hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

セーリングについて調べてみた〜よく知らないオリンピック種目

2021-07-31 05:00:00 | 日記
東京オリンピック開催には問題をなしとはしないと思っているが、基本的にオリンピックは大好きである。子供の頃からレスリングのフリースタイルとグレコローマンスタイルの違いを調べたり、カヌーの漕ぎ方の違い(カナディアン、カヤックスプリント、スラローム)に興味を持ったりした。

しかし、当時からセーリング(昔はヨットと言った)のクラス分けはよく分からない。470級やフィン級などオリンピックの度に聞くが、毎回よく調べないうちに終わってしまう。これを今回ちゃんと調べてみた。
セーリングは日本のオリンピック中継ではほとんど扱われない競技ではあるが、歴史は古く第2回パリ大会から採用されている。ルールは海面にあるマークというブイを決められた回数回りながら、フィニッシュまでの着順を争い、上位10艇がメダルレースと呼ばれる最終レースで順位を決める。

(470級)

しかし、前述の通り、艇の大きさ、乗組員の数、艇の形でクラスが分けられている。
まず、470級は艇長が470センチ(4m70cm)であることからついたもので、2人乗り。スキッパーが舵とメーンセールを操り、クルーがその他のセールを扱う。日本はアトランタで女子が銀メダル、アテネで男子が銅メダルを獲得している。


(レーザー級)

レーザー級は423センチの1枚帆の1人乗りヨットを扱う競技で男子のみ。また、レーザーラジアル級はレーザー級の80パーセントの小さな帆を扱う女子のみの競技である。
49er級はさらに大きな499センチの艇を使い、2人で操る。帆も大きい上にスキフと呼ばれる摩擦抵抗の少ない艇体を使うことから、最高速度が40km/hと早く、海のF1と呼ばれる。49erFX級は女子向けに帆の大きさを小さくしたヨットを使う。

(49er級)


(RSX級)

RSX級はウインドサーフィンの一種で1人乗りの競技。オリンピックでは2008年の北京五輪で採用された。女子は男子より小さい帆をつかう。

(ナクラ17級)

ナクラ17級は男女1人ずつのる混合種目で前回のリオ五輪より採用された新しい種目。『カタマラン』という双胴艇を使い、海の上を滑るというか、浮くように走る。
フィン級は最も古くからある種目で艇長450センチの1人乗りのディンギー。メインセールだけの一枚帆、しかし、次のパリ大会では『カイトボート』が採用されるため、今回がオリンピック種目としては最後となる。

(フィン級)

といった塩梅、一度興味をみたい種目である。

1964年東京オリンピック記念切手の建物を見に行く④

2021-07-30 05:00:00 | 切手
『切手シリーズ』その85。1964年東京オリンピックの記念切手の図案となった建物を巡るシリーズその4は『駒沢体育館』(額面50円)である。

駒沢体育館(正式名称、駒沢オリンピック公園総合運動場体育館)は1964年のオリンピックの際にレスリング会場として使用するため、1964年3月に竣工したもので芦原義信設計。他にも駒沢オリンピック公園ではサッカー、バレーボール、ホッケーなどの競技が行われた。



東急田園都市線駒澤大学駅で降りて約15分ほど歩くと公園西口に到着。規模は大きく、中に入ると駒沢野球場があり、夏の甲子園の東京予選会場として連日熱戦が繰り広げられている。その先にはスケートパークがあり、今回初めて種目となっ『BMX』を練習することもできる。



さらに歩くと体育館がある。地上2階地下1階の建物だが、上から見ると8角形となっている。



中に入るとオリンピックメモリアルギャラリーがあり、1964年の選手団や聖火ランナーの制服、聖火、金メダリストの写真が展示されていて流されているビデオは女子バレーボールの決勝の模様。



久しぶりに当時の感動を取り戻したい時は訪れるといい。さらにオリンピックメモリアルタワーもある。これは芦原義信が五重塔をイメージして作ったものであり、登ることができれば競技場や体育館の姿もはっきり見れるのではないか。



戦前は東京ゴルフ倶楽部として昭和天皇がラウンドされた名門ゴルフ場であり、1940年に開催されるはずであった東京オリンピックのメイン会場を建設するはずの土地であった。そのため、広大な敷地に競技場、野球場、体育館、テニスコートなど多くの施設があり、50年以上前に作られたとは思えないデザインの建築物を見るだけでも訪れたかいがあった。

