫婦や親子連れなど年齢層はやや高めで常連が多い。
前菜の『棒棒鶏』のあと、
『ホタテのXO醤炒め』ホタテの甘さとピリ辛味のソース、そして黄ニラがベストマッチ。
『空芯菜の炒め』いつも必ず頼むあっさり塩味ながら、隠し味が効いていて家庭では出せない味に満足。
『聖堂式酢豚』このケチャップ味でない餡は主人が湯島聖堂付近の店で修行した味で絶妙。
今日のメイン『石垣島産のハタの清蒸、香味油かけ』、立派な600gの活きの良いハタに微妙な身の味を壊さない醤油風味の味付け、身がはぜるほどプリプリで皮のゼラチン部分も旨い。解体は手間がかかったが。
『大エビのチリソース炒め』は安定したうまさ。個人的にはもう少し辛味を効かせてほしいところだが。
そして、料理の最後を締めるのが『ザーサイと細切り豚の焼きソバ』。中華なべ底でパリパリになるまでよく炒めたソバにザーサイと豚の餡が掛かり、タケノコのシャキシャキ感も合わさり、食感もよく、一皿食べたかった。共に供される赤酢を掛けるのもいい。デザートメニューも豊富で今日は『紅茶のプリン、タピオカ添え』『黄桃のシャーベット』を注文した。

この店は化学調味料を一切使わないことを旨として、いわゆる医食同源。つまり健康を考えたメニューでどちらかといえばあっさりした万人に愛される中華料理店。お年寄りに優しい吉祥寺には愛されるお店。ただ、ニンニクやラードを多用するようなコッテリ系の好きな人には不向きかも。

竹炉山房
武蔵野市吉祥寺本町2ー21ー8
0422233363

駒場東大前駅

2013-09-29 08:43:00 | 日記

駅名シリーズ その2。渋谷駅から井の頭線で二駅目の駒場東大前駅は二駅が合体した駅であることを知っている人はあまりいない。元々開業時は東駒場と西駒場の二駅、東駒場は1935年に一高前と改称され、一高が東大に変わった。西駒場も1937年駒場に改称される。しかし、この駅間は400mしかなかったので、1965年に両駅の真ん中に新しい駅を作ったもので名称は駒場+東大前で駒場東大前となった。
ところで駅の名前には大学の名前が付いているものが多い。東京大学は本郷に東大前(東京メトロ)、明治大学は明大前(京王井の頭線)、早稲田大学は本庄早稲田(上越新幹線など)と東京6大学でも3大学が駅名となっている。他にも駒澤大学(新玉川線)、名古屋大学(名古屋市交通局)、中央大学・明星大学(多摩都市モノレール)、別府大学(日豊本線)、一橋学園(西武多摩湖線)、鳥取大学前(山陰本線)、同志社前(片町線)など数多くある。

中には松浦鉄道(長崎県)の大学駅や上田交通(長野県)の大学前駅など改めて大学の名前はなくともわかるだろうと大学の固有名詞のないものも。(因みに前者は長崎県立大学、後者は長野大学・上田女子短大など)やはり、ランドマークとしては大学はまだまだステイタスがあるということがわかる。

また、東急東横線の学芸大学、都立大学のようにかつては確かに大学があったが、移転、更に都立大学のように校名も変わってしまっても、昔の名前で出ている駅名もある。尤も、住民からそのままにしておいて欲しいという意見が強いためらしいが。

ただ、中には京王本線の下高井戸駅、1938年から1944年までは近くに日大の予科があったため、『日大前』と駅名をかえたが、また、下高井戸駅に戻している。今も日大文理学部はそばにあるのだが。まあ、船橋日大前(東葉高速線)、六会日大前(小田急江ノ島線)など日大前がつく駅も多く、大学自体が全国に散らばっているからかも知れない。

椙森神社

2013-09-28 05:57:48 | 日記

らいよいよ日本橋七福神も最後の1社となった。この椙森(すぎもり)神社は日本橋七福神8社の中で水天宮に次ぐ規模。ちょうど小伝馬町駅と人形町駅の中間に位置し、東京商品取引所の隣にある。

