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部屋にたちこめる紫煙、灰皿にうず高くたまった吸い殻、自国のタバコが吸えなくて悲しむドイツ人など、空気感、時間の経過、ナチ嫌いの愛国心をそれぞれ描写するテクニックを、単に「たばこはよくない」という現在の理屈で糾弾することの無意味さは、どうやら嫌煙の方々にはわかってもらえないのか。
くわえて、結核患者がいる部屋で吸うとはなにごとかと怒っている人もいる。あのねー、二郎は言っていたじゃないですか
「ぼくたちには時間がない」
と。彼らはいっしょにいられる時間が短いことを誰よりも認識していて、外に出てたばこを吸う時間すら妻も夫も惜しいと思っているぐらいのことがなんで読み取れないんだっ!
……はっ、いかんいかん。ついたばこ問題になると感情的に。嫌煙の方々のことは言えませんね。
今回は、そのシーンに代表されるように、むき出しの愛情表現を作品にぶちこんでいる。夫は新婚初夜に妻を抱くことをためらい、しかし妻は積極的に迎え入れる。妻はくちづけをすることを「(結核が)うつるわ」と拒むが、しかし夫は「かまうもんか」とくちづける。むきだしです。
でもね、愛し合う男女にはそんな時間が確実にある。あるったらある(遠い目)。記号としての涙が多すぎ、とにかく観客はのべつまくなしに泣かされるのでかえって見逃しがちだけど、この映画における「いま、この相手といることが幸福だ。たとえ短い時間でも」というメッセージは強烈。
近い意味のことをカプローニはニッポンの少年に語る。
「創造的人生の持ち時間は10年だ」
ラストで彼は二郎にたずねる。充実した10年だったかと。憔悴した二郎は、妻も、みずからが設計した飛行機もすべて失うが、妻の幻影に救われる。必死で彼は生きてきたし、これからも「生きねば」ならない。しかし二郎の、そして宮崎の創造的人生が果たして終わったか。70をこえた宮崎駿は、自虐的なセリフに小さな自負をこめている。
それにしても、初めてむき出しにセックスを描いた作品のヒロインが、宮崎史上もっとも小さな胸の持ち主だったとはー。