オリンピック開会式〜五十音順で国を並べてみると

2021-07-29 05:00:00 | 日記
オリンピックの開会式、終わってから5日経過するが、何を4時間もかけてやったのだろうというほど印象の薄いセレモニーとなった。1964年の開会式・閉会式があれほど反響があったのは『整然とした開会式』『国境を越えた親睦の姿を見せた閉会式』の対比が素晴らしかったからである。それに引き換え、今回の開会式はスタートからだらだらとしたセレモニーで終わってしまっている。さらに某IOC会長の挨拶は冗漫そのものであった。

(アイスランド)

ところで私が興味を持ったのは『五十音順の入場』である。ギリシャ、難民選手団の次はアイスランド、続いてアイルランドはすぐに浮かんだ。

(イギリス)

しかし、『い』のところではイギリスは出てこない、と思ったら『え』のところで登場、そうか『英国』なんだと納得。しかし、『イスパーナ』ではなく、『す』のところで『スペイン』として登場しているのだ。

(ロシア)

私がすぐに想像がつかなかったのはしんがりの日本の前の国。悩んだ末に『ろ』の『ロシア』と思ったら、難民選手団の次に『ROC』(ロシアオリンピック委員会)で3番目に登場。


(レソト)

それならばと考えたのがラ行の国。頭を絞って考えた答えが『レソト』、しかし『レバノン』の方が後ろ。ただ、今回はその後ろに『アメリカ』、これは2028年の『ロサンゼルス』オリンピックの開催国。さらに『フランス』、これは2024年の『パリ』オリンピックの開催国であった。

(レバノン)

ほかにも気づいたことが。『ヌ』『ム』『ヤ』『ユ』『ロ』『ワ』『ン』で始まる国が1つもないこと。
また、ある字から始まる国が一国しかないものが結構あること(例えばメで始まる国はメキシコのみ)などである。

(メキシコ)

それでは最後に読者に私から質問です。『テ』『ツ』『ヒ』『ネ』『ノ』で始まる国は各1国しかありません。それぞれの国名を書きましょう、という問題。頭を絞って全ての答えを見つけてくださいね。(但し、国名ではなく、IOCが認めた国・地域名である。)最後に一つだけヒントです。

(ヒントはツで始まる国)


1964年東京オリンピックの図案の建物を見に行く③

2021-07-28 05:00:00 | 切手
『切手シリーズ』その84。前回に引き続き1964年10月10日に発行された東京オリンピックの切手図案の今を巡るシリーズの3回目は40円切手は国立代々木競技場第一体育館。1964年のオリンピックでは水泳会場として使われた。丹下健三による設計で2本の主柱により天井を吊り下げる極めて特殊な構造を持っており、内部に柱はなく、観客が集中して競技を観戦できるように工夫されている。

因みに今回のオリンピック終了後には第一、第二体育館とも重要文化財に指定される予定。

2021年のオリンピックでもハンドボール、またパラリンピックではバドミントンと車椅子ラグビーのそれぞれの会場として使われる。



駅舎が新しくなったJR山手線原宿駅から明治神宮入口の前を通り、歩道橋を渡ればすぐのところに入口がある交通至便な地にある。向かい側には代々木公園、渋谷寄りにはNHK放送センターなども隣接している。



この大きな体育館も歩道橋から見ると全景が見ることができる。もう事前準備として観客が開場前に並べるように鉄柵などが作られているが、無観客試合となればこれも無駄となってしまった。

63歳について考える

2021-07-27 05:00:00 | 日記
生まれが1958年7月27日だから、私は本日で63歳となる。これは事実。
ブログでは毎年の誕生日に色々なことを書いてきたが、今回は縁起でもない話を書くことにした。

3歳や5歳になれば七五三、7歳になると小学校、20歳になれば成人式、42歳になれば厄年、60歳になれば還暦と一区切りが付くが、それ以降は精々喜寿や米寿くらいしかない。実は63歳というのは中途半端な年齢。昭和の時代は60歳は還暦でよく長生きしたとお祝いをし、さらについ10年くらい前までは60歳でリタイアするケースが多かった。サラリーマンは退職金をもらい、ゆったりと過ごすこともできた。しかし、今は雇用形態も変わり、原則65歳までという動きが太宗。つまり、リタイアしたくてもできない中途半端な年齢なのである。

まあ、65歳になれば年金もフルに受給できるようにはなるが、そこまではあと2年。63歳は特別給付の老齢年金の受取をするかどうかの決断を迫られる緑色の封筒が届く。しかし、会社に属していてこの年金を受け取れる人は多くない。