創建は約1000年前、藤原秀郷が平将門の討伐祈願や太田道灌の雨乞い祈願などの記録も残る古社である。祀られている恵比寿様は釣竿と鯛を持ち、豊漁の神様であったが、後にえびす顔と言うとおり商売繁盛に転じた。江戸時代には新橋の烏森神社、神田の柳森神社と江戸三森として信仰された。社殿は関東大震災で消失、今の社殿は昭和6年に再建されたもの。


境内には江戸時代に行われていた富くじを偲んで大正8年に碑が建てられたが、関東大震災で崩壊、昭和28年に再建された。そのモニュメントが『富塚』、むかしはこの境内で庶民が一喜一憂したのかと思えば、面白い。なお、この神社もべったら市が行なわれ、賑わうらしい。


楽天優勝

2013-09-27 06:37:56 | 日記

少し早く帰ったので野球 放送をつけるが、昨日のブログの通り、在阪球団は2点の差が守れず、いつの間にか、逆に2点ビハインド。(まあ、広島も負けたので、ゲーム差は縮まないが。)
ここでそういえば楽天はM2だったことを思い出した。まず、ロッテvs日本ハム戦を見ると日本ハムが逆転してロッテに2点リード。そこで楽天vs西武戦を見ると7回裏2死1.2塁のピンチ、ラズナーが何とか抑えるシーン。そのあとは西武の涌井が三者連続三振、一方ラズナーは次の回ヒジに違和感を覚え、緊急降板。楽天の投手は斎藤に、また前の試合の二の舞かと思ったが、さすが大リーグ帰りの投手はひと味違い、気迫で抑える。しかし、9回表も楽天は涌井に手も足も出ない。
一方、ロッテは、日本ハムを追い詰めるも1点及ばず、この時点でM1。

そして1点差で9回裏、万を時して田中投手が4年ぶりのリリーフに登場。しかし、先頭バッターの鬼塚がヒット、ヘルマンはバント失敗が続いたが、結局四球、片岡のバントで1死2.3塁。やはり久しぶりのリリーフは勝手が違うのかもしれない。ところが、ここからがさすがに田中投手。変化玉をやめてストレート勝負。栗山に投げた三球はいずれも外角低めにコントロールされ、三振。田中投手に分のいい浅村も一球目を強振、その後も低めにストレートがコントロールされ、浅村は空振三振。

流石に当初は変化球も使ったが、塁が埋まるとストレートで勝負できる田中投手に感動。技術も大切だが、気迫の大切さを感じた。連勝記録など見向きもせず、チームの勝利に貢献した田中投手こそ、真のエースと久しぶりに名勝負を見せてもらい、感動した。こういうシーンがあるから野球観戦はやめられない。

巨人優勝

2013-09-26 06:40:10 | 日記

9月も末に近づくと野球の長かったペナントレースも終盤、昔ならば巨人の優勝で後は消化試合だったところをクライマックスシリーズの導入で興行的にはまだまだセリーグは3位争いが愉しめるし、パリーグも4位の西武までは権利がある状況。よくできた制度である。

仕事で巨人の親会社Y新聞を訪ねる。一階の広いフロアーは窓に向かって、一斗樽が所狭しとおかれ、また、胡蝶蘭がテーブルにぎっしり並べられていた。その周りに選手の原寸大のパネルが並べられて、待合室というより、記念室のような趣。

前言を否定する気はないが、前に巨人がCSで中々勝てなかった時にWオーナーが制度の批判したことがあった。今日のこの光景を見て、これだけグループをあげて応援して130試合以上戦って1位でも、わずか数試合の結果で日本一を目指せない不条理さに頭にくる気持ちも分かった気がした。
ただ、ようやくCSに出ることが3年振りに決まった在阪球団と違い、ポストシーズンの戦い方を十分研究してきた巨人は進化しているなあと昨年は強く実感、今年は更に強そうなのが気になるところ。一方で、甲子園でCSが開催されることをお祈りしているような情けない状態では中々先は開けそうもない。因みに小生は在阪のファンを約半世紀続けており、この季節はいやな予感がよく当たることが残念なところである。


