hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

祝 ブログ一周年

2014-05-31 07:51:44 | 日記

このブログを始めたのは昨年5月23日、ちょうど山形の立石寺に50年に一度の秘仏ご開帳を見に行ったことを記事にしたもの。そして昨年5月31日に『鎌倉へ』と題して鎌倉に行き、あまりの人に閉口したことを書き始めた。それから今日で1年目、毎日更新しないのはブログではないと365日ほぼ毎日更新して来た。ほぼと言うのは毎日更新の積りで1日に回更新し、翌日更新しなかったことが2回ほどあったため。

始めは1枚の写真と5行程度の文であったが、徐々に書くことも増やしていった。ちょうど職場が変わるタイミングで人形町というエキサイティングな町に毎日通うようになったことも手助けにはなった。

しかし、流石に1ヶ月もするとネタが尽きてくる。その中で子供の頃からの趣味の鉄道や切手の話題、全国を旅行した際に見て感動した古刹やあまり知られていないがすばらしい風景、そして立食い蕎麦屋の食レポ、日本橋の付く町歩きなど新たなテーマも探して365回更新し続けることが出来た。

支えてくれたのはSNSからの反応やご覧いただいているというアクセス数、友人の反応などである。まあ、日記(手で書く方)は15年続けていることを考えたら大したことではないが。この1年町を歩く時でもキョロキョロしながら町の特色や残された過去の足跡、寺社の縁起などとにかく注意深くなったのがメリットかもしれない。

これからはあまり毎日更新にはこだわらず、しかし、出来る限り更新することで私らしいブログにして行きたい。いままでのご愛読に深謝!!

(今回の写真は一年間ずっと見ていた水天宮前駅の水槽内の風景である。)


アスパラガス

2014-05-30 00:02:06 | 日記

駅までの通勤路にあるお宅の前のアスパラガスが繁って、1.5m程の高さになった。昨年も同じように丈は伸びたのだが、ひょろっとしていて、風の強い日に倒れてしまったが、今年は2回りは太くなった気がする。(この写真は3月23日)

そういえば、アスパラガスをミドリのまま食べるようになったのはいつ頃からだろうか。小さな子供の頃はアスパラガスといえば、缶詰入りの水煮のホワイトアスパラガスだったが、いつの間にかグリーンアスパラガスが主力となり、高級食材から常備菜に変わって来た。

アスパラガスはユリ科の多年草で葉のように見えるのは茎で葉は鱗片状に退化している。花はちょうど今頃から咲きはじめるが、小さな花が白っぽい色の花をつける。

栽培農家をTVで見たが、土の上に姿を表したチンアナゴのような感じで生えて来るが、ここまでするのに種蒔きからだと3年かかる。ただし、一度収穫が始まると10年間続けることができる。

最近はムラサキ色のものも八百屋の店頭で見るが、これは茹でると緑になって折角のアントシアニンも水に溶け出してしまうらしい。また、サイズも色々あり、細いもの、逆に巨大なもの。東京の人は穂先が好きだが、北海道では根元の太いところを楽しむときいたことがある。(北海道の炉端焼きにて)

一方、アスパラガスは食べるのもいいが、鑑賞用にもいい。この間まで小さかったのに、丈が高くなるだけでなく、株も増えて、葉のように見える部分も爽やかで綺麗なミドリが素晴らしい。プランターでも栽培できるようなので一度小生も育てて見たいものだ。

日本橋富沢町

2014-05-29 06:28:46 | 日記

日本橋町巡りシリーズ その6。一回遅れたが、今回は日本橋富沢町を取り上げる。東は前回の久松町、北は大伝馬町、南は人形町、西は堀留町に囲まれている。

元々この辺りには古着屋が多く、古着屋の元締め『鳶沢』がいたため『鳶沢町』と呼ばれ、それがなまってか、改名してか、富沢町になったのが、その由来である。明治初期に古着市は岩本町に移ったものの、大正時代から繊維問屋が多く進出し、今はそれが小規模なビルになっている。寺社としては冨沢稲荷神社があるが、普段はひっそりとしている。



