いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

用もないのにコーチョーセンセが....

2008年12月10日 21時39分16秒 | 日本事情

五百旗頭真 校長先生のお話である。

田母神論文騒動で、おいらはすぐ、田母神航空ら幕僚長一部自衛官は国粋ナルシズム抗ワクチン不接種だな、と思いつき、五百旗頭真センセを思い浮かべた。

果たして、騒動を受けて、五百旗頭真センセは出動して、抗ウイルス活動をしているらしい。

例えば、 「国、国民への服従は誇り」

事実、ブログ・玄倉川の岸辺では; 番組後半は防衛大学校の教育を取り上げていた。これはなかなかよかった。 校長の五百旗部(いおきべ)氏が田母神氏とは対照的に落ち着いていて、信頼できる人柄をうかがわせた。 五百旗部の風貌と雰囲気は、不敬をおそれずに言うとご今上(天皇陛下)に似ている。いかにも柔和で考え深そうだ。立派な先生に教えられる防衛大学校の生徒がうらやましくなった。

一方、田母神応援団からは、五百旗頭真センセこそ小泉内閣時に小泉外交、靖国参拝を批判した、シビリアンコントロールの逸脱者であるとの猛攻撃(この前の朝生)。

(余談だが、西尾センセは、オーソドクス保守への戦闘宣言;

私がこれまで言いつづけてきたこともまさにこのことだった。日本の歴史学者、言論知識人の視野の狭さにはほとほと手を焼いてきたが、朝日新聞に田母神論文への反論を書いた秦郁彦、保坂正康、北岡伸一の諸氏などは中西論文で言われている当の人々であると思う。自民党政府もおかしいが、どちらかといえば保守系と称されてきたこれら言論人の狭い歴史の見方は国の方向を過らせるものである。

これからの本当の戦いも姜氏や九条の会相手ではなく、保守といわれてきた人々の中の敗北主義者、現状維持派、歴史瑣末主義者、一口でいえば目の前の危機が見えない人々に向けられるべきである。

西尾幹二のインターネット日録、田母神航空幕僚長の論文事件を考える(四)


    
ワクチン打ち忘れ    ウイルス

■おいらは、田母神論文とその応援団への共感は全くないのだけれど、五百旗頭真センセの物言いも欺瞞的だろう。少なくとも、そんな底の浅い考えでいいのか?

なぜなら、今後この日本で起こるであろうことは、国と国民が「あんな国やっちまえ!」と自衛隊に要求すること。

その時はどうするの?

「あんな国やっちまえ!」とは極端だとしても、現に行われた・行われている、形式上、選挙と議員内閣制の制度で行われた、つまり、国と国民に服従して行われたイラク派兵は、正義の観点から見ていいのか?

しかし、五百旗頭真センセの「国、国民への服従は誇り」という論理に従うなら、国民が望めば、あるいはそういう国民の作った政府が望めば、何だってありということになる。

でも、これは笑い話ではなく、自衛戦争を放棄した現行憲法を、解釈を変えて自衛隊を法律で正当化している現行政府こそが何だってありの典型なのだ。

あと、何より、五百旗頭真防衛大学校校長が小泉首相(当時)の靖国参拝を含む政策、外交を批判していた時、世論調査では国民の過半数が小泉首相(当時)の靖国参拝を支持していた。このことを以ても、五百旗頭の「国、国民への服従は誇り」という物言いは欺瞞的である。五百旗頭は内心、世論に左右されない「何か真理」を信奉しているのである。

世論に左右されない「何か真理」を信奉している点で、日本と顕著に違うのがトルコ。トルコは軍部が憲法擁護義務を懸命に果たしている。具体的には世俗主義違反の政党にはくみしない。つまり、イスラム政党による政府を軍部が認めないのである。国民が選挙で多数を与えてもである。軍はトルコ共和国の理念と憲法に服従している。

トルコ共和国にとっての重要な憲法原則であり、軍が、いわば右顧左眄することなく、忠実な護憲派であることを明示したものと言える。

トルコ、憲法裁判所判決でエルドアン政権は変わるのか?

▼じゃー、日本における自衛隊は何に服従すればいいのか(本当は何だかおいらは知っている、○衛隊だもんね。)? 憲法? 自衛隊の天敵だ! 「そんなの関係ねぇ~!」といいつのるしかない。

国民? 大丈夫か? 村山富一さんを首相にしたんだぜ。

こういう状況だから、「心ある」自衛官は「(ナルシズム的)歴史」にすがるよりすべがないのである。

そして何より田母神航空幕僚長(当時)の暴走の最大の背景は、現行憲法を放置してきたこれまでの政治の不在、政治の怠慢に他ならない。


あった;http://jp.youtube.com/watch?v=5kcZ3n_GMws
作詞、井上ひさし、だって。