飯山満駅

2013-09-25 06:42:35 | 日記

駅名シリーズ その1。 先日、コラムを読んでいたら、『日本の駅には人の名前にありそうなものがある』とあった。そこで挙げられていたのは、『中山香(大分、日豊本線』『井川さくら(秋田、奥羽本線』『武豊(愛知、武豊線)』などである。


なるほどとは思ったが、その中に『飯山満(千葉、東葉高速線』を見つけた。確かに、小生もゴルフでこの路線を使った際になんて読むのかと気にはしていたのだが。
この駅は人の名前にありそうな駅だけでなく、関東地方の難読駅としても有名、また、東葉高速線の開通を大幅に遅らせた地区の名前にあったことを思い出した。

まず、駅名は『いいやまみつる』ではなく、『はさま』と読む。これは山奥の地区にも関わらず、米が多く取れることから、飯が山のようにみつる場所、つまり飯山満となったらしい。
一方、東葉高速線開通事情であるが、免許交付は1974年であった。しかし、当初免許を交付された営団が都外を理由に建設を断念、三セク会社設立は1981年、さらに開業は1996年と時間を要した。

このため、鉄道の開通をあてに駅予定地近くに住宅を購入したが、開業したころにはもう定年となっていたという笑えない話も数多くある。また、用地買収費が予想を大幅に上回り、債務が増加した結果、並行して走るJRの2.5倍の運賃となり、通学費用の高騰が親を悩ませることとなってしまった。この教訓を受け、首都圏新都市鉄道(つくばエクスプレス)は借り入れを行わず健全経営をしているとのことである。
こうした駅名や鉄道に関するこぼれ話、気がついたことなども順次載せていきたい。

彼岸花

2013-09-24 06:39:09 | 日記

朝日新聞の朝刊に埼玉県日高市巾着田の彼岸花のグラビアを見つける。そういえば秋の彼岸だなあと実感。長崎物語という古い歌謡曲に『赤い花なら曼珠沙華・・・』と出てくる通り、彼岸花には曼珠沙華という別名もある。
彼岸花はヒガンバナ科の球根で増える植物で丁度この季節に満開となるが、印象深いのはその鮮やかな赤い花だけでなく、花が咲く時には葉がないという点からかもしれない。近所には白いものも咲いており、今を盛りに咲いている。

ただ、美しいものには毒があり、きおつける必要がある。彼岸花は 元々、中国からの渡来植物で一説には稲と共に渡来し、毒があることから、稲の回りに植えて有害動物から稲を守ったため、田んぼの回りに多いとも言われている。地方によっては『死人花』『地獄花』『幽霊花』などあまり楽しくない名前で呼ばれることもあるらしい。確かに群生して花を付けている風景は少し怪しげではあるが、秋空の青に映えて素晴らしい。

何れにしてもススキの穂や彼岸花を見ると、暑い夏も終わり、秋の本格的な訪れを感じ、そしてその先の冬の予感を思うのが、日本人らしさなのかもしれない。


旧万世橋駅

2013-09-23 07:46:30 | 日記

ネットのニュースで旧万世橋駅がmAAch ecuteとして復活、駅のホームも上がれると聞き、早速往訪。

万世橋駅は1912年甲武鉄道の駅として開業、その後、国有化されたが、初代駅は東京駅同様に赤レンガで辰野金吾が設計、駅前には日露戦争の英雄広瀬中佐と杉野曹長の銅像が建てられていた。

しかし、わずか6年後の東京駅開業で役割を終え、関東大震災で駅舎は焼失、仮駅舎は作られたが、その後交通博物館が移転。近くに秋葉原駅などもできたため、駅としてはあまり役割がなくなり、1943年に廃止されている。ただ、中央線のホームだけは残されていた。

実は2006年に交通博物館が閉鎖になる直前にこの階段を登って頭だけ出した経験はあったが、今回ホームを改修、ホーム先の部分はカフェに設えられており、誰でも行くことができるようになった。すぐ前を中央線が通る姿は鉄道ファンならこたえられない。オレンジの電車が通るとワクワクする。上がったらなかなか降りず連れ合いに怒られた。

