この世に客に来たと思えば何の苦もなし by われらが貞山公。
客観的 (きゃっかんてき)、って、倭人の言葉。 すごいな。 典型的な 倭製 和製漢語に他ならない。
お客さんのように、観ること!
そうなのだ。
客観的=お客さんのように、観ること!=私情 を炸裂させてはいけない。
つまりは、お客さんたるもの、ホストファミリーを謗ってはいけなのだ。
この世に客に来たと思えば何の苦もなし=「日本」に客に来たと思えば何の苦もなし!
ただ、ただ、所業無常、栄枯盛衰、愚劣と優美、...、お客さんのように、観ればいいのだ!
大前提として、お客さんには、ホストファミリーへの礼儀が必須である、ということ。
(無礼はいかんよ、無礼は...諸君、やっぱり、この国は最悪だ! )
日本、死ね!、とか、こんな国もう亡ぼせ!、とか、お客のあんたはいつ養子になったのかね?、とお尋ねしたい。
■ 少し、関連する愚記事;
● まとめ
彼は、貞山公の徒なり。 「この世に客に来たと思えば」、当然、「この国」。
「この野郎!」
▼ 「この野郎!」
我らがネトウヨ界で、我らがぬっぽんに命を賭けず、お客さんのように通りすぎて、あまつさえ、適当な言葉を吐く奴らを、 「この野郎!」と罵る風潮ができたらいいな。
★ 今、気づいた。
「この」の亡国性=この衛文麿
盧溝橋事件を日中の全面戦争に発展させ、さらには戦争解決を放棄する。