それならばいつまでも健康でいられるのであろうか。実は私が63歳に特別な思いを持つのは私の叔父が亡くなった年齢が63歳だからである。祖父が69歳で亡くなったり、父親が71歳で亡くなったり、と我が家の男性で長生した人があまりいない。こうしたことからもやはり『死』というものからは目を背けられないとつい思ってしまう。

63歳で亡くなった有名人、北の湖のような角界の人はともかく、西城秀樹(歌手)、いずみたく(作曲家)、池田満寿夫(作家)、村山実(野球選手)、ハナ肇(コメディアン)最近ではコロナで亡くなった岡江久美子さん、と意外に多いので驚く。もちろん、こうした人々が亡くなった時に意外に若いなあと感じたことも思いだすのだが。
63歳となったとしてもあと寿命がどれだけあるのかは私には分からない。ただ、かなりリスクも出てくる年齢であり、後で後悔しないようにやりたいことをやり残さず生きていくことを少し考えてみることにしたい。

ユリの図柄の切手

2021-07-26 05:00:00 | 切手
『切手シリーズ』その83。1961年に1年かけて毎月の花の切手が発行されたシリーズの7月はやまゆりをモチーフにしている。

実は日本の切手に初めて『ユリ』が描かれたのはさらに9年前の1952年5月に発行された日赤創立75周年のうち5円の方に『赤十字とユリ』の意匠である。同時に発行された10円の『日赤看護婦』のデザインの方が有名ではあるが。

次に『ヤマユリ』の図案が採用されたのは1990年ふるさと切手の都道府県の花シリーズ。ヤマユリを県の花としている神奈川県なのである。

他にも石川県の『クロユリ』もユリの仲間である。(その後もふるさと切手ではユリの切手は何枚も発行されている。)

変わったところでは1993年6月に発行された『四季の花シリーズ第二集』の鈴木其一が書いたユリの切手がある。

さらに2001年7月に発行された『日本ユネスコ加盟50周年』にもピンクのユリの花が描かれている。

記念切手のことばかり書いたが、普通切手に使われていた。見たことがある人も多いかもしれないのが1982年7月に発行された20円切手。この『花・貝・文化財シリーズ』では10円が福寿草、30円が椿、40円が菜の花、50円がさくらの図案を使っていた。

実は日本より前に1948年の琉球切手の第一次普通切手初版に10銭と40銭のユリの図案の切手が発行されている。既にアメリカに占領されてはいたが、まだ通貨が日本の円であった時代のものである。



さらに1966年6月の『慰霊の日』の記念切手には沢山のユリが描かれている。因みに沖縄は1972年に本土に復帰するまでこの発行は続いたのである。1971年〜73年にかけて『守礼の門』切手が投機の対象になり、毎日スポーツ新聞を賑わせていた頃もあるのだが、近年は忘れてしまわれている。我々の年代もこの頃だけ切手を買い集めた人は随分いるはずである。

因みに守礼の門切手の現在の価値はせいぜい100円、昔買った記念切手などは『月に雁』『見返り美人』であっても二束三文になっちゃってますからね。


1964年オリンピック記念切手の建物を見に行く②

2021-07-25 05:00:00 | 切手
『切手シリーズ』その82。東京オリンピック(1964年)記念切手の建物をめぐるシリーズ2回目は10円切手、図案は旧国立競技場である。国立競技場の敷地は元々青山練兵場があったところに1919年に神宮競技場という東洋初の本格的グラウンドを作ろうと工事を始めたが、関東大震災などもあり、完成したのは1924年であった。あの有名な学徒出陣式が開催されたのもこのグラウンドである。

戦後になり、復興の象徴として1958年に第3回アジア大会を招致し、その会場として1957年1月に着工、1958年3月に完成したのがこの切手のデザインとなった競技場である。

1964年の東京オリンピックメイン会場として使われたのち、ユニバーシャード国際大会をはじめ、Jリーグの開幕、サッカーやラグビーの日本選手権決勝などに使われた。また、スポーツばかりではなく、野外コンサートや東京オリンピック招致が決まり、2014年5月末をもって取り壊された。



新国立競技場は2016年12月に着工、2019年11月に完成した。柿落としはラグビー大学選手権早稲田vs明治、OBでもないのに私も満席の中、見に行った。あの状態がオリンピック開幕までというか、オリンピック開催期間も二度とないとは、当時は予感すらなかった。



ちなみに新国立競技場の切手も500円の額面で切手帳の中の一枚として発行されたのである。




爽亭〜池袋ランチグルメ

2021-07-24 05:00:00 | グルメ
なかなか昼飯にありつけず池袋駅に。確かホームから降りたあたりに立ち食い蕎麦があったはずと探すと、ありました。中央口近くの出口と出口の間、階段の下のスペースを利用した『爽亭』というお店。

