いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

羊をめぐる暴言

2005年04月10日 21時51分22秒 | 日本事情
 おめめぱっちりです。

南コリアの大統領が御発言になりました。

「日本の態度は一流社会が追求すべき普遍的価値に合っていない」。「侵略と加害の過去を栄光と考える人たちと一緒に生きるのは、全世界にとって大きな不幸だ」。靖国神社参拝について、「韓国はもちろん、中国に対してもひどい侮辱だ」。

びっくりの発言だ。でも、おもしろい。日本が普遍的に考えて人類の敵だというのだ!日本にとってこれほど誉れあるお言葉はないかもしれない。だって、人類を向こうに張るんだよ。

で、ノムヒョン大統領の発言を分析しよう。
■その立場。
・左翼的立場でない:ノムヒョン大統領率いる韓国は数千だかの軍隊を現在イラクに送っている。もちろん徴兵制の国である。したがって、日本は人類の不幸という発言は左翼的な反帝国主義の論理に基づくものではない。これは、ブッシュの視点からみれば日本より評価すべき対米貢献であり、国際左翼の視点からみれば米帝の手先である。
・儒教的立場ではない:韓国は儒教の伝統があるからその政道・正道主義での対日批判ではない。『身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く,敢えて毀傷せざるは孝の始めなり』というのが儒教の基本のひとつであるが、ノムヒョン大統領は おめめぱっちり に整形されているそうである。

■さて、羊。『看羊録』姜(カンハン)が関が原の戦いを挟む豊臣・徳川時代に日本で書いた記録。姜は朝鮮の高等文官。教養基盤は儒教など古代支那学。いんてりにして行政官。秀吉の朝鮮出兵で生け捕りにされ俘虜として日本に連行される。

さてさて、看羊。『漢書』の蘇武伝。蘇武、漢の武官系官僚・外交官。匈奴に囚われ羊の群の飼育を懲罰としてさせられる。文明の中心・華園の真ん中で生きるべき人間が野蛮な民族に囚われ文明を遠く離れた辺境で過ごす。羊を看ながら。

姜、『看羊録』。日本での日々。漢の蘇武になぞらえ、日本での日々を記録。その列島に住む人たちは、「倭賊」である。

これすなわち、文明的中華主義。

■もどって、ノムヒョン大統領の発言の立ち位置。

文明的中華主義。

◆恐ろしいインテリの怨嗟 
 ノムヒョン大統領はじめ反日朝鮮人は「世界」を喪失している。彼らの怨嗟に立って考えてみよう。

::近代になって、中華から離れた日本が強国化する。やつらは16世紀にこのおれ様を征服しようとした前科者である。その後おとなしくなりわれらが通信使が行っても漢詩など添削してもらって喜んでいた田舎もんだろう。少しは文明を学び始めたとおもったらなんてこった。日本は我が国を侵略し、併合してしまった。日帝支配下で我が民族から収奪・強奪し、人間も消耗品扱いした。そういう極悪な日帝も当然の天罰で滅亡した。しかし何てこった!我が朝鮮民族は分断され、かつ相争わなければならなくなった。もちろん、これは日本のせいだ。そんな、極悪な日本、前科者でこの先500年は土下座して我々に謝り続けなければならない日本が、いまじゃ経済規模で3倍、3倍豊かに暮らしている。日本なんて戦後100年たっても戦災の跡が消えない、哀れで貧乏な国であるべきなのだ。それがどういうことだ!これは世の中全く間違っている!この現実は間違いである。::

つまり、栄光の朝鮮民族、極悪の日本の滅亡という彼らのあるべき「世界」を喪失している。

◆自分と世界
 さて、なぜ、ノムヒョン大統領の言う、日本が「全人類の不幸」になってしまうのか?

キーワード:侮辱。ノムヒョン大統領の発言に「中国、韓国を侮辱するものだ」というくだりがある。侮辱される、即ち屈辱。

屈辱とは自尊心から由来する感情である。私は何かたいした人間である。あるいは、せめて平均よりは価値ある人間である、という思い。韓国は文明と歴史を誇りにし、ノムヒョン大統領は「普遍」や「人類」を理解する知性に誇りを抱いているらしい。しかしながら、そんな
根拠なぞない多く普通の人だって肥大した自尊心を持って生きている。

なぜ、普通のひとも肥大した自尊心を持つのか?それは、世界は私が認識するから存在するのである、私が死ねば世界などなんの意味もない。これが「私」あるいは「自分」の存立構造である。もちろん、客観的に見れば世界は無限であり、その人はちっぽけなものである。しかしながら、そのちっぽけさがすべてであるのが、「自分」で「私」なのである。