店舗スペースもうまく仕切って、色々な店が入っており、見て歩くにはいいが、値段が高いなどややこれで大丈夫か気にはなったが。

興福寺仏頭展

2013-09-22 07:33:12 | 日記

先週の三連休はすっかり台風の影響で出かけるどころでなかったため、ようやく夏休み以来のお出かけ。家を午後2時に出て上野駅に向かう。流石に芸術の秋、国立西洋美術館では『ミケランジェロ展』、国立科学博物館ではダイオウイカなど『深海』展、もちろん動物園ではパンダ、さらに生き物との触れ合いフェスタなど軒並み大掛かりなイベントが開催中。そのため、すごい人。

上野駅公園口を降りて東京文化会館の横を通り、東京都美術館方向に少しでも日陰を探しながらあるく。すると目の前に京成電鉄博物館動物園前駅舎が見えてくる。この駅は昭和8年に京成本線開業と同時に開設されたが、ホームが短く、延長出来ないこと、上野駅から900mしか離れていないことから平成9年に休止、同16年に廃止されたもので、同じ京成本線は次の寛永寺坂駅、日暮里駅の次にあった道灌山通駅など廃止駅が多い。
その先を少し行くと、東京芸術大学、その中に美術館はある。報道もされていることから入場者も多い。入場料1500円、解説の音声ガイド500円を払い入場。
まず、目に飛び込んだのは木造弥勒菩薩半跏像、そのもの以上に厨子の装飾や扉絵の無著、世親の姿、飛天などの精巧さに驚く。法相宗の成り立ちの説明を聞く。

次の展示室は板彫の十二神将、特にメキラ(迷企羅)大将の躍動感にびっくり。あの厚さ2センチもない板から平安時代にここまでのものが作れる偉大さを感じた。
最後の展示室の仏頭は頭しかないのは残念だが、日本には少ない金堂仏の美しいお姿は勿論、目の力の強さを感じた。

さらに数百年ぶりに一同に介した木造十二神将は慶派が作ったものらしく、精巧さと厳しい顔つき、特にやはりバサラ(伐折羅)大将、クビラ(宮毘羅)大将の迫力に圧倒された。昔の彩色がされた姿が是非みてみたくなる。また、深大寺の釈迦如来像もよく見る像ながら、ガラスケースに入っておられずじっくり鑑賞できた。もちろん、寺院で見せて頂くのが基本であるが、360度色々な方向から鑑賞できるのが、美術館のよさであろう。久々にじっくり多くの国宝に出会うことができ興福寺の奥深さに驚くとともに、十分満足できた。

汐留駅~新橋駅

2013-09-21 00:01:11 | 日記


ゆりかもめの汐留駅は1995年の路線開通時には未開業で周囲の再開発完了後の2002年11月にようやく開業した。始発の新橋駅からは直線距離は200m(営業距離400m)ほどだが、大きくカーブしていることから、ゆっくり車両は進行する。

汐留駅はマッカーサー道路を海側に少し走って左折すると目の前。周囲には電通や日本テレビなど高いビルが林立、ゆりかもめ開業時点で何もなかった頃が全く想像できない。周囲で変わっていないのは浜離宮のみであろう。


新橋駅に向かうが、電通本社を右に見ながら、道なりに歩くと日本テレビ。天井にオブジェが置かれているところは、さすがテレビ局。左に少し歩くと日本一のカラクリ時計、このカメラではなかなか全体像が映らないほどの大きさで宮崎駿が原案を提供したとのこと。どおりで『動くハウルの城』に似ている訳である。肝心のカラクリは10時から2時間毎に3分程度動くらしく、まだ、30分もあるにも関わらず既に観客はいたが、小生はそこまで暇はないので退散。

いったん地下に降りて、反対に渡り、ビル内のエスカレーターを登るとそこには、旧新橋駅舎が再現。中はちょっとした資料館になっており、今は『おみやげと鉄道』と題した企画展を開催中。地下の展示には当時礎石も遺されている。ビアホールも同居しており、ビール片手に昔を偲ぶのもいいかもしれない。


日本鉄道発祥の地である新橋界隈にはよく探すと、イタリア広場の転車台、旧新橋駅舎、蒸気機関車の動輪といった鉄道ファン垂涎の遺跡が散財、一度はゆっくり訪ね歩きたい場所である。