歩いてみると2本の通りに挟まれた細長い地形で西川産業をはじめ、寝具、タオル、和服など様々な繊維問屋が軒を連ね、特に大阪の船場の会社の東京支店が多くある。


また、耐熱ガラスメーカーのHARIOの本社は1932年に建築された有形文化財である。元々は旧川崎貯蓄銀行冨沢町支店でその後常陽銀行東京支店、同行堀留支店として使われていたが、銀行としては閉店、そのままにされていたが、2000年に現在の形となった。西欧古典式の建物は風格がある。

一角には数軒の小料理屋やもつ焼き屋などが並んでおり、風情があるところもホンの一角に残る。また、歴史物の自動車修理工場も残り、『日産チェリー特約店』の看板が泣かせる。


ただ、歴史がある建物もある反面、周辺の町と同じようにビジネスホテルやマンションが増えて来ており、画一化されつつあるのは残念である。


五辻不動尊(大分県)

2014-05-28 05:00:00 | 日記
『日本の風景再発見』シリーズ その3。大分県は佛の多い県である。特に国東半島には富貴寺や真木大堂、両子寺など素晴らしい古刹が多く、とても一日では回りきれない。その神秘性が好きで9州にいた時に3回も訪問したくらいだ。しかし今回ご紹介する五辻不動尊をご存知な方がいたとすればよほど国東半島が好きか、珍風景フェチかのどちらかであろう。場所は大分空港から国道213号線で伊美港に向かう。ここには道の駅が有り、姫島に向かう船が出ている。ちょうど海と反対に国道31号線を行くと案内板に旧千灯寺跡や五辻不動への入口が示される。それを行くと急に道が1車線になり、途中には野ざらしの石仏や五輪塔が現れる。

さらに行くと急に広場が出てこれが五代不動尊の駐車場。ここからはすぐ山道になる。薄暗い木の間を歩くため、前に三仏寺(島根県)を登った嫌な記憶が思い起こされるが、10分ほど登るとあっけなく周囲が開ける。足場は岩の上を歩くがそれほどきつくはない。目の前には比較的新しいお堂が見えてくる。そして石灯籠を越えるともうすぐ頂上である。


この不動尊の由緒は718年に仁聞菩薩が4人の同行者と修行をした不動明王を祀るための岩屋で遠くから見ると岩屋残帯が砦に見え、両側は絶壁になっている。あまり悪天候の際にはチャレンジしないほうがいいかも知れない。なお、その先の旧千灯寺まで道があるが、小生はここで車に戻った。そして振り返るとその風景にびっくり。天気が良かったこともあるが、海の向こうに姫島がクッキリ見えた。


また、お堂は無人だが、綺麗に整備されていて、定期的に周囲の人々が守っていることが書かれていた。海外もいいが、日本にもまだまだいいところはたくさんあるというのが小生の持論である。ただ、残念ながら、ここに登った際に一緒に登った妻以外に誰にも会うことはなかった。


鉄道の軌道(ゲージ)

2014-05-27 06:37:21 | 日記

鉄道シリーズ その63。京王線の電車は井の頭線を走れないということを知っている人はどのくらいいるだろうか。これは軌道の幅、つまりレールの幅が違うからである。

元々、鉄道の軌道の幅はスチーブンソンが世界最初の蒸気機関車を走らせたイングランドの北部にあるキリングワース炭鉱の馬車鉄道で使われていた1435mmが標準軌と言われ、世界中で使われている。日本では新幹線、東京メトロ丸の内線、銀座線、京成電鉄、京浜急行、阪急電鉄、阪神電鉄などである。

しかし、日本で最も多く使われているのは1067mmの狭軌でこれは日本の鉄道発足当時に大隈重信が外国人技師の意見に従い導入したもので、JR在来線、小田急、東京メトロ(除く、銀座・丸の内線)、東急、西武、東武などで使われている。因みに冒頭の井の頭線もこの幅を使っている。

