PART3「ひと夏の経験」はこちら。
きわどい歌詞を連発する百恵は、そのアイドルらしくない暗さがかえって「庇護したい」という中年の欲求にマッチしたのか「百恵ちゃん」という記号になっていく。妙に色っぽい、というわけだ。
倉本聰がテレビ界の裏側を描いた「6羽のかもめ」のなかで、テレビ局の部長を演じた中条静夫が「いいよねー百恵ちゃん」としみじみ語るシーンは時代の空気をよくあらわしている。その暗さこそ、お妾さんの娘だった百恵が抱えこんでいた屈託がにじみ出たものだと認識していたかはともかく。
百恵のスタッフは、もうひとつの仕掛けを用意する。映画だ。
ホリプロは最初、森昌子・石川さゆりと百恵で「ホリプロ三人娘」を売り出そうと考えていた。やがてサンミュージック所属の桜田淳子が石川の替わりに入って、「スタ誕三人娘」となった。日本テレビのタレントスカウト番組「スター誕生!」がデビューのきっかけとなったトリオである。百恵はこの過程でどうしても歌唱力が充分でないと判断され、人気を均衡にするために映画出演が補強策として考えられたようである。
堀(威夫ホリプロ社長)は最初、松竹に百恵映画の企画をもちこんだが相手にされず、次に東宝に声をかけた。堀の言によれば、東宝は当時、渡辺プロの寡占状態であったが、その弊害を強く訴えたところ、企画が通った(実際にはナベプロは1972年までは東宝と提携していたが、73年以降は松竹である)。
「伊豆の踊子」を映画化するにあたって、東宝側は4000人の公募者のうちから現役の東大生を強く推した。だが監督の西河はその名古屋訛りの強さに難色を示し、クランクインの直前までもめたが、結果として無名の三浦友和が相手役に決まった。この東大生はフィルムのなかに、もう一人の旧制高校生として、チョイ役で顔を見せている。彼はその後、映画とは無関係な道を歩んでいたが、2005年のホリエモン騒動の際に渦中の人としてブラウン管に登場した。
「女優・山口百恵」四方田犬彦編
……“彼”とはライブドアの主任弁護士だったSのことと思われる。その、「伊豆の踊子」特集は次回に。