hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

三吉橋から旧楓川の橋を巡る①

2024-07-31 05:00:00 | 川と橋とダム
『ぶらり橋めぐり』その114。夏は坂道を歩くのが苦しいため、橋や川を巡る機会が増える。個人的には『箸休め』ならぬ『橋やすみ』と思っているが。今回の川は埋め立てられてない水の代わりに車が流れる旧築地川や旧楓川である。

築地川はもともと隅田川の明石町あたりから分流し、入舟橋を通り、中央区役所付近から首都高都心環状線に沿い、浜離宮恩賜公園の東側を通り、再び隅田川に合流していた。また、三吉橋(みよしばし)から首都高京橋入口付近まで連絡する楓川・築地川連絡運河が帝都震災復興事業により昭和5年に掘削されている。



今回は三吉橋をスタートして運河跡、楓川跡を歩き、橋を巡ることにした。三吉橋は上から見ると三角形となっていて旧築地川が曲がり、そこから楓川まで連絡運河が開削されていて、その上に橋が架けられている。今はこれに沿って首都高速道路環状線が作られ、水の代わりに車が流れている。



三吉橋は関東大震災復興事業として昭和4年12月に架橋され、元々は下に築地川と運河が流れていた。この三方向から来る橋が珍しい形をしていたことから昭和初期は絵葉書が販売されるほどの名所であり、川には荷を運ぶ船や屋形船などが行き交っていたようだ。



目の前の茶色の建物は中央区役所で築地川は1962年に埋め立てられ、風情は無くなったが、今も立派な欄干や親柱は健在で橋マニアならば必ず立ち寄る橋である。



橋には記念レリーフがあり、文中に三吉橋の登場する三島由紀夫の『橋づくし』の一部が刻まれている。



ここからは高速道路に沿って走る道路を歩き、1本ずつ橋を見ながら散歩する。隣の橋は新富橋、名前は地名である新富町から取られた。橋の袂には大野屋総本舗の木造建築がひときわ目を惹く。

この店舗は大正13年(1924年)に建てられた町屋で足袋を商う。この地で商いを始めたのは嘉永2年(1849年)であり、切妻造りの桟瓦葺き、とにかく味のある建物である。今は国有形文化財の登録が為されている。

向かい側には新富復興稲荷、小さな祠で新しいように見えるが、昭和7〜11年の火保図にもあることから関東大震災からの復興を祈念したもののようだ。橋の袂には石で造られた五重塔、ひっそりと放置されているが、その存在はあまり知られていないようだ。(以下、次回)





『昭和レトロカレー』巡り①〜人形町・菊水軒

2024-07-30 05:00:00 | グルメ
『昭和レトロカレー』①。最近は昭和レトロがブームのようで週末のバラエティ番組を見ていると度々懐かしい映像にあたる。平成が30年5ヶ月、令和が5年6ヶ月、つまり昭和は36年以上昔ということになる。

昭和レトロで身近にある食べ物として『カレーライス』を取り上げてみた。1軒目は人形町にある中華料理店『菊水軒』である。

このお店のメニューは大別して4つ、麺類(ラーメン、麻婆麺等)、丼(麻婆丼、中華丼、天津丼)、チャーハン、カレー(カツカレーもある)。お客さんは単品だけでなく、サイズの違う物を組み合わせて『ラーメン、ミニカレー』『麻婆丼、半ラーメン』などと注文する。これとは別に季節物として冷やし中華(1000円)も美味い。

今回はカレーライス(850円)をお願いした。1階はわずか6席、2階は10席程度あるが、人手不足で1階のみの営業も多くなった。

注文して5分、カレーライスが到着。中華料理店ということもあり、ラーメンスープも付いてくる。ただ、気をつけないとこれが熱いのである。

カレーライスは昭和の王道、具はじゃがいも、玉ねぎ、にんじん、豚のバラ肉。平皿にたっぷりのルーがかかっている。脇には福神漬もついている。カレーは比較的辛口、野菜は大ぶりに切ってあり、スプーンでどんどん口に運ぶ。流行りのサラッとしたルーではなく、小麦粉でとろみが付いたルーは学校給食を彷彿させる。美味く、懐かしい。思わず途中でウスターソースを掛けて頂く。

