いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第393週

2022年05月21日 18時01分08秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第393週

■ 今週のよその猫

東京都調布市深大寺付近

■ 今週の「岩合光昭」さん

■ 今週の草木花実

▶ 3年ぶり! 神代植物公園 「春のバラフェスタ2022」

■ 今週の物産展

↑溝の口駅  ↓買った

ラグノオ(メーカー)、「パティシエのりんごスティック」 (web site)。 ラグノオとは;
「ラグノオ」はフランス表記で「ragueneau」です。ragueneauとは、演劇・戯曲「シラノ ド ベルジュラック」の中に登場するパティシエ(職人)の名前 だとネットにあった。

関係ないが、思いついた: ragueneauのアナグラムとしてはueの余りとなる、garneau 。自転車のルイガノなどのガノ [garneau]。

■ 今週の「変」

■ 今週のゆるキャラの応援の有無

みきゃん」はいませんでした。

■ 今週の goo blog

■ 今週借りている本

高橋たか子の随筆、日記、自伝を読んできたが、初めて小説を借りた。『高橋たか子 自選小説集1』に貼っている『誘惑者』を読んだ。

■ 今週読んだ小説; 死願者は夜汽車に乗って

『誘惑者』。高橋たか子の小説としては初めてよむ作品。小説は京大の女学生が女学校(女専)時代の友達二人の自殺を幇助する話。舞台は京都と自殺する三原山と途中の東京。時代は1950年、昭和25年、朝鮮相の頃。つまりは、占領下の話となる。なお、高橋たか子はこの小説についてのちにいろいろ書いているが、時代について朝鮮戦争の時代と意識的に云って、かつ、自分は京大生だったが朝鮮戦争なんかに全く興味はなかったと云っている。

<モデルの事件:三原山での女学生自殺> 『誘惑者』の三原山での女学生の自殺とその幇助の話は史実であり、高橋たか子はそれを週刊誌で知り、それに<誘惑>され作品をつくったとのちに云っている。この昭和8年(1933年)の事件はネットでわかる(Google [三原山 心中 女子学生])。当事者は東京の実践女学校(修学年次を考慮すると、現在の大学に相当)の女学生。当時としては稀な種族。モダン日本で勃興した中産階級の子弟なのだろう。ふたりの友人の自殺に立ち会った「死の案内者」昌子さんはこの直後死ぬので、詳細は不明とのこと。

高橋たか子がこの小説のために設定したことにまつわることども

<B-29が来なかった街に生まれて> 高橋たか子は京都生まれの京都育ち。父親は建設専門の役人。すごいのが、この父親が敗戦直後、15歳くらいの高橋たか子を「焼跡を見せてやる」と大阪や、さらには東京に連れて行くのである。東京へは夜汽車で行った(後述)。この経験が『誘惑者』の自殺のための上京に「使われている」。高橋たか子は東京について焼跡を見た記憶はない/忘れたと随筆にはかいている。ただ、バラックに住む旧友に会った思い出は覚えていると。もちろん、東京は戦災で10万人以上が死んだ/虐殺されたジェノサイドの街であり、廃墟の街、死の街だ。その街に15歳くらいに行ったのに、特に死の街の印象を受けたとは云っていない。一方、『誘惑者』では、;

 と、その時、鳥居哲代は、ふと窓の方を見、あっという声をたてて眼をしばたいた。これまで二十年間に一度も見たことのない光景が、そこに展開されているのであった。先刻、おそらく暁方に、何度か窓の外にあらわれて、夢だと思いこんでいたあの廃墟は、実はこれだったのか。
 「これが戦争の?その跡なの?」と鳥居哲代は言った。 あ

戦災を被った都市と、そうでない都市とは、まるで互いに別世界のようだ、鳥居哲代は考えていた。あの、国電の田町とかいう駅で降りて、海ぎわにあると教えられた桟橋に行きつくまで歩いていった、広漠と味気ない焼け跡。埃っぽく乾ききって、吹きなぐりの寒風とともに、土埃が黄色い旗のように舞い上がる、あの荒野。焼けたトタンを屋根にした防空壕のなかで、獣のように生きている人々。残骸だけになった工場のなかで、それでも電気溶接の火花が散っていて、ほそぼそと続けられていた作業。家らしい家はなく、木らしい木はなく、川らしい川はなく、ただただ土と埃と廃物だけの拡がりにすぎない、あの海沿いの地帯。そこから漂い出てくる、あのいいようもない倦怠。行けども行けども到達しない桟橋。空だけが、汚れのない、ただ奇妙に残忍な感じのする青さで、頭上をおおっていた。ー焼跡。なぜか焼け跡が、自分の内部に焼き付いてくる。(高橋たか子、『誘惑者』)

