日中国交「回復」のために北京に行った田中角栄は毛沢東と会った。1972年9月27日だ。日本の総理大臣である田中角栄の中国側のカウンターパートナーは周恩来である。だから、 中国の国家の(事実上の [1])元首である毛沢東との会見は「表敬訪問」となる。毛沢東は角栄を自分の「書斎」に招いたとされる(上図)。もっともこの部屋が本当にマオさん の書斎かどうかはわからないではないか!?というつっこみはみたことがない。『中国文化大革命の大宣伝』の著者草森紳一は、上記画像を見て「人を圧倒する ことうけあいの書斎」と判断している。
[1] 後註;2018/3/25。この時(1972年)毛沢東は国家主席ではない。国家主席(代理)は、(この年死んだ/殺された劉少奇の後)董必武。 この時、マオは中国共産党中央委員会主席。
変なの! 草森紳一って、『本が崩れる』の草森紳一だよね。別にマオさんの書斎は『本が崩れ』てないぞ。もっとも『本をくださる』マオさんではあるのだが....。
『本をくださる』マオさん(真ん中)と本を片手で頂く角栄(右)、「幼児を見る眼差しで笑っている」周恩来(左).
田中角栄が、訪中した時の写真は、中国も日本も、ほとんど似たり寄ったりである。(中略)そういう紋切りの写真の中で私が気になったのは、毛沢東が、田中角栄におそらく復刻和綴じの『楚辞集注』を贈った時のものである。この時、五十四歳の若さであった角栄は、片手で六冊の『楚辞集注』をわし掴みし、残りの手で、毛沢東と握手している。
あわてる角栄のしぐさがおかしかったのか、毛沢東も珍しく歯を見せて笑っている。毛のかたわらにいる周恩来も、そういう「大人」の愛想笑いである。角栄は、腹を立てる幼児の冷静さはなく、ひたすら汗びっしょりの感じである。この種の宣伝写真の中では、小味があって、出来のよいものである。 草森紳一、『中国文化大革命の大宣伝』
google [毛沢東はなぜ贈物に『楚辞集註』を選んだか]
■ そして、どうでもいい話です。
中国共産党が2001年に中国共産党80年周年記念の写真集を出版した。写真からなる中国共産党史だ。文章が読めない庶民にもわかりやすい。
その142ページ目の1972年の田中角栄日本国総理大臣の毛沢東との会見の写真の左右が逆になっている。印画紙を左右逆にして紙に焼き付け出版している。これまでのこの時の毛沢東と田中角栄の会見の写真では角栄が向かって右側にいる(図2)。
この2001年の左右逆転は何か深い意味があるのだろうか?
紀念中国共産党成立八十周年(2001年出版)のp142。 角栄左、マオ右。
- 草森紳一、『中国文化大革命の大宣伝』より - マオ左、角栄右。
図2 ネットで拾ったNHK放映の番組のひとこま。 角栄右。
後記; この時の映像はこのYouTube [十年文革] (現在リンク切れ)の0:52:34からの部分で観れる。