少し冷めたラーメンスープは味が変わっていい。何となく一気に食べてしまうカレーライスは美味かった。ご馳走さまでした。
店の人は威勢がいい、店に入ると厨房から『いらっしゃいませ』、帰りには『どうもありがとうございました、またよろしくお願いします』、会話の少ない最近の店と違い、こうした情緒も残っている。何しろ11時から13時半しかやっていないので注意。

菊水軒
中央区日本橋人形町1ー10ー1
0336663766

都営地下鉄三田線スタンプラリー③

2024-07-29 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その248。都営地下鉄三田線スタンプラリー③、神保町駅を後に水道橋駅に行く。水道橋駅はJR総武線との乗り換え駅で駅の由来は神田上水水道の通る橋である掛樋(かけひ)が近くにあったことによる。今も白山通りが神田川を渡る水道橋という橋は現存する。

スタンプはすぐそばにある『東京ドームとアトラクション』が描かれている。



春日駅は東京メトロ後楽園駅との乗り換え駅である。開業は三田線開通の1972年6月(当時は都営地下鉄6号線)であり、周囲の地名の一つである『文京区春日』から採用した。

スタンプには『春日局』が描かれているが、これは1630年に3代将軍家光の乳母である春日局がこの地を拝領、町屋としたことから付けられた地名であり、春日通り沿いの礫川公園にはその銅像がある。



白山駅は文京区白山5丁目にあり、副駅名として『東洋大学前』とある。駅を降りるとすぐに東洋大学白山キャンパスがあり、学生の利用が多い。

また、その名前は地名、地名は白山神社に因んだもの。

白山神社は加賀国白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)からの勧請を受け、948年に武蔵国本郷元町(現在の文京区本郷1丁目)に創建、一度他所に移ったが、1655年に現在地に移された。



5代将軍綱吉とその母桂昌院の祟拝を受けた。この白山神社がスタンプの意匠となっている。

都営地下鉄三田線は白山通りに沿って作られているが、千石駅は不忍通りとの交差点あたりの地下にある。千石は由緒ありそうに聞こえるが、1967年の住居表示の際に『千川通り』の千と『小石川』の石を繋いで作った地名である。

スタンプには千石駅からお隣の巣鴨駅の間にある六義園のデザインが描かれている。
蛇足だが、江東区にも千石という地名があるが、こちらは『千田町』と『石島町』の双方から1字ずつ取ったものである。この二つ、いずれも石高の千石とは全く関係ない。

金蠍〜冷やし担々麺競演①

2024-07-28 05:00:00 | グルメ
毎日、酷暑日+熱帯夜で体の調子も今一つ、こんな時はやはりランチも冷たいものとなりがち。ついに『冷やし担々麺』巡りを敢行することにしてしまった。1軒目は人形町の比較的新顔である『金蠍(Gold Scorpion』の『冷やし担々麺』(1000円、ランチはライス付)である。

11時50分に店に入るとカウンターは満席。なかなかの混み具合である。2つだけあるテーブル席に1人で座り、オーダーする。中国人らしき女性店員が『ライス?』と聞くので軽めとお願いした。



まずはライスが到着、ほかほかライスにテーブルに備えてある自家製の搾菜を少し載せ、上にラー油を掛けて一口。塩が上手く抜けていてなかなかの美味。



周りの人の注文を聞いていると外が暑くても『汁なし担々麺』が大人気、それも皆辛さ3以上ばかり。若い人はいいなぁなどと羨ましがったりしている。

そのうち、冷やし担々麺登場。通常の器に入って出てくる。白っぽいスープに鮮やかなラー油、水菜の上には肉味噌が乗り、さらに赤いパプリカと白髪ネギと美しいフォルム。

まずはスープから、あまり辛くないと書いてあったが、まずまずの辛さ。しかし、物足りないので上から自家製ラー油をたっぷり掛ける。

麺は細めのストレート麺、良くスープが絡む。先ほどのライスを箸休めに食べ進むが、肉味噌の旨味と胡麻というか芝麻醬のいい香りとラー油がうまく混ざって美味い。やはり冷たい麺はやや硬く感じるが、どんどん箸が進み、食べ終わっても汗が出ないところが嬉しい。



つい先日には大辛担々麺を食べたが、やはり別の美味さがある。この冷やし担々麺はかなりオーソドクスな気がした。ご馳走さまでした。
金蠍
中央区日本橋人形町1ー15ー5
08046203962