◆自尊心と屈辱
 そういうちっぽけな「私」が、無限・雄大な世界で思い通りになるはずがない。毎日、瞬時瞬時が不可能と受け入れがたきことの連続である。つまり、おれ様・私・自分は毎日、瞬時瞬時、屈辱を浴びて生きなければならない。

さらに、自尊心の肥大の大きさが大きいほど、受ける屈辱は大きい。なぜなら、肥大した自尊心を満たす現実なぞ起きる可能性は極めて低いから。別に、日本人が靖国神社を参拝しようが中国人や朝鮮人の頭の上に矢やミサイルが降ってくるわけでもあるまい。しかしながら、彼らは屈辱を感じる。 なぜか? それは日本人が靖国神社を参拝しようしまいが、彼ら、そしていかなる人間も、その肥大した自存した自尊に応じて屈辱を受けねばならないからである。

自分の自尊心を傷つける日本は世界の敵である。なぜなら、世界は自分であり、その自分を傷つけるのが日本だからである。別に他国を侵略するのは日本だけではないが、このおれ様=世界を犯したのは日本。だから、日本は世界の敵なのである。

●さて、続く。
一部、中国人や朝鮮人の肥大化した自尊心にくらべると、とーほぐの民は穏健である。

★王政復古の大号令のあと、鳥羽伏見の戦いもはじまり、錦旗をひらひらさせた「天皇の軍隊」も発足した。すめろぎの軍隊。錦旗ひらひら。むつひとさんは奥羽鎮撫使を仙台に派遣した。錦旗だ、「天皇の軍隊」だ、といってもしょせん薩長のちんぴらにいちゃんたちである。九条道孝(お飾り)と世良修蔵(実権)に率いられた500人が仙台でしたことはこんなことだ。

良家ノ婦女子ヲ捉エテ終身拭フベカララザル辱メヲ与ヘ、コレヲ誇リトスルコトサエアリシヲヤ

『仙台戊辰史』より。

  世良修蔵。 長州出身、で松下村塾ではなく、明倫館系です。実家は庄屋

つまり、薩長のちんぴら兄ちゃんたちは自藩でも本当のサムライでない奴が多い。日頃良家のお武家さまのむすめっことまんこしたいなあ、とねがいつつも叶わず。あろうことか、仙台中将62万石の城下で良家ノ婦女子の強姦にいそしんでいたわけだ。とんだ「天皇の軍隊」である。というか、大東亜戦争のアジアでの蛮行は、三つ子の魂100までもなのかもしれない。ただし、100までもたなかったけど。

★世良修蔵に率いられた500人の武力威圧を手段とする政治目的は、仙台・伊達家に会津・容保を討伐しろ!ということだ。これは建前上は むつひと さんの命令である。しかし先帝の信頼篤く、先帝の意で動いていた会津を討つなどというのは全く道義にはずれている。これは、がきんちょ帝を戴く薩長いんちき政権の謀略である。そんないんちき薩長に屈服するはずはない。奥羽越列藩同盟。
★会津を討たない奥州勢に対し、「奥州皆敵」と手紙に書いたのがばれて、世良は仙台家臣に殺される。戦争開始。奥羽越列藩同盟は敗残。その後、白河以北一山百文とあざけられ、2流の臣民として大日本帝国に征服される。
★奥州、東北がすめろぎ・朝廷に屈服するのがこの明治維新が初めてではない。9世紀、すめろぎ統べる律令国家は奥州・東北から「捕囚」を他の諸国に分配していた。つまり、すめろぎ・朝廷は人狩りをしていたのである。その狩られていたのが奥州・東北人たちである。
★戊辰戦争の最中、岩倉具視はあんなのは朝廷お得意の蝦夷征伐だ、とのたもうていた。
★さて、すめろぎの忠臣・世良修蔵が「賊」のために殺されて39年後、同じ長州藩士だた伊藤博文は朝鮮で殺されている。

 ひろふみちゃん。 松下村塾系。ちんぴらエリートです。



  すめろぎ
  奥州方面軍 殺され屋
 朝鮮方面軍 殺され屋



●など、以上★で書いたようなことを、とーほぐ人はあまり言わない。

今日のねた本;
『この国のかたち 五』『テロルの現象学』『奥羽越列藩同盟』『仙台戊辰史』『里の国の中世』