「花嫁はどこへ?」
インド発のヒューマンコメディです。プロデューサーは「きっと、うまくいく」等のカーミル・ハーンが務め、本作の監督をなんとカーミルの元嫁キラン・ラオが担当しているそうで。え?これって離婚後にタッグ組んだって事?それとも離婚前に制作決定しててその後離婚したって事?何にしろカオスw
あらすじ
同じ電車に乗った花嫁のプール(ニターンシー・ゴーエル)とジャヤ(プラティバー・ランター)は、インドの村にある花婿の家へ向かっていた。しかし、同じ赤いベールをかぶっていたため、プールの夫・ディーパク(スパルシュ・シュリーワースタウ)がジャヤを家に連れ帰ってしまう。しかもプールは夫の連絡先を知らなかった。一方のジャヤは、なぜかディーパクの家から帰ろうとしなかった。(Yahoo!検索情報から丸パク)
映画冒頭で「本作は特定の誰かを批難する意図はない」みたいな注釈が入って「ん?」となって…更に本作の時代設定が2001年の出来事だと表記されたのでてっきり実際に起こった事件のインスパイア系なんだなーと思って観ていたんだけど、特に事実の映画化ではなく本作は完全創作だったようで。
なんでわざわざ2001年設定?と思いながら観ていたんだけど、コレに関しては本作の重大なトリック(←と呼んでいいだろう)を成立させるには現代劇では流石のインドでもムリがある…けど2001年当時の田舎のインドだったらまあこんなもんだっただろうからこのトリックは充分成立するだろう、という事からだろうと推察。てかそれしか理由ねーだろw
「花嫁の取り違え事件」から見えるインドの様々な風習や悪習、インドなのに何となく昭和感漂う人情劇、それから女性の地位向上への小さな第一歩を見守るという壮大なテーマまでを時にコミカルに時にハラハラドキドキさせながら観客を飽きさせずに楽しませてくれる、正に全方向型フルコンボインド映画。あ、ダンスシーンはなかったかw
本作2人の花嫁がダブル主演なんだけど、一方はいかにもウブで愛くるしい少女のような可憐な女性(プール)、可愛らしいんだけどもう1つ頭が足りてないってのか(ヲイ)世間知らずレベルを越えて自分がこれからの人生を歩んでいくハズの嫁ぎ先の住所(村の名前)もロクに覚えていないという体たらく。ただし「嫁」として一通りの躾?はしっかり叩き込まれているようで家事スキルは高く、路頭に迷った末に厄介になる駅のホームの売店では即戦力で料理作りまくってお役立ちになっていました。
一方、取り違えられた家に連れて来られたものの自分の家に戻るでもなくちゃっかり居候しているもう1人の嫁(ジャヤ)はキリリとした表情のいかにも知的レベレの高そうな、パッと見た感じ宝塚の男役っぽいクールビューティー。もういかにもワケあり感がバリバリで(苦笑)、彼女を巡るすったもんだ…彼女の秘密を暴こうと村の警察官が尾行したり、彼女自身も妙な動きしまくっているシーンが本作中盤のメインネタ(→そして大オチへの伏線)になっています。
で、プール側とジャヤ側の様子を交互に見せていきながら話は進行していくんですが、そこにインドの結婚観や夫婦観、ダウリー殺人(花嫁持参金が少ない花嫁が婚家でサリーに火を付けられて殺されたりするケースが多発していた)、男尊女卑と貧困による女性の就学困難事情、四肢欠損の乞食問題、公職への袖の下文化等々…なんかこう書き出してみるとインドどんな酷い国やねん!ってなっちゃうんだけど、これらの問題をさりげなーく(なのか?)見せつつもあくまでも「ほっこりニッコリ人情劇」に仕立て上げてあるのが凄い!
特に本作のキーマンになっているのが駅の売店のBBAと、いかにも!な風貌の悪徳警察官…いや悪徳警察官の皮を被った人情オヤジだからね!多分本作で一番の愛されキャラ✨
売店のBBAはある意味「これからのインドを生きる独立した進歩的女性」として描かれていたと思うし、無茶苦茶感じ悪い体で登場した「見た目悪徳警察官」は実は物事の本質をきちんと見極める曇り無き眼を持った、人情溢れる好人物でクライマックスの「大岡裁き」シーンには誰もが快哉を叫ぶ!という感じ。
2001年のインドはこの映画の中に登場した様々な問題があったのだろうけど、23年経った今のインドはどうなっているのかな?
多くのネガティブな問題は解決しつつも本作に登場する様々な優しさや思いやりや人を思う心は変わらずにあって欲しい。いやきっと残っているからこその本作の設定が2001年なんだろうと思いますよ。本当に誰もが優しい気持ちになって幸せをお裾分けして貰える…今年屈指の良作だと思いますね😊
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