『実際に65歳になって何が起きたのか』(誕生日特別投稿)

2024-07-27 05:00:00 | 日記
毎年、誕生日には特別なブログを書いて来た。特に昨年は『現代の還暦は60歳でなく、65歳にすべきである』と割に強いトーンで書いた。今年はというと『実際に65歳になって何が起きたのか』というテーマで書いてみることにした。(扉の写メは私と同じ年の東京タワー)
(1958年年賀切手)
65歳になって変わったのは①介護保険の徴収方法の変更、②老齢年金や厚生年金、企業年金の受給、③定年制度に抵触して退職、といった事象(ただ、私は退職していない)、それらが一気に短期間のうちにやってくる。それぞれの仕組みがわからないので縁のない役所やそれに属する部署、例えば年金事務所、区役所、ハローワーク(私は退職していないから行っていない)などに行かなくてはならない。
(長嶋茂雄)
ただ、こうした所に行くと勉強にもなる。例えば『収入があっても老齢基礎年金はもらえるか?』『私が65歳になると配偶者(妻)の年金が増えるシステムがあるらしいが、その中身は?』『なぜ、在職で一定の収入があると老齢厚生年金はもらえないのか?』『もらえなかった厚生年金はもらい損なのか、後でもらえるようになった時に多少でも支給額は増えるのか?』『介護保険が天引きされないようになった時はどのように支払うのか?』など分からないことだらけの中で丁寧にアドバイスをしてくれる。
(昭和33年の時刻表)
さらに人生で変化が一番大きいのが『退職』であろう。私の場合はかれこれ42年間も働き通しで仕事をし続けている。幸いにして今も退職はしていないが、この会社に来る直前の2ヶ月間は自宅待機であったため、如何に暇を持て余すかということを知っている。さらに家事の分担や実際に退職前には求職活動をすることは難しいことなど、難問山積である。

66歳を前にしてそれ以前と変わったのは①年金を一部もらうことができるようになったこと、②一方で同期で社会人となった人たちが退職してしまい、なかなか連絡が取れなくなってきたこと、③不幸にして病を得て早く亡くなる人が結構な確率で発生するようになったこと、サラッと書いたが大きな違いである。

さらにプライベートなことを書くと妻も含めて両親が全て亡くなり、墓や仏壇の管理をしなくてはならなくなったこともある。
老け込むつもりはないが、『死』ということを意識して、如何に後に残す者たちにうまく引き継いでいくのか、終活に向けた準備を身体が自由に動くうちにしなければならないと考えるようになったことが一番大きな変化なのだろう。
(京都の墓地)
しかし、遺産はともかく、墓や仏壇などこれからどうなっていくのだろうか。今のところ解のない難しい問題であるが。

6月の旅⑧終〜八ッ場ダムのスケールに驚嘆

2024-07-26 05:00:00 | 旅行
6月の旅⑧。道の駅を出て、次の交差点を右に曲がると立派な4車線の道路に出る。立体交差となっていたり、右手にはダムの底に沈んだ住宅にいた人の補償で作られた家が並んでいたり、さすが大規模国家プロジェクトと感心させられる。

5分ほど走ると右手に八ッ場ダムと案内板が出てくるのでそれに従う。駐車場に停めて管理事務所に向かう手前に展望台が作られていてダムを一望できる。



管理事務所内にはダムカードの発行機(無料)があり、ここではぐんまちゃんのついた特別バージョンのダムカードもゲット。



外に出てダムの建物に向かう。ダムの規模を示す案内板があり、堤高116m、堤頂長290.8m、堤体積991千㎥、有効貯水容量9千万㎥とある。とにかく数が大きすぎてよくわからないが利根川水系では最大のダムのようである。



ちょうど放水が行われていて70mあるダムから放水される水を見るが、勢いが強く、迫力満点。また、堤頂は幅も長さも半端ではない。



中央部には下に降りることができるエレベーター(もちろん無料)があり、後ろに並ぶ。僅か1分ほどで地上に降りる。長い通路はなぜか涼しい。外に出ると放水の音の大きさに驚くが、放水口からものすごい勢いで水が出てくるのを見ているといつまで経っても飽きることがない。





ふと振り返るとダムの大きさにまた驚く。コンクリートの屏風のようにそそり立ち、うち1本の水路からは水が勢いよく流れ落ちている。また、堤頂までは非常階段も用意されているが、その段数も数えきれない。この階段を解放して地上から堤頂まで登るレースのポスターも貼ってあった。