<B-29が来なかった街に生まれて>、<B-29に壊滅させられた街にやって来て>意識をみつけて、おいらは、うれしくなった。

<死願者は夜汽車に乗って> 高橋たか子の小説『誘惑者』の人物は京都の同志社女専英文科時代の友達。21歳。三原山で自殺するので、京都から行かなければいけない。高橋たか子が設定したのは、夜汽車。京都から夜行列車に乗って、東京に行くのだ。そして、東京から船で伊豆大島へ行く。死願者は夜汽車に乗って! どっかで聞いた詞を思い出した; ♪~ 帰れない 何があっても 心に誓うの ♪~ 何かもすてた(死願者) 夜汽車に乗って ♪~

<死んで行く良家の子女> 高橋たか子、『誘惑者』でふたりの死を「誘惑」した鳥居哲代は京大生。死んだ二人、さらには鳥居哲代も、良家の子女である。良家であり、さらに旧い家柄というう設定である。自殺した一人織田薫(女専から同志社大学に進学)の家は特定郵便局であり、父祖たちは代々局長である。

■ 今週知った司教さま

高橋たか子、『私の通った路』は自伝である。高橋たか子が1980年代のほぼ10年フランスのカトリックのある「セクト」に属し、今後の日本での勢力拡大のプロジェクトに参加するつもりだった体験談。結局、退会する。つまりは、高橋たか子の「憂鬱なる党派」物語。俗を「低く」見て、霊的生活を目指すはずの宗教生活が、権力欲旺盛に「セクト」を独裁的に率いる神父ぺーる・ベルナール(仮名)と彼に取り入ろうとする修道女などが登場する極めて「俗」な宗教組織の人間模様。特に、高橋たか子に登場する日本人女性クリスチャン。若い。彼女たちと高橋たか子の軋轢。その軋轢の解決のために東京にいる日本人司教がでてくる。濱尾文郎。これは本名らしく、ググったらあった⇒ wikipedia。最後は枢機卿になった人だと知る。昭和時代は東宮殿下にラテン語を教えていたとある。この『私の通った路』をみると、カトリック教会の政治が少しわかること。カトリックは布教、組織拡大は各セクトの自由であるが、その布教地の司教の許諾が必要らしいこと。

<耶蘇の瀬戸内寂聴?>

高橋たか子は洗礼名が、マリア・マグダラなのだ。あの、マグダラのマリアだ。高橋たか子の文章はあからさまに書いていないが、穏に、ところどころ、暗示したことを書いている。一番、直截なのはこれ;

 だから、異性感情が起こらぬように自分に気をつけよう、と思ったというのは、私が過ぎ去った長い年月において達人であった、男性との愛の域に火がついたりしないように要心をおこたらぬようにしよう、ということに過ぎないのであった。(高橋たか子、『私の通った路』)

<憂鬱なる党派、あるいは、俗物性>

私は、この日本人修道女にたいして、大きなお世話だ、中傷だ、との思いをもった。すぐ、ペール・ベルナールに返事を書いた。あの識別は、大変成熟した頭脳明晰な二人の女性、 M・Oさんと私との合意によるものだ、と。彼自身も、最初から自分でちゃんと識別していたことを令状に書いて、会から出てもらったのではなかったか、と。ナイフを投げるような語調の、私の手紙にたいして、折返し彼からの返事が来た。がらりと内容のニュアンスが変わっていた。そういう電話があったと言っているだけのことで、あの問題は決定的に決着ずみのことだ。あなたがフランスに帰ってくるのを待つ待つ待つ、と。
 数の恐怖にとらわれている彼が、まるでそこにいるかのように私に代わってきた。一つの数を失って、恐れ、そのことを私に言うことで私をがっかりさせた結果、一つの数どころか何倍もの数の内包される私を失うかもしれないことへの、恐れ。 (高橋たか子、『私の通った路』)

このあからさまな承認欲求の充足への満足に満悦している姿はどうだろう。これは、どういう意味なのか、とまどう。つまり、承認欲求の充足への満足に満悦していること、すなわち、典型的俗物であることに無自覚なのか、それとも、作家として霊的生活でもおこりうることときちんと報告していうるのか、わからない。



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