いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

日本刀の今更に

2008年04月25日 18時53分03秒 | 国内出張・旅行
- - 維新このかた廃れたる 日本刀の今更に - -  

『抜刀隊』 外山正一

YouTube; 抜刀隊


              

■朝7時前に鳥取に着いた。宴会は夕方なので、それまで物見。鳥取城と仁風閣にでも行って歩きまわろうと思っていたが、激しい雨。なので、まだ行ったことがない餘部鉄橋に行くことにした。山陰線上りに乗る。しかし、浜坂駅止まりの列車だった。餘部に行くまでには一時間半も次の列車を待たなければならない。さらには、そもそも餘部駅から餘部鉄橋を見晴らせる展望箇所が既に閉鎖されていると、浜坂駅で知った。


駅にあった展示写真

■雨もやまないので、博物館系に行こうと考えると、安来(やすぎ)の和鋼博物館が思い浮かび、山陰線を引き返し、安来に行く。



安来の和鋼博物館は日本固有の製鉄、それも製鋼技術である「たたら製鉄」の展示博物館。

▼たたら製鉄は、磁鉄鉱から直接鋼をつくる世界にまれな優れた製鋼技術であり、戦国時代にはその技術は確立し、おさむらいさんたちが、硬くてねばりのある剣での殺し合いを存分にできることを可能にした。

しかし、日本史上でもっとも「たたら製鉄」で鋼がつくられたのは、たぶん、むしろ、先の大戦ではないかと思う。(根拠資料なし)。事実、この時期、つまり昭和8年から20年の間に、この安来より山奥の奥出雲の横田では「靖国炉」あるいは「靖国たたら」という鋼製作所が稼業している。これは、軍刀をつくるための鋼の供給が目的。 Google; 靖国炉 軍刀

くだんのうわさの映画に「靖国刀」の鍛冶師・刀工が被写体となっていることが話題となっているが、その刀工はこの戦時軍刀つくりに活躍したと思われる。

ちなみに、敗戦とともに「たたら製鉄」は途絶えた。それでは日本刀の材料が供給されないので、30年ぶりに「たたら製鉄」が復活し、現在では日本刀の鍛冶師・刀工に鋼が供給されている。この際、日本刀は「美術品」扱いである。