― 新聞を読むことは、近代人の朝の祈りである - ヘーゲル (→google)
■ おいらは新聞を朝に読まないわけではない。が、数カ月前の「新」聞である。
愛猫のうんこ処理のための古新聞を、朝、歯磨きの最中にながめるのだ。
おもしろいね、新聞。
見つけたよ、天の配剤; 毎日新聞2011年(平成23年)6月7日(火)の茨城ローカル紙面。
記事では、「取手美術作家展」が開かれていますよ、という記事。
その「取手美術作家展」の記事の左下に別の記事がある。
「つくば・強制わいせつ容疑で筑波大生逮捕」
後方から近づき、胸を触った、と報じられている↓
まとめ; このシンクロを見よ!!! 天の配剤に驚く。
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TPP騒動で比較優位問題などが語られている。そういえば、アダム・スミス→ヘーゲルの系譜があったなと思い出す。
もしかして、「ヘーゲルというのは超観念的な哲学者。一方、アダム・スミスは経済学者。だから両者は共通点なんてないだろう」と思ってないだろうか?
史実はヘーゲルはアダム・スミスを読み込んでいたのだ。ヘーゲルは哲学にもあわせて、社会の現実について探究していたのだ。
だから、ヘーゲルって、マルクスなみに、ジャーナリスティックで現世好きだった。 今なら、絶対ブロガーになっていただろうっていう「人間型」。
ヘーゲルは、アダム・スミスを文献学的に勉強したばかりでなく、イギリスの現状そのものに興味があり、時評まで書いていたのだ。
比較優位問題といのは、「世界」の中でどう「分業」していこうかという問題。
アダム・スミスは、『神の見えざる手』によって、社会での分業が生じているのだと言う。 天の配剤!
そして、一方、世界で「分業」を担うといことは、世界的に認めらることになる。
逆に言えば、世界で「分業」を担えないといことは、世界的に認められないことになり、淘汰の運命を甘受しなければいけない。
(「淘汰」!、ダーウインだ。ここでも、えげれす思想が...すごいぞえげれす!)
つまり「承認」の問題なのだ。 「承認」されないものは死ぬ。あるいは、死を免れて奴となる。
「生か死か、それが問題だ」 (またえげれすだよ)。
分業→承認;アダム・スミス→ヘーゲル問題だ。
ぬっぽんの農民さまは、「世界」なぞなんぼのもんじゃ!、おらたちは「世界」から「ひきこもって」勝手にやるんだぁ!と息巻きているのだ。
そしてその「ひきこもり」にかかる費用は日本国民の中の非農民の税金で賄えと言っているのだ。
さらには、吉野家の牛丼やユニクロや百円ショップで消費生活を営む低所得の都市部の日本人が「外国」の安い米を食べることを禁じるように政府にくぎをさしている。このせいで、都市部の低所得の日本人は牛丼などのコメ部分のコストダウンから受ける恩恵を失している。ユニクロや百円ショップの商品はグローバル化で安くなった。食料品だってもっと安くなるはずなのに(といってもコメだけかな?でも、主食だし。)。
「食料安保」とかいうけれど、都市部の低所得の日本人は考慮されていないのだ。「食料安保」とはぬっぽんの農民さまと、土にまみれたことなぞ一度もないお役人さまの方便であることは言うまでもない。お役人さまはぬっぽんの農民さまを出汁(ダシ)にして、食いものにしているのだ。
さらには、都市部の低所得層の日本人は、別途税金を取られ、その税金は農村部の無駄な公共事業にも使われている。水のたまらない農業用ダムとか(→google)。
■分業のグローバル化は、「世界」における「分業」化の無理=労働力の商品化の無理!という問題に引きつがれていく。
アダム・スミス → ヘーゲル → □□□□ 問題だ。
<天の配剤!なんて予定調和的なものなんぞは幻想だ。分業の世界化は「資本」の鉄を貫くような運動法則により促進されるもので、自然社会=共同体社会をかみ砕きながら進行し、そして恐慌を繰り返すであろうと、>マルクスセンセはおっしゃいますた。
ここで、我がくぬ・ぬっぽんでは、TPP問題で、西部邁の内弟子の中野剛志センセが「暴発」しちゃっていることは、周知。
アカなのか?「保守」なのか?
えげれすで御遊学あそばされていた中野剛志センセの行く末はたのすむ(楽しみ)だ。
●追記@2011/11/29
おいらはかつて、「米国はアジアの平和なぞ望んでいない。」と主張している。
米国の意図(の重大なひとつ)は、TPPによる日中分断なのであろう。
そうだからこそ、「普遍原理」としての「世界的分業」は蔑ろにできないのである。