いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

仙台参り 【2007】 西郷軍兵士の墓

2007年11月11日 16時45分39秒 | 仙台・竹雀・政宗



blog やまとこころ 「陸奥・仙台 鹿児島県人七士の墓」様の画像 (現在リンク切れ)。

お墓は凝灰岩で出来ているようだ。これは、西郷南州と同じである(下記記事参照)。

これは、薩摩は鹿児島と奥州は仙台のそれぞれの城下近くに火山がある/あったことを物質的根拠としている。 
ちなみに、伊達と島津は"出自"が意外に近いと書いたことがある。

このお墓は瑞鳳殿に行く途中にある。



大日本帝国陸軍の最初の大将は西郷隆盛。政府で面白くなくなったので、
この俺さまがいないで政府はやっていけるのか!と辞める。
薩摩に帰り、くすぶる。
日帝はまだ力量不足と言ったかは不明。元祖、壊し屋。

そして、大久保に挑発され、発火。反乱軍となる。西南戦争。

関連記事;◆屯田兵、北へ南へ。あるいは、賊軍・官軍。
      ◆南洲顕彰館
      ◆西郷南洲墓地

戊辰戦争では仙台兵が賊軍。のち、薩摩(西郷派)は西南戦争で賊軍すなわち朝敵となり、敗残した兵士が旧朝的の城下に囚われることとなったというお話。

いろいろ忙しいのである。明治維新。

▲ごめんなさい。
上記、おいらのブログ記事;「南洲顕彰館」で西郷軍は城山で全滅したと書いた。まつがい。残党が捕まって捕囚となりて仙台に来て、そしてすんだ(死んだ)のが今日の話。

ごめんなさい2。
ずつは、おいら、瑞鳳殿に来たのは生まれて2度目です。それも初めて来たのは4年くらい前で、仙台在住中はいつども来たことがなかったんだす。なぜって、当時は、おいらにとって伊達政宗とは、「町内会長」に過ぎなかったからだす。あなた、自分の町の町内会長が誰か知ってます? おいらは、世界像掌握の妄想に取り付かれていますた。ごめんなさい。

そんな当時、瑞鳳殿の近くに薩摩藩士の墓があると友人に聞いて、勝手に、あーそうか戊辰戦争の時に返り討ちにあって死んだ薩摩兵かと思い込んでいますた。って、いうか、伊達だの薩摩だのって、世界像を掌握すべしおいらにはどうでもいいことですた。ごめんなさい。

Watch your step!に気づく10年前のことだす。