「霧の旗」「砂の器」「氷の微笑」「ゼロの焦点」「チャイナタウン」篇はそれぞれクリックをどうぞ。
富山で岡山県人と飲んでいるときだった。
「岡山……といえば桃太郎」
「はいはい。たいがいの人がまずきび団子ですね岡山といえば」
「あと、確かウランが採れるんだよね?人形峠だっけか」
「えええっ。あそこのウランって全国区だったんですかっ。わたし、地元民しか知らないものだと思ってました。」
「えーと、あ、そうだ!『八つ墓村』の舞台じゃなかったっけ。例の三十何人殺しってホントにあった話だったよね」
「うわー、そこに来ますか。そうなんです。あの事件の舞台って、わたしが住んでるところの近くです。」
あの事件……津山三十人殺しとはこんな事件だった。
昭和13年5月。鳥取県との境に近い岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)で行われた大量殺人事件。犯人は22才の青年、都井睦雄(といむつお)。
彼は綿密な計画を立ててわずか一時間半のあいだに30人を殺し、自殺した。背景にあったのは、肺結核だった都井に対する近郷の村民たちの蔑視、あるいは夜這いなどのセックスがからんだ愛憎と考えられた。
彼の準備に、狂気と同時に冷静さを見ることができる。都井は詰め襟の学生服を着て、足にはゲートルに足袋。頭に巻き付けた手ぬぐいに懐中電灯を二本さし、日本刀1、匕首2、猟銃をたずさえ、実弾100発を用意し、各戸を襲撃した。
「実はですね」と岡山の参加者。
「わたしの遠縁の人もそのとき津山にいたんですよ。でも、肺結核の親族がいたものだから、犯人のことを悪く言わなかったんですって。だから殺されずにすんだんだそうです」
おおおまさかそんな話が聞けるとは!
「で、戦時中に岡山に疎開していた横溝正史さんがこの話をもとに書いたのが『八つ墓村』ってわけです。」
ということで恒例のわからないシリーズ「八つ墓村篇」開始。その2につづきます。
んもう何でもかんでもパニックでくくればヒット(でもなかったけど)。
キャラメルコーンを食べながら観たことまで思いだして
しまいました(笑)
でもアルバート・フィニーのイメージが強いんで
違和感ありまくりでした(笑)