いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

小泉純一郎による対北朝鮮外交とは何だったのか? ひとつの思いつき

2011年11月27日 17時34分29秒 | 日本事情

―本文と関係ない画像; 筑波山麓の初冬の果実たち@ひと粒と九十九粒と―

●11/24、元外交官だった田中均さんが、"「悪の枢軸」の今"という文章をネットで公開[1];

「悪の枢軸」の今 "http://allatanys.jp/B001/UGC020009720111122COK00951.html

現在リンク切れ。 内容のコピペは愚記事最下部にあり。

■田中均さんは、小泉訪朝直後の2002年、売国奴!と「保守派」・「右翼」から大罵倒された。ついには自宅に爆発物がしかけられた。この際、現職の東京都知事(もちろん、石原慎太郎さん)に、「テロされて当然だ!」みたいなことを言われた。

さて、2002年9月の小泉純一郎首相の訪朝と金正日国家主席との首脳会談を準備したのが、田中均。

その経過を記した本、『外交の力』(Amazon)は2009年に出版されている。外交官の本なので、ためにする情報発信(=プロパガンダ)であることは織り込むべしとして、それなりに準拠する。

●小泉純一郎さんは田中均を信頼している。

きれいな君臣物語である。

小泉訪朝は田中にとって、自らの準備したシナリオに、千両役者が演じてくれたのだから、うれしかったのであろう。

一方、田中均は、小泉の靖国神社参拝には反対であった。なので、執拗に小泉に田中は靖国参拝によるデメリットを説いている。

これに対し、小泉は粛然と却下。断固、靖国参拝を続けた。 決断する政治家。

臣下・田中は首相の決断であるので、最終的には従った。ここで、従うとは、田中が、役職を賭すまでもない、あるいは諌死するまでもないと考えたということなのだ。 保身する役人。

小泉も役人ってそんなもんだろうと、靖国参拝を続けた。

美しい君臣物語である。

半端な政治家なら、官僚の veto にびびって、腰が引けるのだろう。

役人というのは自分たちの脚本通りに政治家が動いていれば、おだてこそすれ、特に政治家にさらなる情報を与えたり、あえて異論(悪魔の代理人的見識:愚記事;悪魔の代弁者)を示したりしないが、一端役人の脚本通りに政治家が動かなくなると、執拗にデメリットを入説し、偽情報も含め、事実上の強迫を行う。

小泉はこういうのには乗らなかったのだろう。

さて、小泉純一郎による対北朝鮮外交とは何だったのか?

つまりは、なぜ北朝鮮は日本との対話にのったのだろうか?その合理性を説明しなければならない。

そのために、「そもそも小泉純一郎による対北朝鮮外交とは困難なものであった」ということ。上記リンクで田中均はいっている;

北朝鮮についても小泉純一郎元首相の訪朝は外交交渉による事態の打開を日本が模索した結果である。米国のネオコン勢力と言われた人々は同盟国日本の首相 が北朝鮮という「ならず者国家」を訪問することに賛成であったはずはない。この時もアーミテッジ国務副長官やパウエル国務長官というネオコン勢力とは一線 を画す人々がブッシュ大統領に直接働きかけをし、小泉首相のブッシュ大統領との強い関係もあり、米国の異論を押さえ込むことが出来た。イランや北朝鮮の例 は、これら諸国を国際場裏に引き出し対話を進めることによって彼らの変化が出てくることを期待した訳だが、残念ながら未だ明確な成果を見るには至っていな い。 

つまり、今から見れば、ネオコン絶頂の頃だ。ネオコン・ブッシュ・米国が今にも悪の枢軸討伐に出陣しそうな雰囲気の時代。当時も、中東と北東アジアの二正面同時作戦を遂行しようという風潮もあった。