地図で見るとその大きさはわかるが、実物を見ると迫力が違う。ただ、放水がないとつまらないかも知れない。



旅行の方はこの後、1カ所道の駅に立ち寄り、東京には16時に帰り着いた。まずは渋滞もなく、楽しいドライブとなった。
(なかなかアップできず、7月も下旬になってしまいました。)

蕎麦切 鶴屋〜人形町ランチグルメ

2024-07-25 05:00:00 | グルメ
人形町の飲食店は長く続いている店とコロコロ経営が変わる店がある。私も10年以上人形町に勤め先がある関係でウロウロすることが多いが、事務所から3分のところにある蕎麦屋仕様のお店が遂に3代目となった。

(花乃蕎麦)

(風鈴草)
元は『花乃蕎麦』という女主人がお蕎麦を打つという店だった。しかし、ご主人が高齢に加え、腰痛がひどく、何回も休業しながら続けていたが、コロナ禍の終局で閉店となった。居抜きで入ったのが、『風鈴草』。開店は23年6月で蕎麦定食と言って普通の定食メニュー(コロッケ、生姜焼きなど)と炊き込みご飯、せいろがついて1100円というメニューが斬新だった。しかし、1年も持たずに閉店。同じ場所に『鶴屋』というお蕎麦屋さんが先月オープンした。

店に入ると入り口には胡蝶蘭、しかし、それ以外は風鈴草当時と全く同じ、いわゆる居抜きである。店内は1組、4人席に2人で座る。メニューを見ると一般的なメニューはほぼあるが、お得なセットなどはない。


私はざるそば大盛(850円+200円)、Mさんはごまだれせいろ(1000円)を注文する。

暇なのでメニューをパラパラとめくって見るとそぱ前や一品料理が充実、全体的にやや高めだが、近年他のお店も値上げしているからこんなものかもしれない。また、お酒も種類は多く、メインは夜とは見たが、それだけの客数を呼び込むのには特徴がないのではなどと余計な心配をしてしまう。

蕎麦到着、私のざるそばにはたっぷりの海苔、それも短冊に細く切った海苔ではなく粉を大きくしたようなアオサのような海苔がかけられている。蕎麦を頂くと海苔の少ないところは蕎麦ならではの良い香り、海苔がたっぷりなところは海苔の良い香りが感じられ、それはそれで美味い。



邪道と言われるかもしれないが、海苔たっぷりのざるそばも悪くない。麺はやや茶がかった手打ちの二八蕎麦、喉越しもよく、打ち立てだろう。かなり美味い方の部類に入る。



ツユもたっぷり、食べ終わったあとに、そば湯を十分楽しむことができた。まだまだ、店のスタッフは慣れておらず、配膳も会計もぎこちないが、一生懸命やっているところがいい。ご馳走さまでした。



ただ、値段の話をすると普段使いの店より少し高く、立ち食い蕎麦の倍以上、メニューの工夫をするとか、サイドメニューのカレーやフライドチキンなどで店まで来たくなる特徴が欲しいところである。ご馳走さまでした。

鶴屋
中央区日本橋堀留町1ー6ー5
05055938758


中目黒駅〜目黒駅の坂巡り③

2024-07-24 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その216。中目黒駅〜目黒駅の坂巡り③。新富士遺跡から次の坂を目指すが、なぜか再び、別所坂の上にある新富士遺跡に戻ってしまう。やむを得ずUターンし、気を取り直して歩く。

途中には馬頭観世音(石仏)が祀られていてこの道が江戸時代から続く古道であることを実感。しかし、この辺りの道は真っ直ぐではなく、勾配もあるので難しい。同じところをぐるぐる回ったのは初体験である。



坂を降りて広い道に出るが、ここにも道しるべがある。彫ってある字はよく読めないが、説明板には『中央に南無阿弥陀、右側にゆうてんじ道、左側に不動尊道(目黒不動尊)』と書かれていて1779年に作られたもの』と書かれていた。




パス通りを右折すると右側に防衛技術研究所の広大な土地がある。その脇をかなりの時間歩く。信号を右に曲がるとかなり広い道が出てきて下り坂となるが、これが『新茶屋坂』である。