では京王線はというと1372mmの馬車軌と呼ばれるもの。当時の東京市電や玉電など路面電車に使われていた幅で京王線も元々甲州街道を路面電車として走っていたものが起源のためである。(都営荒川線、東急世田谷線も1372mm)

一方、井の頭線はというと元々は小田急電鉄とルーツが同じ帝都電鉄が1933年に開通させたもので、1940年に帝都電鉄が小田原急行電鉄と合併、戦時の大東急(東急、小田急、京王、京浜急行などが大同合同)を経て、1948年に再編成で京王帝都電鉄(現、京王電鉄)のものとなった。つまり、こうした歴史的なものが今のゲージに残されているのである。そのため、1945年に戦災で殆どの車両が燃えた井の頭線は新代田と小田急線の世田谷代田の間に代田連絡線を作り、緊急的に車両を小田急から井の頭線に移したこともあった。因みに今は陸路永福町の京王バス車庫から車両の搬入出を行なっている。


等々力渓谷(東京都世田谷区)

2014-05-26 05:00:00 | 日記
『日本の風景再発見』シリーズ その2.第2回目はなんと東京都23区に唯一ある渓谷、等々力渓谷について触れてみたい。その前にこの地名『等々力』の名前の由来はこの等々力渓谷に流れ落ちる不動の滝の轟く音に由来する説が有力だが、兎々城(とどろじょう)の読みが『とどろき』に変化したとの説もあり詳細は明らかでない。ところでサッカーでは川崎フロンターレのホームグラウンドも等々力だったなあと調べると川崎市中原区にもこの地名はある。その理由は簡単で、いずれも明治以前は等々力村に由来するからであり、多摩川を県都境にしたのが後のことだったからである。ちなみに同じような地名は『宇奈根』『(下・中・上)丸子』『瀬田』『(上・下)野毛』と結構たくさんある。

東急大井町線に乗り自由が丘から3駅目の等々力で降りるとすぐに『ゴルフ橋』がある。この名前の起源は1931年に作られた玉川ゴルフコース、その後等々力ゴルフ場となったもので9Hのゴルフ場、テニスコートなどがあった。しかし1939年10月の空襲で消失したわずか8年間の命だったらしい。その螺旋階段を降りるともう別天地、本当に綺麗な水の流れる渓谷になっていて、川に沿って歩くことができる。すぐそばには交通量の多い環状八号線が通っていることなど全く感じさせない静けさで鳥の声と水の流れの音しかしない。しばらく歩くと等々力不動尊の不動の滝に出る。


訪れたのは2年前の秋だったので紅葉も美しく、心が洗われる気持ちがした。周囲の方々がこの自然を守ろうと積極的に維持の活動をされていると聞く。人工的なものをおいて管理するよりより大変だろうとご苦労に頭が下がる。

東京でも多摩川の上流に行けば秋川渓谷や鳩の巣渓谷などあるが、渋谷から20分で来れる渓谷はまさに残しておくべき自然ではないかと感じる。

ムラサキツユクサ

2014-05-25 06:30:54 | 日記

あと1週間で6月、沖縄はもう梅雨入りしているが、東京も平均で行くと梅雨入りは6月8日、昨年が6月10日だからもうすぐあの鬱陶しい季節かもと考えてしまう。

しかし、梅雨入りすると鮮やかに咲く花もあり、その典型がアジサイとツユクサ。今はアジサイはまだほんの一部しか咲いていないが、ツユクサはあちこちで咲き始めている。といっても通常のツユクサは花も小さい言わば雑草である。


しかし、同じツユクサ科でも鑑賞用にと植えられているのがムラサキツユクサである。多年草で耐寒性が強いため、庭に植えるとかなり増えていく種類。花びらは3枚で花は一日でしぼむが、次々と咲いていくのでいつまでも咲いているように感じる。