●そこで、おいらの思いつき。

北朝鮮の金正日は、米国の対北朝鮮開戦を現実性のあるものと認識した。そして、それを恐れた。

北朝鮮@2001の外交目標;大目標;米国の対北朝鮮開戦を阻止する。 小目標:米国の軍事・外交政策の最新生情報を入手する。

戦術: ①ブッシュの"子分"である小泉純一郎と国交樹立をうたい文句に交渉に入る。

     ②日朝交渉の準備をしていた外交官の田中均から米国情報を提供してもらう。

金正日の狙った効果; もし米国が対北朝鮮戦争を始めるならば在韓米軍ばかりではなく在日米軍の出動は不可欠。そこで、首脳会談に始まる日朝交渉を開始しておけば、日本政府は米国の対北朝鮮戦争に協力することが国際信義上しずらくなる。もし、日本政府が米国の第二次朝鮮戦争に協力しなければ、米国も開戦を躊躇せざるを得ない。

一方、田中均から、ネオコンの動向などワシントン情報などの米国インサイダー情報を提供してもらう。もっといえば、ピョンヤン・金正日⇒ホワイトハウスへのチャネルをも、田中均@日本外務省から得ようとしたのではないだろうか?

以上が、日朝首脳会談が2002年に実現した理由、背景に関するおいらの思いつき。それも北朝鮮サイドの思惑。

そして、日本サイドの思惑。

田中均さんが何か成し遂げたったのであろう。 そういうことは、おいらは、悪いとは思わない。功名心が駆動力となって策が発せられ、遂行されるのだ。

そして、小泉さんの思惑。小泉さんは第二次朝鮮戦争を避けたかったのではないだろうか? ネオコンと直接相対して、こいつらホントにやっちまうんじゃないだろうか? そうなれば、戦争ができない日本の政治はマヒすると考えたのだ。そして、第二次朝鮮戦争を避けたかったので、田中均さんの野望のシナリオの役者をやったのではないだろう? 策謀家チェイニーの邪念をかわしたのだ。

と、ぼんやり、おいらは、考えてみた。

あるいは、主権のありかを明徴化するための大示唆行動だったのだろうか? ⇒愚記事; 主権とは例外状態における決定権である -カール・シュミット-

蛇足; 大連、満鉄マンホールは、日本人の参拝名所になっているのだろうか?

田中均、『外交の力』の104ページにある;

交渉の始まり

 二〇〇一年(平成一三年)秋、私は中国大連の飛行場に降り立った。東京からは直行便でわずか二時間の距離である。はじめての地なので、町中を見て回ることにした。いまだ旧満鉄本部の建物は残っており、マンホールには満鉄の刻印が刻まれたままである。

これだ↓

愚記事;中国21 大連 旧満鉄本社 満鉄マンホール


[1]以下、将来のリンク切れに備え、勝手にコピペ;

「悪の枢軸」の今(1/4) 田中 均 日本総合研究所国際戦略研究所理事長 元外務審議官


 10年前の2002年1月、ブッシュ米国大統領は一般教書演説でイラク、イラン、北朝鮮は「悪の枢軸」であると表現し、その後、イラクでの戦争に突入し ていった。当時、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、ウォルフォビッツ副長官といった所謂「ネオコン」勢力と言われた人々の最大の論点は、テロ や大量破壊兵器の拡散はそれを助長するような「ならず者国家」の存在であるとし、「レジーム・チェンジ」が必要であるとした。
 米国はサダム・フセイン政権を打倒することには長い時間を必要としなかったが、その後イラクの治安を維持するのに長い戦いを余儀なくされた。米国の失敗 の原因はよく練られた占領政策がなかったことであると言われる。ドイツや日本の場合には数年がかりで練られた占領政策がイラクの場合は僅か60日であった という。多大の人命を犠牲にしたイラク戦争は当初開戦の理由となった大量破壊兵器の存在がなく、武力行使の正当性に疑義が生じ、米国の道義的な立場を著し く傷つけ、そして多大の戦費は今日の膨大な財政赤字の原因を作った。このようなイラクの「レジーム・チェンジ」と対照的であるのが、チュニジアで始まった アラブの春といわれる民主化の流れである。
 エジプトやリビアにも押し寄せた大衆運動は、長期にわたって続いてきたムバラク政権やカダフィ政権を 打倒した。米国の圧倒的軍事力といった外部の力ではなく、国内の力によって打倒されたのである。今後エジプトやリビアに民主的な政権が誕生していくのを望 みたいが、少なくとも「レジーム・チェンジ」のコストはイラクとは比べ物にならない。

「悪の枢軸」の今(2/4)


