いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

おいらの、 2-4月関心事

2015年04月12日 17時42分04秒 | その他

 


2月以来のおいらの関心事キーワードマップ;
読んだ本。ただの『』は2-4月に入手。(『』)はもっていた本の再読。

ブログは自分の忘備のために重要であると再認識。1月以降、あまりブログを書かないと、いつものように、のんべんだらりんと( 愚記事該当群 )した本読みの記録が残らない。

始まりは、2月17日の衆議院本会議での日本共産党に対し、「さすが、テロ政党」との野次事件(関連愚記事;素早い火消)。日本共産党のテロ活動といえば、白鳥事件(しらとり じけん)があったなぁ~と思いついた。札幌っ子のおいらは子供の頃から「白鳥事件」を知っていた(1970年代後半)。路上で自転車の傍らに転がっていた死体の写真は覚えている。しかし、「白鳥事件」の詳細は知らなかった。なお、子供の頃から今に至るまで、一度も他人と「白鳥」事件について話したことがない。もちろん、家でもそんな話題はでなかった。

2/17以降、まず、ネットで調べた。おおよそのことがわかった。特に、「白鳥事件」に関するラジオ番組がYouTubeにあり、聞いた(関連愚記事;素早い火消)。そして、そのラジオ番組が本になっていたと知り、買った;後藤篤志、『亡命者 白鳥警部射殺事件の闇』(関連愚記事; 白鳥事件の容疑者たちのその後;後藤篤志、『亡命者』、あるいは北極熊の行方)。

白鳥事件の時代は日本共産党が武力闘争に走った時期。山村工作隊、中核自衛隊などの”地下”組織があった。後藤篤志、『亡命者 白鳥警部射殺事件の闇』 は白鳥警部暗殺へと向かう前の赤ランプ事件、そして、山村工作の実態などが(必ずしも詳細ではないが)書いてある。白鳥警部射殺事件の遂行の多数が北大生であった。

ところで、そういえば、山村工作隊、中核自衛隊時代の大学生の話といえば、あるではないか!。『されど、われらが日々』(柴田翔)。おいらは、思いだし、読む。昔、はたちくらいの頃読んだ。恥ずかしいけど、正直にいうと、読ませる小説だと思う。今回、3回読んだ。でも、あまりに読みやすいが、あまりの「通俗的」「センチメンタル過剰」「あざとい」「作り話くさい」ことを否応なしに意識させられ、ぐいぐい読む自分が恥ずかしくなる。そういうお話だ。端的にいって、「中二病」の話だ。

でも、この本には日本共産党⇒山村工作隊、中核自衛隊と ばっきり (代々木方言だと= きっぱり、) 書いてある。当時は、大丈夫だったんだろうか?今でも、日本共産党は、山村工作隊や中核自衛隊などの活動は正統な手続きを経ない「反党分子」の逸脱行為であり、日本共産党中央は何ら関係ないと主張している。

でも、おとなになって、『されど、われらが日々』を読むと、日本共産党⇒山村工作隊、中核自衛隊は記号でしかないような気もする。すなわち、「カルト」に入り、裏切られた若者の生き方ということである。つまり、日本共産党⇒山村工作隊、中核自衛隊は「カルト」の記号なのだ。この視点、見方は、21世紀に入って10年以上も経って、当の日本共産党⇒山村工作隊、中核自衛隊に参加した人(大石進)が言っている;

この組織でのすべては自己判断の停止となにものかへの帰依から始まった。私は連合赤軍の諸兵士やオウムの信者諸君との帰依の対象が違うといってみずからを区別する気はない。

(愚記事;敗戦後間もない、日本共産党の中核自衛隊だの山村工作隊だの帰依の対象だったのだ。

「カルト」と「中二病」問題だ。

ということで、地下鉄サリン事件20年ということもあり(関連愚記事; 東京サリン事件20年;当時オウム信者からもらったビラ  )、村上春樹、『約束された場所で』を再読。オウム信者のインタビュー集だ。読んだが、オウム信者には、もちろん、共感しない。オウム信者がなぜオウム=カルトに向ったかの個人的履歴が書いてある。みんな、「中二病」なのだ。

