いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

バンドン会議でのおわび考

2005年04月25日 20時42分35秒 | 日本事情
■先週であろか、ラーメン屋で新聞を見た。読売新聞。一面で岡崎久彦の投稿があった。題名も忘れたが、内容は、中国はこれから一生懸命大国化する。その推進力は優秀な人であり、最近の中国人、特に若者の活発さは目を見張るものがある、というものであった。それに比べ日本では最近教育熱心でないとの主張。新井白石を例にしてもっと日本人は勉強、努力しなくてはいけない。紹介された白石のエピソードは眠くなったら水を浴びて勉強に励んだこと。たぶん、昔の修身の教科書で知った知識だろう。白石は重要な人物でその足跡を知ると感動するが、それは火の玉のように広い学識を持った宮廷官僚として、王を教育、補佐したことであり、水をかぶって勉強したとかは瑣末なことである。岡崎は国家維持には「インテリの知的エネルギー」が重要であることを指摘し、特に、国の正統性を確立すること、主張することをひとつ重点と挙げている。

【後期】 記事がwebに公開されていた。リンクする。

■でも、おかしいではないか。毎年、外務省には、岡崎の好きな学校秀才が集まっているはずだろう。そして、現在日本に一番欠けるのは 正統性 ではないだろうか。

■さて、バンドン会議50周年記念。アジア・アフリカ会議。 最近ブックオフで高校生用世界史の参考書を買った。100円。内容が豊富でびっくり。高校生ってこんなに勉強するんだ。バンドン会議はもちろんでているのだが、日本が参加しているとは初めて知った。1955年だから、鳩山内閣。というと、外相は重光葵だ。年表を見るとこの年、6月日ソ交渉が始まっている。バンドン会議は4月。日本代表は高碕達之助・経済審議庁長官となっている。 おいらの、1955年のバンドン会議に日本が出席していたことの無知は、戦後日本は対米従属していたはずだから、そういうアジア代表会議なぞにでない、との偏見であった。しかし、当たり前だが、鳩山・重光は対米外交を相対化しようと、ソ連と国交回復をし、国連に加盟したのである。日本は講和をして、東南アジア諸国と賠償交渉をし、賠償を行った。

■昨日のアジア・アフリカ会議で、日本・小泉首相は「過去の日本の植民地支配と侵略をおわびした」。これは、中国が、ことあるごとに、日本は反省していないとプロパガンダを飛ばすので、アジア・アフリカ諸国の前で改めてあやまることで、中国のプロパガンダを無効化するという策なのであろう。

■でも、それは小賢しい策ではある。日本近代は 欧米列強 に反逆した「栄光」がある。この「栄光」

を踏まえない小泉演説はただの戦後日本の主張に過ぎない。

近代日本は何のために、

バルチック艦隊を撃滅し、

米国・太平洋艦隊を空襲し、

大英帝国・プリンス・オブ・ウエールズ撃沈させ、

シンガポールを陥落させたのか!




インドや支那や朝鮮が 何ができたのであろうか! 日本が反撃している頃、今アジア・アフリカ会議に集まっている諸国民の先祖はどういう状況だったのだろうか?日本の「蛮行」があったから、今日のアジア・アフリカ諸国が集まれるのではないか。確かに、ガンジーは偉いだろう。でも、その時イギリスはプリンス・オブ・ウエールズやレパレスなど剥き出しの暴力装置を失っていたのである。ガンジーがどんなに聖人でも、これらを失っていなかったら、イギリスは野蛮な暴力を行使したであろう。

■大東亜会議。 バンドン会議は歴史上の出来事となったが、大東亜会議は不可触歴史事象とさえなっている。大日本帝国は、

然るに米英は自国の繁栄の為には他国家他民族を抑圧し特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行ひ大東亜隷属化の野望を逞うし遂には大東亜の安定を根底より覆さんとせり、大東亜戦争の原因茲に存す