 東アジアではミャンマーが民主化の道を歩みだしている。ミャンマーの変化が真実のものかどうか見守る必要があるが、このような変化も直接的には外からの 力によってもたらされたものではない。私は2002年及び2003年にヤンゴンを訪問し、自宅軟禁下のスーチー女史に面会するとともに当時の軍事政権のナ ンバー3であったキンニュン将軍(軍事評議会の書記の後首相)と長時間、ミャンマーの民主化のロードマップについて話し合った。
 キンニュンは不十分ではあったが民主化についてのロードマップを示し、同時に民主化された暁に軍がどのような扱いを受けるかが軍の最大の関心事であると 語った。私はスーチー女史に対して、総選挙で勝利したスーチー女史が政治指導者として政治の表舞台に出ることは当然であるが、そのためには軍の将来につい ての合意を作ることが必要であることを述べたのを昨日のことのように思い出す。
 結局しばらく経ってキンニュン首相は更迭され、民主化の流れは頓挫するに至った。当時望んだスーチー女史の解放、政治犯の釈放、政府とスーチー女史の協 力関係の構築といったことが次々に実現されていくのを見て感慨が深い。現在の大統領は軍人出身であり、議会でも軍の特殊な地位を認めている訳で一気に民主 化が図られているとは考えられないが、好ましい方向に向かっていることには間違いがない。ミャンマーが韓国やインドネシアの辿った軍事独裁から民主化の道 を進むことを期待したいと思う。 

「悪の枢軸」の今(3/4)


 ブッシュ大統領が悪の枢軸と述べたイランや北朝鮮はどういう推移をたどっていくのだろうか。
 イランの核開発問題は先日の国際原子力機関(IAEA)レポートに示されている通り、より緊急性を高めており、北朝鮮問題はこう着状態である。イランに ついても北朝鮮についても、そもそも近隣諸国との地政学的要因もあり、米国が軍事力を行使して「レジーム・チェンジ」を試みる蓋然性は高くはなかったが、 日本はイランについても北朝鮮についても外交交渉による事態の打開に努めた経緯がある。イランの核問題について日本はイランとの対話のパイプを活用して交 渉による解決への働きかけを続けた他、米国を巻き込むべくG8の枠組みを活用するよう米国に働きかけた。ネオコン勢力の高官たちは強い反対をしていたが、 パウエル国務長官が押し切ってくれた。残念ながら当時進展するかに見えたイラン核問題もイランにおける大統領の交代で頓挫してしまった。
 北朝鮮についても小泉純一郎元首相の訪朝は外交交渉による事態の打開を日本が模索した結果である。米国のネオコン勢力と言われた人々は同盟国日本の首相 が北朝鮮という「ならず者国家」を訪問することに賛成であったはずはない。この時もアーミテッジ国務副長官やパウエル国務長官というネオコン勢力とは一線 を画す人々がブッシュ大統領に直接働きかけをし、小泉首相のブッシュ大統領との強い関係もあり、米国の異論を押さえ込むことが出来た。イランや北朝鮮の例 は、これら諸国を国際場裏に引き出し対話を進めることによって彼らの変化が出てくることを期待した訳だが、残念ながら未だ明確な成果を見るには至っていな い。 

「悪の枢軸」の今(4/4)


 数年前、保守的論考で著名なロバート・ケーガン氏とソ連の変化が米国の軍事経済的圧力という外からの力によるものかゴルバチョフやエリツィンといった政 治家の行動がもたらしたものかを巡って激しい論争になった。確かにケーガン氏の言うようにソ連が発展しようのない環境を米国の軍事力が作ったことも事実で あろうが、ソ連の賢明な政治家の存在がソ連の解体を導いたことも否定できない。
 私はイランや北朝鮮といった国でも政権の本質的変化をもたらすのは国内の力でしかないと思う。勿論国際社会が結束をして変化を慫慂(しょうよう)する環 境を作ることはいかなる場合でも必要であるが、同時に、政策を変えるきっかけをつかむことも重要である。特に北朝鮮に関しては権力の継承も近いと見られて いる。もっとも、ミャンマーでおこっていることが政権の交代をきっかけとして北朝鮮でも起こるかもしれないと期待するのは楽観的に過ぎるのであろう。