■おいらは、近代ぬっぽんの由来と展開を見物するので、雑誌、文芸春秋社の『文芸春秋』と中央公論社の『中央公論』の刊行号以来すべての収集を目指し実行中である。戦後の知識や文化状況を知るためには、『文芸春秋』『中央公論』、そしてできればばかサヨのウヲッチとして岩波の『世界』に目を通すのが最低限の責務だろう。
というのは、もちろん大ウソです。ごめんなさい。
うちには、『文芸春秋』『中央公論』あわせて10冊もないよ。
上記写真は東京五輪が開催された1964年10月号。
今春、島根の松江に行ったとき、城下町の廃れたアーケード街を散歩していると、古本屋の軒先にワゴンがあり、ゾッキ本の山。さらには、田舎の無人野菜売場よろしく、どれでも1冊100円だから、箱に金入れて、持って行けというもの。
いろいろあったが、すんごいのは和辻哲郎の『倫理学』などの岩波単行本がざくざくあった。もっとも、今じゃ、本当にほしい人は全集を買うので、こういう単行本は廃棄される運命なんだろう。
この『中央公論』1964年10月号はオリンピック開催の10月の前月初旬に刊行されたにちがいない。もちろん表紙は五輪にあわせての聖火ランナーなのではあるが、なんと雑誌本文には東京オリンピックへの期待だの不安だの諸外国の評価だのなんだのかんだのという記事が一切ない。
■時評は、東京都政についてと、東京渇水とダム建設を訴えた、松永安左エ門「無視されたわが構想」など。
どうやら、東京五輪の年、1964年、昭和39年に東京は断水するほど水不足だったらしい。 Google : 昭和39年 東京 水不足 東京砂漠という言葉ができたのはこのときらしい。 でも、東京砂漠って今じゃ完全死語だな。おいらは、がきんちょのころから今日まで、「東京砂漠」ってのは東京の殺伐として人情のなさを謳うことばと思っていたよ。
で、松永安左エ門さんは日本最大の多目的ダム計画・沼田ダムの建設を主張したが、結局現在まで、沼田ダムはできていないそうだ(沼田ダムを作らなくてもよい策で治水をしている、とも言える)。
ウィキペディア(Wikipedia)松永安左エ門 →講演会の席上で軍閥に追随する官僚達を「人間のクズ」と発言した(1932年)。!!!!
ウィキペディア(Wikipedia)沼田ダム計画
■特集は、戦後日本を創った代表論文。これだけを今ばらばらに集めるとなると大変だろう。渡辺彗とか知らないし。これで、100円。
『中央公論』1964年10月号の目次
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