いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

出藍の誉れ;町村信孝外相

2005年04月14日 20時50分20秒 | 日本事情



あるいは、掃き溜めの鶴。

 町村信孝外相。最近の中国や韓国に対する毅然とした態度、意志表明の語り口などまことに立派である。
                    
 
 掃き溜め派

きのうの『西のグル、北のグル』は、町村外相に言及したいための伏線でした。

 去年札幌に行ったときから、町村外相の祖父の町村金弥の出身がわかったので、『西のグル、北のグル』のネタの構想はあった。でも、よそんちのことだしなあ、と思っていた。そうしたら、町村外相は最近著書『保守の論理』を出した。主題の保守の論理というのは直裁。そして、「凛として美しい」とうたっている。凛というのはここ10年流行している言葉で手垢が付きすぎである。でも、論理と美、でまとめてあるのはロジック(理論)とエステティック(美学)を想定してますよということで、よくできている。昨日、本屋で立ち読み。で、つまらない政治家の、後援者への無料配布用著作とは違っていた。その中で、自分の祖父・町村金弥(越前家家臣)のことから父・町村金吾、叔父町村敬貴のことに言及。さらには、越前の元士族が新天地・北海道に移住したこと。そして、近代日本での一族のいきさつを描いている。町村金弥は札幌農学校2期生、町村敬貴は長男、町村金吾はその弟で旧制2高→東大法→内務官僚:警察。東京裁判では証人で出廷したはず。戦後は民選の北海道知事。ということは、町村信孝外相は近代日本において3代目ということになる。つまり、代目でいうとひろひとさんと同じだ。 



 『保守の論理』では 独立不羈 が重要であると説かれている。この独立不羈に程遠いのが現在の国家としての日本である。つまりは、日本政府は交戦を禁じられており、自分の力で独立自存を保つことができず、自分の安全を図るため米軍に駐屯してもらっている。そのため基地や資金を提供している。この列島は米軍の軍事空間に存在している。
 日本は独立主権国家ではなく、保護国である。この状態になったのは大日本帝国が敗残しその後戦勝国、占領軍との契約に基づく。なので、戦後の出発状況は自由民主党に責任はない。第一その時自民党はない。しかしながら、いくら敗残国だからといっていつまでもその状態を変えないでいいわけはない。事実、自民党は憲法改正をひとつの目標に結成された。はずであった。それがどういうことだ。戦後60年も経つのに事実上米国の属国である。自民党は論理も原理原則もひったくれもなく、ただただ政権の座にいることのみに専念。あげくのはてが、社会党・村山を担いでの政権である。北朝鮮労働の友党であった社会党を担いだ自民党内閣がいまさらキム将軍に何を言ってもなんら威厳はない。
 
 明治維新を挟んで生きた町村金弥は札幌農学校の2期生。同期生に新渡戸稲造、内村鑑三、宮部金吾がいる。歴史の本に掲載されている写真を見ると同期生は全員で8人である。だから、その中に町村外相の祖父・町村金弥が写っているはずなのだが、脚注は上記のちの「有名人」3人の名だけがある。

 その、町村金弥がどうしたのか?役人となって北海道開拓の事業の現場責任者をやっていたようである。例えば、本(『北海道の歴史』榎本守恵, 1981)を見るとこのような記述がある;

この条件(蜂須賀ら華族が農場を作るにあたり道庁がインフラ整備をすること、いか@註)をうけ入れた道庁は、札幌農学校一期生の技師補柳本通義を農場監督に、二期生の技手町村金弥を事業主任に任じ、雨竜原野を貫通する増毛道路は囚人労働で開削した。

明治26年頃である。囚人労働で作られた道路である囚人道路の工事の管理をしていたのだ。 囚人道路とは何か?

キーパーソン:金子堅太郎


金子堅太郎。福岡は黒田家55万石の藩士。黒田家は55万石の外様大藩ながら、100万石の前田同様ノンポリの大藩である。藩祖は黒田如水。秀吉の参謀。ノンポリの外様大藩といえば覇気のないやくざみたいものである。明治維新の時、クーデター派の薩長の外様大藩にせよ、対抗勢力の伊達、上杉にせよ、外様の大藩は闘うという本来の使命を果たした。そんな闘わなかった黒田家から江戸に勉強しにきていた金子堅太郎。明治維新となり英語を学び、ハーバードで学ぶ。帰国後は 伊藤博文 の片腕として活躍。金子の北海道担当は明治16年であるから、明治14年の政変や開拓使官有物払い下げ事件(薩摩の黒田清隆が同じく薩摩の五代友厚にお友だちなので国有財産を安く売り渡そうとした、とされる)と関係しているのであろう。すなわち、これまでの黒田清隆支配から伊藤博文の力が影響しはじめたのであろう。

 その金子堅太郎のアイデア;

囚徒をして、是等(これら)必要の工事に服従せしめ、若(も)し之に堪へず斃(たお)れ死して、其(その)人員を減少するは、監獄費支出の困難を告ぐる今日に於(おい)て、万已(ばんや)むを得ざる政略なり

 つまりは、囚人を酷使して工事をさせ、死んだら死んだで、え~じゃないか。

と、のたまいあそばされたのある。さすが、薩長ちんぴら政権に登用されただけのことはある。松下村塾を出ずとも恐ろしいぬんげんはいるものだ。といういやみを言うとハーバードに失礼か。

 さて、町村金弥。その金子率いる北海道庁の指示で、金弥は囚人を使って上記の増毛道路をつくったものと思われる。

 あ~、結城秀康が藩祖の(←この件町村外相も上記著書で言及している)栄光ある越前家の藩士だったものが、サムライ廃止となり、新政府の作った学校に入り、新政府の役人となとなり、やっていることはといえば、人の道にはずれたことである。越前藩士も、何の因果か落ちぶれて、今じゃ、あわれ、腐れ外道の薩長政府の役人。

 そして、この悲惨さこそが元サムライを襲った悲劇である。君主である徳川幕府、あるいは藩は敗れ去り消滅した。敗残者となった。それでも生きていかねばならない。敗残者の悲惨とは、負けて悔しいとか受けた傷がいえないとかではなく、勝者に従属し、おもねり、意を枉げて生きなければならないことである。

 さて、町村外相。現代日本も、戦後ずーっと、こんどは国全体として、敗残者として生きねばならない状況である。旧戦勝国の米中に脅され、ばかにされ、食い物にされている。因果なものである。現在の日本外相の最大任務は米国への貢献を以って自国の安全を図ることにある。自分の祖父がやったように勝者・支配者・ご主人様が 外道 であろうとそれに耐え任務を遂行しなければならない。

もっとも、それを遂行することが町村家の家風であり、その保守に努めることが家庭教育の重要性を主張する根拠であり、町村外相がそれを凛とすることであるなら、われわれはそれを諒とせねばならないだろう。

 我が「同盟」軍 :60年前は我々が調教していただきますた。

  

The last foreign minister of Japan & The latest foreign minister of Protectorate-Japan