その1はこちら。
この映画は正解も正義も示さない。なにしろマナは、常に正しいことを求める母親に反駁してこの世界に飛び込んだようなものなのだ。その母親からの逃避が、ティーフレンドという組織を疑似家族にしているという設定。
だからマナは過剰なまでに“家族”を維持しようとする。けれども、どこか彼女の言葉は軽いし、嘘くさく響く。
この作品でただひとりメジャーな俳優である渡辺哲は、妻を亡くした孤独な老人の役。彼はティーフレンドの女性と関わることで生活に張りを取り戻していく。
女性たちもまた、介護や、ギャンブル依存症などからほんの少し目を背けることができている。スタッフの若者たちもまた、中途半端な生き方であることを承知しながら、自堕落さからかろうじて逃れている……ように見える。セックスを介在させて、誰もがウインウインな状況にいる……ようにも見える。しかし。
顧問弁護士まで用意して、会員数1000人を突破するなど、ビジネスとして成功しているティーフレンド。これ、実話がもとになっているらしいけれども、現実には組織暴力関係が黙っていないだろうし、警察だってバカじゃない。もっとダークに描くこともできただろうが、この映画の主眼はそういうことでもない。売春を賞揚も批判もしないあたりが勘所なのだろう。
単館での公開だったのに毎回満員札止め。ということで徐々に拡大公開されたというのは、同じ会社がつくった「カメラを止めるな!」の展開に近い。ほぼ半分がファックシーンである映画に、高齢者たちが駆けつけたのもうなずける。年寄りたちだって、枯れてばかりいるわけではない。