いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

中国⑱ 今村仁司 『中国で考える』

2005年10月27日 21時43分53秒 | 中国出張/遊興/中国事情
(既に中国からもどりました)



今村仁司の『中国で考える』を読み直すと、今村が半年北京で滞在した宿とおいらが滞在した宿が同じだった。その宿は「友誼賓館」という。改革開放時代以前から外国人の居住施設、特に共産圏の友好国からの外国人が住んでいたらしい。ホテルといっても敷地がべらぼうに広くて、おおげさに言うと、1km四方くらい。敷地内に建物がたくさんある。半年いた今村は静寂な部屋を求めてこの敷地内で転々とし、最後は、第4号館・南工字楼の6階の部屋で過ごしたとかいてある。今村が最初入った部屋の建物は取り壊しとなり、今村は引越しを迫られたと書いてある。おいらが行ったときも敷地内は工事、工事で改築が行われていた。今の敷地案内に、南工字楼の文字はなかった。もう16年もたっているのだ。

敷地にホテルが4個くらいある感じ。ある夜、違う建物にさまよいこみ、売店があったので覗いていると、日本の高校生の修学旅行の学生グループがいた。日本からの修学旅行の宿でもあるようだ。




この本は1994年に出版されたものだが、前半の今村の北京滞在記は1988-1989年に雑誌『現代思想』に掲載されたものである。1988-1989年とは、まさに、あの天安門事件の直前ということになる。今村のデビュー作は1975年の『歴史と認識』(アルチュセール読解)から最新作の『抗争する人間』(2005年)まで社会と人間の理論的理解をやってきたひとである。失明を気遣わないといけないくらい本を読みすぎたひとらしい。そんな徹底的な理論派でかつ西洋派の今村の中国体験記である。

(おいらの誤解でなければ)今村は日本はもちろん世界情勢について時評を書かない人である。暴力論・戦争論などを書くが現代の個別の戦争に何か言ったことはないはずだ。つまり、自分が商売でやっている原理論を、一度たりとも、現状分析に適用したことがないのである。

そんな今村が『中国で考える』というのはおもしろいと思った。つまりそれは、、①自分が商売でやっている原理論を、いささかでも、現状分析に適用することになるであろうことと、②中国が、自国の「労働者」を管理し(もはや労働者とはいえまい)、外資を呼び込んで賃労働・搾取させている状況をどう捉えているか?がどう考えられているか興味をもったから。

その『中国で考える』は、3部から構成されている。第1部は1988-1989年の北京滞在記と他地域への旅行記。第2部は「市民精神の形成」と題する、1部の主観的な体験記と違って、客観的にみた中国の問題点。第3部は「近代世界による包摂」とする天安門事件(1989年)論。

第1部の北京滞在記では、中国人大学生の3、4年生向けに、福沢諭吉の『文明論之概論』と丸山真男の『日本の思想』を「ゼミナールに近い形式で授業を始めた」が学生には難しく、あくび・いねむり・私語で授業内容を変更せざるを得なかったことが記されている。中国人学生のことより、正統モダンを講義する今村をみたかった。

中国批判も鋭く;

中国人の俗流中華主義と田舎根性、それに加わった実用至上主義は、おそらく現在の中国の教育と研究を徹底的に毒している元凶だと思われる。

中国人は「近代化」を口にしながらも、「近代(化)」の概念を持つことができない。中国の近代化を課題として自己に引き受ける覚悟を真剣にするのであれば、西欧や日本の近代化の経験をさまざまの角度から、とりわけ思想の構造から、検討すべきであるのだが、一向にその関心が生まれてこないのはどうしてなのか。「偉大な中国文化の伝統のなかには何でもあるのだから、西欧からも日本からも学ぶ必要はない、学ぶのは技術だけだ」と頑固にしんじつづけているのである。


こういう中国への視線は、ほんと諭吉のようだ。