お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

我や先、人や先

2013年11月17日 | 仏教
 先月末のことです。
 体調に、いささか異常が出て、検診。
 「大丈夫とは、思いますが、細胞検査に出します。結果は、1週間後にわかります
と医師。
 その1週間、いろいろ考えました。

 私自身は、もし、ガン宣告受けたら「ああ、そうですか」と受け容れて、
内心
「これから病の苦しみは受けなければならないけれど、老いの苦しみは、味あわずにすんで、よかった
とか
「ま、私の人生、皆々さまに、ご迷惑かけつつ、イイカゲンながらも、私なりに、いっしょうけんめい生かされ生きてきたから、もう、これで充分」と考えるのではないか・・・

 でもね、私はいいけど、入院なんてことになったら、家族は、お寺はどうなるだろう
生きているつもりで(いや、その前提でないと予定が立てられないので)次々ある予定、来春の巡番報恩講に大迷惑かけてしまうな・・・
 
 若坊守は、乳幼児をかかえて大変だろうな・・・
まして、老母は・・・一番、悲しませることになってしまう・・・

 エラソウに老母を見送るつもりでいたけど、私の方が、先立つ可能性をすっかり忘れていた・・・

 など、いろいろな思い(妄想)が浮かびました。

で、結局、今回は、ただの炎症で、ガンでは、ありませんでした。

普段、突っ走っている生活の中、ちょっと、考えさせられた1週間でした。

 生まれたからには、100%の致死率、それも、いつ、いかなる状況で亡くなるかもわからない 
と頭でわかっていても、元気に走り回っている間は、なかなか実感できない 私の「いのち」の現実

 蓮如上人(本願寺8代法主)の「御文章」(お手紙)の「白骨の章」

 我や先、人や先 きょうとも知らず、明日とも知らず・・・
をあらためて、味わっています。

 私もいつ、この世の「いのち」終わるかわかりませんが、
もしも、突然の時のために、前もってお礼を申し上げておきます。

「皆様、お世話になることばかりで、いつも有り難うございます。おかげさまで、私は、本当にしあわせです。」

 

 
 
  
コメント
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