『ぶらり橋めぐり』その114。夏は坂道を歩くのが苦しいため、橋や川を巡る機会が増える。個人的には『箸休め』ならぬ『橋やすみ』と思っているが。今回の川は埋め立てられてない水の代わりに車が流れる旧築地川や旧楓川である。
築地川はもともと隅田川の明石町あたりから分流し、入舟橋を通り、中央区役所付近から首都高都心環状線に沿い、浜離宮恩賜公園の東側を通り、再び隅田川に合流していた。また、三吉橋(みよしばし)から首都高京橋入口付近まで連絡する楓川・築地川連絡運河が帝都震災復興事業により昭和5年に掘削されている。
今回は三吉橋をスタートして運河跡、楓川跡を歩き、橋を巡ることにした。三吉橋は上から見ると三角形となっていて旧築地川が曲がり、そこから楓川まで連絡運河が開削されていて、その上に橋が架けられている。今はこれに沿って首都高速道路環状線が作られ、水の代わりに車が流れている。
三吉橋は関東大震災復興事業として昭和4年12月に架橋され、元々は下に築地川と運河が流れていた。この三方向から来る橋が珍しい形をしていたことから昭和初期は絵葉書が販売されるほどの名所であり、川には荷を運ぶ船や屋形船などが行き交っていたようだ。
目の前の茶色の建物は中央区役所で築地川は1962年に埋め立てられ、風情は無くなったが、今も立派な欄干や親柱は健在で橋マニアならば必ず立ち寄る橋である。
橋には記念レリーフがあり、文中に三吉橋の登場する三島由紀夫の『橋づくし』の一部が刻まれている。
ここからは高速道路に沿って走る道路を歩き、1本ずつ橋を見ながら散歩する。隣の橋は新富橋、名前は地名である新富町から取られた。橋の袂には大野屋総本舗の木造建築がひときわ目を惹く。
この店舗は大正13年(1924年)に建てられた町屋で足袋を商う。この地で商いを始めたのは嘉永2年(1849年)であり、切妻造りの桟瓦葺き、とにかく味のある建物である。今は国有形文化財の登録が為されている。
向かい側には新富復興稲荷、小さな祠で新しいように見えるが、昭和7〜11年の火保図にもあることから関東大震災からの復興を祈念したもののようだ。橋の袂には石で造られた五重塔、ひっそりと放置されているが、その存在はあまり知られていないようだ。(以下、次回)