入口に2台ある券売機で食券を購入するシステム。カウンターのみ、完全な立食いスタイルだが、お客同士の間にはアクリル板が設置され、感染対策も充分。

本来ならばツユの味が知りたくてかけ蕎麦系を頼むのだが、あまりに暑く『冷やしたぬき蕎麦』(470円)を注文。頼むとすぐに一度麺を湯に通し、これを冷ます。頼んで5分、冷やしたぬき登場。

掛けてある揚げ玉は市販品、しかし、ネギはさらされ、ワカメも乗っている。ツユも冷やしてあり、ワサビを溶いて食べる。

麺はあくまで茹で麺でやや太め、ボソッとしている。ツユはやや甘め、暑いコンコースよりは少しは涼しく、あっという間に完食。こんな場所にあると嬉しいお店です。ご馳走さまでした。




爽亭
JR池袋駅構内

1964年のオリンピック記念切手の建物を見に行く①

2021-07-23 05:00:00 | 切手
『切手シリーズ』その81。紆余曲折ありながらも、いよいよ東京オリンピックが開幕するようである。今回は1964年の東京オリンピックの為に発行された6枚の切手に描かれた建築物などの今の姿を追いかけてみることにした。

1964年10月10日に東京オリンピックは開催されたが、同時に6種類の切手と小型シートが発行された。

まずは5円切手であるが、ご存知の通り『聖火台』である。聖火リレーは1928年アムステルダムオリンピックの際に電気局の職員のアイディアでオリンピックスタジアムに聖火台を作り、好評を博した。次の1936年ベルリンオリンピックにおいて初めて聖火リレーが行われ、その後毎回夏季・冬季を問わずに行われている。

また、1964年東京オリンピックで使われた聖火台は埼玉県川口市の鋳物職人鈴木万之助・文吾により苦労の上製作されたものであり、2021年のオリンピックでも新国立競技場に設置された。



私が見に行ったのはレプリカで、鋳物の街川口を記念して川口市青木町公園に置かれている。西川口駅から徒歩12分ほどのところにあり、野球場、競技場、プールなどの施設の中央に置かれている。

レプリカとは書いたが、実は聖火台第一号として作られたが、途中に損傷し、完成に至らなかった物を後に補修した聖火台なのである。鈴木万之助氏はその失敗が元で倒れ、急逝してしまう。息子の文吾氏らが引き継ぎ、現在、新国立競技場に置かれた聖火台が作られたのである。損傷した聖火台は鈴木氏の仲間たちが修理、完成させ、この地に置かれている。

川口市は東京から至近の距離にあり、近年鋳物工場は減り、マンションの街と変貌しつつある。しかし、かつてこの場所に鋳物職人たちがいたことを忘れないように聖火台は置かれているのである。

(おまけ)公園内には大正年間に製造された9600式蒸気機関車が静態保存されている。

小諸そばで穴子せいろを頂く

2021-07-22 05:00:00 | グルメ
コロナ感染拡大やオリンピック騒ぎでついつい忘れていたが、小諸そばの穴子天フェアが始まっていた。今年は7日からスタートしていたのだ。人形町の店も1軒は閉店、少し離れた小舟町店のみになってしまった。

本日お邪魔したのは神田北口店でリニューアルしたのか調度品が新しい。新型の券売機で『穴子せいろ』(570円)と大盛券(30円)を購入、カウンターに出す。すると目の前でセットしてくれ、これを持って席に座る。元は立ち食いメインだったが、半数の人は座れるくらいの席はある。



小諸そばはワサビもネギも入れ放題なのが嬉しい。また、茹でたてのため、普通のお湯を通すだけのもりそばと違い、喉越しも良い。ちゃんと大根おろしもついてきてツユに入れ、まずは獅子唐から。あまり熱くはないが、贅沢は言えない。

次にメインの穴子、毎年思うのだが、一般の蕎麦屋なら必ず1000円を超える穴子せいろがこの値段で頂けるのは嬉しい。大きいので4分割にして頂いたのだが、ちゃんと脂も乗り、他の蕎麦屋の穴子と遜色なし。穴子せいろはやはりかなり贅沢な蕎麦である。



大盛でもペロッといけてしまい、店の人に頂いた蕎麦湯を飲んで完食。私はこの穴子せいろを毎年楽しみにしている。ご馳走さまでした。




小諸そば 神田北口店
千代田区神田鍛冶町3ー3ー1