と考えたから、戦争をしたのである。現実にインドや東南アジアは 巨大戦艦 に象徴される欧米列強に物理的に支配されていたのである。 よろしくこれに反撃すべきは理である。残念ながら、当時のアジア・アフリカ諸国民には反撃する意志も技術もなかった。もし、野蛮な日帝が決起せねば、いまでも、植民地属領民であったろう。

■日本だけが自由:そんな日本が無残に敗北してのち、講和会議の時、セイロン代表は言った。「戦前、アジアで日本だけが自由で強大であった。大東亜共栄圏のスローガンは従属的人民には魅力的であった。私は今いかにビルマやインドネシアの指導者たちが祖国独立のために日本に協力したか思い出す」と演説した。これは、サンフランシスコ講和会議での演説である。大東亜会議のものではない。

■遺産:1955年のバンドン会議に日本が参加できたのは上記セイロン代表が語るような遺産があったからであろう。2005年のアジア・アフリカ会議ではこの遺産が無視されている。

<過去50年の歩み>50年前、バンドンに集まったアジア・アフリカ諸国の前でわが国は平和国家として国家発展に努める決意を表明したが、この志にいささかの揺るぎもない。わが国はかつて植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。こうした歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのおわびの気持ちを常に心に刻みつつ、わが国は第二次世界大戦後、一貫して経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を堅持している。今後とも世界の国々との信頼関係を大切にして、世界の平和と繁栄に貢献していく決意であることを改めて表明する。


言及されているのは、戦後の リセット した(と勝手に考えている)日本の志である。
戦前の 志 は入っていない。

■日本は 志 を反復し、保持し、そして謝罪せよ。
日本は謝罪すべきである。死ぬほど謝罪すべきである。
なぜか? それは大東亜共栄圏の理念に悖ることをしたことである。第一に失敗したこと。そして最も重要なことは大東亜共栄圏に属するはずの支那人や朝鮮人を殺したり、虐待したこと。例えば、シンガポール陥落など、華人殺害の件がなければ、今でもちょうちん行列すべきだ。大英帝国のアジア支配の象徴・実質拠点の陥落は世界史的快挙である。でも、アジア人を殺していてはしょうがない。

謝罪する論理は、大東亜共栄という理念に悖るからである。謝罪し、かつ大東亜繁栄という理念を保持することができる。

これに対して、昨日の外務官僚の作文であろう小泉演説はなんだろう。戦後でリセットした日本、もう戦争はしません。戦争しない、って言えばいいんでしょう。ということ以上のものはない。これはまるで、不都合なファミコンゲームをリセットし、やおらリセット前のゲームなどなかったかのように、新しいゲームで点をかせぐ 厨房 ではないか。戦前の日本外交の理念や正負の遺産を担いで未来につなごうという姿勢が全くない。これが、岡崎の好きな秀才外務官僚のやることだ。

■卑怯な自社:なぜかしら今回もおわびするのに村山談話を持ち出す。自民党もこころから村山首相(当時)に同意したのであれば、自分の責任で自分のことばでおわびしたらよろしい。社会党や村山のおわびも欺瞞的なものである。なぜなら、かれらには、上記においらが提言したような、おわびのロジックがない。ただ、中国人や朝鮮人がぎゃーぎゃー言っているから、びっくりしておわびする以上のものではない。なぜなら、このブログで何度も言及しているが、天皇の軍隊の東北での蛮行には日本左翼は何もいわない。なにより、北海道は植民地そのものだろう。先住民になぜお詫びしない。社会党はなぜ知事となって北海道の植民地支配を続けた? それはひとがいい とーほぐ やアイヌの民がやさしく、うらみがましくないからである。こういうだまっているひとには無視する。がぎゃーぎゃー言われたら、びっくりしておわびする。日本左翼など、このてーどなのである。もちろん、こういう救いがたいばかさ加減が自民党と意気投合したのであろう。

◆とまれ、歴史を貫通させる日本国家の正統性を確立・維持できないのは、日本えすたぶりっしゅめんと・いんてりに 知的エネルギー がないのからである。