50年代末から60年代に存在した「マンハント」という海外ハードボイルドミステリを中心としたメンズマガジン。その雑誌自体と周囲にどんなことがあったかを、SF評論家として著名な鏡明が例の調子でつぶやく。
そのころ、翻訳ミステリを売り物にしていたのは早川書房の「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン(EQMM)」(初代編集長は都筑道夫、2代目は生島治郎、3代目は常盤新平)、そして宝石社の「ヒッチコック・マガジン」。こちらは小林信彦が編集していたことで有名だ。
海外のミステリが売れない現代からすると、三誌が競合していたのだからファンはうれしかっただろう。スマートなEQMM、センスのヒッチコック・マガジンとマンハントの差は、その徹底的なサービス精神にあったようだ。
原文を捨象して翻訳者が徹底的に遊びまくることを許し、ヌードのピンナップが付録としてつくようになった。このヌード目当てで若き鏡明はマンハントに夢中になったとか(笑)。
マンハントの書き手たちは豪華のひとこと。植草甚一、小鷹信光、双葉十三郎、片岡義男、福田一郎(TVジョッキーで映画の紹介をしていた)……
当時の状況は、この書でもふれられている小林信彦の「夢の砦」(新潮文庫)に詳しいが(小林と常盤新平の仲たがいの経緯とか)、魑魅魍魎が跋扈し、だからこそダイナミックに時代と切り結んだ出版界の空気は雑誌が象徴していることで理解できる。
多くの編集者が、伝説の雑誌「新青年」(横溝正史も編集長をつとめた)に影響を受けた時代。その流れは「平凡パンチ」や「ポパイ」に受け継がれていく。
にしても、数多くの傑作CMを制作し、電通の執行役員までつとめた鏡明が、山形県出身だったとは知らなかったなあ。
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