赤い部分は1945年(昭和20年)、B-29による空爆で焼失した地域である。
木町通りは戦災を免れている。
■ 当然、おいらは選挙なぞ行かない。
その信条はかねてから表明している;
・ 選挙に行く奴はバカである。
・ 諸君、やっぱり、この国は最悪だ!
だけど、こんどの選挙は、違うのよね!
選挙の投票権の はがき が来ないのだ。
それは、引っ越したからだ。 選挙人名簿に載るのは時間がかかるのだ。
よがった! ちょっと、わけありの、総選挙!
だからおいら、勝ってる、この総選挙!
と、正々堂々、投票に行かなくてよいおいらの家には、選挙管理委員会の公報は来た。
その最高裁判所裁判官国民審査 審査公報 をチラ見した;
飛び込んできた! 木町通! ぎょっとした; びっくりすた;
木町通;
・▼ 木町通りの「鈴木二郎商店」も、木端微塵で、かの地にはないのだ。
・■ 木町通り 鈴木二郎商店 (地図の⑦付近)
・-仙台市、木町通り(2005年撮影)。占領時代、シカゴ・アヴェニュウーとよばれた。-
・仙台木町通り。バブル前は戦前の風情を残すいい街並だった。
▼行幸小学校
上の図にも示されているが、木町通小学校は2/3戦災に巻き込まれたのだ。
1945年(昭和20年)の仙台大空襲では校舎の3分の2を焼失したものの住民の希望と協力で校舎をいち早く再建、終戦後の1947年(昭和22年)8月6日には、東北巡幸中だった昭和天皇による訪問を受けた。 (wiki)
でも、「シカゴ・アヴェニュー」小学校にはならなくてすんだようだ。
( ▼ おいらは俗物なので、「偉い人」が好きだ。・ おいらは、出世しそこなった出世主義者である。 ・さて、おいらはポルノ三昧で暇を潰している。)
■ さらに、びっくり、ぎょっとしたのは、大学はそのまま田舎大学にいったのだ。 田舎大学でも最高裁判事になれるのだ!とおいらの脳内の猫猫センセ野が反応した。(1980年代中盤、夏目事務次官ってのがいて、)
● 上図の「医学部」とは、かの樋口陽一センセがパリではカメラを置き忘れてもそのままあったが、日本では靴をもっていかれた(盗まれた)と愚痴っている回顧における靴を「盗まれた」舞台である。