お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

自分では何も・・・

2010年09月02日 | 雑感
 生後まもない赤ん坊を見ていて、
あらためて、つくづく感じることです。

 人間は、遺伝子も、性別も、親も、環境も、国籍も・・・
自分では何一つ選べず、誕生し、

 丸ごと、誰かの世話になって育ってゆく

 やがて、経験、知識・・・「我」を積み上げてゆき・・・

 一人で大きくなった顔し、一人で立派に生きているように錯覚する。

 今、「あるがまま」の幼子も、やがて、「我執」により、憎まれ口をたたくようになるのでしょう。

 そして、いずれ 病老死の時

 自分では、何もなしえない私であったことに気づかされる。

 「誰の世話にもなりたくない」と、気丈に宣言したところで、
棺桶のフタを自分で閉めることはできず・・・

 丸ごと誰かの世話になって、生まれ育ち、
 丸ごと誰かの世話になって、逝去する・・・ 
 
 「私が」「私が」と、生きているわが身を振り返り、その傲慢さに恥じ入っています。
 
コメント (4)
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