▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第443週
■ 今週の武相境斜面
■ 今週の花
■ 今週の物心ついた頃からあるもの
サッポロポテト。先日、スーパーで買った。ところで、なぜ「サッポロ」ポテトなのか?知らない。
ググった。サッポロポテトはかっぱえびせんの弟分だと知った。
1968年に(開発者の)松尾が北海道を訪れた際、当時の副知事から「生産されたジャガイモの半分以上はでんぷんのみとって残りは飼料になっている。アメリカのようにでんぷん原料以外の加工食品を作ってほしい」との要請を受けた。
本製品が売り出されたのは札幌オリンピックが開催された1972年だったことから[3]、北海道はジャガイモの一大生産地、札幌は北海道で一番有名な都市でもあるので、新しいスナックの名前にふさわしいと考え「サッポロポテト」と命名した。(wikipedia)
■ 今週借りた本、あるいは、今週の復員兵の子ども
愚記事に「団塊=復員兵の子供たち、あるいは、few J-children sing, what did you kill ?」がある。復員兵の子どもとしての村上春樹について書いた。その後、2020年に村上自身が父親について書いた。『猫を棄てる』。春樹の父親はチャイナ大陸からの復員兵だ。関与の詳細は不明であるがチャイナ兵士の虐殺に立ち会ったらしい。その話を聞いた春樹は、心の傷(トラウマ)となった。そのことが後の創作に強く影響していることがわかる。なぜ春樹がチャイナに拘っていたのか、例えば「村上春樹、『1973年のピンボール』に現れたる「華青闘告発」的視点」、それはこういう事情であったと今では納得する。
ところで、村上春樹の復員兵の子どもであることは、1998年には公知であったのだ。おいらが、知らなかったのだ。すなわち、イアン・ブルマの『日本探訪 村上春樹からヒロシマまで』における春樹への直接インタビューを元にした文章(1996年)に書いてある;
我々は彼のマンションのリビングルームに座って コーヒーを飲んだ。背後の棚にはジャズのレコードが一杯に詰まっていた。 村上は自分の父親について話しはじめた。父親とは今では 疎遠になっており、 滅多に会うこともないということだった。父親は戦前は将来を期待された京都大学の学生だった。在学中に徴兵で陸軍に入り、 中国へ渡った。 村上は子供の頃に一度、 父親がドキッとするような中国での経験を語ってくれたのを覚えている。 その話がどういうものだったかは記憶にない。目撃談だったかもしれない 。あるいは、 自らが手を下したことかも知れない。ともかく ひどく悲しかったのを覚えている。彼は、内証話を打ち明けると言った調子でなく、 さり気なく伝えるように抑揚のない声で言った。 「ひょっとすると、それが原因でいまだに 中華料理が食べられないのかも知れない」
父親に中国のことをもっと聞かないのか、と私は尋ねた。「聞きたくなかった」と彼は言った。「父にとっても 心の傷であるに違いない。 だから僕にとっても 心の傷なのだ。 父とはうまくいっていない。子供を作らないのはそのせいかもしれない。」
私は黙っていた。彼はなおも続けた。「僕の血の中には彼の経験が入り込んでいると思う。そういう遺伝があり得ると僕は信じている」。村上は父親のことを語るつもりはなかったのだろう。 口にしまってしまって心配になったらしい。 翌日電話をかけてきて、あのことは書きたてないでくれと言った。 私は、あなたにとって大事なことだろう、と言った。彼は、その通りだが、微妙な問題だから、と答えた。 私はこの問題で彼をもう少しつついてみたくなった。そこで (春樹の妻の)陽子に、彼の父親を訪ねてみてもよいかと聞いた。彼女は 村上が私に父親の話をしたと聞いてびっくりした。 村上が私に父親の話をしたと聞いてびっくりした。 「春樹は父親のことを絶対に人にしゃべらないのよ」と彼女は言った いずれにせよ、 私が父親と話す るなどということは 春樹はいやがるだろう、というのが 彼女の意見だった。もちろん、 彼女の言う通りだった。 村上はいやだと言った。 しかし、 もう一つ 別のことを話してくれた。 「僕は事実を知りたくない。 想像力の中に閉じ込められた記憶がどんな結果を生み出すのか、 それだけにしか興味がない」。
村上春樹は中華料理を食べないのだ。その理由は、父親(村上千秋)がチャイナ侵略(侵華)日帝兵士であったからと、聞かされた話からのトラウマからだ。村上春樹は個人主義的人間だと世間から理解されていると思うだが、経験が血を通して、遺伝子を通して、子に孫に受け継がれるという思想をもっている。これには驚いた。生物学的に受けつがれるとは全くおいらは思わない。ただし、ものを書く人間なら、チャイナ侵略日帝兵士の父に対し自分はそれをどう了解するか書くべきではないかと思ってきた。その前提として事実関係を知らなければならない。もしできれば、元兵士がどう了解しているか聞いて書いてほしいと思う。イアン・ブルマと会った1996年には「事実関係」を調べるつもりはないと表明していた。そして、ずっと30年あまりにわたり春樹は父親と疎遠だったのだ。
