事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「コフィン・ダンサー」THE COFFIN DANCER

2007-10-13 | ミステリ

Coffin_dancer  この不吉な題名の日本語訳は、“棺桶の前で踊る男”。前作の「ボーン・コレクター」は“骨を収集する男”だから、科学捜査専門家リンカーン・ライムのシリーズはこの調子で韻を踏んでいくのかな。(←この予想ははずれた)

 このシリーズ、よくよく考えるとシャーロック・ホームズを強く意識していることがわかる。

「まさか。今さらホームズ?」

と思われるかもしれないが、まあ聞いて。共通しているのは、神の如き(強引、といってもいい)推理を無理矢理展開する名探偵と、冒険活劇を前面に押し出した構成。

現代の常識からすると、ホームズは推理小説というより冒険小説の範疇に入るようだが、ディーヴァーのタッチも、ドイルに近いものがあると思う。推理の方のムチャクチャさは以下の通り。ライムが助手のアメリア・サックスに人質を連れて逃げた犯人を追いかけさせている場面。指示は無線で行われている。

Angelina_jolie 「血の上に足跡は?」


「何十個もあるわ。あ、ちょっと待って。業務用のエレベーターがある。血痕はそこにつながっている!この中にいるんだわ、ドアを-」


「いや、サックス、待ちなさい。
あまりにも簡単すぎる。」


「エレベーターのドアを開けなきゃ。」


落ち着いた声でライムが尋ねた。


「聞きなさい。エレベーターに続いている血痕は、涙形をしているんじゃないか?細くなったほうがいろんな向きを指しているんじゃないか?」


「彼(人質)はエレベーターの中よ!ドアにも血の跡がある。生死の境にいるのよ、ライム!人の話を聞いてるの?」


「涙形だろう、サックス?」なだめるような声。「おたまじゃくしみたいな形をしているんだろう?」

 かくして遠く離れた場所から犯人の卑劣な奸計を名探偵ライムは見抜きましたとさ……そんなもんわかるわけないじゃんか!このあたり、依頼人の風体や態度からたちどころに依頼内容まで看破してしまう前世紀の名探偵によく似ている。無駄な明晰さ、というか。

 ただ、この名探偵ライムは、ホームズとは歴然と違っている点がある。元ニューヨーク市警科学捜査部長だった彼は、捜査中の事故によって頸椎に損傷を負い、体に残された自由は、首から上の部分と、左の薬指に残っているだけの四肢麻痺というハンディキャップを抱えているのである。究極の安楽椅子探偵(行動よりも思索で事件を解決するタイプ)なのだ。

このために、ライムの神のような推理や、ワトソン役のサックスがモデルの経験もある美貌を誇る婦警(しかし神経症気味)というような嘘っぽさが不自然ではない作りになっている。

Ashley_judd  前作の「ボーン・コレクター」は犯人の残していくメッセージを、ライムが知力の限りを尽くして解読する一直線のストーリーで、これは見事な出来だった。自殺願望と闘い続ける探偵、という設定が犯人探しにも絡んでいて(あぶねー。危うくネタばらしだ)、事件解決とともに、ともあれ生き続けようと決心するライムと、支えようとするアメリアのドラマが次作への期待を高め……

……まさかこんなに面白いとは思わなかった。]

今回は盛り沢山のストーリー。裁判に出廷する3人の証人を、コフィン・ダンサーの刺青をしていることだけが知られている暗殺者から45時間守り抜く経緯と、そして後半はなんと航空小説になり、ラストのどんでん返しでいきなり本格推理の体裁を守るのである。やりすぎだとは思うけどね。

 脇役が相変わらずいい。名探偵の常としてエキセントリックでわがままなライムを手玉にとる介護士(前世紀の、執事にあたるだろうか)。余命いくばくもなかった妻のためにニューヨーク市警に転勤した南部出身の愚直な刑事。職業人としての誇りにあふれた連中が脇を固めている。暗殺者にしたってプロ意識の固まりで……あ、これ以上は説明できないな。ちょっとしたひっかけがあるから。したがって読後、最大の悪役として心に残るのは、保身と名誉欲に走る連邦検事補ということになる。こいつが政治家をめざしているあたり、よくある手なんだけど。

 この小説を読むにあたっては、「ボーン・コレクター」を先にしていただいた方が味わい深いと思いますが(サックスの成長がはっきりとうかがえる)、時間がたっぷりとある日にして下さい。あまりの面白さにページをめくるのがやめられず、業者との約束に遅刻してしまった私の失敗は繰り返さないように。文藝春秋の本は高いんだけど、それだけの価値はあります。図書館で借りておいて偉そうなことは言えませんが。

Charlize  映画化された「ボーン・コレクター」では、ライムをデンゼル・ワシントン、サックスをアンジェリーナ・ジョリーが演じて、柄にあったところを見せていました。

もっとも、デンゼル・ワシントンがやると自殺願望の側面は消えてしまうけれど、ハリウッド娯楽映画方程式の上では余計な要素だったのかもしれない。犯人を変えていることで批判も受けていたけれど、一つの解釈として私は有りだと思いました。

 ところで、これは私だけではないらしいが、アンジェリーナ・ジョリーとアシュレイ・ジャッド、それにシャーリーズ・セロンって、なんか、混同しませんか?写真を並べると確かに違うんだけど、どうも単体でみると「あら?こいつはどっちだっけ。えーとジョン・ヴォイドの娘(ジョリー)の方だっけか?」と迷ってしまうのだ。アイドルの区別がつかなくなると年を取った証拠だというけれど、あー俺もついにオヤジ入ってきたかー!

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