いつの時代も若者の何%が「中二病」になり、そして、こじらせ、カルトに回収されるのだ。

ネットで、「中二病」⇒「ルート」を調べていたら、南直哉を知った。『日常生活のなかの禅』を読む。麻原オウムよりは”道元オウム”の方が害が少ないといったところか。でも、

【南】麻原の犯罪と思想は、分けて考える必要がありますね。彼の言説を「あれは仏教ではない」と否定することは簡単ですが、それではダメです。仏教のユニークで強力なはずの言葉が弛緩しきったところに現れたのが麻原であり、あれを超える言説を日本の仏教者はいまだに持っていません。それは認めざるをえない。

といっている(ソース)。 おとろしや! 「中二病」をこじらせた出家者。

3月は展覧会、「針生一郎と戦後美術 わが愛憎の画家たち」(仙台)[愚記事]と「金山康喜のパリ -1950年代の日本人画家たち」[愚記事]に行く。

針生一郎と戦後美術は図録が買えなくて残念(品切れ)。山下菊二を知る。戦時中は「日本の敵、米国の崩壊」を描いた山下は、戦後、共産党に入り、山村工作隊に参加したらしい。そして、針生一郎、『わが愛憎の画家たち』(1983年)を古本で買う。内容はまさに”わが愛憎の画家たち”には作家論を集めたものなのだが、おいらにとって肝心の山下菊二についての論はなかった。

針生一郎さんは日本共産党員であった。軍国青年⇒共産党、という当時珍しくはなかったであろう一青年であったのだろう。今、ネット上で、針生一郎さんは日本共産党員であり、かつ、山村工作隊に参加していたがごとき情報がある。実際はわからない。本人供述によると、就職のために日本共産党に入党したとされている。根拠::図録@おいらが買い損ねた!

針生一郎の戦後日本現代美術史を書いたとされる『戦後美術盛衰史 (1979年) 』は現在入手困難。古本にでてても高い。いつか欲しい。この針生一郎・『戦後美術盛衰史 』は、中ザワヒデキによれば、千葉成夫・『現代美術逸脱史1945-1985』、椹木野依・『日本・現代・美術』とともに、戦後日本現代美術史の先行書籍だそうだ。中ザワヒデキ、『現代美術史 日本篇 1945-2014』に書いてある。この中ザワヒデキの本を3月に買った。

椹木野依・『日本・現代・美術』は前から持っていた。今回も少し読んだ。わからない。難しい。

分からないのは戦後美術の作品を知らないからだろうとも思う。中ザワヒデキ、『現代美術史 日本篇 1945-2014』は、作品の写真がたくさん載っているので、少しはみてみよう。

千葉成夫・『現代美術逸脱史1945-1985』は高いので、いつか欲しい。

今のおいらの印象は、確かに美術作品はその時代(それまでのいきさつ[歴史]と社会)の産物だろうけど、美術作品を人文主義的歴史あるいは社会科学的歴史を理解するための確たる証拠・意味するものとして扱うことには懐疑的。

金山康喜。1950年代のパリ派。針生一郎とは同時代の人だ。年はひとつ違い。金山康喜は猪熊弦一郎の弟子と知る。金山康喜も猪熊弦一郎も、通俗的な画調のせいか、おいらは大好きだ。

今、おいらは戦後日本現代美術史を勉強中なのでよくわからないのだが、金山らはノンポリ派なんだろうか?でも、猪熊弦一郎は戦時中は従軍して戦争画を描いていたらしい(web リンク)。なので、戦争画についてももっと知りたい。手始めにこれが欲しいが、これまた、高い;『戦争と美術1937‐1945』(椹木野依、針生一郎ら)[Amazon]

■ なので今週末は、お手頃値段の田淵 安一 『西の眼 東の眼』 (Amazon)を買った。田淵 安一とは、1951年に金山康喜とともに、パリに行った画家。