かつては三田用水が上を通る茶屋坂隧道があった。しかし、1975年に三田用水は用済みとなり、廃止をされ、さらに2003年に道路拡幅のため姿を消した。



新茶屋坂から右に分かれていく道を歩き、二又を右、さらに真っ直ぐ降っていく坂道が『茶屋坂』である。





説明板にもあるが、『江戸時代は江戸から目黒に入る道の一つで大きな松が生えた芝原の中をくねくねと下る九十九折りの坂で富士の眺めのいいところであった。坂上に百姓彦四郎の開いた茶屋があり、将軍家光や吉宗が鷹狩りの際に都度立ち寄り休んだ。家光は彦四郎の人柄を愛し、爺々と話しかけたので爺が茶屋と呼ばれ、広重の絵にも描かれている』と書かれる通り、彦四郎の茶屋があったのでこの名前がつけられた。また、落語『目黒のサンマ』はこんなエピソードから生まれたのであろう。



茶屋坂を下り、茶屋坂街かど公園を越え、真っ直ぐいくと目黒清掃工場の大きな煙突が出てくる。



目黒川が現れ、田道橋がかけられている。目黒区のコミニュティバスの愛称は『さんまバス』と名付けられている。



ここからは目黒川に沿って歩く。川沿いには桜が植えられていて花見の時期は大変な人で混み合うようだ。





目黒上橋まで歩き、目黒通りを左に曲がると権之助坂のバス停。道路は二又に分かれるが右側の逆一方通行の方が『権之助坂』である。権之助坂は田道付近に住んでいた菅沼権之助という名主に由来する。権之助は村人のために年貢を緩めて貰おうと訴えを申し出るが、捕まってしまい、死罪になる。刑場に向かう際に願いを聞かれ、我が家を見たいと言ったため、この坂(当時は新坂)の上から見て、喜んだ。村人たちは権之助の功績を讃えて最後に振り向いたこの坂を権之助坂と呼ぶようになったとのことである。



権之助坂を上がるともう目黒駅、しかし、坂や旧跡を訪ねながらの散策は2時間半かかった。







串エ門 室町店〜日本橋ランチグルメ

2024-07-23 05:00:00 | グルメ
毎日、冷たい麺類ばかりでは保たない暑さとなってきたので思い切ってガツンと食べることにした。とはいえ同じ店ばかりではつまらないといつも前を通る定食中心のお店に入ってみた。



COREDO室町の向かいあたり、文明堂レストランのお隣のビルの地下にある『串エ門』というお店である。

入口にあるメニューを見ると特に(鶏の)唐揚げが名物で2枚〜6枚のいずれを選んでも定食は1000円、他にもマグロブツの定食(とんぶつ定食)や刺身定食、肉豆腐定食、豚しゃぶポン酢おろし定食なども全て唐揚げが1〜2枚付いてくる。他に日替わり定食があり、この日はチキン南蛮+春巻1本(1000円)であった。

お店は地下1階、間口が狭いのでどうせ狭い店だろうと思ったが、ウナギの寝所のように奥が深く、80人ほど入れるようだ。1150だったが、僅か5分ほど待ってカウンターに案内された。 

フロアのおばさんが4人、厨房はカーテンがあって分からなかったが最低4人はいる様子。日替わり定食をお願いするが、とりあえず小鉢(ひじきの煮物)、漬物(キャベツなどの塩漬け)とお冷やがテーブルに置かれた。

それから5分ほどで定食到着。中くらいのサイズの鶏の揚げ物にこれでもかというくらいタルタルソースが掛かっている。隣にキャベツ、さらに春巻が並んでいるが、チキン南蛮のタレに春巻が沈みかけているため、これを救い出してご飯の蓋の上に避難させた。

味噌汁はじゃがいもとタマネギの黄金カップル。タマネギもじゃがいもも甘く美味い。

チキン南蛮を端から食べ始めるが、タルタルソースのゆで卵が粗微塵にカットされているため、これを乗せて口に入れるのが中々難しい。しかし、口の中に幸せな味が広がり、タルタルソースが甘過ぎないため、あっさりと食べられる。一緒に千切りキャベツも頂くが、もう少しこちらの量が多いと嬉しい。
小鉢のひじきは想像ほど甘くなく、ご飯の友としてはちょうど良い。春巻はカリカリに揚げてあるが、チキン南蛮のタレに浸りそうになっているため、ご飯の蓋に避難。皮がパリパリで美味かった。