数日前の雨の後は一層そのムラサキが鮮やかになったような気が。やはり晴天より、雨や朝露の似合うしっとりとした花なのかも知れない。

因みに花言葉は沢山あるが、『ひとときの幸せ』『寂しい思い出』というのが小生のお気に入りである。なお、色はムラサキが、多いが赤紫や白もある。



バラの花

2014-05-23 00:49:29 | 日記

バラは北半球には広く自生するが、南半球には人為的に栽培したものしかない。5月の後半になると近所でもあちこちバラを見ることができる。

その種類も多く、古代バビロニアの時代から愛でられていたようで、古代ギリシャやローマでは愛の女神アフロディーテまたはビーナスと関係付られた。その香りも評価され、香水の材料になる香油も精製された。

バラは花の大きさや咲き方も様々で色も最近は青みががったものもあるみたいである。ただ、その技術は高く、元は赤いバラから赤い色素を抜く方法で青いバラを作ろうとしたが、バラから青の色素(ロザシアニン)が発見されてより研究は進んだ。日本ではサントリーの技術が素晴らしいようである。


最近は輸入品しかないが、レインボーローズという7色のバラもある。これは白いベンデラという品種に色素を吸わせてつくるもので、葉は枯れてしまう。美しいものを改良してつくるのも悪くはないが、これはあまり好きにはなれない。


自宅近くを歩くだけでも、小さな花が集まったもの、大きな真紅のバラが沢山咲くもの、高島屋の包装紙のような大きなバラの花が次々と咲くもの。これらが華やかに咲く梅雨入り前は最も好きな季節かもしれない。



原尻の滝(大分県)

2014-05-23 00:15:31 | 日記
『日本の風景再発見』シリーズ その1。このシリーズでは今まで日本全国を旅してきた中でそれほど有名でないにも関わらず、ぜひ残していきたい日本の風景にスポットを当てたい。第一回は大分県豊後大野市にある原尻の滝である。日本3名瀑というと華厳の滝、那智の滝、袋田の滝であるが、先の2つは一本の大きな水の流れが高いところから落ちる美しさ、袋田の滝は四度見の滝と言われるくらい複雑に折れ曲がるものだが、この滝は全く違う。高さ20M、幅120Mにわたって周囲の田園地帯から平地に突如滝があわわれるもので東洋のナイアガラと呼ぶ人いるくらいである。

小生は2011年に九州を旅行した際に臼杵石仏を見たあと高千穂に向かう途中の道の駅でその存在を知った。滝の下流には吊り橋も設えてあり、滝の全景も見ることができる。また、すいりょおが少ない時には滝壺までボートで行けるようだ。

この滝を見て本州にない九州の自然の豊かさを感じた。もしこのあたりを通過する際にはぜひ多少の回り道となっても行くことをお勧めしたい。

ヤマボウシ

2014-05-22 00:06:28 | 日記

ヤマボウシがようやく白い花を付け始めた。ヤマボウシはハナミズキによく似ているが樹はかなり大きくなり、10m位のものもある。ミズキ科は同じだが、ハナミズキは一般的にまず花が咲いてから葉が茂るが、ヤマボウシは先に葉が茂って、そのあとに花が葉の上に咲く。まあ、花といっても花は中心の淡黄色の集合体で花びらのように見えるのは総苞片、つまりガクではあるが。


また、 ハナミズキはピンクや赤、白と色々なカラーがあり、花の形が八重咲きなど様々なバリエーションがあるが、ヤマボウシは白一色でハナミズキに比べるとやや地味であることは否めない。さらに、花の咲く時期もヤマボウシが2週間~1ヶ月遅いので、街路樹にはハナミズキがはやりなのかもしれない。

果実はあまり有名ではないが、9月頃赤く熟し、食用にもなるらしい。今はお隣のヤマボウシが盛りで下から見ても2階からみても美しい。