その後、2008年に父親、千秋は死ぬ。死ぬ前に会って話し、「和解」したと報告しているのが、『猫を棄てる』だ。1996年には避けていた事実関係調査を自分で進めた。以前は、1996年の時点でも、春樹は父が属していた部隊が南京入場一番乗りの部隊であったと思い込んでいた。そのことが春樹の心に引っかかていたと『猫を棄てる』には書いてある。ただし、調べると、父親の千秋はその南京一番のりには参加していなかったと知る。
『猫を棄てる』では、春樹の心の傷(トラウマ)になった、父、千秋が見た中国兵の処刑を小学生低学年の時に聞いた話が書いてある。そして、その話を聞いたこと、聞かされたことの深刻な影響が述べられてる;
いずれにせよ その父の回想は、軍刀で人の首がはねられる 残忍な光景は、言うまでもなく幼い僕の心に強烈に焼き付けられることになった。ひとつの情景として、更に言うなら ひとつの疑似体験として。言い換えれば、父の心に長いあいだ重くのしかかってきたものをー現代の用語を借りれば トラウマをー息子である僕が部分的に継承したということになるだろう。 人の心の繋がりというものは そういうものだし、また歴史というものも そういうものなのだ。その本質は<引き継ぎ>という行為、 あるいは儀式の中にある。 その内容がどのように不快な、 目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。もしそうでなければ、歴史というものの 意味 がどこにあるだろう?
村上のトラウマ体験と2つの猫のエピソード(棄てたのに先に帰宅していた猫、木を登り降りられず消息不明となった猫)が語られ、最後のまとめが述べられる;
いずれにせよ、 僕がこの個人的な文章において 一番 語りたかったのは、ただひとつの 当たり前の事実だ。
それは、この僕はひとりの平凡な人間の、ひとりの平凡な息子に過ぎないという事実だ。それはごく当たり前の事実だ。しかし 腰を据えてその事実を掘り下げて行けば行くほど、 実はそれがひとつのたまたまの事実でしかなかったことがだんだん明確になってくる。我々は結局のところ、偶然がたまたま 生んだひとつの事実を、唯一無二の事実としてみなして生きているだけのことなのではあるまいか 。
平凡といのはどういうことなのかわからない。戦争に行くこと(徴兵されたにせよ)は平凡なことではないだろう。ごく当たり前の事実でもないだろう。そして、それらの平凡さにもたらされる「たまたまの事実」の結果、「侵略」され、あるいは、殺された方の「事実」は「たまたま」なことなのだろうか?あるいは、村上のいう「平凡」とはあのbanal、つまりはハンナ・アーレントのいうところのbanal evil、陳腐な悪のbanalのことなのか?
ところで、デビュー作の『風の歌を聞け』にも「チャイナ」はでてくる;
バスの入口には二人の乗務員が両脇に立って切符と座席番号をチェックしていた。僕が切符を渡すと、彼は「21番のチャイナ」と言った。
「チャイナ?」
「そう、21番のCの席、頭文字ですよ。Aはアメリカ、・・・」
そんなことより、ジェイズ・バーのジェイは中国人だし、僕のおじさんは上海で戦死している。なお、『猫を棄てる』で父、千秋は男6人兄弟であり、三人が出征したが、誰も戦死しなかったとのこと。
■ 今週借りた本、今週読み終えた物語
ゴールデンウイークの頃から村上春樹、『ねじまき鳥クロニクル』第1~3部とその兄弟物語の『国境の南、太陽の西』を読む。両物語は1996年の刊行。27年前。読んだことがなかった。
『ねじまき鳥クロニクル』第1部を持っていた。2部、3部を横浜市立図書館から借りた。のち、第2部の文庫本があったと気づく。
『ねじまき鳥クロニクル』の舞台、すなわち、主題となる「井戸」のある家は世田谷区のある街の「2丁目」である。たまたま、読む直前に世田谷を散歩した。
一方、前述した村上春樹のインタビューで、父親がチャイナ大陸に出征していたことを明らかにした。そして、春樹の父親が中国兵の処刑に立ち会ったことを子供時代の聞かされ、トラウマとなったとのこと。そのインタビューは『ねじまき鳥クロニクル』刊行後のことだ。
つまり、自分のトラウマにかかわることを物語化したのだ。事実、『ねじまき鳥クロニクル』には残虐なことが書かれている。チャイナ大陸を舞台にすることでは『羊をめぐる冒険』でもそうだった。でも、『羊をめぐる冒険』では直接、血なまぐさい状況を含む戦争を扱っていない。ただし、植民地支配だ。
『ねじまき鳥クロニクル』でも『国境の南、太陽の西』でも、体制=システムの象徴として「義父」が役割を与えられている。実父ではないのだ。そのあたりにも、村上春樹の父子問題の難しさが伺われる。直接対決ではないのだ。
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