いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第306週

2020年09月19日 19時23分20秒 | 草花野菜

▲ 今週の看猫;みけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第306週

■ 今週のよその猫

都内豊島区、東池袋中央公園

■ 今週の武相境

武相境最低地;鶴見川

■ 今週の小田急

新宿へ向かう小田急線。午前9時台の各駅停車。特急はとても混んでいた。

小田急の小田急線は戦前からの古い路線なので、踏切があるのが特徴。

■ 今週の多摩川

■ 今週のポスター

Google[ドキュメンタリー映画「東京裁判」の4Kデジタルリマスター版]

1985年の映画、『東京裁判』のリニューアルのお知らせ。当時、おいらは劇場で観た。

■ 今週の「昭和の成仏」のために

東京都豊島区立東池袋中央公園

石碑の裏にある碑文は;

第二次世界大戦後、東京市ヶ谷において極東軍事裁判が課した刑および他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、この地で執行された。戦争による悲劇を繰り返さないため、この地に前述の遺跡とし、この碑を建立する。昭和55年6月

▼ 処刑の後の因縁話

東條英機大将・首相ら、いわゆるA級戦犯はこの地で絞首刑となった。1948年(昭和23年)12月23日。この日が上皇陛下の誕生日であることはよく指摘される。すなわち、戦勝国による日本皇室への牽制と解釈されている。

ところで、東京裁判は戦勝国の委員会が行ったものである。一方、処刑の実務は米陸軍の第八軍が行った。責任者はウォルトン・ウォーカー中将であった。彼は、日本占領の最初の第八軍司令官のアイケルバーガーの後の司令官であった。その第八軍司令官のウォルトン・ウォーカー中将は1950年に勃発した朝鮮戦争で半島に視察した際、事故死する。時は、1950年12月23日深夜。いわゆるA級戦犯が処刑されてちょうど2年後のことだった。

この話はある本で読んで知っていたのだが、有名な話らしく、wiki(ウォルトン・ウォーカー)にも載っていた。

▼ 見当たらなかった処刑映像

東條英機大将らいわゆるA級戦犯で死刑判決を受けた人たちの絞首刑の処刑の様子は映像が残されている。その映像はネガにして(元の白黒映像の白黒を黒白にして)少なくとも1980年代まで広く公開されていた。子供の頃、昼間のテレビ、実録戦争ものドキュメンタリー番組で、やっていた。上記、『東京裁判』でも出てくる。それほど公開されていたのだから、今リンクしようと、YouTubeなどを動画を探したが、直ぐには見つけられなかった。エグいので、非公開になったのだろうか?もっとも、違うアングルからの映像がひとつあった(⇒YouTune

■ 今週の「消えゆく昭和」

昭和5(1930)年頃に竣工した旧相互無尽会社ビルが、解体されるとのこと(google);

■ 今週の夏の終わり

廃棄される扇風機3台

■ 今週のドーナツ屋さん

ドーナツもり(Twitter)神楽坂付近

■ 今週の坂

■ 今週の「マンションポエム」

■ 今週の段丘崖

都内新宿区赤城下町付近

■ 今週の赤

都内池袋
IKEBUS , イケバス (wiki