ワンディッシュのため、見た目はあまり旨そうには見えないが、ボリュームもあり、ガッツリ行きたい時はいい店である。お隣の人が頼んだ『とんから定食』もかなり旨そうだった。食べ終わり、レジに向かうと店は満員、階段から外までランチを待つ人の列ができていて驚いた。ご馳走さまでした。
唐揚げ好きな大食漢にはおすすめの店である。

串エ門 室町店
中央区日本橋室町1ー13ー5貝新NYビルB1
05058698495


『久我山歳時記』㊹〜大暑と土用

2024-07-22 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』㊹。小暑から約2週間、7月22日は大暑である。大暑というくらいだから一年で最も暑い時期。

梅雨明けが7月18日で『梅雨明け10日』と言い、梅雨明けから10日間は太平洋高気圧の勢力が強く、安定した晴天が続くことが多い。今年も週間予報を見ると確かにずっーと晴れ、しかも最高気温が鰻登り、35℃が普通になっている。

七十二侯では『桐始結花(〜7月26日)』『土潤溽暑(つちうろおうてむしあつし、〜8月1日)』『大雨時行(たいうときどきにふる、〜8月6日)』であり、8月7日は立秋、つまり夏の最後にあたる。とはいえよくできたものでここで涼しくなるのではなく、『残暑』に変わる。



ただ、私はこの中で『桐花結花』がこの時期であるというのは納得がいかない。というのは桐の花が咲き始めるのは5〜6月の初夏の時期で、7月末に近いこの時期はたとえ旧暦に引き直しても6月19日〜21日に当たるのであまりに遅すぎるのではないかと思う。ちなみにこの写メは5月連休頃のものである。



久我山を歩くと夏の盛りに咲く花は盛りだくさん、白粉花の赤紫の花、ホウセンカの赤い花、キョウチクトウの白い花などである。

子供の頃より馴染みがある朝顔は色々な庭で咲いている。最近は朝顔と言ってもリュウキュウアサガオのように初冬まで咲き続け、一日中萎まないものもある。(宿根草で毎年のように生えてくる)

また、野生化したマルバアサガオ(ヨーロッパで園芸植物化されたアサガオの近縁種)は毎年空き地全体を覆うように赤紫色の花を咲かせている。



また、ひまわりの花もあちらこちらに咲き始めている。近年は昔のように2mもある種類よりももう少し丈の低いミニヒマワリを植える家が増えている。



ピンクの花が可愛らしいのがグラジオラス、次々と花を咲かせてくれる。



小暑の頃から咲き始めたムクゲ(木槿)はピンクや白一色のものから、真ん中の部分が赤くなっている『日の丸』という品種が咲き乱れていれる。



我が家の庭はキキョウが終わり、日々草が花を次々と付けている。宿根草のモミジアオイもだんだん大きくはなっているが、花を咲かせるにはもう少し時間がかかる模様。



花ではないが、タマサンゴのオレンジ色の実がたくさんなっている。これは白い花が咲いてその後に綠の実がなり、緑が白、白がオレンジと変わっていく。ソラニン(じゃがいもの芽にある毒)が含まれるために、これだけ美味しそうでもよく知っている野鳥はつつかない。

ところで『土用』という言葉をこの時期よく耳にするが、これは立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間を指す。雑節の一つで今年は立秋8月7日から遡り、7月20日から『土用』となる。さらにこの中の『丑の日』は鰻を食べると良いとされ、今年は7月24日と8月5日となる。なぜ土用の丑の日に鰻を食べると良いと言われるのかは諸説あるが、江戸時代に発明家として名を馳せた平賀源内が品物が捌けず困っていた鰻屋の主人のために考えたという説が有名。

鰻屋が店先に『本日は土用の丑の日、うなぎの日』と張り紙をしたところ鰻がよく売れ、周りの鰻屋が真似をしたというエピソードから来ているらしい。これが現代の広告に繋がっていると広告の教科書には書いてある。

食欲の落ちる夏真っ盛りのこの時期に精の付くものを推進する動きはその前よりあり、他にも『土用のしじみ』『土用の卵』『うのつく食べ物』などが推奨された。夏バテしないように栄養のあるものを食べようとする風習があったようである。

大暑らしい35℃を超える日々が続きますが、くれぐれもご自愛のほど。