9時半前にチェックアウトして、新静岡駅へ。今日はこの間予定を変更したため見ることができなかった展覧会に再挑戦である。
駅からずっと上り坂の道をぐんぐん歩き、美術館の入口には2番目に並ぶことになった。チケット売り場が二階なのでそこに行く間に前の人を抜かして、一番でチケットを購入する(そんなに見苦しいほど急いでいる訳でも無い)。
■静岡県立美術館「1968年激動の時代の芸術」。
渡辺眸「「東大全共闘」より」:本当にこの頃の人たちのことは、良く分からないよね。
木村恒久「白紙委任」:フォトモンタージュで皇居の濠に空母エンタープライズが浮かんでいる作品。現在だとイージス・アショアだね。
久保田博二「沖縄の米軍、1969年」:私が生まれた時は、沖縄が返還されていなかった。こういうことを知っていたら、あんな扱いできないと思うのだが。
「「三億円事件」ポスター」:私にとっては何よりも印象が強い事件である。
福島菊次郎「ふうてん(新宿駅)」:素知らぬ顔で口を拭って下の世代にゴチャゴチャケチつけているが、お前らこうだっただろ、と思う。もちろん、全員がふうてんだったと思っているわけではない。
赤瀬川原平「押収品・模型千円札III梱包作品(ハンガー)」:千円札を芸術として模写したのだが、偽造紙幣として裁判になり…、ということは知っているが、知っている以上の何物でもなかった。しかし、その千円札っぽいものを包み紙にしてしまうと、直観的に「お金の無意味化」という感覚が湧いてくる。これを見ることができたのは良かった。
磯崎新「建築空間のためのドローイング(福岡相互銀行大分支店)」:実現できそうにない、ちょっとエッシャーを思わせるようなねじれた空間が広がっている。これ、結果的にどんな建物が建ったのだろう → 今、検索してみると外観は相当パンチのある仕上がりだね。
山口勝弘「Sign Pole」:青、赤、黄のボックスが積み上げられ、素直にきれいに見える作品。
川口龍夫「無限空間におけるオブジェとイメージの相関関係又は8色の球体」:箱の中を十字に鏡で区切り、そこに配置した球体が様々な色に見えるという展示。単純だが、一瞬目を疑う。
「サーチライトで天空を照らす太陽の塔と大屋根」:太陽の塔の上部の顔にある目から、レーザービームのように光が差す。
横尾忠則「せんい館 外観」:大阪万博の建物の一つだが、スロープの途中にあえて工事中のように見える形で作ったもの。こんなのあったのか。
細江英公「鎌鼬#17」:高い所から飛び降りたのだろうか。突然、子供たちの前に飛び出す土方巽。子供が驚いているだろ、やめんか!
つげ義春、大崎紀夫、北井一夫「つげ義春流れ雪旅」:一番有名な「メメクラゲ」のシーンが展示されていた。
私は1968年から1970年代にかけての文化には、何とも言えない感情を抱いているんだよね。ロックについては、ハードロック、プログレとまさにこの時代のものを好きなのだが、SFについては黄金期からニューウェーブへの転換期で、かなり幻滅している。
日本の芸術に関しては、不快感50%、貧乏くささ30%、現代に通じる所もあるよね20%と言うところだろうか。まあ、自分たちの時代の直前の流れを好まないのは、ある種の必然かもしれないね。もちろん、70年代後半から80年代にかけての時代も決して褒められたものでは無いだろうと言うことはよく分かっているのだが…。ちなみに観覧者は私より少し上の世代が圧倒的に多かっただろうか。若い人も見に来るのかな、これ。それとも、届かないのかな。
急ぎ展覧会を見終えて、坂道を降り、電車で新静岡駅へ。本屋さんに行くも、今日買うべき本は見当たらず、少し早めの昼食へ。