日本がまだ貧しく、西欧列強よりも二十年は遅れていた時代。しかも関東大震災によって首都は壊滅的な打撃を受けるが、“どこかと戦うために”日本は(具体的には三菱は)優秀な戦闘機を欲していた。
こどもの頃から飛行機乗りにあこがれていた二郎は、しかし目が悪いためにその夢を必死でおさえこんでいた。彼の夢の中に、イタリアの飛行機製作者カプローニがあらわれ、戦争に対してシニカルな見方をする彼と、日本の少年は夢を共有する。
……貧しい国であることを反映し、「日本の少年よ」と大人になってからも呼びかけられる堀越二郎に教えをさずけるのはふたりの外国人が中心。カプローニと、謎のドイツ人カストルプだ。彼らのことばによって二郎は積年の夢である優秀な戦闘機(それは敵を倒すだけでなく、搭乗者の命をもことごとく奪った)零式を生み出すことに成功する。
この映画には批判が多い。曰く、
①好戦的である
②主人公の声が“演技をしていない”
③結核患者の部屋でたばこを吸うシーンが許しがたい
……なんと馬鹿な。だからこそすばらしいのに。検証してみよう。
①好戦的
この映画が「紅の豚」の変奏曲なのは誰でも気づくと思う。あの映画で飛行機乗りたちが不可逆的に死に向かっていったように、この作品においても(戦死は一度も描かれないが)飛行機はすべて消えゆく運命にあると結論づけられている。あのユーモラスでありながら美しい複葉機の時代から、先鋭的な(堀越の設計した戦闘機はアヴァンギャルドと形容される)零式に至っても、その運命は変わらないどころかますます悲劇的色彩を帯びていく。宮崎駿は確かに好戦的な作家だが、その運命を甘受したうえで、なおかつ飛行機を、戦争を愛しているという矛盾をはらんでいる。単純に好戦反戦の二元論で語れるほど単純なタマではない。
②声優的なるものの否定
堀越二郎を演じたのはなんと庵野秀明。エヴァンゲリオンのあの監督だ。訥々としたセリフ回しと明確なエロキューションがすばらしい。「となりのトトロ」における糸井重里をほうふつとさせる。宮崎の声優嫌いは有名な話で……ああ長くなりそうだ。以下次号。