2015年11月25日の記事「江藤淳が、三島由紀夫を「殺した」のか?」に修正が必要であるとわかった。
2015年の記事で江藤淳が『「ごっこ」の世界が終ったとき』の中で"自主防衛ごっこ"とは云っているが"兵隊ごっこ"とは云っていないと指摘した。この指摘は、西尾幹二の誤解を発見したつもりだった。すなわち、西尾幹二が『三島由紀夫の死と私』の江藤を批判する文章で江藤の『「ごっこ」の世界が終ったとき』を引用し、江藤が"兵隊ごっこ"と三島を揶揄していることについて江藤を非難した。しかし、『「ごっこ」の世界が終ったとき』の中で"兵隊ごっこ"という言葉は使っていない。些細なことだが、そうなのだ。
でも、最近わかった。江藤淳は別の文章で"兵隊ごっこ"という言葉を使っていた。
今日の日本の男は税金を払うことを義務づけられてはいない。愛するものが突然死地に赴くという可能性のない社会で、女は果して真の所有感と充足を、あるいは愛の緊張感を経験できるであろうか。交通事故その他の私的な死は現代日本にも充満している。新左翼のゲバルトややくざへの憧れのような、疑似公的な集団の兵隊ごっこも流行しはじめているようである。 [強調、おいら](江藤淳、「モンペとミニと」、1970・8・20、初出不明、江藤淳著作集続4 旅と犬と生活と)
この文章では「盾の会」とは名指ししていない。が、「盾の会」に違いないだろう。やくざへの憧れのような、疑似公的な集団と分析している。かなり批判的である。そして、兵隊ごっこと形容している。
繰り返すと、『「ごっこ」の世界が終ったとき』では、"兵隊ごっこ"とは云っていない。
したがって、2015年11月25日の記事で指摘した;
楯の会=三島事件=「兵隊ごっこ」の用例は下記ある;
これがたとえば三島由紀夫がバタイユから読みとったもののすべてであり、その結果があの面白くもない兵隊ごっこだった。 (浅田彰、『構造と力』)
について、そもそも、江藤の文章にあったのだ。