PART5はこちら。
「山椒大夫」のラストはこう展開される。
海岸をとぼとぼと歩く厨子王。村人が海藻を干している。この村の人間はほとんどが津波にやられてしまったと聞き、呆然とする厨子王。そこへ、歌。
ひきずられるように声の主に向かう厨子王の前に現れた女は、もちろん母親。彼女は白髪となり、盲目で、遊女宿で脱出できないように脚の腱を斬られている。
「お母様」
と呼ぶ声に
「また嬲りに来たか」
と真に受けない。彼女のこれまでの生活がいかに悲惨なものだったかがうかがえる。厨子王は父親の形見である観音像を母に握らせ、息子であることを示す。喜ぶ母。しかし彼女の次の言葉は厨子王にとって苦しいものだった。
「お前……ひとりですか?安寿もいっしょなのでしょう?安寿はどこにおります」
「安寿は、お父様のそばへ参りました」
「お父様は、お元気ですか」
「もう、お母様と厨子王と、二人きりになってしまいました。わたしは国守の身分でお母様を迎えにまいりましたが、お父様の教えを守るために、その身分を捨ててしまいました。お許しください」
「……なにを言うのです。お前が何をしたか知りませんが、お父様のお言いつけを守ったから、こうして会うことができたのかもしれません」
なんと悲劇的なやりとり。そしてカメラはゆっくりとパンする。海岸ではなにごともなかったように村人が海藻干しをつづけている。親子の苦渋と喜びを、彼は知らない。
……ちょっと信じられないくらい流麗なカメラワーク。一種の悟り、というより諦念を感じさせる田中絹代の演技。いやーいいものを見せていただきました。悲劇も哀しさを突き抜けると感動がやってくるという典型。このラストをそのままいただいたのがゴダールの「気狂いピエロ」のラストなのは有名。あっちは主人公が自爆するという流れ。
「雨月物語」もたいがいすごいと思ったが、溝口健二って(調子のいいときは)本当にすばらしい。さあもう一度見なくては。みなさんもぜひ。