PART3はこちら。
いたいけな兄妹が十年たってどうなっているかというと、妹は純粋なままだが、兄はすっかりやさぐれていて、どうせここからは逃げられないんだと自棄になっている。理想主義者だった父親とはかけ離れてしまったのだ。
で、この山椒大夫にこきつかわれる人間たちにはさまざまな考察があり、彼らは課税を免れるかわりに賦役を負うという意味ではっきりと奴隷。では山椒大夫の方は?どうやらサンショという言葉にヒントがあり、差別がからんだ歴史的背景があるようだ。
だから原作では安寿と厨子王は心理的、社会的要因で囲い込まれているわけだが、映画では物理的に柵で囲われていて逃げ出せない、と絵解きしている。しかも脱走を図ると焼きごてを額に押し当てられる残虐ぶり。あまりにも因業な父親に絶望し、兄妹にやさしかった山椒大夫の息子、太郎は姿を消す。
ある日、佐渡からやってきた少女が、歌を口ずさんでいる。
♪安寿恋しや、ほうやれほ
厨子王恋しや、ほうやれほ♪
安寿が娘を問い詰めると、これは佐渡の流行り歌だという。ある遊女が唄っていたものだと。母親だと直感した安寿は、脱走を決意し、兄に話をもちかけるが、やさぐれ厨子王はのってこない。
しかし、脱走を図ったを、痛めつけたうえに捨ててくるという汚れ仕事を命じられ、ついに逃げ出す決意を……遅いです厨子王。
ここからがこの映画のキーポイント。安寿は、兄の命を救うために、自分は後から追うと先に行かせる。実は彼女はつかまることを覚悟しており、追っ手を攪乱したあとに湖に入水する。
その純なる献身の心を象徴するかのように、このシーンの美しさはとてつもない。撮影の宮川一夫は、奥行きを出すために手前の竹に薄墨を塗ることまでしている。
「安寿と厨子王」の物語は、典型的な貴種流離譚の体裁。高貴な生まれの人間が、艱難辛苦の果てにその高貴さを取り戻す流れだ。しかしそのための犠牲というには安寿の死はいかにも重い。これが子ども向けのストーリーでもあるというのが信じられない。むかしの子どもは、物語の咀嚼力が強かったのかなあ。以下次号。